壱・エスンケアイカプクル
「あんまり遠くに行ってはダメよ」
母親の声が聞こえ、「はーい」
と、少女は不安そうに、小さな声で返事した。
「ほら、いこう」
その少女に、藁帽子を被ったもう一人の少女が手を差し伸べる。
その手は雪のように白い。
人見知りである少女は、藁帽子の少女の元気な雰囲気に飲まれたのか、ここに来てから、ほとんど彼女と一緒に遊んでいた。
「きょうはね、メムにつれていてあげる」
藁帽子の少女が行き先を告げる。人見知りの少女は、何処に連れていかれるのかはわかっていなかった。
麓の山を下っていく。さすがに育ちが違うせいだろう。
人見知りの少女は、ものの五分で疲れてきていた。
しかし愚痴をこぼしてはいけないと、子ども心に感じており、目的地に着くまで、本音は言わなかった。
「さつきちゃん、そこにつけば、つかれなんてとれちゃうから、もうすこしがまんして」
藁帽子の少女は、自分のうしろを覚束ない足取りで付いてきている皐月に声をかける。
「――うん」
少し暖かいとはいえ、足元は雪が深く積もっている。
皐月は転けないように注意しながら歩いているので、普通の道を歩いている時よりもつかれていた。
「ほら、みえてきたよ」
蓑帽子の少女は立ち止まるや、林の切れ目を指さした。
冷たい空気が風にのって、二人の身体に吹きかかる。
林を抜けた先には、大きな湖が広がっており、一面が厚く凍っていた。
メムとは、アイヌの言葉で湖を指す。
蓑帽子の少女は、凍った湖に足を乗せる。
「だ、だいじょうぶなの?」
皐月は心配そうにたずねる。「だいじょうぶだよ」
蓑帽子の少女は、滑るように、湖の中心へと入っていく。
「わたしなんてかるいから、これくらいでわれたりなんてしないよ」
それを証明するように、蓑帽子の少女はその場ですべったり、跳ねてみせる。
それはまるでフィギュアスケーターのように、華麗であった。
「だ、だいじょうぶかな?」
皐月はゆっくりと足を氷の上に乗せる。
「えっ? うわぁっ!」
足の踏み場が悪かったのか、尻餅をするようにその場で転げてしまう。
「だいじょうぶ? さつきちゃん」
蓑帽子の少女は心配しながらも、笑うように声をかけた。
「うん」
皐月は起き上がり、おしりをさする。
「わたしのてにつかまって」
蓑帽子の少女が皐月の元へとすべっていき、手を差し伸べる。
「ありが……、うわぁっ!」
ぐいっと引っ張られ、皐月は驚いた声をあげる。
「ほら、すべりだすところげにくいよ」
蓑帽子の少女は滑るスピードを早めていく。「あしはあまりうごかさないで、すべらせるようにね」
二人は湖の中心へとやってくる。
「あれ?」
皐月は蓑帽子の少女の肩にちいさな生き物が乗っているのが目に入った。
――こんなのいたっけ?
「コロロロ」
と、その小さな生き物が、まるで蓑帽子の少女に話しかけるように鳴く。
「うん。わたしのともだち」
蓑帽子の少女は、皐月が見えているのが当たり前のように云う。
「えっと、なにそれ?」
「コロロっていうんだ。わたしのたいせつなともだち」
蓑帽子の少女は手を広げた。「ほら、みんなでてきて」
その声に導かれたように、湖の周りに咲いている蕗の葉の下から、少女の肩に乗ったコロロと同じくらいの大きさをした、生き物が姿を現した。
みな、特徴的な模様をしたアットゥシを羽織っている。
「――ラムアプロウパス」
蓑帽子の少女がそう唱えると、風が唸るように吹き出した。
そして、皐月の頬に冷たいなにかがつく。
「ゆき?」
皐月は空を仰いだ。しかし空は青々としている。
それなのに二人の周りで、雪が風に乗って、ゆっくりと降り落ちていく。
「……きれい」
皐月は、ちいさくつぶやいた。
蓑帽子の少女は、ちいさな生き物たちと戯れている。
まるで雪の妖精に見える少女を、皐月はすこし訝しく感じた。
「どうかしたの?」
「ううん」
蓑帽子の少女にたずねられた皐月は、ちいさく首を横に振った。
突然突風が吹き荒れ、皐月と蓑帽子の少女は飛ばされないように、その場に蹲った。
「あっ!」
蓑帽子の少女の肩にしがみついていたコロロが、風で飛ばされていく。
「コロロッ!」
蓑帽子の少女が叫んだ。
「っ!」
咄嗟に動いた皐月が、顔面から滑りこむような形で両手を伸ばした。
「だ、だいじょうぶ?」
蓑帽子の少女が皐月に声をかける。
「コロロロロロ」
コロロは、皐月の頭にちょこんと乗っている。
「だいじょうぶ? さつきちゃん」
「あたまうった」
そりゃぁ、頭から突っ込んだんだから、痛いのは当然だ。
と、蓑帽子の少女は思った。
「ありがとう。さつきちゃん」
「コロロロコロロ」
コロロは皐月の頭を優しく叩く。ありがとうと言っているのだと、皐月は思った。
その時、どちらからともなく、お腹が鳴る音が聞こえた。
「――あっ」
二人同時に声を発する。それがたまらなく可笑しかったのだろう。
二人はその場で大きく笑った。
「そろそろもどろうか?」
「うん」
蓑帽子の少女は皐月の手を引っ張る。
「もうかえっちゃうんだね」
そう言われ、皐月はうつむく。
「またきてね」
「うん、またあそぼう。ノンノ」
その言葉に答えるように、蓑帽子の少女が皐月の方を振り向き、笑みを浮かべた時だった。
ピキッという、なにかが割れる音が聞こえ、二人は固まった。
「な、なに?」
皐月は不安そうに周りを見やる。
「コロロロロロッ!」
ノンノの肩に乗っているコロロが叫んだ。
「さ、さつきちゃん」
ノンノは力いっぱい皐月を湖の外へと押し出す。
「きゃっ!」
皐月はちいさく悲鳴を上げ、湖に残されたノンノを見やった。
「ノンノッ!」
ノンノの足元の氷が、勢いよく割れだす。
「きゃぁああああああああっ!」
ノンノが湖の下へと落ちていく。
「ノンノッ! だいじょうぶ?」
皐月は湖の下を覗きこむように近づく。
「コロロロロッ」
コロロとは違うちいさな生き物が、皐月に声をかける。
「だれか、たすけによべって? そう、いっているの?」
どうしてそう思ったのか、この時の皐月は分からなかった。
ただ、目の前で友達が危険な目に遭っているんだ。それに自分一人じゃ助けられない。
「ノンノ、そこでまってて。だれかたすけにきてもらうから」
皐月はうしろ髪を引っ張られるように、村の方へと走っていった。
必死に村へと戻った皐月は、目の前で作業をしている男を見つけ、
「たすけて、ノンノが」
と、声をかけたが――。
「なんだい? お嬢さん。ノンノがどうかしたのかい?」
男はなにこともないような態度で話を聞く。
「ノンノがみずにおちて……」
「そうかい、そうかい……。それは大変じゃったなぁ」
皐月は不思議でたまらなかった。どうして、必死に助けを求めているのに、心配そうな表情を浮かべてくれないのか。
男は不安な表情を浮かべる皐月の頭に手を乗せる。
「そういえば、お嬢さん。お母さんたちが呼んでいたよ」
――そうだ。おかあさんたちにたすけてもらおう。
そう考え、皐月は母親たちのところへと走っていく。
「そうだ。早く戻ったほうがいい。君は誰とも遊んでいなかったんだ」
男はちいさく、不気味に笑った。
「おかあさん……」
皐月は両親の方へと走っていく。
「あら? 皐月、どこに行っていたの?」
母親である遼子に尋ねられ、皐月は
「ノンノのとこ……」
そう口にした時だった。
――あれ? ノンノってなに? そんなの……しらない。
皐月は怪訝な表情で湖の方を見やる。
そこになにか大切なモノを忘れてきたような、そんな気持ちがしていたが、皐月はそれがなんなのか思い出せなくなっていた。
「ほら、車に乗って」
「さっきニュースでな、近いうちに大雪が降るそうなんだ」
健介が促すように言った。
「う、うん」
皐月はもう一度、湖を見やった。
「どうかしたのか?」
「ううん。なにもないよ」
皐月は、なにこともなかったように笑みを浮かべ、車に乗り出した。
車は走り出し、山を下っていく。
皐月は助手席に座り、雪の坂道を見ていくと、蕗畑が見えてきた。
「コロロロ」
ちいさな声が聞こえ、皐月は声がした方を見る。
「なんだろう……あれ」
それはあのコロロであったが、皐月には捨てられたちいさな人形にしか見えなかった。
「げぇほっ、げほっ!」
湖の下に落ちていたノンノは、男に助けられ、その場で咳き込んでいた。
「あ、ありがとう……さつきちゃんは?」
助けを呼んでいた皐月がいないのが気になり、ノンノは男にたずねる。
「ああ、あの女の子かい? もう帰っちまったよ」
――えっ?
ノンノは信じられない表情で男を見つめる。
「お前さん、あの女の子に見殺しされるところだったんだよ」
男がそう囁く。
「うそ……。さつきちゃんがそんなことするわけない。だって、あのこたちがみえるのは――」
心が優しい人しか見えない。
そうノンノは言いたかった。
「あの子たちとは、アレのことかい?」
男は地面に落ちているものを指さした。
そこには潰されたコロボックルの姿があり、それが死屍累々と積もられている。
「まったく、酷いことをするもんだ。あの女の子は、こいつらを踏み殺したんだぞ?」
男は苦い表情を浮かべる。
「ちがう。さつきちゃんはそんなことしない。だって、じぶんがけがするかもしれないのに、かぜにとばされたコロロをたすけたんだ」
ノンノは震える。水に落ちた冷たさによるものではない。
目の前にいる男が、どういうわけか恐ろしく見えていたのだ。
「東京もんは嘘をつく。君に信じさせるために取った行動だ。だから信じちゃいけねぇ」
男はゆっくりとノンノの耳元に唇を近づけていく。
「お前さんはその女の子に殺されそうになったんだ」
そうだ。もしこの男が来なかったら、自分は殺されていた。
それなら、男が言っていることも合点がいく。
だけど、それでも違うと、ノンノは皐月を信じたかった。




