弐
「せぇいぃやぁああああああああああああっ!」
事件が起きた日の夕暮れ時、稲妻神社の拝殿で皐月の声が響き渡る。
二刀を巧みに使い、目の前の海雪と鬩ぎ合うが、ことごとく躱され、次第に押されていく。
「気合だけでコレが避けられるとでも思ってる?」
それを余裕の笑みを浮かべながら、真言状態の海雪が間合いを取り、鎌を構える。
「アンシュトリヒ」
と、弓なりに、鎌を緩やかな曲線を描くように振り下ろした。
「グラッセ・プリュイ」
空気中の水滴が集まり、大きな氷の塊となっていく。それが流星のように皐月へと降りかかった。
それを皐月は二刀で振り払う。無数に振りかかる雹の数は数え切れず、いつしか視界は自分の振り払う二刀で遮られた。
「ディスコード」
下から声が聞こえ、皐月は咄嗟にうしろへと間合いを空ける。
その一瞬、海雪の鎌が下から上へと、眼前を切り裂くように振り上げられた。
「ちょ、ちょっとおばあちゃんっ! 空間移動は反則だってば」
皐月は二刀を構え直し、海雪を糾弾する。
「なに云ってるのよ。相手がどんな行動をしてくるかわからないから、なにをしてもいいって言ったのは皐月でしょ?」
海雪はあきれた表情で言う。
「それに、この状態もあんまり長くは続けられないし」
その言葉通り、海雪の霊力は次第に衰えていく。
「はぁ、久しぶりに使ったから疲れたわ」
海雪はその場にへたり込み、肩で息をする。
いくら死んでいるとはいえ、神仏の力を宿す真言は術者の体力を多く蝕むため疲れが出やすい。
皐月も二刀を竹刀へと戻し、ゆっくりと深呼吸した。
「おつかれさま。海雪も忙しいのに呼び出してごめんなさいね」
拝殿の隅で二人を見ていた毘羯羅が柏手を打ちながら、二人の元へと歩み寄った。
「皐月、練習だから手を抜いてもらってるってこと解ってる?」
「解ってるけど、おばあちゃんの能力ってノンノに似てるんだよね。自然の摂理を操っているっていうかなんというか」
皐月は不満気な表情で海雪を見る。
「希望の力は自分の思い通りにすることができるけど、海雪は空気上の水分を凍らせるくらいしかできないわよ」
毘羯羅がため息混じりに言う。
「少なくとも自分たちの力は適材適所なところがあるんだし、そう深くは考えなくてもいいわよ。というか深く考えるのは苦手でしょ?」
「それって行動バカって言いたいわけ?」
ムッとした目を浮かべながら、皐月は海雪と毘羯羅を睨んだ。
「そういうわけじゃないけどさ。まぁ考えるよりもまず自分の思ったことをするでしょ? 相手の気持ちは考えるけど、あんたの行動はだいたいそんなもんじゃない」
褒められているのか、少なくとも貶されているというのも、半々な言い方だったが、これ以上は先に進まない。そう思った皐月は、稽古を再開しようと体勢を立て直す。
「あ、ごめん。そろそろ地獄に戻らないといけないから」
雪は申し訳ない表情で海皐月に謝った。
「あ、うん」
呆気に取られながらも、皐月は返事をする。
海雪は鎌の刃で虚空を切り裂き、その境目から姿を消していく。
「あ、皐月……」
海雪はなにかを思い出したような良い方で、顔半分を覗きこませる。
「なに? おばあちゃん?」
皐月は首をかしげながら聞き返すと、海雪は少しだけ顔を曇らせる。
「――いや、なんでもない」
そう言うと、今度こそ海雪は帰っていった。
――おばあちゃん、なんて言おうとしたんだろ?
海雪が消えた虚空を見つめながら、皐月はそう思った。
「ほら、海雪が帰ったからといって稽古が終わったわけじゃないわよ。今度は全部倒せたら、今日の稽古は終了でいいから」
そう言うと、毘羯羅は自分の影から二体の木偶人形を呼び出し、皐月へと襲い掛からせた。
「……っ!」
皐月は竹刀を構え、襲ってくる人形たちを振り払っていく。
二体の人形は粉々になり、床に転がった。
「よしっ! もういいわよね?」
皐月が安堵した表情を浮かべるも、毘羯羅が今度は人形を四体呼び出す。
「ちょっと、最初のじゃないの?」
「誰が、これをって言ったっけ?」
驚いている皐月を見ながら、毘羯羅は不敵な笑みで答える。
皐月はその四体の人形も倒していくが、今度は八体の人形が現れ、最後に十六体……。計三十体の人形と戦う羽目になった。
最初に二体。次に四体、八体、十六体と遣り合っていたため、
――まるでネズミ講だ……。
と、人形たちを倒していく中、皐月はそう思わざるを得なかった。
「鬼頭さんですか? 事件のあった日は確かに研究室にいたと思います」
T大学へと聞き込みに来ていた阿弥陀と大宮は、先日鬼頭からアリバイ証明をしてくれると聞かされていた北沢優に聴取を行っていた。
「――思います? 一緒にいたんじゃないんですか?」
「実はちょっと風邪をひいてしまって、私自身は部屋で休んでいたんですよ。ただ研究会議は定期的に行っていたので、ビデオチャットで参加していたんです」
「なるほど。それはいつまでやっていたんですかな?」
「たしか、事件があった日の夜七時から九時でしたね」
「吉永教授はその研究に参加してらしたんでしょうか?」
その問いかけに北沢はすこし思い出すような仕草をする。
「ええ。でも姿は見せませんでしたね。終始鬼頭さんの姿しか見れませんでした」
「研究室の様子は? それと実験などはするんですかな?」
「研究室の壁は真っ白で、棚もないんですよ。それにあくまで会議ですから実験とかはしないんですよ。今後どのような研究をするかといった感じでしたね。吉永教授はいつもそこでチャットをしていますし、事件があった時もおそらくそこにいたんじゃないかと思います」
「なるほど……。疑うわけではありませんが、その時間あなたは確かにご自分の部屋にいたんですか」
大宮の質問に、北沢は信じられないと言わんばかりに歪んだ形相を見せる。
「あ、いえ……。先ほどビデオチャットをしていたと云われましたので、お手数ですが携帯を見せてもらえませんか? もしかするとスマホのカメラチャットでやっていたという可能性もありますし」
そう言われ、北沢は自分の携帯を見せる。スマホだった。
「失礼します」
大宮は携帯の着信と受信の履歴を調べた。
「――ありがとうございます」
そう言い、スマホを北沢に返した。
「あの、そろそろよろしいでしょうか? 午後からの講義がありますので」
「ええ、お手数をかけて申し訳ありません」
北沢は阿弥陀たちに向かって軽く一礼する。
「優、なにやってるの? 次の講義始まるわよ」
と腰まで伸びたウェーブの女生徒が北沢に声をかける。スタイルもよく、顔立ちも整っており、周りの男性どころか、女性までもが彼女の方へと視線を向けていた。
「あ、ごめん桂さん」
北沢は『桂』という女生徒と二言ほど会話すると、桂と二人して、校舎の方へと去っていった。
「大宮くん、なにか分かりましたかな?」
「彼女が家でチャットをしていたという証明にはなりませんでしたが、少なくとも携帯を使ってチャットをしていたというのはありませんでしたね。それとフリー通話アプリが入っていましたが、そちらの履歴にもその時間使用していたというのはありませんでした」
「そうなると、どちらもアリバイが信頼できないといった感じですな」
「ええ。それと吉永教授ですが、聞き込みで解ったことは、真面目な方らしく、恨みを買うようなことはしていなかったそうですよ」
大宮たちがそう会話をしていると、
「あの、少しよろしいでしょうか?」
そう口を挟んだ四〇代ほどの男性が姿を見せた。
「済みません、先ほどから話が聞こえていたので立ち聞きをしてしまったのですが、あなたたちは警察の方で?」
「え、ええ。あなたは?」
「私は緒方悠二というもので、吉永教授の研究を手伝っていた准教授に当たります」
そう言うと、緒方は名刺を取り出し、阿弥陀たちに渡した。
「あのお手数ですが、あなたも会議に?」
「はい。その時チャットをしていたのは鬼頭くん、北沢くん、それから私でしたね」
「やはり吉永教授は姿を見せなかったと?」
緒方は応えるようにうなずいた。
「証明できるものは?」
「その日は妻と友人が家にいました。それにパソコンはリビングの方にしかなくて、隣からも影が見えてしまうんですよ。たしか身内のアリバイは信頼が低いらしいですな」
「ええ、匿っている場合がありますからね。しかし隣からも見えてしまうというのはプライペートもなにもありませんな」
阿弥陀が笑いながら言う。緒方も釣られて笑った。
「ええ。ですからいつパソコンを使っていたのかというのがバレてしまいますな」
緒方はあまり気にしていない素振りで肩をすくめた。
「優しそうな方でしたね。あの人が犯人だとはあまり思いたくないですよ」
緒方が去ったあと、阿弥陀たちが車に乗って警視庁に戻っていた時だった。運転している大宮は緒方の温厚な雰囲気を話題にしている。
「事件が起きてしまった以上、関係者全員を疑わなければいけないというのは、人としてつらいところがありますな」
「いや、阿弥陀警部は……人じゃないと思いますけど?」
大宮は、阿弥陀の言葉に、冷や汗をかきながら突っ込んだ。
「まぁ、アリバイは共通してビデオチャットだけ。これって履歴残りましたっけ?」
大宮は少し考えてから、
「いや、たしか履歴は残らないと思います。テキストチャットでしていたというなら、履歴が残っているかもしれませんが」
と思い出しながら言った。
「なるほど、つまりアリバイは彼らだけしかないわけですな。緒方准教授の場合は奥さんと友人、ついで隣の家の住人の証明がありますが、北沢さんと鬼頭さんに関してはアリバイが極端にない」
「そうなるとその時間を裏付ける証明が必要になりますね」
大宮はそう言ってから、
「仮に緒方准教授のアリバイ証明がないとして、吉永教授を殺していたとすれば……」
「それは――、ないと思いますよ」
阿弥陀のつぶやきに、大宮は危うくそちらを見そうになった。
今は運転に集中すべき時である。
「仮に彼が吉永教授に恨みを持っていたとしても、殺人とまでは行かないと思いますな」
「なぜ、そう言い切れるんですか? まだ容疑者から外れているわけではないんですよ?」
大宮が慌てた表情でたずねる。阿弥陀は大宮に視線を向け、
「彼は以前――、人を知らないうちに殺していますからな」
そう口走った。




