肆
翌日の朝。その日は日直だったため、早めに学校に来ていた希望が、休憩しようと教室から出た時だった。
「コロロロ」
と、希望の肩に乗っているコロロが、教えるようにちいさく鳴いた。
「どうかしたの?」
希望がそうたずねると、コロロはちいさな指先で、廊下の奥の階段を示した。
希望も、その指の先に目をやると、そこには二人組の姿があった。
一人は身長が一六四くらいで、スカートを履いていることから、女子生徒だというのはすぐにわかった。
小柄な体躯で、肩まで伸びたウェーブのかかったパーマが印象的である。
だが、もう一人は身長が一八〇に近いほどあり、希望は男性かと思ったが、スカートを履いていることから、女子生徒だというのがわかった。
ショートカットで、キリッとした細い目付きをしながら、下級生を見ている。
「それじゃぁ、ダメなんですか? 瑠河先輩」
小さい方の女子生徒が、困った表情でたずねる。
「ええ。今度の日曜日は大事な試合があってね」
瑠河と呼ばれた大きい方の女子生徒は、フッと笑みを浮かべる。
「すみません。そこまで気が回らなくて」
「いや、細川さんのせいじゃないわよ」
そう言うや、瑠河は、細川の前髪を優しく掻き上げ、軽く唇を額に当てた。
「ごめんなさい。これはちょっとしたお詫びよ」
そう言いながら、瑠河は足早に階段を下りていった。
それを、ボーッとした表情で、細川は見送った。
――なんなんだろ、あれ……。
希望は、すこし身体を震わせながら、トイレへと入っていった。
「ノンノ、どうかしたの?」
教室に入ってきた皐月と信乃が、自分の机に顔を伏せている希望に声をかける。
希望は、今朝見たことを二人に話した。
「そりゃぁ、免疫のない希望からしてみたら、衝撃以外の何物でもないわね」
信乃の言葉に、
「えっと、鳴狗さんはそういうのに免疫があるってこと?」
と、希望は聞き返した。
「アニメとかマンガだと、GL。つまりガールズラブというのは然程珍しくないジャンルだからね。でも女子校でもないのにそういうカップルがいるのは結構珍しいことよ」
「まぁ、そういうのは置いといて……。それでどういう人だったの?」
「一人は身長がクアニたちと同じくらいだったんだけど、もう一人は、身長が一八〇くらいはあったかなぁ」
「一八〇って、もしかして矢畑先輩?」
「ううん、その人は瑠河って呼ばれてたよ」
希望は皐月の言葉に訂正を入れる。
「瑠河ねぇ……。えっとバレー部にそんなのいたっけかな?」
「バスケ部とかじゃないの?」
皐月と信乃がそう話をしていると、
「風花さん、ちょっと占ってくれない?」
と、隣のクラスの角山が希望に声をかけてきた。
「どうかしたんですか?」
「実はこの前二年の先輩に告白したんだけど、オーケーもらえてね。だから今度の日曜日デートすることになったんだけど、どうなるかなって」
「それを占って欲しいんですね」
希望が確認を取ると、角山はうなずいた。
「それじゃぁ、ちょっと左手見せてください」
そう言われ、角山は希望に左手の平を見せる。
希望はそれを凝視する。
「うん。今度の日曜日。きっと成功しますよ」
「本当? 絶対よね?」
「占いは『当たるも八卦当たらぬも八卦』といいますから、期待はしないほうがいいですよ」
「でも、風花さんの占いは当たるからね。それじゃぁ今度の日曜日頑張ってみるわ」
そう言うと、角山は自分のクラスへと戻っていった。
「すごいねノンノって」
そう言われた希望だったが、
「あれ、ただ適当に言っただけですよ」
と言った。
「ちょ、それって占いとして一番ダメじゃないの?」
「当たるも八卦と念を押してますから。それに占いで人生左右されるのはどうかと思いますしね。結局は自分の力だから」
「でも、結構ノンノの占いは当たるからね」
その噂を聞いて、希望が図書委員で昼休み教室にいない以外はほとんど毎日、占ってほしいと他のクラスから(主に女子)生徒がやってくることが多い。
「それはコックリさんの場合だよ。まぁあれは力が弱い動物霊とかが力を貸してくれるんだけどね」
「ほら、みんな自分の席に戻って」
担任である笹賀が教室に入ってくるや、生徒にそう云う。
皐月と信乃も、自分の席へと戻っていった。
昼休み。矢畑は一年棟を歩いていた。
「矢畑先輩こんにちわ」
下級生の女子が、憧れの眼差しで、矢畑にあいさつをする。
その度に、矢畑はちいさく頭を下げていく。
「コックリさんコックリさん、お出でになりましたら、鳥居までお越しください」
声が聞こえ、矢畑はそちらに目をやった。
そして、まるで誘われるように、矢畑は一年の教室へと入っていった。
「今日は無理に練習をしないほうがいいみたいですね。疲労が溜まっていて、かえって怪我をしやすいと言ってます」
「ほんとか? オレ今度試合なんだよ」
希望に占われた男子生徒が落胆したかのように表情を曇らせる。
「まだ一年ですし、チャンスはいっぱいありますよ」
希望は励ますようにアドバイスをする。
「それに、まだベンチ入りってわけでもないでしょ?」
「そ、それを言われたら困るんだけどな。わかった、風花の言う通り今日の練習はあまり懸命にやらないことにするよ」
そう言うと、男子生徒はお礼を云って、自分の席へと戻っていった。
「それじゃぁ、次は――」
「――コロロ」
と、机の隅で見ていたコロロが、上を見上げて鳴いた。
「どうかしたの? コロロ」
希望が小さな声で言った時、コロロは指で空を指す。
「あの……」
声が聞こえ、希望がそちらに目をやると、
「うわっ!」
矢畑が覗き込むように、希望を見ていたせいもあって、希望は椅子から転げ落ちてしまった。
「あ、だ、大丈夫? ごめんなさい。驚かすつもりはなかったのよ」
あたふたと、矢畑は困った表情で、希望に手を貸した。
「あ、いやすみません。わたしの方こそびっくりしちゃって」
希望は椅子に座り直すと、矢畑を見上げた。
――あれ? 今朝の人?
と、希望は思ったが、今朝見た瑠河の雰囲気と、目の前で心配そうに自分を見ている矢畑は似ても似つかない。
「それで、なにを占って欲しいんですか?」
「占いかぁ。それじゃぁ、恋人はできるかどうか調べてほしいな」
矢畑がそう言うと、希望は特に疑問を持たず、十円玉の上に人差し指を乗せた。
「ところで、先輩の名前は?」
そう聞かれ、矢畑は、
「矢畑知代」
と答えた。
「コックリさんコックリさん、矢畑知代さんに恋人はできますでしょうか?」
そう質問を投げかけると、十円玉はゆっくりと『いいえ』の方へと向かっていった。
希望は腑に落ちない表情を浮かべる。
「それはどうしてですか?」
そう問いかけた次の瞬間、十円玉は五十音の中を右往左往していく。
「どういうこと? 私みたいなデカ女には彼氏なんてできないって言いたいわけ?」
そう怒鳴るや、矢畑はスッと教室を後にする。
その表情は、今にも泣き出しそうだった。
「うわっ!」
教室に入ろうとしていた皐月と信乃に、矢畑はぶつかりそうになったが、間一髪のところで避けた。
「ごめんなさい」
と、矢畑は階段の方へと消えていった。
「あれって、矢畑先輩?」
皐月がそう信乃にたずねる。
「みたいだけど、なんでうちの教室に?」
信乃が教室を覗くと、困った表情を浮かべながらドアの方を見ている希望の姿が見えた。
「ノンノ、どうかしたの?」
「さっき矢畑って人が占って欲しいって来たんだけど」
「なんか泣きそうだったんだけど、いったいどういう結果だったわけ?」
「それが、恋人はできないって結果が出て、その理由を聞こうとしたら、なんか壊れたみたいに十円玉が動いて」
希望は紙に目をやる。紙の上に乗った十円玉は、今はシンとして動かない。
「てか、指外したらいけないんじゃない?」
「あ、大丈夫。今日憑いていたのは、そこでカラスに食われたネズミだったから」
希望はそう言うと、窓の方を指差した。
「でも、いったいなんでそんな結果が出たのかしらね」
「もしかして、できないんじゃなくて、元からいるからできないって出たんじゃないの?」
皐月がそう言うや、
「そんなわけないでしょ? もし本当にいたら恋人ができるかなんて聞きにこないでしょ?」
信乃はあきれた表情で言った。
「ほら、元気だしなよ」
栗林に励まされていた矢畑は、ちいさくうなずく。
「それにさ、たかだか占いでしょ?」
そうだ。ただの占いだ。
だけど、話を聞いている限りだと、希望の占いは当たると、最早学校内ではかなりの有名になっている。
「でも異性に告白されたいなぁ」
矢畑は机に顔を伏せた。
「おい、知代」
亥川が矢畑の背中を叩きながら、声をかける。
「なに? 恭ちゃん」
「お前、今度の日曜日暇か?」
そう聞かれた矢畑は、すこし考える。
「大丈夫だけど、なんで?」
「ちょっと付き合って欲しいんだけどな、ほらお前なんか見たいところがあるって言ってただろ?」
そう聞かれ、矢畑はちいさくうなずく。
「それじゃぁ、日曜の朝に駅前でな」
そう言って、亥川は自分の席へと戻っていった。
「ちょ、ちょっと? これってデートの誘いじゃないの?」
栗林が興奮気味に言う。
「そ、そんなんじゃないよ。恭ちゃんと一緒に遊ぶのなんて珍しいことじゃないし」
矢畑は否定するようにそう言ったが、本心は嬉しかった。
部活を終えた皐月たちが校門を潜った時、目の前を大きな影が横を通っていく。
「矢畑先輩」
皐月が声をかけると、矢畑がそちらへと振り向く。
「あら、あなたたちは」
「一年の黒川って言います。こっちは友達の鳴狗信乃と風花希望」
そう紹介された二人は、矢畑に頭を下げる。
「あの、矢畑先輩。昼休みの時はすみません」
希望がそう言って、矢畑に謝った。
「いや、大丈夫よ。占いがすべてじゃないからね」
「それで占いの代わりってわけじゃないんですけど、なにか相談でも乗ろうかなって」
希望がそう言うと、矢畑は少しだけ考えて……。
「それじゃぁ、ちょっと聞いてもらおうかしら」
と三人を学校の中庭へと連れていった。
「それじゃぁ、今度の日曜日に亥川って人とデートなんですね」
信乃がそうたずねるが、
「デートなのかな? 恭ちゃんと遊びに行くのなんて、そんなに珍しいことじゃないし」
と、矢畑は首をかしげる。
「よし。それじゃぁ二人のデートを成功させよう」
立ち上がるや、信乃がそう言った。
「……はっ?」
いきなりのことで、皐月と希望、矢畑の三人は目を点にする。
「あのね。いくら友達の関係だとしても、異性と遊びに行くのはデートと思わないと。それに矢畑先輩ってデート慣れしてませんよね?」
詰め寄られ、矢畑は思わずうなずいてしまう。
「それじゃぁ、今度の土曜日。みんなで服買いに行こう。皐月、あんたは大宮さんのお母さんに言って、化粧品どうにかしなさい」
「はぁああああああっ? ちょっとなんで、葵さんに協力を得ないといけないのよ?」
葵とは、大宮の母親で、有名な化粧品会社の社長である。
大宮との付き合いもあってか、皐月はよく葵が経営している会社の化粧品サンプルを貰うことが多い。
「それに一般的に売ってる女性用の服のサイズがあうかどうかわからないでしょ? 軽く見繕ってもスタイルがいいし、バレーをしているせいか筋肉質だしね」
「やっぱり、わたしみたいなデカ女に似合う服なんてないよね」
「あ、いや、そういうわけでは。だ、大丈夫ですよ。かならず似合う服がありますから」
「皐月、風花さん。わたしちょっと思ったんだけどさ……」
と、信乃は皐月と希望に耳打ちをする。
「――ってわけよ」
話を終えた信乃は口角を上げる。
「なるほどね。それなら私も協力しようかな」
希望は納得した表情で言ったが、皐月は妙に乗り気がしなかった。
「わかった。葵さんに連絡して、矢畑先輩に似合いそうな化粧品がないか聞いてみるよ。すみませんちょっと顔写真撮らせてもらっていいですか?」
そう言われ、矢畑はうなずく。
皐月は携帯を取り出すと、矢畑の顔写真を撮り、それを葵にメールで送った。
「よし。それじゃぁ明日の土曜日、三人で矢畑さんを誰もが振り向くくらい綺麗な女性にコーディネートしよう」
ノリノリな信乃と希望に対して、皐月と矢畑は二人のテンションについていけなかった。




