捌・シルペケレ
「動かないで。いま温めてるから」
希望は皐月の手首に包帯を巻く。
「あくまで応急処置でしかないから、ちゃんとした病院に連れて行かないと」
「それだったら、湖西刑事のところに行った方がいいかも。普通の病院じゃ、どう説明すればいいかわからないし」
信乃はそう言いながら、希望を見遣った。
「それにしてもあの妖怪……、なんで風花さんを殺そうとしていたのかしら? それにわたしの刀を砕いているし」
「たぶん、あの妖怪は誰かにわたしを殺すよう命じられたんだと思う。それに少し気になることも言っていたし」
希望はすこしばかり考えて、
「わたし《クアニ》の持っている難陀竜王の力。それを彼女は奪おうとしていた」
「難陀竜王?」
皐月が首をかしげる。
希望はどうして紅兎が、自分の持っている難陀竜王の力を奪おうとしていたのかを考える。
「もしかして……」
そう口を開く。
「なにか心当たりでもあるの?」
「少し前に時雨という女性が気になることを言っていて」
「――時雨さんが?」
皐月がそう言うや、希望は鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔を浮かべる。
「知ってる人だったの?」
「うーん、爺様とよく酒を飲んでる人だったかな」
「その時雨って人がどうかしたの?」
信乃にそう聞かれ、希望は話をもとに戻す。
「その人が言うには、崇徳上皇という妖怪が妙な動きをしているとか」
「崇徳上皇が? ノンノとなんの因果があって?」
皐月がそうたずねる。それに関しては希望自身もわからなかった。
そんな中、信乃が皐月と希望を交互に見渡す。
「どうかしたの?」
「いや、さっきから皐月って風花さんのこと【ノンノ】ってあだ名で言ってるなって」
そう指摘され、皐月はハッとする。
「コロロロ」
いつの間にか信乃の頭の上に乗っているコロロが、笑うように鳴いた。
「うわ、ビックリした」
信乃は自分の頭に乗っているコロロにおどろく。というよりも今の今まで気付かなかったのだ。
「コロロ、ダメだよ、人の頭の上に乗ったら」
希望がそう叱ると、コロロは、ぴょんと希望の肩に飛び移った。
「あれ? コロロが視えるってことは」
「コロロは鳴狗さんを友達だって思ってるみたい」
「それって嬉しいことなの?」
信乃の言葉に、希望はうなずく。
「コロボックルは元々人懐っこい種族だったんだけど、ある時、人間が正体を確かめようと、コロボックルを捕まえようとした。それに激怒したコロボックルたちは、自分たちが友達だと認めている人以外には視えないようになったの」
希望がそう説明する。
「つまり視えるってことは認めてもらってるってことか」
「そういうことだね」
皐月と信乃がそう話している中、希望は妙な感覚になっていた。
――あの妖怪にわたしを殺すように命じたのは、おそらく崇徳上皇だ。そう考えると時雨さんがわたしにあの話をした理由も納得できる。
そう考えながらも、――あの妖怪、おそらく【アイヌカイセイ】だと思うけど。
アイヌカイセイとは、アイヌに伝わる妖怪で、人間の死体を意味している。妖怪としてはありきたりなものなので、本来なら信乃の刀でも十分事足りていた。
それが結果的には刀を壊している。
――崇徳上皇がなにかしたってこと?
「ノンノ、どうかした?」
皐月に声をかけられ、希望はハッとする。
「さてと、どうする? 部活フケようか?」
「……そうだね。さすがに部活に出られる状況じゃないし」
皐月は包帯が巻かれた手首を見る。
「さっきから手首辺りが暖かいんだけど、ノンノ、なにかした?」
「皐月ちゃんの手首のあたりだけ、周りの空気を暖かくしたの」
「そんなことできるの?」
「わたしの力は、自然の摂理を操る力」
そう言いながら、希望は人差し指を信乃の方へと向ける。
「へっくしょん」
信乃はくしゃみをし、身体を震わせる。
「なに? いきなり寒くなったんだけど」
「鳴狗さんの周りだけ、気温を零度にした。それからちょっとてのひらを出してみて」
そう言われ、信乃は震えた手を出す。
その手の上に、ちいさな雪の結晶が降り積もる。
「すごい」
と、信乃は感心する。
「そろそろ普通の気温にしてくれない? 風邪ひきそうだし」
そう言われ、希望が力を解除した時だった。
殺気を感じ、三人はうしろを見やる。
「ほう、あの娘を殺したか」
落ち着いた口調で、男性が皐月たちに近寄る。
「えっ?」
希望はその弾性を見るや、絶句する。
「ノンノ、どうしたの?」
皐月が声をかける。
「どうして、あなたがここにいるの?」
希望は殺気を剥き出しにして、目の前の男性に食ってかかった。
「おや、再会できていたとは……どうした? 早くそこにいる人殺しを殺さないのか?」
「わたしに皐月ちゃんが見殺しにしたって嘯いておいて、よくもいけしゃあしゃあと」
「事実ではないか」
男性はゆっくりと腕を広げ、
「上皇さまへの土産だ。ここでお前を殺せばな」
服の裾から、隠し持っていたナイフを取り出す。
そしてそれを希望目掛けて投げつけた。
「――っく」
突然の出来事で対処できなかった希望の目の前で、皐月と信乃が刀を構え、それを地面に叩きつけた。
「ほう? 大黒天と毘沙門天か……」
男性は驚くわけでもなく、平然とした顔でたずねる。
「あんた、妖怪?」
皐月と信乃は、身体をちいさく震わせる。
「妖怪……そう云われればそうなるな」
男性はニヤリと笑った。
遠くからパトカーの音が聞こえ、男性はそちらに視線を向ける。
「少し遅すぎたか」
男性はそう言うや、ちいさな羽音をたて、その場から姿を消した。
「――羽音?」
皐月は、男性のいた場所を見るや、絶句する。そこには、見覚えのある鳥の羽根が落ちていたのだ。
「――栢」
羽根を拾い、皐月はつぶやく。
「皐月ちゃん?」
希望が皐月に声をかけようとした時だった。
「くそっ! 逃してしまいましたか」
息を切らせながら、阿弥陀たちがやってくる。
「阿弥陀警部?」
「おや、皆さんこんなところでなにを?」
阿弥陀は驚いた表情でたずねる。希望は今まであったことを阿弥陀たちに話した。
「それで、どうして阿弥陀警部たちはここに?」
「紅兎という女性がここに向かっているというのがわかったんですが、まさか妖怪と化していたとは」
「化していたというよりも、元々から妖怪だったと思います」
「紅兎が殺した被害者のほとんどが凍傷を起こしていた。しかも心臓にも同じことをほどこしていたんですよ」
阿弥陀がそう説明する。
「それから、事務所にこんなのがあってね」
大宮は懐から紙切れを取り出す。
「その中に相模という名前が書かれている」
「――相模?」
「信乃、どうかしたの?」
「どこかで聞いたことがあるんだよね」
信乃はうーんと唸る。
「希望さんと言いましたね。あなたを襲った紅兎……アイヌカイセイはどうしてあなたの力を奪おうとしたんでしょうか?」
「おそらくわたしの持っている難陀竜王の力を奪おうとしたんだと思います。それにあの村を襲った妖怪も、わたしと同じ真言を云ってましたけど」
「難陀竜王の真言を?」
「それでなにかを探していたみたいで、まだ小さかったからあまり覚えていないってこともありますけど」
希望は、すみませんと頭を下げる。
阿弥陀はちいさく、安心させるように笑みを浮かべる。
「――あっ!」
信乃が突然大きな声をあげる。
「風花さん、たしか崇徳上皇がどうとか言ってたわよね?」
「え、ええ」
「相模って、その崇徳上皇の怨霊を守護する天狗の棟梁なのよ」
「でも、どうして崇徳上皇はノンノを狙ってるのかしら」
「おそらく、彼女の祖先に関係があるんでしょうな」
「祖先?」
阿弥陀は深呼吸をし、
「彼女の祖先は、平家が守っていた天皇の一人、安徳天皇なんですよ」
その言葉に、皐月と信乃はキョトンとする。
「ちょっと待って、安徳天皇は壇ノ浦の戦いで入水したはずですし、その遺体だって発見されているはずですよ?」
「ですが、その遺体が偽物であったという可能性も否定できない。当時影武者なんてごくありふれたことですからね」
「実際に安徳天皇が各地に落ち延びたという伝承もあるしね。もちろん事実とはいえないけど」
阿弥陀はすこしばかり間をとってから、
「それに安徳天皇は難陀竜王の化身だったというのがわかりましてね」
「それじゃ、ノンノを殺そうとした理由って」
「おそらく希望さんの中に流れている安徳天皇の血でしょう」
阿弥陀ははっきりと言った。
「だからこそ、難陀竜王はあなたに真言を教えた」
「時雨さんが言っていましたけど、わたしの力は皐月ちゃんや鳴狗さんの力をも凌駕するって」
「二人はあくまで力を認めてもらって、その真言を使えるようになったわけですが、あなたの場合は難陀竜王が守るために力を与えたといったほうがいいでしょう」
希望は自分の手を見る。
「それにしても、これからどうなりますかね?」
阿弥陀が困った表情で言った。
「すくなくとも、今のままじゃダメだと思う」
皐月は拳を握った。
――あの時、なにもできなかった。
それは信乃も同じだった。
「今だって真言を使っても、力が十二分に発揮できているわけじゃない」
「まぁ、力を強くする以外にないですな。それから風花さんでしたっけ?」
「――あ、はい」
「波夷羅から伝言です。『風花希望を執行人として認め、黒川皐月、鳴狗信乃を助けることを命じる』とのことですよ。ただひとつ条件があるみたいですが」
希望は首をかしげる。
「――条件?」
「あの刀は使うな。とのことです」
阿弥陀がそう言うと、
「あの刀って、あんなすごい刀以外にもなにか隠し持ってるの?」
「虎杖丸は神を宿す刀だけど」
希望にも、虎杖丸以上の力を持った刀があるとは思っていなかった。
「アイヌカイセイが殺されたか」
暗闇の中、ロープで顔を隠した男がそうつぶやく。
「はい。彼奴が先走った結果、我々の存在も知られてしまう結果となってしまいましたが」
もう一人、ロープを被った男がそう告げる。
「それで、やつは黒川皐月たちといっしょに行動することにしたのか」
「おそらく。ですがこれでよかったのでしょう。うまくいけば他の神仏を殺すことだってできる」
「アイヌカイセイにはこちらの手が省けて感謝はしている。しかしだ」
男は小さく身体を震わせた。
「やつがあの刀をあやつるほどの力を得る前に……」
男はうしろに視線を向ける。
「――壬申、彼奴の監視怠るでないぞ」
そう言われ、壬申は、「御衣」
とうなずき、立ち上がった。
彼女が消え去るさい、彼女の、絹糸のような、艶のある白髪が暗闇になびいた。




