数学教師に振られたら逆ハーになりました。
夕陽の差し込む数学準備室で二人。この部屋の雰囲気が好きだった。というより、先生と居るこの時間が好きだった。
でも、きっと今日でそれも終わりになるのだろう。自分で決めたことだが、先程まで普通に喋っていたのに、声を出すことが、言葉を言うのが、怖くなった。
「和泉、どうした? まだ、分からないところがあるなら、遠慮しないで聞いていいぞ?」
私はいつも質問についての説明を聞きながらメモをとったり、先生が質問する時に書いてくれた紙をじっくり読んだ後は、分かった場合は一言二言喋ってすぐに出て行き、分からなかった場合はその部分についてもう少し質問をする。だから、先生はまだ質問が終わってないと思ったんだろう。
いけない、いつもと同じようにしようと思っていたのに、自分で思っていた以上に緊張してしまっていたようだ。
「大丈夫です、ちゃんと分かりました」
「おお、そうか。それなら良かった」
先生が安心したように笑う。その笑みを見ると、やはり好きだなあと実感する。笑顔だけでなくて、優しい声や、骨ばった長い指、耳に髪をかける仕草も…と、自分の中でまた脱線してしまっていた事に気付く。
先生の好きなところなんて、上げ出したらきりがないに決まっているのだから。それよりも、今は、答えを聞こう。
私はいつものように本心からの、そして、先生に言うのは最後になるであろう言葉を言い放った。
「巽先生、好きです」
「和泉、そんなこと言っても成績表は5にはならないぞ?」
「知ってますよ」
くすくすと二人で笑う。最後も先生と笑えて幸せだった。
この日が来たらすっぱりと諦めると決めていたのだから、この言葉を言ったら、早く部屋を出なきゃ。いつも通じゃなくなってしまう。
名残惜しく思う気持ちを無視して、数学準備室の扉へ向かう。
「巽先生、ありがとうございました」
「おう、また分からなくなったら来いよ」
「……。失礼します」
扉を開ける前に、色々な意味での感謝を伝えると、先生はいつも通りの回答だった。よかった。「また」の言葉をくれた先生に返事をせずに、退室の礼をして去った。
この高校に来るまでは、私は前世が日本人である記憶を持って、もう一度同じ日本に転生したのだと思っていた。しかし、そうではなかった。
あるとき、この世界が乙女ゲームとわかった。だが、気にしないでいようという方針にすることにした。乙女ゲームの世界だからといって、私の現実は今生きているこの世界なのだ。乙女ゲームと混同せずに、変なフィルターで見ない。そう決めた。
この高校に来るまでは、私は前世が日本人である記憶を持って、もう一度同じ日本に転生したのだと思っていた。しかし、そうではなかった。
あるとき、この世界が乙女ゲームとわかった。だが、気にしないでいようという方針にすることにした。乙女ゲームの世界だからといって、私の現実は今生きているこの世界なのだ。乙女ゲームと混同せずに、変なフィルターで見ない。そう決めた。
そんな私の思考を強烈に桃色に染め上げたのは、乙女ゲーム「恋愛中毒」の攻略対象の一人である数学教師だった。
乙女ゲームをやっていないのに、私が攻略対象を覚えていたのは、ひとえにこの数学教師の巽 守先生のせいだと思われる。前世の私の好みにどストライクだったのだ。
青みがかった白い髪、やや俺様気質な兄貴キャラ、そして、先生キャラ。前世の私はこの三つが揃っていたために、このゲームの情報をじっくり読んだようだ。
そして、好みを受け継いだのか、それとも私自身が好みだったのか分からないが、一目見た瞬間、数学教師に恋に落ちてしまった。
相手は先生なのだから、諦めようと思ったが、諦めようと思うと、他のことが手につかなくなった。正に「恋愛中毒」ではないか、と軽く自嘲してからよく考えた。
そんな私が出した結論が、「主人公が転校してくるのは二年生になってからなのだから、一年間頑張ろう」と。
主人公がまだ転校してきてないと分かったのは、巽先生が今年新任の教師であり、来年持ち上がり、主人公の担任となるということは覚えていたからだ。
この一年、私がやったことは今まで以上に勉強を頑張りつつ、女子力を上げるということだった。
この揺籃高校は進学校なので、当然だが、スカートの長さや、爪の長さ、リボンの着け方など様々な校則があり、守っていない状態で先生に見つかると呼び出しを食らい、生徒指導室行きとなる。
巽先生のみならず、他の先生もイケメンばかりなので、自分を可愛く見せたい女生徒が色々規則を破った状態で職員室に行き、生徒指導室へ呼び出されるということがあった。また、成績が良くない生徒は先生の悩みの種になるだけだと思ったので、勉強を頑張ることにした。
ちなみに、生徒指導の先生もかっこいいのだが、威圧感がすさまじいので、なかなか好んで怒られようという猛者はいない。
私は、校則で制限がないところには手を込んでオシャレをして、それ以外はきちんと校則を守った状態で巽先生に質問に行くということを繰り返した。
ただ、巽先生は私のクラスを主に教えているわけではなく、どうしても普段教えている先生が来られず、授業の変更が出来ない時に来るだけだったので、巽先生が授業に来た時の授業内容について、または普段教えている先生に既に生徒が質問に行っており、巽先生の手が空いている時のみ質問に行った。
今日は高校一年の最後のテストである期末テストが終了してから一週間が経った日。
私が高校二年の時には始まってしまうから、と自分で定めたタイムリミットの日だ。
この日まではこの恋を頑張ろうということにした。
「でも、振られちゃったよ」
私は落ちてくる涙を拭くことさえも忘れ、その場で声もなく泣いた。
「また」を言わなかったのは、恋を忘れるために先生の準備室には来ないと決めたからだ。
あの空間にもう足を踏み込まない。踏み込むのは、私じゃない他の誰か何だと思うと、次から次へと涙が零れた。
しかし、この時私はまだ知らなかったのだ。
「和泉、俺は認めたくないが、その、お前のことをだな、何というかな……あーもう言えねえ!」
「和泉さん、このあと一緒に図書館行って勉強しない? というのは口実で一緒にデートしたいんだ。ダメ、かな?」
「和泉、ついてきてくれ。いや、なに、いい菓子が手に入ったから、お前に食わせたくてな」
乙女ゲームの主人公だけでなく、私にとっても物語はまだ始まっていなかったことを。
「貴方を好きだと言う私を、愚かだと嗤ってくれてもいいですよ」
「なあ、ホンマ、お前、どうしてくれるんや。こんなん初めてや」
いや、ようやく始まったことを知らなかったのだ。
数学教師でなく、養護教諭(保険医)ならば、さらにポイントが高いです。
諸事情により、先生の名前を変更。
閲覧有難うございました。