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2話 救いの手

協会の墓地。

姉の名が刻まれた墓標の前で、ロザリーはひとり立ち尽くしていた。

棺はすでに運ばれ、冷たい土の下へと葬られている。蓋が閉じられ、土が落とされていく光景を、ロザリーはただ見つめることしかできなかった。葬送の鐘も鳴り止んで、参列者の気配も消えている。気づけば墓地に残るのは、風に揺れる木々のざわめきだけだった。


空は夕闇に沈みかけていた。西の端にわずかに残る朱が、雲を薄く染め、やがてそれも溶けるように消えていく。

影は長く伸び、墓標の文字さえも闇に飲み込まれつつあった。湿った土の匂いが濃くなり、夜は静かに降りてくる。


それでも、ロザリーの脳裏から離れない。

棺の中で見た、リリアーヌの安らな表情。まるで、深い眠りに落ちただけのようだった。


――自殺、だろうと。


誰もが、そう口にした。

三階にある部屋のテラスからの飛び降り。部屋にはリリアーヌひとりきりで、夜が明けるまで、誰一人として出入りはなかった。

婚約破棄という屈辱と絶望に耐えきれず、追い詰められた末に、自ら命を絶ったのだろう。そう結論づけられた。


けれど、どうしても……ロザリーはその言葉を受け入れられなかった。


「……姉さまは、強い人だったもの」


悪役令嬢と囁かれようとも、冷たい視線を浴びようとも。挫けずに、王太子の婚約者としての務めを果たしてきたリリアーヌ。


(少なくとも、誰にも告げず、ひとりきりで死を選ぶほど、脆い人ではない、……はず。)


「ロザリー嬢」


不意に名を呼ばれ、ロザリーの肩が、ぴくりと震えた。

もう、この場所には自分しかいないはずだった。葬送は終わり、誰もが去ったはずだったのに。


ゆっくりと振り返る。

薄闇の中に、ひとりの青年が立っていた。喪に服した黒衣は夜と溶け合い、その輪郭だけが淡い月光に縁取られている。


「……本日は、ご葬儀にご参列いただき、ありがとうございました。――ルーカス様」


隣国にして大陸随一の大国、ヒュテイア帝国。その第三王子、ルーカス・アルドリックだった。

直接、会話したことはない。けれど、姉――リリアーヌやその婚約者であるアレクシスと穏やかに談笑する姿を、遠目に何度か見たことがある。


夜の色を溶かし込んだような黒髪に、穏やかに細められた黒い瞳。

端正な顔立ちは非の打ちどころがなく、それでいてどこか親しみを覚えさせる。薄い唇には、いつも優しげな微笑が浮かんでいた。

生まれながらの王族に付きまとう威圧や冷たさを感じさせない、穏やかで柔和な雰囲気を纏っていた。

けれど、その微笑の奥に何を秘めているのか……分からない、ミステリアスな魅力を宿す青年だった。


「このたびは、誠に痛ましいこととなりました。心より、お悔やみ申し上げます」


「……いえ」


形式ばった言葉に、ロザリーはそれ以上の返答を見つけられなかった。


「突然のことで……お慰めの言葉も、見つかりません」


短い沈黙が落ちる。

その間に、ロザリーは一度だけ息を整え、問いを差し出した。


「ルーカス様は……姉と、親しかったのですか」


ルーカスは微笑を称えたまま、穏やかに答えた。


「はい。こちらへ遊学した折に。王太子のアレクシス殿に、この国のことを教えていただいていたのですが……リリアーヌ嬢にも、大変お世話になりました。文化や歴史、社会の在り方――ええ、それだけではなくさまざまな話をしました……」


記憶を辿るように、言葉はゆっくりと紡がれる。

どこか懐かしむような声音に、ただ静かに耳を傾ける。


それが追悼なのか、迷いからなのか。

ルーカスは一度、視線を伏せてから、なおも口を開く。


「――このような場で申し上げるべきか、悩みましたが」


しかし、次に続いた声には、迷いはなかった。


「リリアーヌ嬢が、自ら死を選ぶとは……私には、どうしても思えないのです」


覚悟を決めたように、はっきりとルーカスは言った。

けれど確かに、ロザリーの胸の奥を強く打った。

この人は――何かを知っている。そう、直感が告げていた。


「ル……ルーカス様は、なにをご存じなのですか?」


ロザリーの問いに、ルーカスは、意味深く唇をゆるめる。


「まだ、確かな証拠はありません。ですが――」


一瞬、伏せられた睫毛の影が、彼の瞳を暗くした。


「僕は、あの“断罪”の場に居ました。あの裁きには……終始、違和感しかなかった」


涙が、武器のように振るわれ、正義が、免罪符のように使われていた。

まるで演劇めいた、それ。茶番劇でも見ているようだった。


「あなたの姉君は、最初から、“裁かれるための役”を与えられていたように見えた……」


その声音には、奇妙なほどの、怒りが滲んでいた。


「……あの断罪は、誰かの罠だった。姉は、誰かに罪を着せられた……とお考えなのですか? つまり……」


胸の奥に込み上げるものを飲み下すように、ロザリーの喉がこくりと小さく鳴る。


「わたしの姉は、悪役令嬢ではなかった、と?」


「はい。……だから」


殿下は、わたしをまっすぐに射抜く。


「僕は、あなたに、協力したい」


「なぜ……」


思わず、問いが零れる。


「なぜ、そこまで、わたしたちに?」


短い沈黙。

その隙間に、彼の瞳の奥に沈む、言葉にならない影が見えた。


「……あなたが、泣いていたからです」


はっと、息が詰まる。


先ほどの葬儀で、ロザリーは一度も声を上げなかった。

溢れる涙を押し殺し、唇を噛みしめ、俯いて――必死に、平静を装っていたはずだったのに。

それでも、殿下は、見抜いていた。


大きな瞳から、ぽろりと零れ落ちた涙。たったほんの一瞬を、彼は決して見逃さなかったのだ。


「わ、わたしは……泣いてなんて……」


慌てて、赤く滲んだ目元を手で隠す。

その仕草が、かえって、すべてを白状していることにも気づかずに。


「僕は、あの場で、あなたを、見ていました」


それは、まるで愛の告白のようだった。

ロザリーを真っ直ぐに射抜くその瞳は、逃げ場を与えないほど揺るぎない。

視線が絡んだ瞬間、胸の奥に小さな火が灯る。彼の視線は、確かに熱を帯びていて、視線を通して、その熱が移ったかのようだった。

ロザリーの鼓動は、ひときわ強く打ち鳴らされた。


「その姿に……どうしようもなく、心を揺さぶられたのです。あなたの力になりたい」


言葉の余韻を残したまま、ルーカスはそっと手を差し出した。


その掌の温度は、

あまりにも、優しくて――


――だからこそ、怖い。


どうしてだろう。この手を取れば、

もう、戻れない場所へ踏み出すことになる気がした。


それでも。


ロザリーは、

その手を、確かに、握り返していた。


「……ありがとうございます、ルーカス様」


そして、震える声で、願う。


「どうか――姉の悪名を、晴らすために。お力を、お貸しくださいませ」


その手を離すつもりはないと告げるように、殿下は低く息を落とすように笑みを含ませた。

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