参・眉墨
「信乃さん?」
枚方義文の遺体が発見され、信乃が警察に通報してからのことである。
現場に来たのは、大宮と佐々木であった。「まさか、第一発見者が君とはな」
佐々木は、死体を一瞥する。
「死因は多分転落でしょうね。でも、雨も降ってないのに頭がずぶ濡れになってました」
「遺体に触れたのか?」
「髪型が妙にべちゃけてましたから。それに頭以外に首元も濡れてましたよ」
佐々木はそれを聞きながら、「犯人はどうしてそんなことをしたんかね?」
「わかりませんけど、濡れてる場所的に指紋を消すためじゃないでしょうか?」
信乃はそう言いながら、美月を見やった。彼女は夫の傍から離れようとしない。
警官が検死のために遺体を運ぼうとしているのだが、彼女がそれを阻んでしまい、滞っているのである。
「誰が、誰が夫を殺したんですか?」
美月が懇願するかのように叫んだ。
「まぁ、発見されたのが階段の近く。しかも頭や全身をぶつけているから転落事故にも見えるかもね」
「そうでしょうか?」
大宮の言葉をかき消すように、信乃は言った。「どういうことだい?」
「仮にそうだったとしても、ずぶ濡れの理由にはならないんじゃないんですか? それとも、持っていた水筒か何かをこぼしたのなら、それがないってのはおかしいですよ」
「信乃さんの言う通りじゃな。ガイシャ自らが濡らしたのなら、それが見つからんのはいかんせん可笑しい」
「つまり、事故ではなく殺人ということか?」
大宮の言葉に、信乃は妙な違和感があった。
――そもそも、被害者はどうしてこんなところにいたんだろ? 奥さんの様子だと勝手にいなくなってるって感じだったし……。
信乃は再度美月を見る。青褪めた表情を浮かべている美月の様子からして、彼女が犯人というわけでもなさそうだ。
「済みません、少しお話を聞いてもよろしいでしょうか?」
大宮が、美月に枚方がいなくなった時期を尋ねにいく。
「夫は夕方からいなくなっているんです。夕食の準備をしている時にはいたんですが、いざ食べようとした時、突然いなくなって」
「それは何時頃で?」
「――確か六時を回ったくらいかと」
大宮は腕時計を見やった。針は七時半になろうとしている。
「行方がわからなくなってからそんなに経っていないか」
「ということは、被害者は犯人に会っていたってことですか?」
「そうだろうね。しかしそうなると、いや……」
なんとも歯切れの悪い大宮に、信乃は少しばかりムッとした表情を向けた。
優柔不断でハッキリとしない男は嫌いなタチである。
「なんか言いたそうですけど?」
「いや少し思ったんだけど、ただ足を滑らして転倒したのだとしたら、この公園の階段はここまで転がるとは思えないんだよ」
そう言われ、信乃は階段を見上げた。階段の段差は高さ約十センチ、縦三十センチと緩やかである。
勢いが付けば下まで落ちるだろうが、人間の怪我をしたくないという自己防衛が働き、自然に受身が出る。しかし、自分の体重以上の勢いが出たとしたら……。
「それじゃぁ、やっぱりこれは」
「殺人と考えて間違いないだろうね」
大宮は美月を見やった。そして少し深呼吸をしてから、美月に声をかけた。
「奥さん、ご足労お掛けしますが一緒に来てくれませんか?」
「そ、そんな……! 私が犯人だというんですか?」
「いえ違います。今から旦那さんを警察の方に、事故か殺人かについて色々と調べないといけませんし、それにもう少し詳しいことも」
大宮が穏便に話を進めていく。美月は「わかりました」
といい、大宮に付いていく形で車に乗り、去っていった。
大宮と佐々木を乗せた車を見送りながら、信乃は、あっと声をあげた。
美月から、枚方を探すさいに貸してもらったハンカチを返していなかったことを思い出してのことなのだが、なにより手洗い場で見つけた妙なものを、警察に見せるのを忘れていた。
「なんなんだろ? これ……」
手洗い場で見つけた妙なカケラ。何かの部品だろうか、砂にしては綺麗である。
が、信乃はそのことよりも――。
「大宮さんがしてた時計って、皐月がしてるのと同じメーカーみたいだけど……」
◎
「信乃、昨日はなんか大変だったみたいだね?」
事件があった翌日、学校へと行く途中、皐月にそう聞かれ、信乃は首をかしげた。
「――っ、ああ、昨日学校の工事に来てた人が亡くなったやつか。大宮さん、皐月に電話でもしたの?」
「ううん、電話したのは私のほう。ちょっと気になることがあったからね」
「気になること?」
「ほら、風花さんが昨日『大切なものはなんですか?』っていう質問に対して、『ノンノ』って言ってたでしょ? それでちょっと気になってたんだよ」
「ノンノ……ねぇ。たしかそんな雑誌があったとは思うんだけど、でも訂正した時はお花って言ってたわね」
「つまり、彼女の中ではお花っていうのはノンノって意味じゃないかなって。それで忠治さんに聞いたんだよ」
「それで、なんだって?」
「ノンノっていうのは、アイヌの言葉で『お花』だって」
「アイヌ? まぁ彼女は北海道から来たって言うけど、でもアイヌってそもそも今じゃいるかどうかもわからないし」
信乃は眉唾物を見たかのような表情を浮かべる。
「それよりも皐月、あんたなんで大宮さんと同じ時計してんの?」
そう言いながら、信乃は皐月の右手首を見やった。
「これがどうかしたの?」
その視線に気づき、皐月は右手首に巻いた腕時計を見せる。
「それってさぁ、恋人のいない私に対しての当てつけ?」
信乃はムッとした表情で言う。
「ち、違うって! これは入学祝いにもらったやつ。それに忠治さんからはなにも貰ってないよ。ほんとたまの休日に買い物に付き合ってもらってるだけ」
――そういうことができる間柄を恋人って言うんだけど。
自覚がないのか、そもそも相手が年上だからか、少なくとも皐月は大宮を恋人という意識はしていない。が、信乃は皐月が家族以外で、特に異性に対して心から落ち着いてるのを見るとホッとしていた。
「あれ、そうなの?」
話を戻して、皐月の意外な返答に信乃は戸惑う。
「だってこれ、葵さんがくれたやつだもの」
「葵って……、たしか大宮さんのお母さんだっけ?」
「そんでもって化粧品会社の社長。たまに新作のモニターに化粧品送ってきたりするんだけど、使ってるのほとんどお母さんだもんなぁ。腕時計だって、そのお礼で送ってきたんだと思う」
「でも、大宮さんも同じやつしてたわよ?」
「偶然じゃないかな? 葵さんも似たようなのしてるし、多分取引先の人からもらったんだと思うよ」
「それをあんたに贈るって、親公認で付き合ってるとしか……。まさか、高校卒業したらそのまま結婚。あっ、でも法律じゃぁもう結婚出来るわね」
信乃が、半分揶揄うように言った。皐月の誕生日は五月八日であり、すでに五月も中旬を迎えている。
日本の法律では、男性十八歳以上、女性十六歳以上で結婚することができる。さらに言えば、皐月と大宮は最早親公認に近いものがあった。
「けっ、結婚……」
皐月はカァッと顔を紅潮させ、次第に俯きながら歩き出した。
――ほんと、からかうと面白いくらい可愛いわ。
信乃は皐月に悟られないように笑いを堪えた。
皐月と信乃が教室に入ると、隅の方で人集りが出来ていた。ちょうど、希望の席あたりである。
「なにやってんだろ?」
皐月は自分の机に鞄を置くと、覗き込むように人集りの中を見た。
人集りの中心には希望が自分の席に座っており、机の上には一枚の紙切れが置かれている。
『あ』から『ん』までの五十音。『男』と『女』、『はい』と『いいえ』。
そして極め付けは紙の上部真ん中に鳥居の絵が書かれている。
「これって、コックリさん?」
皐月は少しばかり引いた。
希望は目の前の、紙の上に置かれた十円玉を人差し指で抑えている。
「篠原さんは来週あたり気をつけた方がいいみたいですね」
「どんな感じに?」
篠原は表情を震わせる。
「歩道を歩く時は十分気をつけること」
「車に轢かれるとかじゃない?」
占われた一週間後、篠原は実際に車にぶつかって怪我をした。
しかし、ぶつかったのは三輪車であり、大した怪我はしていない。
これもまた、車といえば車であるため、占いは当たっている。
「ほら、みんな席について」
チャイムが鳴り、教室に担任の笹賀が入ってくる。
希望の机に集っていた女子も、各々の机へと戻っていく。
「ふぅ、ようやく座れる」
「あれ? 茲場くん?」
皐月は自分の横にいる茲場を見やった。「風花が占いが得意って話になってな、それで女子が占ってもらってたみたいなんだよ」
コックリさんは、西洋のテーブル・ターニングという占いの一種が起源と云われており、日本では降霊術のひとつとも言われている。
皐月は、希望の指先あたりを凝視した。ぼんやりと何かが見えるが、皐月は幽霊や、力の弱い妖怪の姿を直視することができない。
――そういえば風花さんって、茲場くんのうしろだっけ?
そう考えながら、皐月は希望を見やった。
「コックリさん、ありがとうございました。お離れ下さい」
希望は別れの挨拶をする。が、十円玉が動かない。
本来なら、十円玉は鳥居へと動き、占いは終了になるのだが、動く気配すらしない。
「コックリさん、ありがとうございました。お離れ下さい」
もう一度言う。しかし十円玉は動かない。
希望は少しばかり顔を俯かせながら、「もう用はないんだから、帰ってくれない?」
そう呟いた時、皐月と信乃は、人のものとも、ましてや妖怪のものとも違う、わけのわからない殺気を感じた。
――なに? 今の……。
皐月は、畏怖するかのように希望を見る。
十円玉は、まるで震えるように、『はい』のところに行き、鳥居へと移動していく。
そして、希望は使った紙を四八枚に切り破り、ゴミ箱へと捨てにいった。
その後、使用した十円玉は自販機に飲み込まれていった。
「はぁ……」
のんびりとした口調で、瑠璃は卓袱台を挟んで対面している海雪の話を聞いていた。
「それが非道いんですよ瑠璃さん。私が死んでから三、四年くらいしか経ってないからまだまだ未熟だって。そりゃぁベテランの脱衣婆からしてみれば、私なんてまだまだ未熟でしょうよ」
海雪は愚痴をこぼしながら、瑠璃が用意したお茶菓子を頬張る。
「それに最近地獄じゃぁ、妙な噂が立ってるって話みたいですし」
「噂ですか?」
「なんでも三種の神器がどうとか」
「三種の神器というと、八咫鏡、天叢雲剣、八尺瓊勾玉でしょうかね?」
瑠璃は思い出すように尋ねる。
「多分そうだと思います。でもそれって地獄に関係あるんですか? 三種の神器って、たしか古事記か日本書紀に出てくる天孫降臨がなんちゃら」
「地獄は今じゃ仏教の方ですからね。神話となると、元のインド神とかになりますけど、でも私たちの方で神器というのは特になかったと思いますよ」
瑠璃はそうじゃなくても、日本は神と仏を一緒にする傾向があり、三種の神器もそれに似た話があると口にした。
「例えばそうですね。天叢雲剣はどうですかね?」
「たしか、天照に地界に突き落とされた須佐之男がヤマタノオロチの体躯から抜き取り、それを天照に奉納したんじゃなかったですかね」
「まぁ、ヤマタノオロチ自体、インド神話が基になってますけどね」
「そうなんですか?」
「考えてもみなさい。そもそもが一卵でしかできない爬虫類の蛇が、頭を八つに分けると思います? 胎内に命を宿す哺乳類の、一卵性双生児の奇形としてなら考えられますけども、卵から生まれる蛇からしてみたら、想像上のものでしかないんですよ」
古事記自体想像みたいなものもある気がするけどなぁと、海雪は思った。
「しかし、たしか剣は蓮華王直々に管理しているはずじゃぁ」
瑠璃は少しばかり唸った。
「蓮華王?」
「蓮華王というのは、千手観音のことをいいますね。まぁ私たちからしてみたら観音菩薩なんですけど。彼には三十三身というものがあって、様々な姿に変えることができるんです。その内の一つに『龍身』というのがありますね」
「龍身――」
海雪は少し考えてから、「もしかしてヤマタノオロチって」
「ええ、彼がモデルになってますね。しかし何故地獄でそのような噂が?」
「話を聞く限りだと、なんでも十二年前、北海道のとある山村が、一夜にして滅ぼされたとか」
「十二年前……」
瑠璃は、以前遼子が持ってきたアルバムのことを思い出す。
「その話、もう少し詳しく調べられませんか? 出来れば因達羅と一緒に」
「瑠璃さんの頼みですから断る理由なんてありませんけど、どうかしたんですか?」
海雪は首をかしげる。瑠璃は少しばかり考えて、「妙な胸騒ぎがするんですよ。どうも先日から引っかかる節があるといいますか……」




