肆
日付が変わった深夜三時。夕食時の薬に含まれる睡眠をうながす効能の影響もなく、皐月はいつもどおりに目を覚ましていた。
病室から廊下に出ると、脇にあるソファに座り、携帯を見る。
「なんか事件でもあったみたいですね」
覗き込むように遊火は携帯の画面を見る。
そこには大宮から、「殺人事件があった。当分見舞いには来れそうにない」
という、簡略的な文章で、謝りのメールが入っていた。
「――どうりで見舞いに来なかったわけだ」
仕事なら仕方がないし、簡略な文章ということはそれだけ忙しいのだろう。
そう考えた皐月は、携帯を閉じると、
「どうしようか? 抜けだしてそこらへん走ってみようかな」
と、かるくストレッチをした。
皐月の身体はすでに完治していたのだが、重症と思われてしまっているため、あと何日かは入院していなければいけなくなっている。
学校から出た課題は最初の一週間で終わらせているため、やることほとんどない。ようするに暇であった。
「とりあえず、夜勤の看護師に見つからないようにしないと」
その言葉に、「部屋でおとなしく本でも読まないのかな?」
と遊火は思った。
皐月たちがその場から離れようとした時、乾いた靴の音が廊下の奥から聞こえてきた。
――誰か来る?
皐月は咄嗟に、ソファの影に身を潜める。
「皐月さま、どうしたんですか?」
皐月の行動に、遊火はたずねようとしたが、皐月は人差し指を唇に当てた。
靴音がゆっくりと、皐月たちに近づいてくる。
足音は、曲がり角の方で止まり、そのまま別の方へと消えていった。
「ふぅ……っ」
ソファの影から顔をのぞかせた皐月は、周りを見渡した。
――なんだったんだろ? 今の……。
見回りの警備員か、もしくは看護師……。
考えられるのはそのどちらかだが、皐月は妙な違和感を覚え、見つからないように身を隠した。
「行ったみたいね」
皐月は溜息混じりに言うと、ソファに深々と座った。
「どうして身を隠したんですか?」
「遊火、今何時だっけ?」
そう聞かれ、
「たしか午前三時くらいですね。皐月さまはいつもそれくらいに目を覚ましてますし、起きてからあまり時間は経ってませんでしたから」
と遊火は答える。
「だったら可笑しいでしょ?」
「可笑しいって、なにがですか?」
遊火は首をかしげる。
「見回りだったら懐中電灯くらい照らしながら歩くでしょ? でも光もなにもなかった」
「でも足元には灯りが点いてますよ?」
遊火は周りを一瞥する。消火ホースが入っているところを示す赤いランプ以外に、廊下の床には一定間隔で電球が付けられており、それが薄い光を出していた。
「それでも懐中電灯を点けないで見回るというのは考えられ……」
そう言った時、皐月は身体を震わせた。
「どうかしたんですか?」
「――なんか、トイレ行きたくなってきた」
皐月は、苦笑いを浮かべながら言う。
――そう言えば皐月さまって、正体の分からないものとか、納得のいかない怖い話って苦手なんだっけ?
遊火は、すこしあきれた表情を浮かべた。
皐月が女子トイレから出ると、ぼんやりとした明かりが視界に入る。そちらに一瞥すると明かりの点いたナースセンターがあり、廊下側に、すこしぽっちゃりとした髪の長い女性の看護師が立っていた。
――夜分お疲れさまです。
皐月はねぎらいの言葉を思い浮かべると、その看護師は、ゆっくりと皐月の方へと振り返る。
「あ、こんばんわ」
皐月がそう挨拶するように頭を下げると、看護師も礼儀正しくあいさつを返す。
「それじゃぁ――」
皐月が頭を上げると、
――あれ?
看護師はすでにその場にいなかった。
「ああ、よくあるよくある。病院じゃよくある話だから、気にしたら負け」
と、様子を見に来た海雪が笑いながら言った。
「ちょっと、こっちは驚いて腰抜かしそうになったんだけど?」
怖い思いをしたのに嗤われたので、皐月は膨れっ面である。
「ごめんごめん。でもさ、ほんと皐月ってそういうの苦手よね。あんた妖怪は大丈夫なのに、なんでそういう幽霊とか視えないものは怖いの?」
海雪は目に涙を浮かべるほど笑うと、そうたずねた。
「視えないのが悪い」
と皐月は言い返した。
「でも看護師かぁ。大宮さんが昨日神社に来たのは知ってるんだよね?」
海雪と一緒に病室をたずねに来ていた葉月にそう聞かれ、
「そうなの? メールには書いてなかったけど?」
と皐月は首をかしげた。
「なんでも鴨瀬病棟の一室で偽造火事があったみたいで、そこから看護師の焼死体が発見されたんだって」
「霊視はしたの?」
「一応はね。でもなにも聞こえなかった。多分焼いたのは殺した後じゃないかな」
葉月の霊視は死んだ人間が最後に聞いた音を聞くことができる。しかし死んだ人間自身が耳にしていなければ意味がない。
「殺されてた人の特徴は?」
「えっと、焼死体の写真しか見なかったけど、警察庁の刑事さんがいうには――」
葉月は、東条から聞いた話を皐月にした。
――あれ? それって。
皐月は夜中に見た例の幽霊を思い浮かべる。
その幽霊が、妙に今回の被害者の容姿とピッタリ当てはまるのだ。
――まさか……ねぇ。
皐月は頭を振るった。
「そうですか。ありがとうございます」
車田貴理子の自宅であるアパートで、隣部屋などに聞き込みをしていた東条と榮川の二人は、心なしかためいきを吐いていた。
というのもまったく解決に結びつく証言が得られなかったのである。
拓蔵の予想通り、被害者の帰宅時間が深夜に当たるということもあってか、それに気付いた住民がいなかった。
――拓蔵さんの心が読めなかったのはコレが原因か。あの人は思ったことを言うからなぁ。
「どうします? 東条巡査長。一度現場に戻りますか?」
「戻っても特に進展があるとは思えないけどね」
東条は難しい表情を浮かべ、
「今は被害者と医院長の繋がりを洗うしかないわ」
「しかし、そちらはたしか警視庁の警官が」
榮川の言葉に、東条はためいきを吐いた。
「こちらも特に進展はありませんでしたよ」
警察庁へと赴いた阿弥陀と大宮は、東条たち警察庁の面々に説明する。
「本当か? そっちの手柄にしようと思って、うそぶいてるんじゃないだろうな?」
「とんでもない。大体そんなことしたって特はないでしょ?」
警察庁の警官に睨まれ、阿弥陀は戯けた表情で言った。
「でも医院長との間になにかがあったのは明白ですし、被害者が病院を出てからのことが分かればいいんですけどね」
「まぁ時間が時間ですし、目撃証言もない。もしくはまったくもって関係がなかったという考えもあるんじゃないですかね?」
阿弥陀の言葉に、東条は訝しげな表情で、
「それは、どういう意味ですか?」
とたずねた。
「医院長に被害者からのメールが来たのは偽造火事があった時。最初私たちはアドレスを知っているから親しい間柄と思い込んでいた。でもまったく関係なかったとしたら」
「――つまり、犯人が被害者の携帯を通じてアドレスを打ち込んで送った……と?」
「携帯を調べるとですね、医院長に対するアドレスが登録されていなかったそうなんですよ。親しい間柄なら登録はしているはずですよね?」
「たしかに……。しかしそれが本当だとしたら犯人は医院長が殺したと偽造するためか」
「もうひとつ、どうして火事を偽造したのか。わざわざ発見させることはないでしょう」
それに関しては東条も思っていた。というよりこの場にいる全員がそうだ。
しつこいようだが、遺棄するということは発見されないことが前提である。
「そもそも犯人以外がそんなことしないでしょうし、まぁあの病院は防犯カメラがロビーとナースセンターくらいですからね」
なんとも不用心な病棟だと、東条たちは思った。
「あ、すこしよろしいでしょうか?」
大宮が手をあげる。
「なんですかな?」
「その被害者なんですが、鴨瀬病棟に勤めだしたのは去年からなんですよ。年齢的にすこし可笑しいところがありまして」
――可笑しい?
東条はすこし首をかしげる。
「大宮巡査長。可笑しいところとは?」
「被害者は三二歳なんですが、病院にあった履歴書の職歴を見ますと、コレまでに六回ほど転勤しているんです」
「職場が合わなかったんじゃないか? 看護師と言ってもパワハラなんてのもあるしな」
「それも考えたんですか、被害者自身はまるで竹を割ったような豪快な性格だったそうで、同僚のナースや患者には人気があったらしいんですよ」
「ますます分からんな。それは看護師として勤めだしてからか?」
警察庁刑事課の小鳥遊にそう聞かれ、大宮はうなずいた。
――竹を割ったような……。
東条は怪訝な表情を浮かべる。
「それが災いして――というのは無理な話か」
結局この時の会議はなにも解決に向かわなかった。




