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奥さんと旦那さん  作者: アレナ
本編
3/9

3話

 料理はとても美味しかった。だけど何か物足りなかった。こんなこと初めてだ。今まで何度も旦那さんとは一緒に食事をして、その都度、それがたとえどんな料理でも美味しく感じなかったことはなかったのに。物足りないだなんて、思ったことなかったのに。


 何が原因かもわからないまま、私と旦那さんは帰り道をゆったり歩いている。

「今夜は月がきれいです」

「そうですね」

「満月ですか?」

「あと数日でしょうね」

 他愛もない話をする。これは私たちの日常だったはずなのに、なぜか私は極度に意識してしまっていた。こんな会話でいいのだろうか?

「また食事に行きましょうね」

「今度は私が作ります」

「楽しみにしています。和食がいいですかね」

「わかりました」

 なんだか夫婦の会話みたいになってしまった。今日は離婚記念日だったのに。というか離婚記念日っておかしくないだろうか。私たちはそもそも結婚していない。婚約もしていない。してるのかもしれないけれど、恋人ではなかった。でも、すべてが今日の朝、白紙に戻った。


 ……何を考えているんだろう、私。ぐるぐるぐるぐるする。気持ち悪い。何を後悔しているんだろう。何を、何が?

「大丈夫ですか」

「あんまり」

「休みましょう、そこに公園があります。歩けますか?」

 私の顔色を見たらしい。旦那さんがまたも珍しく心配そうに私を覗き込んで尋ねてきた。いつもなら大丈夫だと答えるはずの私はなぜか今日に限って甘えてしまって、私は旦那さんに肩を抱かれながら(ただしロマンチックには程遠い)公園の中にふらふらした足取りで向かった。


 水を飲み、ベンチに腰かけると少しだけ落ち着いた。

「疲れていたところにワイン数杯でしたからね。悪酔いしたのかもしれません」

「でも、私強いですよ?」

「知っています。だけど、体調などでも変わってきますから」

 あやされるような穏やかな口調で言われて、私はまた落ち着いた。思えば久し振りのお酒だった。最近は仕事が忙しかったし、飲みに行くこともなかった。それになんだか今日はとても飲みたい気分で、つい口に運びすぎてしまったのかもしれない。

「すみません。気づいてあげればよかった」

「私の自業自得ですから、気にしないでください」

 旦那さん、と口に出しかけてすんでのところでとどめた。危ない。この人はもう私の旦那さんではないのだ。

 私はもう、この人の奥さんではないのだ。


「……!」

 気づいたら、視界がものすごくぼやけていた。鼻の奥もツンとする。理解したくはなかったが、私はなぜだか泣いていた。それも号泣だ。近年まれにみる大泣き。こんなに泣いたのは、2年前、近所の家で飼っていた犬のぺスがなくなったとき以来だ。小さなころから可愛がってきたペス。あの時もそういえば旦那さんが隣にいてくれた。

「あ、りがと、う、ご……ざ、ま」

 そしていまみたいにハンカチを準備して無言で待っていてくれたのだ。旦那さんは変わらない。ずっと。ずっと変わらない。

 頭が良くて、静かで、ちょっと唐突だけど丁寧で、誰より優しい。


 そうか。

 なんで私、こんなに悲しいのかわかった。


 いつも旦那さんは私が泣いた理由を聞こうとはしなかった。友達とけんかした日も、大会で負けた日も、祖父の亡くなった日も。

 でもきっとわかってたんだと思う。

 だけど今回ばかりは、何で泣いているのかなんて旦那さんにはわからないはずだ。私だって、今、ようやくわかったのだから。

 私、旦那さんのことが好きだったんだ。


 すべてが終わったその日に気づくだなんて私はなんて間抜けなんだろう、と思ったが、そういえば私は昔から、テスト終了のチャイムと同時に答えを書く欄をひとつずつずらしていることに気づくようなタイプだった。今さらなのだ、結局のところ。


 いつもならハンカチだけ置いてどこかに行ってしまう旦那さんも、今日はずっとそばにいてくれた。ふらふらしている私を置いて帰るなんてできなかったらしい。1時間ほどしてようやく私が(旦那さんにとって)謎の涙を落ち着かせると、旦那さんはぽん、と頭を一つ撫でてくれた。

「落ち着きましたか」

「はい……」

「君が酔ったところなんて久しぶりに見ましたね」

 軽口をたたきながら、くす、と小さく笑う音がした。私は鼻をかんでいて見なかったのだけれど。あぁ、もったいないことをした。もう一度、とリクエストしたら呆れられるだろうか。

「さぁ、それでは帰りましょうか。明日がいくらお休みでも、あまり遅くなるものではないから」

「はい。ご迷惑をおかけしました」

「とんでもない」

 旦那さんは優しい。優しすぎる。多分私のことを、これから先もこうやって、なんでもないような顔でかまってくれるのだろう。旦那さんはそういう人だ。きっと私が結婚するまでそうしてくれるのだ。他の、誰かと。


 彼に送ってもらって家に帰る。次の約束はしなかった。けれど「また連絡しますね」と言われた。しかも、私たちの家は徒歩34秒の近さだ。通信機器を利用しなくても、会える距離にいる。

 リビングにいる母親に「ただいま」と言うと、彼女は目を潤ませながら「おかえり」と言った。視線はテレビの中の女優を見ている。流行りの恋愛ドラマらしい。私は見たことがなかった。

「何、泣いてるの?」

「ヒカリが、ユウヤの幸せを、願って、別れを、ね」

 見たことがないって言ってるのに。そんなことはお構いなしで母はそれまでの経緯を語っている。どうやら今はヒカリがショウコに向かって、恋人と別れた報告をしているらしい。

『未練なんて、あるに決まってるわよ……どうしたらいいの……?』

 ヒカリが問う。

 それに対してショウコが言う。

『そんなの簡単よ。忘れるの。無理やりにね。連絡もとらない。逢わない。だってそうでもしなくちゃ、辛いままじゃない』


 その日から、私の携帯電話は、旦那さんを拒否することになった。



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