苦ヶ坂峰悪人譚 2
「はい終了ーお二人さん!お疲れさん!」
「お疲れさまっす。帰ったらシアカちゃんの歓迎会しますよ、お忙しいでしょうけど、トップが居ないと流石に可哀想なんで居て下さいね」
「ちゃん?お前二十三をちゃん付けか!ハハハ」
「切りますねー」
仕事はびっくりするほど呆気なかった。
此方は優秀なスナイパーで相手はやる気の無いパトカー。銀行に押し入る皆様の為の時間稼ぎはシアカちゃんには呆気なさすぎて僕達の薄っぺらな身の上は語り尽くしてしまった。
呆気ない仕事と言ったが、人混みの中、誰も殺さずに警官の足止めをする事が狙撃手ではない僕にはどれほどの難易度かはさっぱり分からない。
傷付けずに人の意見を変えさせる位だろうか?僕には不可能だ、経験則だが傷付ける術を磨いて居る人は大抵、傷付けない方法を忘れていくのだ。
もしかしたらシアカちゃんは途轍もない凄腕なのかも知れない。よくよく考えて見ればアートさんが呼んできた狙撃手だ。
僕がその実力を疑う必要は無いだろう。
まあ、僕はココアのお代わりを飲みながら名狙撃手シアカちゃんとおしゃべりしただけで札束を貰う訳だ。本当にシアカちゃんには感謝しなければいけない。
「終わったんですよね、爽太くん!」
「勿論です。っと、持ち合わせ無いでしょうけど何処か寄るところ有ります?無いのなら直に案内しますけど」
「新しいお家に行きたいです!」
中福通りから夜街の方へまっすぐ、夜街案内所の先に有る坂。悪人坂。
宝石商、BAR、その他いかがわしい店が並ぶ夜街唯一の居住施設はそこにある。
規模も間取りもごくごく普通。普通のアパート。しかし家賃は存在しない。
オーナーにして希代の頭脳派成金アート・マジェットによって招待された悪人のみがここに住む事を許される。
正式名称は不明、その場所から悪人坂と呼ばれている……と言うかもっぱら悪人坂はこのアパートの事を指している。
僕もよくわかっていないからアートさんの受け売りになるけれど、悪人界のハリウッドなんだそうだ。
彼がそう言った時、そもそも映画に詳しく無い僕にはハリウッドが地名と言う事の方が遥かに重要で、恐らく一番本質的な部分を聞き逃してしまっている。
彼が良く回る口で長ったらしく語っていたのは覚えているんだけどなぁ。
「ようこそ!悪人坂へ」
「わざわざ僕なんかの為に出迎えご苦労です。アートさん」
「お前が頼まなかったら飲みに行ってたって点では間違いなくお前の為だな」
夜を見つめるようなセクシーな眼、スーツを着ていても首すじを上る色気、適当に剃られたヒゲ、どれをとっても男の格の差を僕に語りかける。
悔しさも湧いて来ない。存在の差が有りすぎる。ウィンクなんぞした日にはダース単位で人を気絶させるんだろうな。それはちょっと勘弁だし憧れないけど。
天が全てを与えた男、アート・マジェットが僕達を待っていた。ネイティブな日本語で。
「爽太はどうでもいい。ようこそ、シアカ。今日からお前は悪人坂の住人だ」
「よ、よろしくおねがいします」
完全にシアカちゃんはアートさんにビビっている。僕もそうだった、視界に入ると目を奪うその存在感。オーラとかじゃ無い。
193cm、良く響くダンディな声質。しかも話す時にかなり近づく癖がある。低身長のシアカちゃんにはアートさんがマフィアのボスにでも見える事だろう。
半歩下がる、半歩詰める。
「悪人坂は屋号の様な使い方もされていてな、名前と一緒に名乗れば一流の証明が出来る」
「……!?」
健気にもアートさんから目を逸らしていないが、後ずさることも出来ず、立ち竦み、目から涙がポロポロと零れ出していた。
コレは許せない。少なくともこの後一緒に夕食を食べるんだ、気まずくなったらどうする!
僕が黙って眺めているのも可笑しい、何時もなら女の子を泣かすのは僕のはずだ。
いつも紳士的なアートさんも辞めどころを見失っているんだろう、僕が話に参加出来てない事に気がつかない訳が無い。
ここは僕が話を挟む時だ。これから無理を通すであろう僕としてはシアカちゃんの信頼も得ておきたい。
「アートさん。怯えさせるのが楽しくてしょうがないのは分かりますけど女の子泣かすのは駄目ですよ」
「爽太にしては殊勝な考えだな、まあいい」
殊勝な訳無いだろ、女の子を泣かすのは駄目だって子供の頃から言い聞かされてきた。駄目だって知ってるさ、僕はわざと女の子を泣かした事なんて一度も無い。相手が泣いちゃうだけだ。殺人と過失致死くらい違う。
「シアカちゃん、アートさんもアレで一応悪気はなかった筈なんです、これからご近所さんですからあんまりあからさまに避けないであげて下さいね」
「……うん」
「じゃあ夕食にしましょうか!」
これでいい、アートさんは相変わらず謝らないけどシアカちゃんは根に持たない。僕がこだわる事じゃ無い。
とりあえず水に流して僕は仕事の事とシアカちゃんの事を考えればいい。
悪人坂に新しいメンバーが来た夜はこうして更けていく。
シアカちゃんは意外に料理が出来たらしく、少なくとも僕の実家より美味しい物が出て来た。僕の実家も特に不味い訳じゃ無い。普通だっただけだ。
これからもご馳走になれたらいちいち街に降りなくて済むのだろうし、やはり手料理と言う音の響きにはロマンを禁じ得ない。そこはかとなくアピールしてみようか、ただし僕のストイックなイメージが壊れない様に。