午後六時からのヒーロー 0
子供の頃、と言っても小学校中学年くらいの頃、僕の興味はコミックヒーローたちから海の向こうへ移っていった。実際にはテレビの画面の向こうだけど。
その頃、夕方のニュースにはヒーローがいた。視聴者投稿コーナーや立てこもり現場の中継で実際に悪人と戦う姿を画面に張り付いて僕は見ていた。
海外、確かアメリカだったような気がする。コミックから飛び出したスーパーヒーローはいつの間にかニュースキャスターからマイティスーツと呼ばれていた。
少し古臭いタイツじみたコスチュームは同級生たちには不評だったが、コスチュームは重要じゃない。彼はスーパーパワーを持っていた。
彼に向かって放たれた弾丸は空中でその勢いを殺され、地に落ちるのだ。スペシャルなスーツを開発したという触れ込みだった。彼の能力はどこにでも及び、人質を殺す投げナイフや、自棄になったテロリストの手榴弾ですら彼にかすり傷一つ付けることが出来ないのだ。
スーパーパワーで悪に立ち向かう姿は間違いなく僕達のあこがれだった。プロサッカー選手やメジャーリーガー、ハリウッドスターのように絶対無敵のヒーローが僕のあこがれだった。
三年ほど後のことだった。バスジャック犯が捕まった。バスの中に居た一人の男性が3人の犯人を倒したのだ。乗客は全員無事。当時のテレビは彼を実名報道していたから名前は知ってるはずだけど思い出せない。けれど重要なのはここからだ。
乗客の証言曰く、
『犯人の銃弾は彼を撃ちぬくことは無くまるで何かに掴まれたかのように止まり、地に落ちた。』
『犯人の一人が子供を人質にとった瞬間、突然倒れたかと思えば、ナイフを持った腕は車に轢かれたように折れていた』
彼だ。
僕は盛大に喜んだ、スーツを脱いだスーパーヒーローが人助けをしたのだ。批判があったが構わなかった。
僕にとって彼はスーツなど着ていなくてもヒーローなのだ。スーツの嘘など僕には関係なかったし、同じ力を使うのならばスーツの力でも生まれつきの能力でも構わないと僕は考えていた。
現実はそうは行かなかった。生まれつき異能を兼ね備えた人間が次々と見つかったのだ。彼らは当時の政治家の発言からメタヒューマンと呼ばれている。怯えていたのだろう、その報道は実際に見たが、政治家は超人たちの感情を逆撫でないように譲歩に譲歩を重ね、言葉の上である種の特権が成立していた。
反感はあったが、生まれつきに能力に差があることが気に食わない人達と、自称活動家達が荒らし回らなければ超人と僕らの関係はこの程度で済んでいたのだ。
超人が居ても居なくても、生まれつきの差は存在する。それに名前が付いているかどうかだけでよく動くのだなと思っていたのを覚えている。
実際は論争は数年続き、精神を病んだ一人の超人がテロを起こして隔離政策が推し進められるまで答えの出ない問題になっていた。僕に言わせれば未だに答えの出ない問題のままだ。テロ一つで答えが出るはずがない、爆発で沢山の人が亡くなったが、実際には論争中に事故死した人間のほうが多いのだ。お互いに譲歩できない我慢弱い人間がいて、彼らの行動を美談にしたい人間がいる。ことごとく消えかかった炎には油を注ぐ人間がいたから、大きく動かなければそれこそ永遠に争い続けたことだろう。
ともかく危険な超人たちは隔離され、人間は理不尽な力に悩ませることは無いのだ。少なくとも大抵の場所で。
じいさんの家があるこの街は異能街だ、わかっていてここに居る。
高校に行く三年間、僕はこの街で過ごす。僕はそもそも異能者の事が嫌いになれなかった、まだヒーローへのあこがれが在るのだろう。そもそも異能者街の異能者率など10~20%位だ。安息へのこだわりがなければ過ごせないことはない、治安が異様に悪いが。
そして何よりも、探偵だったじいさんの家で過ごしたかった。今は病に気をやってしまったが、かつてのじいさんは有能な探偵だったと聞いている。そして、じいさんの事務所はこの街に在るのだ。
僕は小さな頃からじいさんの一番弟子だった。嫌われ者のじいさんも孫には甘いと言われていたがそうじゃない。事実、僕は二週間に一度じいさんの家に泊まるたび、じいさんの仕事に着いて行きその技を教えてもらっていた。その実力たるや、中学時代の僕の活躍だけでハードカバーでシリーズ物が出せるほどだろう。中学生探偵、我ながらインパクト抜群だ。実際にやたら後輩からなつかれていた。みんなに頼られるのが楽しくて遂に恋愛を忘れていたが、その御蔭でヒーローへの熱を失わずに済んでいる。負け惜しみじゃなく結果論だが悪くなかった。
そうだ。
もう一つ目的がある。
僕はヒーローに会いに来た。