捌・季節外れ
大川の遺体が見つかるのに、そう遅くはなかった。
警察が彼の自宅を調べた時に、遺体が見つかったのである。
死因はヒ素による中毒死であった。
部屋からは、どこかから取り寄せたのだろう、実験に使うヒ素を保存している瓶が散乱していた。それを誤って吸い込んだのだろう。
ヒ素を角砂糖の中に混入し、清水を陥れようとしたと同時に、清水を自殺に見せかけて殺害しようとしたが、失敗に終わったのだ。
どちらにしろ、両方のどちらかが死んでいたことは言うまでもなかろう。
大川は、落合が紅茶に砂糖を入れないとは思っていなかった。
むしろ入れるはずだと確信していた。
ようするに、清水が落合の目を盗んで砂糖を入れようが入れまいが、落合自身が角砂糖を入れることがわかっていたため、やはり落合は死ぬ運命にあったのだ。
清水が死ななかったのは、トイレから戻ったあとも、証拠となるカップなどに触れないよう注意しながら、警察が来るのを待っていたためである。
だから、彼は自分のカップに毒が入れられていたことも知らず、死なずにいられた。
HRが始まる前、大宮から事件解決の連絡を受けた皐月は、気が重くなっていた。
「おい聞いたか? さっき職員室に知らない子が来てたんだよ。もしかしたら転校生かもしれないぜ」
「お前が知らないだけじゃないのか?」
「ちげぇって、なんかさぁすごい肌が白いんだよ。もう雪みたいにまっしろ。都会じゃお目にかかれないくらいの美人だったぜ」
朝っぱらから男子は興奮してるなぁ……と、皐月はそう思いながら、横目で騒いている男子生徒を一瞥した。
「転校生だって、どんな子かしらね?」
信乃も興味を持ったらしく、皐月に話を振った。
「ごめん。今ちょっと転校生どころじゃない」
皐月はふくれっつらで言った。先日の件を未だに気にしているのである。
大川は、女性の体をただの性処理としか思っていなかった。
落合美千流と関係を持った男性社員に事情聴取をした結果、そのほとんどが妊娠していることを知らなかったという。
つまり、落合美千流が妊娠していることを知ったのは、偶然にも彼女を見かけた大川しかいなかったのである。
「はぁ……っ」
皐月は深いためいきをついたときである。
教室のドアが開き、担任の笹賀が入ってきた。「みんな、席に着きなさい」
「せんせー、今日は大事なお知らせがあるんじゃないんですかぁ」
男子生徒の一人が、うながすすように言った。
「もう噂がまわってるのかしら?」
笹賀は首をかしげた。
「そうね。それじゃぁHRを始める前に紹介しておこうかしら。風花さん入ってきて」
そう呼びかけると、教室のドアが開いた。
「――っ?」
皐月と信乃は、妙な雰囲気に違和感を覚えた。
四月もそろそろ終わるというのに、まるで二月の、それこそ極寒の場所であるかのような冷たい空気が、二人の全身を摩るような感触があった。
それが、ほんの一瞬であったから、余計に違和感がある。
それから少しして、男子生徒の、歓喜にも似た声が教室内に響きわたった。
教室に入ってきた少女は、皐月と信乃と同じくらいの背丈で、顔立ちはスッキリとして美人なのだが、幼さも若干残っている。
胸までの長い銀髪は、まるで氷のように透明感があった。
少女は笹賀からチョークを受け取ると、自分の名前を黒板に書いていく。
【風花希望】
それが彼女の名前だった。
「北海道から来ました風花希望です。先日この町に引っ越したばかりで、まだ何も知らないことばかりですが、みなさんよろしくお願いします」
そう言うと、少女――風花希望は、深々と頭を下げた。
そして、ゆっくりと顔を上げると、皐月を見つけるや、顔を綻ばせる。
「ほえっ?」
その視線に気づいた皐月は、自分を指差す。
「あら、黒川さんお知り合いだったの?」
笹賀がそうたずねると「いえ、だいたい北海道に知り合いなんていませんし」
皐月が否定するように言うと、希望は少し表情を暗くする。
だがすぐに明るい表情を浮かべた。
「風花さんの席は、茲場くんのうしろね」
笹賀はそう言いながら、手で茲場を示した。
「わかりました。よろしくね、茲場くん」
希望にそう挨拶され、茲場は「おう、よろしく」
と、手を挙げて挨拶をした。
ちょうど、希望が皐月の席をすれ違おうとした時だった。
「妖怪なんて、みんないなくなればいいのに」
皐月は、まるで耳元で囁かれたような感じがし、希望を見やった。
希望の声が、まるでそうであるのが当たり前だと言わんばかりの声色だった。
「黒川さん、どうかしたんですか?」
「えっ? あ、いや、すみません」
皐月は、教室の中の静けさが、かえって不気味に思えた。
耳が悪い皐月が聞こえるくらいなら、教室の誰かが希望を訝しげな目で見るはずだ。
それなのに、誰ひとり不思議そうな表情を浮かべておらず、転校生という目で希望を見ていた。
皐月はこの時、これから始まる大きなうねりの中に、自分が巻き込まれようとしていることを知る由もなかった。