仮題
愛する人を失った悲しみは、ときに人を壊してしまいます。
母のあの明るさは、本当に立ち直ったからだったのでしょうか。
タバコ屋の棚の奥で見つけた一箱の煙草。そこに書かれた父の遺言を目にしたとき、私は母の笑顔の裏に隠された、あまりにも残酷な真実を知ることになります――。
※短時間で読めるミステリー風のショートショートです。最後の一行までお楽しみください。
長野県で小さなタバコ屋を営んでおりました。父を5年前に亡くし、一人 寂しくはないかと 私は心配しておりましたが、本人としては 特段 そんなこともないらしく、寧ろ母は常にあっけらかんとしていて、どこかおかしいのかとこちらが心配するほどの様子なので御座います。
母のその明るさは、決して父の死を乗り越えたからではありませんでした。
ある日、私はタバコ屋の棚の奥に、見慣れない「タバコの箱」がひとつ置かれているのに気づきました。銘柄の印字はなく、ただ父の達筆な字で、こう書かれていたのです。
『お前の寂しさを吸う葉っぱ』
不思議に思って問い詰めると、母はいつものあっけらかんとした笑顔のまま、煙草に火をつけました。
「お父さんがね、死ぬ直前に作ってくれたのよ。寂しくなったらこれをひと口吸いなさいって。そうするとね、不思議と悲しさも寂しさも、全部きれいさっぱり消えちゃうの」
母が煙を吐き出すたび、店内に甘く腐敗したような匂いが立ち込めました。
私が息を呑んだのは、その時です。母が笑いながら差し出してきた箱の側面には、小さな文字でびっしりと、父の遺言が付け足されていました。
『ただし、吸いすぎると寂しさだけでなく、人間としての心や記憶まで一緒に燃えて消える。最後に残るのは、空っぽの笑顔だけだ』
母の顔を改めて見つめると、その瞳には何の光も宿っておらず、ただ口元だけが、歪んだ笑顔の形に固定されていました。
「ねえ、あなたも一本吸ってみる?」
母はそう言うと、もう何十本目かもわからない煙草に、楽しそうに火をつけました。
【了】
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
日常の中にふと潜む非日常と、笑顔の裏に隠された恐怖を感じていただけたなら幸いです。
たった一言の遺言から広がるラストの展開に、少しでもヒヤッとしていただけたら嬉しく思います。
また次の短編でお会いしましょう




