陸・アシトマップ
「こんなところに呼び出すなんて、どうかしたんですか?」
浅葱橋から少し離れた林道に、Tシャツにジーパンというラフな格好をした今際の姿があった。
「急に呼び出して済まないな。ちょっとお前さんに聞きたいことがあって」
と、拓蔵は林道に設置されているペンチを指差す。
「そこでゆっくり話そう」
そう促され、今際はうなずいた。
二人はペンチに腰をかける。
そのさい、今際は少しばかり怪訝な表情を拓蔵に向けた。
「わたしに聞きたいこととは?」
「まぁ、お前さんのことだ。もう彼女が亡くなったことは耳にしているのだろ?」
「――萩元優香のことですか」
ここで隠してもどうにもならない。そう考えた今際は、拓蔵の質問を素直に答える。
「それからもう一人、その萩元優香を贔屓にしていた簾舞が何者かに殺された。殺されたのは昨日の昼三時からとなっているらしい。お前さん、その間なにをしていた?」
「黒川さんはわたしが簾舞を殺したと?」
「そこまでは言っておらん。しかしな、お前さんが簾舞と会っていたちう目撃証言もあるからして、なにかしらトラブルがあったと考えるのが筋というものじゃろ? それに、ただでさえ萩元優香の件もあるでな」
「その時間でしたら、わたしは部屋で一人でしたよ。証言する人は隣部屋の住人ですね。あそこは壁が薄くて、少々の音でも響いてしまいますから」
拓蔵はそれを聞くと、(わざとらしい)背伸びをする。そして、うしろの茂みの奥に隠れている大宮たちに視線を向けた。
大宮が急いで電話をかける。今際が住んでいるアパートの近くで待機をしていた岡崎が、その隣部屋の住人に訊ねると、今際は昨日の昼二時頃から部屋でテレビを見ながら寛いでいる音が聞こえたと証言した。
それを大宮は頭の上で『○』をつくる。今際の言っていることは合っているという合図だった。
「どうかしたんですか?」
拓蔵の行動に不信を覚えた今際がたずねる。「いや、なんでもない」
拓蔵は悟られないように首を横に振った。
「簾舞と会ったのは、わしの快気祝いが終わった後かね?」
「ええ。あれから少し部屋で休んで酔いを覚ましていたんです。それから夜の八時くらいでしたでしょうか、簾舞から電話があって、少し話がしたいと」
「それはどこで?」
「繁華街にあるキャバクラです。……萩元優香が働いている店ですよ。そこで二時間ほど。わたしは下戸ですが、断われない質ですからね」
「キャバクラがあんたたちが来たことを隠している。おそらくあんたが元ヤクザだということを知っておったんだろう」
「昔のことですし、今は足を洗ってひっそりと暮らしていますよ。それにあなたたちのような警察だって、ひとまとめにした方が管理しすいでしょう」
そう言いながら、今際はうしろを見遣った。
「やはり、感付いていたか」
拓蔵は特に驚いた表情を浮かべなかった。
今際は組の幹部にまでなった男だ。まだまだ未熟な大宮が生半可に気配を消したところで、すぐに勘付かれてしまう。
「黒川さんは、わたしが簾舞を殺した犯人だとでも言いたいんですか?」
「いや、お前さんのアリバイは立証されておる。本当にお前さんが部屋にいたのかどうかだが、わしはお前さんの言うことを信じるよ」
「元ヤクザの口車に乗るおつもりで?」
今際がちいさく、からかうように笑う。
「いんや、お前さんがあの時部下の失態を庇ったことを考えるとな。自分には何の利益にもならないことを平然とやってのける。わしだったらそんな大層なことはできんし、自分の身は守ってしまうがな」
拓蔵がそう言うや、今際はクククと笑った。
「福嗣町の鬼とも云われているあなたがそのような。それに聞きましたよ。かれこれ七年ほど前でしたでしょうか、あなたが自分の立場を弁えず、あの事故の状況を調べていたことを。しかし良かったですな、無事にお二人が戻られて」
「もう解決したことを穿り返すな」
拓蔵は照れ臭そうに言った。
「ということだ。大宮くん、出てきても構わんぞ」
そう言われ、大宮と吉塚が茂みから姿を現す。そして、今際に向かって会釈をした。
「ほう、彼が皐月さんの彼氏ですかな?」
今際は大宮の身体を、それこそ隅々まで凝視する。
「なかなか立派な青年ではないですか。しかしまだ皐月さんは幼いでしょう?」
「もう高校一年だ」
「もうそうなりますか」
大宮に向かって、今際は笑みを浮かべる。
「――あの、今際さんは簾舞とはどのような形で知り合ったんですか?」
と話を切り替えるように大宮が訊ねると、今際はキッと大宮を睨んだ。
先ほどとは明らかに違う空気に、大宮はゴクリと喉を鳴らし、たじろぐ。
「簾舞は、萩元優香をストーキングしていたんですよ」
「ストーキング?」
「それを彼女に相談されてね。それで知り合いの議員に相談して、彼に近づいた」
「少し違うんじゃないか?」
拓蔵がそう云うと、大宮は首をかしげた。「違うって?」
「本当はお前さん、相談される以前から、簾舞が萩元優香をストーキングしていることを知っていたんじゃないか?」
今際は拓蔵に視線を向ける。
「なぜそんなことを?」
「理由は簡単じゃよ。かつての部下である萩元雄一郎の忘れ形見だ。不憫に思ったのと、父親を殺してしまった責任を感じたあんたは、彼女に近寄って、近辺の世話をしていた。粗方こんなところだろうよ」
「……なんでもご存知なんですね」
今際はゆっくりと深呼吸をする。
「あいつは嬉しそうでしたよ。自分に子どもができたことがね。だからわたしは組から足を洗うようにといった。いやでしょう、実の父親が反社会的な職についているというのは」
「だからお前さんは彼がやったことを庇った」
「わたしにはもう家族がおりませんからね。それに古臭いですがわたしは受け取った恩は返すのが礼儀だと思っています。それにあいつには色々と世話になりましたからね」
「萩元雄一郎はいったいなにを? まさか殺人?」
「いや、今だからこそ言えるが、ようするに若いもん同士のいざこざじゃな。もちろん喧嘩両成敗でまったくなんにもならんかったが。その抗争中のさい、組の中心になったのが萩元だったんじゃよ。それを逮捕するためにわしら公安がそれを取り締まろうとした」
「そのさいに、今際さんは自分が指示したといい、萩元を庇ったということですか」
今際は観念したようにうなずいてみせた。
「しかし一番の謎は、彼の突然の自殺だ。今際さん、あんた知っておるんじゃろ? 萩元がどうして息を引き取ったのか」
「言っても信じてもらえんでしょう」
「云わなければ、一生自殺したということになるぞ。いや、それが理解できんかった当時の警察が未熟だったというべきか」
「もしかして、今回発見された萩元優香と同じだったんじゃ?」
大宮の言葉に、今際は喉を鳴らした。その表情は震えている。
「わたしとてばかではない。優香の様子を見れば彼とダブってしまう。だからわたしは彼女が心配だったのだ」
「父娘揃って乳がんだったということか」
「にゅ、乳がん?」
大宮が大声をあげた。女性である優香ならばとにかく、男性である雄一郎がそうだったのかと信じられなかったのである。
「男性の乳がんはかなりのレアケースだがな……、愛くん、あれは持ってきてくれたか?」
拓蔵にそう言われ、、吉塚は懐から手帳を取り出す。
「当時留置所で萩元雄一郎の監視をしていた警官が記した資料によると、萩元雄一郎は亡くなる一週間前ほどから、左胸を抑えていたようです」
「当時まだ乳がんは女性だけのがんだと想われておったからな。それにやつは死期を感じて自殺をしたんだろう」
拓蔵がそう言うと、「だけど、どうして今際さんは娘にも同じ症状があるとわかったんですか? にわか知識しかない僕にだって、男性の乳がんは少ないケースだってのは知ってます」
「わたしも最初はそう思った。しかし雄一郎の死の原因が乳がんによるものだとわかった時、思い出したんだ。あいつも優香と同じように胸を抑えていたことがね」
今際は顔を俯かせる。
「しかし、どうして萩元優香の遺体が、今際さんの所有している山小屋に遺棄されたんでしょうか?」
「今際に罪を擦り付けようとした。ということなら考えられるが、それならばあんな酷いことはするまい」
拓造の言葉を聞くや、今際は拓蔵たちを見る。「酷いことって、彼女は殺されただけじゃないんですか?」
「萩元優香さんの右胸が凍傷によって壊死していたんです」
「み、右胸?」
それを聞くや今際は、それこそ気を失いそうなほどに蒼白する。「大丈夫ですか?」
大宮と吉塚が今際に駆け寄り、声をかける。
「だ、大丈夫です。しかしなぜ彼女はそんなことに? どこか冷凍庫に閉じ込められていたんでしょうか?」
「凍傷していたのは、その右胸だけだったんです。つまり彼女の壊死した右胸は……乳がんを隠すため?」
大宮の言葉に「犯人はそのことを知っていたんだろうな。そしてそれが知られないようにした」
拓蔵が説明をすると、吉塚の携帯が鳴った。
「もしもし……、月光?」
「ちょっとわかったことがあるの。簾舞の死因は薬師如来さまが仰っていた心拍停止による窒息死に間違いはないんだけど、本当の死因は凍傷によって壊死した心の臓が活動を停止したすえに、脳に酸素が行き渡らなくなったというのが正しい死因だったのよ」
「心臓が凍傷で壊死していた?」
吉塚はそのことを大宮たちに報せた。そして携帯をスピーカーモードに切り替える。
「それからバラバラになった手や足から擦り剥いたり、何かにぶつけたような痕があった。おそらく犯人はわざと争った形跡を残したんだと思う」
「……ちょっとまって、わざとって、どういうことですか?」
大宮が慌てふためく。
「あなた達が現場に来る前、鑑識課で周りを調べていたの。そしたら最初と途中で置いてあるパーツの位置が変わっていたりしていたのよ」
「見間違い……ってことはないわな。さすがに」
「それと簾舞の手や足の首が紫に変色していたのも、彼が殺される前から縛られていたということになる」
「殺されたのが夕方だとして、そんな縛られた痕ができるってことは、少なくとも西戸崎刑事たちが簾舞の事務所に行っていたあたりよ? それに簾舞は会議に出ていたはず」
吉塚はそこまで言って、
「つまり、簾舞は最初からいなかった?」
「実際に確認しているわけじゃないから、簾舞が本当に会議に出ていたのかどうかもわからない。犯人はそれを逆手に取ったのよ。おそらく簾舞は監禁されていたんでしょうね。しかも西戸崎くんたちが見落としてしまうような場所に」
見落としてしまうような場所……。
「まさか、事務所にいたんじゃ?」
大宮がそう言うと、
「一番ありえるかもしれないわね。少なくとも、西戸崎くんたちは中に入っていない。というより入れてもらえなかった」
吉塚は西戸崎に連絡を入れる。
「済まんな、今際……。もう少し付き合ってもらうぞ」
拓蔵にそう言われ、今際はちいさくうなずいた。




