序章・苦海輪廻
*この物語はどうせ作り物です。実際の人物・風景・場所等は何ら一切の関係はございません。また、作中差別的な表現が含まれております事を予めご了承下さい。*
「至極滑稽、実に滑稽」
薄闇の中、嗄れた男の声がこだました。
「うぐぐ……」
その男の足元で、くぐもった声が漏れたが、男がそれを足で、その言葉通り、踏み潰した。
冷たい風が男の頬をかすめる。
群青色の装束の布で覆われた男の目が、赤黒く光った。
殺すことなどなんとも思わない、冷酷な目だ。
「元徳さま……」
元徳と呼ばれた男の背後に、同じように群青色の装束を纏った女性が、元徳に向かってひざまずいて、あらわれた。
「壬申か、あれは見つかったか?」
「いえ……、さすがに本物ともなれば、見つけるのは容易ではないかと」
壬申は、ゆっくりと元徳を見上げた。元徳は静かに壬申を見下ろす。
「やはり、贋物は贋物か」
元徳はうなった。
彼らが探しているのは、かつて壇ノ浦(現在でいう、山口県下関市)にて、源平の決戦が行われたさい、今なお見つかっていない三種の神器の一つである『天叢雲剣』であった。
一緒に水没した勾玉は、箱ごと海の水面に浮かんで発見されている。
現在、三重は伊勢神宮に奉られている剣も、壇ノ浦の戦いにて、安徳天皇とともに沈んでいった剣も、偽造品でしかない。
「元徳さま、やはりあの報せはウソだったのでは?」
壬申がそうたずねる。「たしかにあれがあれば、この苦海を免れることができましょう」
元徳は壬申の言葉を聞きながら、懐剣を取り出した。
樋に数センチ程の鈎が付けられたような、歪な形をした剣である。
「元徳さま、それは?」
「そこの宝物庫で見つけた」
元徳はゆっくりと剣の切先を下に向けた。
「オン・ナンダ・バナンダ・エイ・ソワカ」
真言を唱えると、懐剣は、まるで灼熱の炎で熱したかのように緋く光った。
が、次の瞬間、刃に罅が入り、縦横無尽に飛び散っていく。
「やはり、贋物であったか」
飛び散った刃が、男の頬をかすめる。ツッと血が滴り落ちていく。
「元徳さま……」
壬申が声をかける。「ココにもないようだ。次を探すぞ」
元徳はそう言いながら、踵を返し、その場から立ち去っていった。
どこからか小さく咳き込んだ音が聞こえ、壬申はそちらを見やった。
世界が闇に食われたかのように、月明かりですら照らせないほどである。
――誰かいるの?
壬申はそちらをうかがう。神経を集中させ、気配を探っていく。
角の方で小さな影が見えた。まだ小さく、年端もいかない少女であった。
「どうした?」
「いえ、私の気のせいでした」
壬申はゆっくりと元徳を見やった。
数メートルほど離れて、ふたたびうしろを、先ほど気配を感じた方へと振り返った。
ゆっくりと口を動かす。
――まだ、あなたを殺すにはもったいない。もう少し神代として生きてなさい。
風とともに、元徳と壬申の姿は消えた。
闇に隠れていた少女は、元徳と壬申の気配がなくなったのを確認すると、ゆっくりと路地から出てきた。
周りは薄闇で見えないが、ゆっくりと歩いていくと、そこになにが横たわっているのかがわかっていく。
少女は、ゆっくりと膝をついた。肩を震わせ嗚咽する。
「コロロ……」
手のひらほどの小さな生き物が、少女の肩に攀じ登る。
「コロロ、みんないなくなっちゃったね」
少女は、ちいさくつぶやいた。「どうして、こんな目にあっちゃったんだろうね」
「コロロ……」
コロロは、少女を慰めるように鳴いた。
「大丈夫だよ。わたしはこんなことじゃ負けないよ」
少女はゆっくりと立ち上がった。
彼女の表情は、冷酷で、それでいてなにもかもを諦めたようなものだった。
空を見上げると、雪が降り出していた。それがいつしか豪雪となっていく。
まるで地面に転がった、少女を除いた村人全員の死体を隠すかのように、激しく降り続いている。
少女はゆっくりと、村から離れていった。
それから、十二年の歳月が流れた。
常闇の中に、濃紺色の忍装束を着た少女の姿があった。
彼女の周りには、奇っ怪な姿をした生き物が、大きな口を開いている。
「くけぇけえぇけけけっ、どうした怖気づいたか」
名もない妖怪は、よだれを垂らしながら少女を食らおうとしていた。
「ふぅ……」
少女はためいきをつく。そして――。
「寒風刀――!」
少女がつぶやいたとき、妖怪は、彼女を口に含んでいた。
すると、妖怪のカラダは、まるでシュレッターにかけられた紙のように切り刻まれていく。
「ここにもいないか……」
少女は、ちいさく咳き込んだ。そして空を見上げる。
小さな頃は、綺麗な空と、その比喩通りのおいしい空気しか感じたことがなかった
それがどうだろうか、同じ日本だというのに、ここに来たらまるで空を隠すかのように聳え建った高層ビルに首が痛くなるし、汚染された空気に咳き込んでしまう。
――本当に、あの子に逢えば助けてくれるんだろうか……。
少女は、ゆっくりと歩き出した。
足取りは重たく、目の前に見える案内標識板には、『福嗣町』と書かれていた。