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姦~魔禍霊噺~  作者: 乙丑
第十二話・天探女
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 男性は……嫌いだった。

 というのも、結局は愚親のせいかもしれない。生きている時に受けた陵辱は、殺した今でも思いだしてしまうくらいだから、忘れられないのだと思う。

 最初は小学校四年生、だいたい第二次性徴が始まるくらいだった。

 愚親が勝手に私の部屋に入って、下着を漁っていることは前々から知っていたけど、暴力を振られ、強姦されるのは目に見えていたから、特になにも言えず、恐怖から拒むこともできなかった。

 唯一血がつながっている母親が、殺す最後まで役に立たないのは分かっていたし、相談する相手もいなかった。教師も、周りの大人も自分の周り以外は首を突っ込みたくないということくらい、幼心に理解していたんだと思う。

 そのせいもあって、男性に異常なほど恐怖心があった。だけど上辺くらいは偽ろうと、廃品で出た服を盗んで、使えるものを着ていた。その服も興奮するとかで襲われたついでに破られて使いものにならなくなっていたけど。

 生きている時は、最後まで誰も味方はいないと思いっていた。私が自殺しようがしまいが、泣く人なんていないと、瑠璃さんにあの映像を見せてもらうまではそう思っていたから……。

 だから、私は――。死んだことを後悔したことよりも、あの子たちを悲しませてしまったことを後悔し、その罪を償わなければいけないのだと思う。


「因達羅、自殺した人ってどこに行くのかしらね?」

 悟帖ヶ山にある自分の卒塔婆を前に、私は彼女に訊いた。そうたずねたのには、私は瑠璃さんのわがままで地獄にも行けず、脱衣婆として働いているからだ。

「当然地獄に落ちますね。まぁその分、十王さまによる裁判は普通に死んだ者や、誰かを殺した者に対する罪状の重さが、それ以上のものに成りますが」

 因達羅は淡々と答える。普通というのは、大きな罪を犯さず、人生を真っ当した死者のことだという。もっとも今の時代そのような人間は珍しいという。

 地獄の思想に『六道輪廻』というのがあるが、それは地獄だけの話ではなく、人間の世界でも、視えないのではなく、視えているものだという。

 要は地獄裁判の五七日(いつなのか)に行われる閻魔王の裁判で、死者が送られる転生先が決まる。


 地獄道は最初の入り口。死んだ人間が、どんな理由であれ、この道に落される。要はすべてがリセットされる。頑張ったものがすべて無駄になってしまうと考えれば分かりやすい。ここで再び輪廻先が決まるのだから、簡単にいえば行先案内所なのだろう。


 餓鬼道は人間世界で欲に溺れた人が落ちる世界。餓えた亡者は食事をしても吐き出してしまうという。『(むさぼ)る』という罪を、転生するまで続けられる。


 畜生道は、神と人間以外の生き物に転生する世界。畜生の意味は『苦多楽少』。習ってもいない漢文で表してみたけど、まぁ意味は大体わかってもらえればいい。食・淫・眠の情のみが強情で、近親相姦もこの世界を表しているという。

 そういう意味では、私も近親相姦の世界にいたのだろうか――。そのことを因達羅にたずねようとは思わなかったし、訊いたところで省かされてしまうのは見えている。彼女、こういうところは元主の瑠璃さんに似ているところがあるというか、疎いらしい。


 修羅道は争いを好む人が落ちる世界。まぁ平和ボケしている日本が、この輪廻世界に入るとは思えない。というかそんな気力が今の若い人たちにあるとも思えない。うん。多分ない。あったとしても、現実での戦争なんてみたら、『魂消る』どころか、魂ごと消されるからなぁ。そう考えると、戦場ジャーナリストはスゴイと思う。戦争なんて他人事だと思っている人たちに、『真実』という鋭利なナイフで切り刻んでしまうのだから。


 人間道は言うまでもなく人間の世界。地獄裁判を任されている十三王からしたら、もっとも見難く、もっとも愛おしい世界だと云っている。人間には可能性があり、その可能性を見つけられれば、その輪廻転生は成功なのだという。死ねば再び輪廻転生を繰り返す。


 天道は天国を意味しており、六道輪廻の最後の場所で、誰も行けない場所。私は地獄で一度、天道にいる亡者が上から地獄を見ているのを見かけたことがあるが、その目は汚物を覗き見るような、穢らわしいものを見ている眼だった。それを昔から知っている十三王たちは、人間世界では極楽と云われている天道の、本当の姿を見せたくない世界なのかもしれない。だから行ける可能性が『0』に等しいくらいにしたんだと思う。今までの欲が許されているもっとも愚かな世界。

 私は天国なんてそもそも存在しているかどうかもわからない世界に行きたいとは思っていなかったけど。


 色々考えていると、ため息がつきたくなるほどに鬱になった。

「お疲れですか?」

 因達羅が心配そうな目で私を見る。見た目は今の皐月たちと同じくらいなのに、存在している(神さまなので存在しているというのはどうかと思うが)時間が果てしなく違いすぎているためか、人の気持を見透かしたような、得体のしれない優しさがあった。すべてを包み込むような、包み込んでくれるような、そんなわけのわからない雰囲気。

「ううん、大丈夫」

 私は頭を振り、気持ちを切り替えた。地獄で脱衣婆をしていれば、この世界で死んだ人たちをいくらでも見ている。人生を真っ当した人、殺された人、自殺をした人。もっと細かく分ければきりがない。

 ただ仮死状態で地獄に落ちる人もおり、運が良ければ生き返れるが、悪ければ地獄に落ちる。そんな人達を何人も見てきた。

 それが、瑠璃さんが私に科した罰だったとしても、私にはそれをすることと、私のことで本気で泣いてくれた皐月と信乃に対する罪滅ぼしになっているのかもしれない。

 もっとも、二人に相談できなかった私が一番悪いのだけれど。

 ……またため息が出そうになった。



 阿弥陀、大宮、皐月の三人は、物的証拠の確認をするため、吉永教授の部屋におとずれていた。

「うぅむ。やっぱり見つかりませんな」

(ゆえ)さんたちが持っていったんでしょうか?」

「いや、指紋や髪の毛といったものなら証拠品として鑑識に回すけど、今回はそのようなものは見つかっていないし、今探しているのは『白のテーブルクロス』だからね。それに使っていないという可能性だってある」

「でももし箪笥とかで見つかったら、それこそ滑稽ですな」

 阿弥陀がそう言うと、その衣装箪笥を調べ終え、ベッドの方に手を伸ばしていた皐月の手が止まった。

「どうかしたのかい? 皐月ちゃん」

「えっと、壁が白に見えればいいんですよね? それだとベッドのシーツだって……」


 そう考えるや、皐月はベッドの毛布をはぐった。

 ――えっ?

 目の前に現れたのは、真っ白なシーツ……ではなかった。あったのはズタズタに切り裂かれたマットである。

 それは、まるで、どこかで見たことのある光景に酷似していた。あまりにも無残に切り刻まれたそこには、赤黒いなにかがこびりついている。

「んぅ? ぬぐぅ?」

 それがなにに似ているのかを思い出すや、胃の中から何かが這い上がってくる。皐月は咄嗟に唇を押さえ、窓から顔を投げ出した。嘔吐――。

「だ、大丈夫かい? 皐月ちゃん?」

 大宮が皐月の背中を優しく撫でる。皐月はゆっくりと深呼吸をし、ゆっくりと落ち着かせていった。

「これは……血ですかね? しかもまだそんなに時間が経っていない。ここに来ることができるのは?」

「吉永教授くらいしか思い浮かびませんが」

「でも、逆に――合鍵を作っていたとしたら?」

「なるほど、でも日中は警察が……」

「その後に入っていれば、事件はもう三日も前ですよ? 入るタイミングなんていくらでもあります」

 皐月にそう言われ、大宮は眉をひそめた。

「しかし、妙な悪臭がしますなぁ。鉄のような、いや尿にも似ていますか――」

 阿弥陀が血のような痕を注視しながら言う。


「――あった」

 証拠を見つけた皐月は、阿弥陀の方を見ながら言った。

「なにか見つかりましたかな?」

「その血痕ですよっ! もしそれが吉永教授以外のものだとしたら、それこそここに犯人がいたという事になります」

「だけど、それは突発的じゃないかな? 多分皐月ちゃんは鬼頭と吉永ができていて、口論の末殺したんだとしてもだよ? それだったら、マットを処分するんじゃないかな?」

「マットだからできないんですよ。物的証拠を隠蔽するにも、大きすぎるし、なくなれば目立ってしまう。だから――」

 皐月が説明しようとした時だった。


「事件当日、経血で汚れたシーツを処分した。だけど、量が多すぎて下のマットにまで染みてしまい、止む無くズタズタに切り刻むしかなかった」

 開け放たれたドアの敷居をまたぐように、鬼頭が皐月たちを嗤うように見つめていた。

「――鬼頭……。それじゃぁあなたが吉永教授を?」

 阿弥陀がそうたずねる。鬼頭は小さくため息をついた。

「だがなぁ嬢ちゃん? 君はひとつ勘違いをしている。俺は仮眠のためにここを利用させてもらっているんだ。なにせ教授からは資料を集めてほしいと言われているし、ここを自由に使ってもかまわないと云われている」

「それじゃぁ、事件当日、あなたは本当に研究所にいたの?」

「ああ、いたさ? 研究所からビデオチャットでな。その時、教授も一緒にいたんだ」

「――その証拠は? 時間がハッキリわかる証拠はあるんですか?」

「見てみなよ。もしここを研究所にしようとしたのなら、壁に画鋲の跡はあるのかい? もしシーツを壁に貼って偽造したというのなら、あるはずじゃないか? 画鋲の刺した跡がっ!」

 鬼頭はクククと笑った。阿弥陀と大宮は唖然とする。言われればたしかにそうである。そのようなものは何一つ見つかっていない。


 だが、皐月だけが小さく笑みを浮かべていた。

 そして、ゆっくりと鬼頭を見つめ返していく。

「墓穴を掘ったわね。私が探していたのは、あなたが女性だという証拠」

「俺が女性? はははっ、冗談はよしてくれ。俺のこの体を見て、どこをどう女性だって言えるんだい? 髪だってこんなに短いし、なにより……髭が生えているじゃないか! 声だってこんなに低いんだ」

 鬼頭は自分の喉仏を指差す。喉仏の位置は顎に近い。

「それにだ。俺がここに来たのは事件のあった晩の十時だ。教授とだって電話をしている」

「それを本人が直接取ったという証拠は? 携帯だけでは証拠にはならないはずでしたよね?」

 皐月は阿弥陀を一瞥すると阿弥陀は小さくうなずいた。

「ええ、携帯で連絡をしていたというのならば、どこからかけていたかです。もしあなたが携帯を大学の研究所からかけていたとすれば、ここからだとだいぶ離れていますし、基地局も異なります。もしその局がこの近くにある基地局と一致したものだとすれば――」

「あなたが吉永教授の携帯に連絡を入れ、それを持たせて受話器のボタンを親指で押す。そして携帯を元の場所に戻した。当然貴方自身の指紋がつかないよう、細心の注意をはらいながらね」

 鬼頭は顔色一つ変えなかった。ただ黙って皐月たちの話を耳にする。

「わかった。あなた達がそう妄言するのならそれでいい。だがね俺が教授を殺す動機はなんだ?」

「それは、あなたが処分したものが何よりの証拠じゃない」

「ほう? 一体何があったと言うんだ?」

「話は聞いていたんでしょ? あなたが女性だという証拠ですよ。今回の事件、犯人は被害者の首を背後から絞め、そのあとに手で首を絞めた」

 阿弥陀は鬼頭に近づき、ポケットから突っ込んでいた彼の手を出した。

 手は陶器のように白く、指先は細い。――それこそ、男性のゴツゴツとした大きなものではなく、女性の繊細さが宿るしなやかな手だった。

 鬼頭は阿弥陀の手を払い、自分の手を隠した。


 鬼頭はそれを悍ましい目で見る。机の上に置かれていたカッターを取り出して刃を出すや、手を傷つけた。

「うあぁああああああああああああああああっ!」

 悲鳴。心と体の不釣合い。それを拒絶する。ズタズタに切り裂かれ、『彼女』の手は真っ赤に染まっていく。

「あなた自身が、性同一性障害だと解ったのは、いつの時からだったんですか?」

「中学の時から……、いいえ多分生まれた時からだった。俺は生まれた時から男の子だとずっと思っていた。だが体はそうじゃなかった。最初に違うって解ったのは小学校の時さ。家族で温泉に入った時だな。ある日『お前は女の子なんだから、こっちに来てはだめだ』と云われてね。最初は疑問に思ったよ。でもそれが始まりだった。他人から見れば俺は『女』なんだと……。それからさ、この身体が気持ち悪くなって、いつか男になって、縛られた心を開放しようとしたんだ。それには性転換手術をしなければいけないし、ホルモン治療もしなければいけない」

「ホルモン治療の方は中学を卒業してからですかな? ちょうど最低年齢がそれくらいですからな」

 阿弥陀の問いかけに、鬼頭は首を振る。

「親にそのことを相談したら、まったく聞いてくれなかった。お前はふざけているのかと、せっかくの身体に傷を付けるのかって――。だけど俺は諦めきれなかった。いつか男になりたいと願っていたんだ」

「そしてここに入った時、吉永教授の研究内容を知り、手伝いようになった」

「教授の知り合いでホルモン治療ができる人がいてね、もう大人だし、自分の意志で治療をしたんだ。治療費がばかにならなかったけど、教授が援助してくれたんだ。俺に研究の手伝いをしてくれればってね」

 皐月は鬼頭の悲痛な目を見て、彼女は吉永教授を信じていたのだと悟る。

「ですが、吉永教授にとって、あなたはただの研究材料でしかなかった。自分が調べている『異性逆転』の理論を確実のものにするために」

「――否定はしないさ。だけど感謝もしている。中途半端に終ってしまったがな」

 鬼頭は素見の笑みを浮かべる。その笑みは徐々に悍ましいものへと変貌していき、不穏な空気を漂わせていく。皐月と大宮はその瘴気に当てられ、その場に跪いた。


「さて、あなたたちにひとつたずねるわ……。私を地獄に遅れると思っているの?」

 それは先ほどまで話していた鬼頭の声色とは似て非なるものだった。禍々しくも聞き惚れてしまうほどに気高い、凛とした女性の声が、部屋に響き渡っていく。

「これは――彼女自身が決めてやったこと。私は何一つ手をかしていない」

「ですが、現にあなたはここにいるではありませんか? 天探女」

 阿弥陀があきれた表情で言い放つ。

「ただの暇つぶしよ。ただのね――。自分の身体が弄ばれているなんて努にも思っていなかったんだから、滑稽な話だわ」

 天探女は嘲笑する。

「吉永は鬼頭に男性ホルモンを大量に投与していたみたいでね、それが逆に彼女を女性という身体につくりあげていった」

「男性になりたかった彼女にとっては、苦痛以外のなにものでもないですな」

「だから彼女は自分が女性だという証拠を見つけられたくなかった。それにあのズタズタにされたマットを見れば一目瞭然なのかな」

 皐月の落ち込んだ表情に、天探女は怪訝な目で彼女を見る。

「もし自分の身体が、自分の思っているものと違っていたらどう思う? やっぱり……変えたいって思うかしら?」

 天探女の言葉に、皐月は小さく首を横に振った。

「分からないけど、でも……、私はできる限りの維持はしたいと思う。だってこの身体は、お母さんが私を大切に思って育ててくれた身体だから」

 皐月がそう言うや、天探女は目を細め、皐月を見つめた。

「今回の事件、私は一切の関与はしていない。そもそも私がしたという礼状はないんでしょ?」

「痛いところをつかれましたな。たしかにあなたがしたという証拠はありません」

「――見逃すんですか?」

「忠治さん、私も今回の事件、彼女がやったとは思っていません。そもそも、鬼頭は自分が男性だと思わせ、自分の手形を被害者の首につけた。概ね北沢さんに罪を擦り付けようとしていたんだと思います」

 困惑している大宮をよそに、皐月は天探女を一瞥する。


「ひとつ……、緒方准教授のことを話すわ。それに彼の存在を、できれば彼女には言わないであげて欲しいの。彼は自分の娘を助けられなかった。それを苦に……」

 天探女の言葉に、皐月と大宮は身体を震わせた。阿弥陀は皐月と大宮の視線から逃げるように、顔をうつむかせる。

「でも、私あの人と話をしましたよ? それに食事だって普通に……」

 皐月が困惑した表情で、天探女に詰め寄る。そんな彼女を天探女は哀れみの目で見た。

「あなたはたしか幽霊は見えないんだったわね? だけど、現世に名残を持った亡霊は、いつしか妖怪と成り果てる」

「あなたは本当に、気紛れですな」

「一種の気の迷いと言ってほしいわね阿弥陀如来。それに彼がそのことで後悔していたことは本当だし、助けられなかった自分を責めていたのも事実」

「ですが、それだったら緒方さんのアリバイはどうなるんですか?」

「そんなの、奥さんがその時間使っていたと考えればいいでしょ」

「まさかとは思いますけど、カメラチャットの件はあなたが?」

 大宮の問いかけに、天探女は小さく笑みを浮かべ、

「さて、それはどうかしらね」

 と答えた。


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