伍・山梔子
「何を言ってるんですか?」
福嗣高校から少し離れた丁字路で、高妻の声が響いた。
「あなたが、夫を殺したんですよね?」
「ぶっ、物騒なことを言わないでください」
怪訝な表情を向けながら、高妻は美月を睨む。
「私は知ってるんです。あなたが夫と付き合っていたことくらい」
「し、親しくしていただいていただけです」
そう言いながら、高妻は視線を逸らす。「夫の携帯を見たら、あなたの名前があったんです」
美月は、バックから携帯を取り出した。
運良く、家の中に携帯があったのである。もし枚方が携帯を持って出かけていたとしたら、証拠品として警察に押収されていただろう。
携帯画面の着信履歴に、高妻の名が表示されている。
「それは、工事の打ち合わせを」
「それならそうと言ってください。でも、どうして夫がいなくなった時間に電話があるんですか?」
美月が訴えると、高妻は驚いた表情を浮かべた。
「たしかに電話はしました。ですが、私が最後にしたのは今日の昼頃ですよ?」
高妻はそう言いながら、美月から携帯を取ろうとする。
「何をするんですか?」
「着信があるはずです」
美月は、慌てて携帯の着信を見る。画面には、
『5/** 13・32 090*********』
と表記されていた。
「た、たしかに……今日の日付ですけど、これは一体?」
「実は今日、携帯の電池が切れてしまっていて生徒のを借りました。ただ電話をしましたが留守電でしたのですぐに切ったんです。まさか枚方さんが亡くなっているとは……。それに、枚方さんが事故にあったという昨日の晩、私は知り合いと一緒にいたんです」
高妻はそれを証言してもらうため、友人に電話をかける。
美月は、それを確認すると落胆した。
「ですから、枚方さんが殺された時間、私は公園に行っていないんですよ」
「そうですか……、すみませんでした疑ってしまって」
「いえ……。枚方さんと親しくしていただいてましたし、奥さんに疑われてもおかしくないですよ」
高妻はそう言うと、美月の肩を叩いた。
「それでは、私はまだ仕事がありますから」
高妻はそのまま、学校へと消えていく。小さく舌打ちをしながら……。
「指紋が出なかった?」
大宮と佐々木が見せた反応を、皐月と信乃は見せた。
「そうなんだよ。ガイシャの死因は転落による脳挫傷。不自然な濡れ方も相まって、他殺という考えで動いてる。だけど指紋が一切出てこなかったんだ」
大宮は、瑠璃が用意した茶菓子を食しながら事の件を話していた。
「犯人は指紋がないってことですか?」
瑠璃がそう尋ねると、佐々木が頷いた。
「薬師如来様や日光菩薩様に月光菩薩様も調べに調べた結果ですからね」
「しかし、本来人間にはあるはずなんですがね」
みんなが話しているあいだ、信乃は携帯を弄りだす。
「信乃、先程から思ったんですけど、それはどういう仕組みで動いてるんですか?」
「たしか、指紋を感知して……」
信乃はそう言うと「もしかして、先生指紋がない?」
「なにか、あったのかい?」
大宮が皐月に尋ねる。
「実は今日の昼休み、信乃と図書室で勉強してたんです。その時に高妻っていう先生の携帯が電池切れで使えないってことで、最初信乃の携帯を貸したんですけど」
「動かなかったから、皐月のを借りたんですよ。わたしと携帯の機種というか、機械自体が違いますから」
「なるほどな……。大宮、もしかすると」
佐々木は、視線を大宮に向ける。「ええ、おそらくそうでしょうね」
「なにかわかったんですか?」
「いや、元々枚方と親しい人が学校にいるというのを聞いてね。君たちが会っているかもしれないからそれを聞こうとしたんだが。どうやら無駄足じゃなかったようだ」
「もしかして、殺された枚方さんと、高妻先生がってことですか?」
信乃の言葉に、大宮と佐々木は頷く。
「たしかに、普通じゃないとは思ってたけど」
「でも、引っかかるところがあるよね?」
皐月がそう言うと、「どうかしたんですか?」
「だって、先生の指紋が検出されないのは、信乃のスマホで証明されてるってことでしょ?」
「まぁね、でも普通の人ならあるはずでしょ?」
「とは限らないんですよ。二人とも指紋はどうして出るかわかります?」
そう聞かれ、皐月と信乃は互を見たあと、首を横に振った。
「指先の汗腺が浮き上がった模様と思えばいいんですよ」
「つまり、指紋というのは汗ってことですか?」
大宮がそう尋ねると、瑠璃は頷いた。「汗をかかない人はいますか?」
そう聞かれ、皐月たちは首を横に振る。
「指紋はDNAと一緒ですからね。死ぬまで指紋の形は変わらないと言われています。DNA鑑定が出来なかった昔は、この指紋照合で犯人を特定していたんですよ。ただ、確実にというわけではないので誤認逮捕もありましたが。それに必ずしも取れるとも限らないんですよ」
瑠璃はそう言いながら、「それと高妻という先生を犯人にするのはもう少し調べてからでも可笑しくはないんじゃないですか?」
「そうですね。実を言うと今日は写真を持ってきてないんですよ。まだ事故という考えもあって」
「不自然に濡れてるのにですか?」
「もしかしたら、ガイシャが頭部を冷やしていたかもしれないという考えもあるだろ?」
信乃はそう言われながら、どうも腑に落ちなかった。
「あの、大宮さん? 実はちょっとお話があって」
信乃は鞄から、先日美月から借りたままだったハンカチを取り出す。
「あの時借りたままだったので返せなかったんですけど、ちょっと気になるニオイがあって」
「――ニオイですか?」
「はい。殺された枚方さんの持ち物なので、土や油の臭いもするんですけど、その中に柑橘系の匂いもしたんですよ」
「たしかに、気になりますね」
「石鹸の匂いじゃないの?」
「石鹸とも思ったんだけど、それだったら普通は綺麗なハンカチにしない? 泥や油の臭いが手についたら、せっかく洗った意味がないでしょ?」
信乃はそう言いながら、ハンカチを大宮に渡した。大宮はそれをビニールに入れる。
「急いでいたのかもしれないね。ほら油の臭いを嫌う女性もいるだろうし」
大宮が、何気なくそう言うと……。
「や、やっぱり汗臭いのは嫌ですよね?」
皐月が上目遣いで尋ねる。
「皐月、一応言っておくけど、部活のあとに制汗スプレーしてるから大丈夫」
信乃はそう言いながら、皐月の身体を掻き始める。
「ちょ、やめてってっ!」
皐月は嫌がった表情で、信乃を離す。
「ガイシャと親しかった人物が学校にいたというのが分かったし、今日のところはこれで失礼します」
佐々木はそう言うと、大宮の肩を叩いた。
「あの、忠治くん? 今度はいつ休みが取れますか?」
瑠璃がそう尋ねると、「今回の事件が解決したらと考えてますけど。どうかしたんですか?」
大宮は首をかしげる。「いえ、特に用があるというわけではないので」
瑠璃は笑顔で答えた。
それを見ながら、大宮は怪訝な表情を浮かべながらも、神社をあとにした。
「瑠璃さん、私たちは本堂の方にいるからね」
皐月と信乃も居間から出ていく。一人残った瑠璃は、それを見送ると一息吐くや、思い詰めた表情を浮かべた。
「因達羅……」
そう呟くと、部屋の隅に忍装束の少女が姿を現した。
「昼間、海雪さんから聞いた噂の件、調べてくれましたか?」
「はい。海雪さんの言う通り、現在三種の神器について噂が出回っているようで、そのうちのひとつ、天叢雲剣の行方がわからないとか……。それともう一つ、難陀竜王の行方がわからないと。こちらは珊底羅から聞いた話ですが」
「難陀竜王といえば、観音菩薩が指揮する部隊の廿伍號隊隊長だったはず、行方がわからないとなると、三種の神器以上に話が出るはずですが?」
瑠璃は首をかしげる。
「それが、知っているのは私たち十二神将以上の管理官まででして、まだ各地の地獄や裁判所内には知れ回っていないんです。海雪さんはあくまで脱衣婆という立場ですからね。話を聞いていなかったんでしょう」
因達羅はそう言うと、「それから瑠璃さまが調べて欲しかったことですが、どうも資料がないんです」
「資料がない? 現世での出来事は閻魔王の点鬼簿に書かれているはずですよ?」
点鬼簿には、死者の名前が記されている帳簿のことを言うと同時に、死者が生前何をしていたのか、罪は何なのかを記されている。
瑠璃が調べて欲しかったのは、十二年前突如亡くなった村の人間についてだった。
「村人全員の記入が無かったんです。まるでそこには最初からなかったと云われているとしか」
因達羅も、腑に落ちない表情を浮かべている。
「突如噂が出回りだした三種の神器、行方がわからない難陀竜王、十二年前突如滅びた村……。気になることはたくさんありますけど――」
瑠璃は少しばかり考えてから、「引き続きよろしくお願いします」
と、因達羅にお願いした。
「――御意」
因達羅はそう言うと、静かに姿を消した。
 




