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姦~魔禍霊噺~  作者: 乙丑
第三話・どうもこうも
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弐・違和感


 福嗣高校の敷地内の片隅にあるプールの横に、小さなコンクリート製の建物がある。

 そこはいってしまえば、水泳時における更衣室なのだが、部屋の中では、女子のかしましい声が響いていた。

「ほぇぁ……」

 希望はそれを、物珍しそうに見やる。

 元々、北海道で暮らしていた希望にとって、この暑さは異常であると同時に、プール自体が珍しいのである。小学生の時はあったが、中学生の時はほとんどなかった。

「どうかしたの?」

 皐月が声をかけた。

 希望はにらむように皐月を見つめ返すと、自分のロッカーへと駆けていった。

 皐月は、小さくためいきをつくと、寂しそうな目で、希望の姿を追う。

「まだ思い出せないの?」

 体操着姿の信乃が声をかけた。皐月は答えるようにうなずく。

「余程根に持ってるってことね。でも、その理由を話してもらわないと、思い出すにも思い出せないんでしょ?」

「こればっかりは自分の力で思い出さないといけない気がする。それに私、小さい時北海道に旅行に行ってるから、その時に会ってるんだと思う」

 皐月は、以前、母親である遼子が見つけたアルバムにあった写真を思い出す。

 その時、一緒に写っていてた少女。その子の名前が、今でも思い出せない。

 おそらく、そこに写っていたのが希望だ。北海道で知り合いなんていないし、彼女以外に思い当たる節もない。

「あなたたち、急いで集まりなさい」

 体育教師の伊佐那(いさな)が外から声をかける。

「っと、早く着替え終わらせないと」

 皐月は、自分のロッカーへと慌てて駆けていった。



「結論から言うと……わからん」

 田原産婦人科の診療室で、田原医師がそう口にした。

「わからないって、どういうことですか?」

 瑠璃が怪訝な目で、田原医師をにらむ。

「わからんからわからんのだ。なにせ、どこも悪くないんじゃからな」

「でも、現に昨日、葉月は歯を痛めていたんですよ」

「それも、その奇っ怪な腫れの原因か、若しくは前兆だったという考えもある。しかしな、歯はどこも悪くないし、念のためレントゲンも撮ってみたが、どこも異常はなかったんじゃよ」

 田原医師はレントゲン写真をホワイトボードに貼ると、バックライトをつけた。

 頬の腫れどころか、歯の骨には異常が見られない。

「たしかにどこも悪くないですね」

「病気以外で考えられるとしたら、葉月ちゃんは何かに取り憑かれてきたということじゃな」

 瑠璃は、隣に座っている葉月を一瞥する。「なにか心当たりはありますか?」

 そう訊かれ、葉月はちいさく首を横に振った。

「葉月ちゃんはあん子らの中で一番霊力が高いし、浮遊霊に取り憑かれやすい」

「つまりその浮遊霊が、今の葉月と同じ症状だった……ということですか?」

「考えられるとしたらな。しかし――」

 田原医師はそう言うと、看護師にノートパソコンを持ってくるように言った。

 数分して、看護師がノートパソコンを持って戻ってくる。

「福嗣町にある病院やクリニックのネットワークに繋げてな、『頬の腫れ 重症』と検索を掛けても、ここ数年、そう言った症状による死亡報告がないんじゃよ」

「それじゃぁ、ほかのところからということでしょうか?」

「浮遊霊だからありえるかもしれないが、しかし――」

 田原医師はそう言いながら、葉月の頬を触れる。

 葉月は痛みで体をピクつかせる。

「ちぃっと我慢しなさいな」

「訶梨帝母、なにかわかりましたか?」

「どうも、引っ掛かるところがあるんじゃよな。言ってしまえば、虫歯で腫れたんじゃなくて、外側から腫れたような感じ……そうじゃろ?」

 田原医師は、机の上に置いてあるメモ用紙を葉月に渡す。口を動かすと痛みが走るため、葉月は今日ほとんど口を動かしていない。

『なんか、強く叩かれたような感じがする』

「虫歯による痛みじゃないってことですか?」

 そう訊かれ、葉月はうなずいた。「葉月ちゃんは取り憑かれた幽霊の痛みも共有してしまうからな。恐らく、殴られて殺された……と考えるべきかな?」

 田原医師がそう言うや、瑠璃は少しばかり考えてから「あなたの力でどうにかできないんですか?」

 と、お願いした。

 今までであったら、三姉妹の長女である弥生が葉月に取り憑いた霊を祓っていたが、今はデザイナー学校に通うために一人暮らしをしていて、神社にはいない。

「出来なくはないがな。少し待ってくれんかな?」

「待つって、こっちは苦しんでいる葉月を見るに耐えかねないんですよ?」

 瑠璃は不安そうな表情で、田原医師をにらんだ。

「元とはいえ、子供を守る地蔵菩薩じゃからな。お前さんの気持ちは、同じ子を守るものとしてわからんわけでもないよ。じゃがな、果たして葉月ちゃんに取り憑いたのが偶然なのか……ということなんじゃよ」

 田原医師の言葉に、瑠璃は首をかしげる。

「偶然ではないとしたら?」

「なにか事件があった。しかも……普通の人間には解決できないこと」

 田原医師はそう言うと、葉月の頬をふたたび、優しく触れた。



「ぷはぁっ!」

 潜水していた皐月が、水中から出てくる。「信乃、タイムは?」

「だいたい一分半くらいかな。てか、皐月って水泳苦手じゃなかった?」

「今でも苦手だよ。息継ぎとか全然ダメ」

 皐月は愚痴をこぼすように言う。

「にしても、役得よね?」

 そう言いながら、信乃はクククと笑った。

「……っ? どう言う意味?」

 皐月は、怪訝な表情で信乃を見る。

「いやさ、今日は生理でこうやって見学してるわけだけども、うちのクラスって結構レベル高いじゃない? 特に皐月なんて、出てるところはしっかり出て……、うぅぼぁさらぁ?」

 信乃が言い切る前に、皐月はプールの水を思いっ切り信乃に掛けた。

「ばかっ!」

 皐月は顔を真っ赤にして、プールの端へと、信乃から離れるように泳いでいった。

「うぅっ、げぇほっ! うわぁビショビショ」

 信乃は、体操服が水で濡れ、不愉快な気持ちになりつつも、ちょっとからかい過ぎたなと、皐月に向かって謝った。

「本当に仲がいいんだね」

 そう聞こえ、信乃は声がした方を見る。

「風花さん?」

 信乃は驚いた表情で希望を見遣った。今まで(だんま)りを決め込まれていたため、こうやってむこうから話されると、それはそれで、何を話せばいいのか分からず、緊張してしまう。

「皐月ちゃんって、普段からああなの?」

「どうかな? 中学の時は学校が違ったからわからないけど、でも初めて会った時から全然変わってなかったわよ」

 希望は、信乃の言葉を聞きながら、「そうか。やっぱり変わらないんだね。自分のことよりも、人のことを優先する」

 そうつぶやくと、希望は逃げるようにその場から離れていった。

「あ、そうだ風花さん……っ?」

 信乃が振り向いた時には、すでに希望の姿はなかった。


 ――だから、だからわたし(クアニ)は、皐月ちゃんのことを今でも信じてるんだと思う。

 まるで水面に落ちた木の葉のように、希望は水面を漂いながら、北海道にいた時には感じられなかった、気が遠くなりそうなほどの暑い日差しを感じていた。

 そして、幼い頃のことを思い出すと、不意に憎悪と、それでも信じたい気持ちに駆られていた。

 ――どうやったら、仲直りできるのかな……?

 そう考えていると、笛が響き渡る。集合の合図だった。



 葉月が何かに取り憑かれる、二日ほど前のことである。

「阿弥陀警部、これどういう()()()ですか?」

 福嗣町の西に外れた場所にある公園の茂みに、阿弥陀や大宮といった、佐々木班の姿があった。

 彼らの眼下には、横たわった女性の姿があった。

「た、助けてください……、たすけ……」

 女性はうわごとのように、目の前にいる阿弥陀たちに助けを請う。

 しかし、大宮はおろか、阿弥陀や湖西主任ですら助けることは、たとえ二人が神仏であろうと、助けることは無理であった。

「通報をしたのは、彼女で間違いないんですかな?」

 阿弥陀が、震えた声で言った。

「多分そうだと思います。彼女のものと思われる携帯がそこに」

 大宮は出来るだけ女性を見なかった。いや見れなかったというべきであろう。

 なぜなら――。


 女性の身体、いや皮が、肉が、骨が、何一つどこにもないのである。

 あるのは、脳、二つの眼球、舌、食道、二つの肺、心臓、肝臓、脾臓、胃袋、小腸、大腸、直腸、膀胱、子宮。そしてそれらを繋ぐ血管のみであった。

 この状態で、どうやって話しているのか。

 大宮も阿弥陀も、目の前の()()が、悪趣味ではあるが、精巧な人形であればどれだけいいものかと思った。

 しかし、五臓六腑が震え鼓動している。――生きているとしか言い様がない。

 それはまるで、活け造りにされた魚のような……。

 女性が本当の意味で息を引き取ったのは、それから一分もかからなかった。


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