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姦~魔禍霊噺~  作者: 乙丑
第一話・塗仏
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陸・腕


 清水が勤めている保険会社を出たのは、ちょうどお昼になる頃だった。

「少し昼飯でも食べるかい?」

 車中でそう聞かれたが、皐月は首を横に振る。

「もしかして、今日付き合えなかったの怒ってる?」

「いえ、忠治さんと……、警察の人と付き合っている以上、仕事優先なのはわかってますから。ただ妙に引っかかるんですよ」

「引っかかるって、なにが?」

「殺された落合の死因ですよ。もちろんヒ素を盛られたってことは納得するんです。でも、あの毒入り砂糖を、誰が落合に渡したのかってことです」

 それに関しては、大宮も気になっていた。

「つまり、第三者がいるってことか」

「角砂糖自体はそんなに難しくないですし、ヒ素を中心に入れておけば気づかないでしょうしね」

 ――でも、毒入りの角砂糖を手に取ったことは偶然なんだろうか。

 皐月は、外の景色を一瞥した。その時である。

 皐月の携帯が鳴り、液晶を見ると、自宅からであった。

「もしもし?」

「あ、皐月ですか?」

 相手は瑠璃である。「どうかしたんですか? 瑠璃さん」

「先ほど阿弥陀如来が家に来ましてね、ちょっと事件の参考になればとのことで」

 皐月は瑠璃の話を聞きながら、隣で運転している大宮を一瞥した。

「落合美千流は、夫とは別の男性がいたそうです」

「不倫ってことですか?」

「そうなりますね。ただ、それがわかったのは彼女が殺されてから七年経ってからだそうです」

「それを警察に言ったのは?」

「同僚の大川充晃。彼は落合夫婦とは大学生の頃から知り合いだったそうです。警察庁の東条巡査長からの言伝だそうですよ」

「でも、落合孝宏の件は……。あ、合同捜査してるんだった」

「ですが、その大川という男性は、落合が剣幕した表情で、清水に聞きたいことがあると云っていたようです」

「聞きたいこと……」

 皐月が、なにを聞きたかったんだろうと考えたとき、妙な不安感に駆られた。

 目の前には田原産婦人病院がある。

 ついで、落合美千流が殺された場所。

 ただの偶然だ。うん。ただの偶然。

 だがその偶然が、なぜか否定できない。

「瑠璃さん……、どうして胎内で亡くなった子供を『水子』っていうんですか?」

 そう聞かれ、瑠璃は少し深呼吸をしてから、話し始めた。


「水子は胎内で亡くなった赤子だけでなく、乳児期や幼児期に亡くなった子供も水子と言われています。そもそも水子とは水子(すいじ)というのが正しい読み方で、本来は死産や乳児の頃に亡くなった子供に与えられる改名に使われていたものなんです」

「――すいじ……」

 皐月は少し考えて、「それじゃぁ葉月が聞いたあの声って」

「ええ。私も少し気になったので、訶梨帝母に聞いたんですよ。そしたらあそこは立ち入り禁止にしてから、水子供養をしていないとのことです。そもそもが――」

 車は落合孝宏が勤めている会社へと入っていく。

「すみません。ちょっと電話切りますね」

 皐月はそう言うと、携帯を切った。


「あ、ちょっと皐月!」

 瑠璃は、慌てた表情で電話先に言った。

 しかし、彼女の耳から聞こえるのは、無情なほどに冷たい電子音だけである。

 瑠璃は少し肩を落とすと、受話器を元に戻した。

「皐月はなんて?」

 社務所から母屋に戻ってきた拓蔵が、瑠璃にたずねる。

「話の途中で切ってしまいました。おそらく、落合が勤めていた会社に着いたんでしょう」

 瑠璃はためいきをつく。いま自分が言おうとしたことが重要だったのだ。

「しかし、もし訶梨帝母がわしらに教えたことを考えると、葉月が聞いたのは――」

 拓蔵が顎鬚をさする。

「殺された落合美千流が妊娠したのがわかったのは、殺される一週間前。それを知っている人は本人しかまだいない。不倫をしていた以上、落合美千流にも問題はあったでしょうけど」

 瑠璃は、そのことを皐月に言いたかったのである。

 つまりは、葉月が聞いた子供の声は――殺された落合美千流の胎内にいた赤子の声であった。

 葉月の能力である霊視は、写真に写っている遺体が死ぬ直前に聞いた音を聞くことが出来る。

 だが、成仏した霊の声は、そもそもがその場に存在していないため、聞くことができない。

 それでも、大量の声を聞いたとしたら、それはその赤ん坊が供養されなかった子供の霊を呼び寄せたにほかならない。

 瑠璃は、閻魔王である傍ら、死んだ子供をまもる地蔵菩薩でもあったためか、今回の事件は【子】という、本来なら守らなければいけない命が、大人の勝手な事情で殺され、外を見ることさえできなかった怨念が招いているとしか思えなかった。


 車から出ると、皐月は肩を震わせた。四月とはいえ、外が曇っていると、寒いものである。

「コート貸してあげようか?」

 大宮がそうたずねると、「大丈夫です」

 皐月は、その厚意を断った。自分が着たら、今度は大宮が寒くなると思ったのだ。

「ここが落合が勤めている会社みたいですね。結構大きいな」

「今日は日曜だからね。出勤している人の中に落合孝宏か、大川に詳しい人がいればいいんだけど」

 大宮はそう言いながら、N銀行へと入っていく。

 皐月も、それについていく形で入った。

「すみません、落合孝宏さんについて聞きたいことが」

 すれ違った社員に声をかけるが、スルーされてしまう。

 それを、何人かにしていったが、同じ結果だった。

「やっぱり。まぁ、こうなるとは思っていたけどね」

 人との繋がりが薄くなっている昨今、あまり積極的に首をつっこもうとはしない。

 それでも一人くらいはつかまって、話を聞かせてほしいと思っていた。

 大宮はためいきをついた。


「遊火、ちょっと会社の中見回してきて」

 皐月が虚空を眺めながらそう言うと、ぼんやりと火の玉が現れ、人の形になっていく。

 現れたのは、黒髪のセミロングに、淡いピンクのゴスロリ少女であった。

「また、弥生姉さんに弄られた?」

 皐月にそう言われ、遊火は小さくうなずいた。

「ここ、結構広いですよ?」

 気を取り直すように、遊火はたずねる。

「そうだなぁ、忠治さん、落合が所属している部所は?」

「たしか、総務課だったと思うよ」

 皐月はそれを聞くや、遊火を見やった。「総務課ってことは、いろいろとモノが置いてるってことですよね?」

「まぁ、備品補充とかも総務課の人間がするだろうしね。部署の中に備品があっても可笑しくない」

 それを聞くと、皐月は遊火をもう一度見る。

「あまりモノには触れないこと。それと人がいたらすぐに教えて」

「わかりました……。って、わたし陰火ですから、触っても燃え移りませんよ」

 遊火はそう言うと、スーッと消えた。

 遊火が調べているあいだ、皐月と大宮は、ロビーのソファに座って待つことにしたのだが、「ちょっとここで待ってて、大川充晃に関しても聞いておかないと」

 と、大宮は受付へと走っていった。

 皐月はソファに座ると、ロビーの中を、特に目的もなくボーッと見回す。

「えっ?」

 突然、大宮の驚きにも似た声が聞こえ、皐月はそちらに振り返り、彼の方へと視線を向ける。

「どうかしたんですか? 忠治さん」

「えっと、それに関して、詳しく聞かせてくれませんか?」

 大宮が受付の男性社員に言った。

「落合美千流はどうもね、結構ビッチでさぁ、会社に来てた時は結構男性社員を食べていたらしいよ」

「――ビッチ?」

 皐月は首をかしげた。「それって、どういう……」

「おやぁ、お嬢さん知らないのかい? ビッチっつんはなぁ――」

 男性社員は不敵な……、というよりかは、下衆な笑みを浮かべる。

「わぁああああっ! とにかく落合美千流は、旦那である落合孝宏にバレないよう、裏で同僚と付き合っていたってことですか?」

 大宮が、社員の言葉をかき消すかのように、捲し上げる。

 皐月はその声で、目が点になってしまった。

「いやもうね、付き合っていたとかじゃないよ。あれは新人社員を喰らう女豹だったね。まったく、とんだ阿婆擦あばずれだよ」

 男性社員は、あきれた表情で言った。

「あぁ、そうそう。落合で思い出したけどな。実はこの前屋上で大川と会っていたんだよ。その時落合は怖い表情をしててな。ありゃぁ奥さんが阿婆擦れってことを知って激情したんだろうなぁ」

「皐月さまっ!」

 戻ってきた遊火が声をかける。「どうだった?」

「触れないように注意しながら総務課を調べてみたんですけど。落合孝宏の机の上は綺麗に片付けられてました。それともう一人、大川充晃の机ですが、そちらも特に不審なモノはおいてませんでしたよ。あと、誰もいませんでした」

「誰もいないのに、よく入れたわね?」

「通気口から入りました」

 遊火はえっへんと、胸を張った。鬼火の妖怪である遊火は、風の通り道があればどこにでも入れる。

「それじゃぁ、直接大川充晃本人に聞くしかないか」

 皐月は、大宮を一瞥した。大宮は男性社員を睨むように見つめている。

「どうかしたんですか? 大宮巡査」

「さぁ……。でもビッチってなんだろ?」

 皐月は、男性社員がそれを説明しようとした時、大宮が大声で割って入ったため、聞けずじまいだった。

 だが、あの大宮が言葉をかき消すくらいだから、正直知らないほうがいいのかもしれない。皐月は、簡略的にそう思った。

 初心(うぶ)晩熟(おくて)である皐月だったが、やはり若気の至りもあってか、車で移動中、携帯のネット辞書でその言葉を調べた時、カッと、顔面が真っ赤に染まってしまったのは言うまでもなかった。

 ビッチとは、本来性欲に盛りのついたメス犬の蔑称であるが、それから転じて(というより似た状態から)性欲の強い女性。つまり痴女のことを意味する。

 ただ、その言葉を大宮がかき消すということは、意味を知っていたということになる。

 皐月は、運転している大宮を一瞥した。

「んっ、どうかしたのかい?」

 視線を感じた大宮は、正面を見ながらたずねた。

「い、いえなにも――」

 皐月は、それ以上は言わなかった。

 ――忠治さんだって男性なんだから、そういう本とかビデオを見てても、うん、可笑しくない。むしろ正常なんだ。

 そう思いながら、皐月は、心を落ち着かせるように、ちいさく深呼吸をした。


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