漆
「うーむ、学校というものはどうも好きになれん」
そう言いながら、老人火は保健室の棚を自身の火の光で照らしながら、あるモノを探していた。
「そこに薬箱があるからね。それにさっき遊火が皐月ちゃんを呼びに行ってるのを見たから、こっちに来ると思う。大山くんの傷はそれまでに応急処置だけでもしておかないと」
隙間女はそう言いながら、ベッドの上に倒れている大山を見やった。
「あ、あ……」
大山の身体は、赤いコートの男から刺されたことによる痛みで、大量の脂汗を噴き出している。
「しゃべらないでね、傷に障るから」
隙間女はゆっくりと、落ち着かせるような口調で言った。
「あ、あなたたちはいったい」
丸椅子に座っている美耶は、震えながら周囲にいる妖怪たちに目をやる。
そんな美耶を、隙間女は優しげな目で
「あなたたち、以前旧校舎に入った子たちだよね?」
とたずねた。
「あ、はい。四年生の時に……。でもなんでお姉さんそんなこと知ってるんですか?」
「知ってるわよ。だってわたし――、旧校舎の図書館で衰弱して死んだんだから」
苦笑いを浮かべるように隙間女は言った。
「図書室……って、もしかしてお姉さん、図書室に出るって言われてる幽霊?」
驚いた声を上げ、美耶は隙間女を見る。
「でも、衰弱して死んだって……。たしか地震で倒れた本棚に下敷きになって死んだはずじゃ」
「怪談話だと私は本棚の下敷きになったってことになってるみたいだけど、実際は机の下に避難できたの。でも周りは棚が塞がってて出るに出られなかった。もちろん隙間はあったんだけど、ちょっとでも棚をずらすとバランスを崩して潰されてしまう」
隙間女は表情に陰を作る。
「だからわたしは誰かが来てくれることを祈ってずっと待ってたの。だけど誰も来なかった」
「そうか。わたしたちが聞いた話と実際は違ってたんだ」
美耶の言葉に、隙間女はうなずいた。
「どんな話にもかならず尾鰭がついてしまう。それにあなた達の学び舎で怖い話がないのは、みんなが本当にからかうだけで傷つけようとはしないからなのよ」
美耶は、以前旧校舎で葉月から聞いたことを思い出す。
「お姉さんたちも、この学校が好きなの?」
「うーんどうかねぇ。まぁわたしらはこの村の雰囲気が好きなんじゃよ」
毛倡妓が長い前髪をかきあげながら言った。
「それにな、わしらはある契を皆で交わしておるんじゃ」
老人火がそう美耶に告げる。
「契? 契ってたしか約束って意味だっけ」
「そうだよ。わたしたちはこの福嗣町に住んでいる子どもたちを決して傷つけるようなことをしてはいけないってお約束をしてるの」
緑色のレインコートを着た女の子が、手に持った救急箱を隙間女に手渡す。
「ありがとうね雨降師」
隙間女は、天降女子の頭を優しく撫でた。
「それじゃぁ、応急処置をしましょうかね」
隙間女は救急箱から包帯を取り出す。
「大山くん。ちょっと苦しいかもしれないから――死なないでよ」
そう隙間女が大山に告げると、消毒液を大山の腹部にふりかけた。
「…………っ!」
大山は、声にもならない悲鳴を上げる。
「後は血がこれ以上出ないようにシーツを挟んでっと」
ペッドのシーツを何重にも重ね、それをお腹に重ねるように包帯を巻いていく。
「わたしが気付いたから良かったけど、少しでも遅かったら出血多量で死んでたのよ」
隙間女はそう言いながら、大山の顔を見下ろした。
さきほどの消毒液による激しい痛みが仇となり、大山は気を失ってしまっていた。
「あ、あの――、あの赤いコートの男の人も、皆さんの知り合いなんですか?」
美耶にそう聞かれ、老人火は、
「いやまったく存ぜぬな。そもそもわしらはさっき雨降師が言っていた通り子どもには決して被害を加えてはいけないと契を交わしておる。やつのように子どもを殺そうとするというのは、この福嗣町に住んでいる妖怪ならばまずせぬはずなのじゃよ」
と険しい表情で言った。
「でも、妖怪って人を傷つけて愉しむものだとばかり」
「別にそう思っても構わんし、人間が勝手にわしらの縄張りに入り込もうとするから懲らしめるまでじゃよ? ほれ、よく木を倒したりすると祟られるというじゃろ?」
そう聞かれ、美耶はちいさくうなずく。
「あれはな、木に魂が宿っていたり、その土地に住む思念がそうさせてるんじゃよ。まぁそもそもわしら妖怪というのは、その思念、もしくは想像を具現化したものとも言えるがな」
「それにな、わしらは人を殺すような極悪非道なことはできんのじゃよ。しようものならこの町に祀られてる神様に怒られるからな」
老人火は怯えるような表情で言った。
「――ちょっと、みんな静かにして」
すこし苛立った口調で、隙間女は言った。
そしてなにかを探るように耳を澄ませる。
「どうした?」
「足音が廊下から聞こえてきた」
「先生だ。わたしたちが体育館を抜けだしたのに気付いて」
美耶の言葉に、隙間女は睨むように彼女を見る。
「ど、どうかしたんですか?」
驚いた美耶は、怯むように聞く。
「それだったらそれでもいいけど、濡れたような足音って言ったらどうする?」
その言葉に、美耶は全身に悪寒を感じた。
「も、もしかしてさっきの……?」
「あなた達はここに隠れてて。老人火と鬼火たちは、できるだけ気付かれないように自分の光を薄くして」
隙間女はそう言うと、立ち上がりベッドのカーテンを閉める。
そして自分はその外へと出た。
「す、隙間女さん?」
「静かにせい。やつに気付かれてしまう」
隙間女に言われ、自身の灯りを薄くしている老人火が叱るように美耶に言った。
「それに、私らは身を犠牲にしてでも子どもを守るという責務があるんじゃよ。二度とあんな思いをしないためにもな」
毛倡妓の険しい表情とは裏腹に、寂しそうな目を見た美耶は、それ以上なにも言えなかった。
「美耶ちゃんっ! 大山くんっ! 響くん」
三人の名前を声に出しながら、薄暗い校舎の廊下を葉月は歩いていた。
――なんか変に寒いなぁ。
寝間着用にと体操着を着ていた葉月は肩を震わせる。
普段こんな遅くまで起きていないこともあり、妙な不安を葉月は感じる。
――早く三人を見つけないと……。
そう思い、廊下を曲がった時だった。
奥の方を見ると大人ほどの背丈をした人影があり、葉月は危うく声をかけそうになる。
が声を出すすんでのところで、葉月は廊下の影に隠れると、覗き込むように人影を見た。
何かを探しているのか、人影は頻りに周りを見ている。
キャンプに参加している大人は、宿直の六年担当の先生たち以外にはいない。
――いったい誰だろ?
そう葉月が思った時だった。彼女の上空を、かすかな光が通った。
「……っ!」
葉月はハッとしたと同時に、うしろから口を抑えられる。
「っ! たす……」
悲鳴をあげようとすると、
(大丈夫私)
という文章が書かれた携帯電話のメモ帳画面が視え、葉月はうしろを振り向いた。
「さ、皐月おね……」
葉月は目の前にいる皐月に驚き、声を出しそうになったが、咄嗟に口を手で抑える。
皐月は携帯を葉月に手渡す。
葉月は皐月の考えてることを理解し、
(どうしてお姉ちゃんがここにいるの?)
とメモ帳に書いて、携帯を返した。
(遊火から赤いコートの男が校内にいるって聞いて見に来たの。でもなんで葉月も校舎にいるの)
そう書くと、皐月は携帯を葉月に渡す。
(美耶ちゃんと大山くんが体育館を出て行ってて、響くんもいなくなってたの)
皐月はそれを読むと、ちいさく溜息を吐く。
その仕草に、葉月は首をかしげた。
(響くんなら大丈夫)
どうしてそう言えるのかとたずねようとした時、葉月は自分の上空に漂ってる小さな遊火が視界に入った。
「お二人とも、はやく校舎から出ましょう」
声を殺しながら、遊火は言った。
「で、でも美耶ちゃんと大山くんが」
(そっちは知り合いがどうにかしてくれてるから大丈夫)
皐月は手に持った携帯を葉月に渡す。
「五分くらいしても私が戻ってこなかったら、瑠璃さんに連絡して。いま学校に向かってるから」
そう言うと、皐月は持ってきていた竹刀を手に持つや、
「吾神殿に祭られし大黒の業よ! 今ばかし我に剛の許しを!」
と唱えた。
すると、皐月の服が赤と白の巫女装束へと変わる。
「遊火、葉月のことよろしくね」
そう言うと、皐月はその場から出た。
「すみません。なにか探してるんですか?」
皐月は人影に声をかける。
――薄暗くてよく視えないけど、着ているのはコートで間違いないだろうな。でも帽子を被ってるみたいだし、顔は視えないか。
そう考えながら、皐月はゆっくりと人影に近づいた。
「保護者の方ですか? それとも最近噂になってる赤いコートの――」
そう言った時、皐月は妙な違和感を覚えた。
妖怪とは違うなにか。
皐月は手に持った竹刀を握りしめ、
「私の質問に答えて。あなたは――妖怪なの?」
そうたずねた瞬間、近くを漂っていた鬼火が二人の近くにあった窓の外を通りかかった。
鬼火の光が、皐月と人影を照らした瞬間、
「……っ!」
人影の狂気に満ちた殺意を感じたと同時に、皐月は竹刀を自分の腹部に添えた。
皐月の懐に、赤いコートの男のナイフが刺さっている。
男はゆっくりと皐月を見上げた。
「なっ?」
皐月は言葉を失う。
目の前にいる男の顔が視えなかったのだ。
帽子を深々と隠れていたからではない。
顔のほとんどが壊死しており、認識できたのは歪んだ唇だけだった。
「赤は好きか? 青は好きか? 白は好きか?」
男はそうたずねる。
「赤は可愛いし、青は清楚って感じがするし、白は綺麗かな?」
皐月は竹刀を弾くように動かし、うしろに飛び下がる。
そして構え直すと、
「一刀・羅刹っ!」
皐月は男に目掛けて刀を振り下ろした。
男は避けることなく、それをくらったが、まるでなにこともなかったかのように、手に持ったナイフを皐月に突き立てる。
それを間一髪のところで、皐月は避けた。
「なら、一刀・紅葉っ!」
もう一度、皐月は男に斬りかかる。
だが当てた感触はあるにもかかわらず、男の身体に傷がつかないことに皐月は違和感を覚える。
「なんで? なんでなにも通じないの?」
震えた表情で皐月は目の前の男を見やる。
そして自分の力が通用しない理由として、あることを思い出す。
「まさか……あなた人間?」
その言葉にたいして、答えるかのように男は口角を上げた。
皐月と信乃、そして希望や海雪と言った執行人たちが持っている力は、妖怪にのみ通じる力だ。
つまりは、幽霊や神……人間には通用しない。
しかし、目の前の男と対峙している皐月は、男が人間だという事実が信じられないでいた。
「赤は好きか? 青は好きか? 白は好きか?」
男はゆっくりと、詰め寄るように皐月に近付く。
皐月は間合いを保ちながら、ゆっくりとうしろへと下がる。
が、皐月の背中が廊下の壁に当たり、逃げ場を失う。
「赤は好きか? 青は好きか? 白は好きか?」
男はゆっくりとナイフを振り下ろした。
その一瞬を見据え、皐月は男の脇を潜るように抜けだそうとしたが、男は皐月の腕を掴んだ。
皐月の腕から、骨が砕ける音が響き渡る。
「……っ! がぁぁああああああああああっ!」
その異常な握力に、皐月は大きな悲鳴をあげた。
「――な、なにこいつ……、なんでこんな」
腕の痛みと、恐怖心から、皐月は逃げるように身体を這わせる。
男はゆっくりと皐月を見据えると、ナイフで皐月の左足の脹脛を刺した。
「……っ!」
皐月は悲鳴をあげようとするが、先ほどの腕の痛みもあり、声が出ない。
「赤は好きか? 青は好きか? 白は好きか?」
男は、皐月を逃がさないよう、皐月の身体を跨ぎながらたずねる。
「赤は好きか? 青は好きか? 白は好きか?」
皐月はゆっくりと男を見やる。
「それ以外の色を言ったらどうなるのかしら?」
そうたずねた時、
「質問に質問で返すな」
男はナイフを両手に持ち、大きく振りかざした。
――今だっ!
皐月は、全身の痛みに耐えながら、切られていない方の右足で、男の足を払った。男は豪快に倒れこむ。
「皐月ちゃんっ!」
声が聞こえ、皐月は声がした方に目を向ける。
目の前には、掃除道具などをしまうロッカーがあり、扉が開いている。
そこから、隙間女の顔と腕が見えた。
「凛美……ちゃん?」
皐月は、倒れている男を一瞥する。
「そいつが倒れている内に、急いでっ!」
隙間女にそう言われ、皐月は身体を引きずるように、ロッカーへと向かう。
「逃すかぁっ!」
男は皐月の足を掴もうとしたが、
「それ以上私らの縄張りを荒らすんじゃねぇよ」
毛倡妓が自身の髪を、男の腕に絡ませる。
その間、皐月は隙間女の手を掴むと、ロッカーへと引きずり込まれていった。
「あんた、いったいなにもん……」
毛倡妓がそうたずねようとした時、その場にはすでに、赤いコートの男の姿はなかった。




