夢のように脆い骨
──さりともと思ふ心にはかられて 『雨月物語』
カタカタとあの子の骨が夜泣きして騒ぐのでうるさいと夫が不機嫌になった。
わたしはお腹を撫でさすって、夜泣きを宥めようとするけど、おさまらない。
「もう埋めよう、お墓をつくろう」とまで夫が言い出す。
このままじゃ仕事に支障が出るよ、今だって生活はめちゃくちゃだ、だって。
あんまりにも酷い言い種だわ。
あなたの都合で生まないことに決めたんじゃない、わたしは産みたかったのに。
わたしは産むのを諦めたわ。だけど、この子とは離れたくなかった。
病院で誰かの手に、この子がわたしからぐちゃぐちゃに掻きだされてしまうなんて、とても耐えられることじゃない。
あなたの望みと自分の願いの板挟みになって泣きながら、それでもあなたのためにわたしは解決方法を探したの。
わたし、たくさん泣いて。
たくさんたくさん、この子に謝って。
──それでこの子は聞き分けよくわたしのお腹の中で骨になった。
生きて生まれてくるのを止めて、わたしのそばにいてくれることにしたの。
ねえ辛かったわ、苦しかったわ、この子の肉が腐敗してわたしの中に戻っていくのは。
この子だってそうでしょう。
だというのに、 とてもいい子よ。
動くときもわたしの内臓を傷つけない。
「やっぱり父親にはなれない」ってあなたの希望は通した。
だから、代わりにこの子をわたしの元にずっといさせてくれることに同意したじゃない。
二人の都合を通したはずなのに。
あなたの望んだ結果だけ残して、どうしてわたしの意見は譲らせようとするの?
夫に返答するわたしの声はどうしたって尖る。
夫は前より痩せた顔で哀願する。
元の君が好きなんだ、戻って欲しい。
二人きりでいたとき、幸せだったろ?
理想どおりの君が僕の前に現れて誰に何を言われても世界が輝いて感じられた頃に戻りたいんだ。
ええ、あなたは幸せそうだった、とっても。
わたしはいつもあなたの理想どおりに優しく笑ってきれいでいて、お望みどおりの存在でいたわ。
でも夫の両親には、拒絶された。
彼らはわたしのことを見ようともしなかった。
身を引こうと思ったわ。
自分が否定されて、無いものとして扱われて辛かったの。
わたしの姿は半ば薄れはじめていた。
でも、あなたはわたしを惜しんで最後にはわたしを選んでくれたわね。
ご両親を絶縁して誰にも邪魔されないこの家に越してきてくれた。
そうね、あの時のあなたのことは好きだと思ったわ。
わたしを愛してくれている人だと思った。
なのにわたしを幸せにしたい、 君の望みをなんでもかなえてあげたい って言ったことは嘘っぱちだったのね。
わたしはこの子を、赤ん坊を持つことを望んだわ。
家族三人になるのを待ち望んでいたとき、わたしは色んな未来を考えて幸せではち切れそうだった。
でも、見ているものが違ってしまったの?
どうして、変わってしまったの?
わたしの幸せを分かち合ったままでいてくれなかったの?
それともわたしの望みを叶えたいと言ったあなたはどこかに消えてしまったのかしら?
この子のベビーベットやお洋服を欲しがるわたしにあなたは段々不安そうな顔をしだしたわね。
必死に子どものための体の変化を勉強するわたしが嫌そうだった。
わたしの方が変わってしまった、なんて責め始めるし。
わたしのお腹からこの子を取り出してこの子を埋葬しようと望むなら、あなたと別れます。
できっこないと言うの?
いいえ、できます。
だってあなたがこの子を欲しくないと言ったとき、わたしはこの子と離れることだけは譲らなかった。
あなたは、この子が骨のまま居続けるなんて考えたこともなかった。
すべて、わたしの心が決めたこと。
もう遅いわ。
気づいたのよ、あなたは家族への情なんか一片もなくて自分ばっかり、冷酷で最低だわ。
だれかの嫌なこと、不都合なことは目に入れない。気づかない。
あなたの理想を叶えて上げているわたしの犠牲について何も考えたこともない。
いつもいつも自分に都合のいいことばかり。
あなたの気持ちしか世界に存在してないじゃない。
本当はずっと一人きりの世界にいるのよ、滑稽ね。
言い放ったわたしを夫が殴った。
グニャリ、とわたしは歪んだ。
わたしは顔を陥没させたままにさせて、ただ冷ややかに無言で夫を見つめ返した。
夫は慌てたように、そんなつもりじゃない元に戻って欲しいだけなんだ、と泣きじゃくる。
どうしてこんなことになったんだ。
本当に君が好きだったのに。
「元に戻ってくれ、お願いだ。顔も。君ならすぐに元通りになれるはずなのにっ」
ショックよね、あなたわたしの顔好きだものね。
あなたが好きだった理想の顔。
だからわたしの存在、顔から現れたの。
あなたに微笑みかけた最初の瞬間を覚えているわ。
でも、それを殴ったのね。
自分の最悪さをよく見なさいよ。
完全に見限ったわ。
もうあなたには付き合いきれない。
わたしがあなたの意に添わないことを言えば、こうやって自分が理想だと望んだ顔すら傷つけるんだわ。
わたしの望みを叶えてあげたいと、他でもないあなたがそう言ったのよ。
わたしもこの子も本物じゃない、怖くなったなんて今更喚くの?
本当に中身がないのはただの嘘つきのあなたじゃない。
わたしはあなたの理想だけど、あなたはわたしの理想の夫じゃない。この子の理想の父親でもない。
あなたはわたしとこの子にふさわしくない。
本当にもう、この子と消えるわ。
それで、そうしたの。
夫は髪をかきむしって、わたしたちが消えたことを叫んでた。
そのうち誰かが来て病院に連れて行かれたわ。
ねえ、坊や。
夫のいなくなった家でわたしはそっとお腹を見下ろした。
あなたもいつかわたしを必要としなくなって薄れさせてしまう日が来るのかしら。
それでもわたしはいつまでもあなたが必要で、今あなたとここにいてとても幸せよ。
坊やの骨はすやすやと眠りについて、家はとてもとても静かになった。
〈終〉




