心臓に眠る君の嘘-blood memory-
「卒業式に第二ボタンを渡す意味、知ってる?心臓に一番近いから、なんだって」
卒業式の日。彼女はそう告げて不敵に笑うと、はやるように続けた。
「不思議だよね。大切な人のためなら、自分の心臓すらも渡せちゃう。他にも、人の臓器を食べると、その人と一緒になれる……という言い伝えもあるんだよ。心臓──引いては血って人そのものってことなんだろうね」
「何が言いたいんだ?」
「私は君が好きってことだよ」
「なおさら、訳が分からないな」
彼女は俺に向き合う。
「私はね、君が犯した罪も、豪も、全部一緒に背負って地獄に落ちたっていいんだよ。愛っていうのは、そういうことじゃないかな」
こつん。彼女の指先が第二ボタンに重なる。
「だから、私は君の心臓をたべたい」
そして慈しむようにそう告げた。桜の花びらが舞い、風に散る。
「……それは、無理な話だな」
「そっか、なら仕方ない」
彼女は俺に断られたことなんて気にせず、飄々とした様子だった。まるで今のは冗談だとも思えるような仕草で。
「第一、《《吸血鬼》》のお前は、血を吸うのが仕事だろ」
「好きな人のためなら、イレギュラーもしたいのが女の性だよ」
俺は今のところ死ぬ気はないし、彼女と肉体的に一緒になりたいとは思わない。大体そんな話は荒唐無稽で信じられない。
「今はその気がなくとも、救われる覚悟ができたらすぐに伝えてね。いつでもどこでも駆けつけるから。そして──君を殺して、その心臓を抉り出して、食べてあげる」
人を救う人間の発言とは思えないほど物騒な言い様だった。その目つきはとても優しくて、残酷なほどに冷たい。
「死は救済、ってことでいいのか?」
「ちょっと違う。あなたが死ぬことで私が罪を肩代わりするって感じかな。もともと君は、私のために罪を犯してくれたんだしね」
「心臓を食べる……か。そんなことで俺の罪が消えるのか?」
その言葉に、彼女はクスっと笑う。
「少なくとも人間世界の法で裁かれる前提ならば、妥当だと思うけどね。心臓を食べられる=死ぬってことだもん。そうでしょ、死刑囚君?」
「死刑囚か。まあ確かに、罪状的には死刑でもおかしくないのかもな。……なあ、1人殺しただけでも死刑になるのか?」
「計画性とか凶悪性で変わるよ」
「じゃあ、俺は死刑……なのか?」
「ねえ、やっぱり《《覚えてないの》》?」
「そうだな。俺が覚えてるのは、あの人を殺すと決めたこと。そしてあの人を手にかけたこと。《《それは間違いない》》けど、その前後は曖昧だ」
「んー、人間の防衛本能って奴じゃない?嫌な記憶は無意識の内に見て見ぬふりをしちゃうんだよ。《《そうでもしないと壊れちゃうし》》」
「……最悪だよな。人を殺しておいて、その事を覚えていないなんて」
「もう、そんな言い方しないでよ。少なくとも、私は君に救われてるんだよ。あの日──君が私の母親を殺してくれたから」
途端、息が詰まって言葉が出なくなる。
「……ごめん、その話はやめてくれないか」
その事実には向き合いたくないし、考えたくはない。
「ううん、やめない。私、母親の事大っ嫌いだったんだ。《《殺してしまいたいほどに》》。私が吸血鬼になったのをどうしても許してくれなくてさ。気が狂いそうだったよ」
きっと俺には想像もできないような、残酷な日々だったのだろう。そんなことは容易に想像できるのに、彼女はそんな素振りを見せなかった。
「だから君がやったことは間違ってるとは思わないし、感謝もしている。だって、私が吸血鬼として生きてもいいって思えたのは、君のおかげなんだから」
「……俺に恩義を感じてくれるのは有難いけどさ、どれだけ御託並べても人殺しは人殺しなんだよ」
どうして人を殺した俺が逃れられているのか、理由は分からない。気づけば俺が殺した死体は消えていて、後には何事もなかったのような彼女の部屋が残されていた。彼女曰く、ちょっとした吸血鬼の能力だよ、とのことらしい。きっと理解できないだろうと思ったし、理解できたところでどうだっていいから、俺は考えるのをやめた。
「お前がどう思おうと俺が俺を許す気はない。あの人を殺したのだって、成り行きみたいなもんだしな。俺にとっては、生きてるだけで地獄同然。お前に歩かせるわけにはいかないんだ」
「普通の人は《《成り行きで誰かを殺すなんてしないと思うけどね》》」
「好き好んで吸血鬼の隣にいる時点で、普通の人間ではないと思うんだが」
「ふーん。まぁ、殺してしまうくらい私の事を想ってくれた……って解釈しておこうかな」
彼女はそっと呟くと、ポンと手を叩く。
「そうだ、今日の夜空いてない?」
「空いてるよ」
彼女はその言葉に、にやりと微笑んで続ける。
「今日も教えてあげるよ。闇に紛れる吸血鬼の夜ってものを」
~~
俺は、彼女の部屋に訪れていた。簡素な部屋だ。生活感はあるけど、そこに住んでる人の好みがまるで分からない不思議な空間。俺が彼女の母親を殺した部屋だ。
本当のことを言うと、来る度にあの夜がフラッシュバックするからあまり居心地の良い場所ではない。部屋の隅に置かれた《《母親の遺影》》が目に入るたび、罪悪感が刺激される。いつ来てもそれは、綺麗に整頓されていた。
「さぁ、始めようか。吸血鬼の馴れ合いを」
そう言うと、彼女は俺の上着をそっと脱がす。そして俺に抱きつくと露わになった首筋に、きゅうっと嚙みついた。小麦色の肌に、じわりと血がにじむ。痛みはそこまでない。むしろ、彼女に必要とされるこの瞬間は、生きてて良いって肯定されてるみたいで、痛みすらも心地が良かった。
「相変わらず、君の血は美味しいね。他の人の血はもう考えられないよ」
「そりゃどうも」
「大好き」
「知ってる」
「……もうちょっと照れてくれてもいいのに」
「ならもっと俺をドキドキさせれるように頑張ってくれ」
「ねえ、いい加減私たち付き合おうよ。もう付き合ってるのと変わらないって」
「それは無理な話だ。お前と付き合うと、俺が救われてしまう」
「そんなこと気にしなくてもいいってずっと言ってるよね。この意地っ張り!こんなにしょっちゅう絡み合ってるのに!」
「いやらしい言い方をするな。俺はお前を吸血鬼にした責任を取ってるだけだ」
「はあ、面倒くさい男。でもそんなところも好きだよ」
「はいはい」
「せめてチューだけでもしない?」
「やめとく」
「興奮しちゃうから?」
「倫理的にアウトだからだよ。付き合ってもない女とキスなんて」
「え~、つまんないの」
彼女は俺の背中に回していた腕を解く。
「あのさぁ、救われる気がないとして、いっそ開き直る気はない?だって証拠は何もないんだし。気にする必要なんてどこにもないよ」
「それもないよ。罪を背負って歩くことが俺の生きる理由だから」
そう言うと彼女は少しだけ黙った。危険物に触るかのように繊細に言葉を紡ぐ。
「生きる理由……ね」
「何だよ、何か言いたいのか」
「そんなの、今さらじゃない?」
その声色は、いつもと明らかに違っていた。彼女の瞳が何かを問いかけている。理由も分からないまま小さく頷くと、彼女は不完全な笑みを浮かべた。この先を聞いてよかったのか、それは今でも分からない。
「そっか」
彼女はほんの一瞬だけ言葉を詰まらせて、俺から視線をそらした。
「……ごめんね」
それが、誰に向けた言葉だったのかは分からなかった。
途端、彼女の唇が俺の唇の触れた。柔らかい。そして──懐かしい。きっとこれは初めてじゃないってことが本能的に分かった。
なのに、舌に広がったのは、甘さや切なさなんかじゃない。それは、知っているものとは異なる鉄の味。
──────血だ。
その瞬間、頭の奥にノイズが走った。視界が反転し、世界がモノクロに染まる。そして知らないはずの光景が、次々と重なっていく。
それは映像じゃない。感情の温度ごと流れ込んでくる、血の記憶だった。
誰かの記憶か、はたまた俺の記憶か。その判別すらも分からない。その全てが見たことあって、見覚えがない。
「私はね、君の生きる理由を、もう全部もらってるんだ」
彼女の言ってることの意味が分からなかった。生きることが自分への最大の罰だから──そう信じていたはずなのに。脳内から沸き立つ記憶がそれを否定していた。
「実を言うとね、心臓を食べて救ってあげる、なんて嘘だよ。ハナからそんな気なんてなかった」
「どう…して…?」
「だって君は本来の地獄よりずっと楽な道を歩いてるんだよ。それが君にとって良いのか悪いのかは置いといて。人によっては、それを救いと呼ぶんだろうね」
信じられなかった。それでも、彼女が嘘をついてるようには到底見えなかった。
「もしかすると君は正気ですらいられなかったんじゃないかな。ただ苦しむだけの日々でね」
彼女の声は飄々としていた。いつものように。まるで何気ない日常を紡ぐように。
「だから記憶も苦しみも、なくなってたのかもしれないね」
「そんなことが……」
「あるんだよ。もしかしたら、心臓を食べてその人と一体化できるんだから、血を吸った時に記憶も奪っちゃったのかも」
ダメだ。思い出せそうで何も思い出せない。古い映像を無理やり再生したような、荒いノイズが画面を埋め尽くしていた。脳の奥から無理やりディスクを再生しようとするたびに、エラーが発生する。
一息だけ間を置いて、彼女は続けた。
「ねえ、君は私の母を殺したのは成り行き、と言ったよね。本当にそうかな?大体さ、死体があるのに、それを吸血鬼の不思議な力でなかったことに出来ると思う?」
成り行き──────その言葉が何故か胸の奥で引っかかった。
いや、違う。成り行きじゃない……計画的犯行……?その言葉がよぎった瞬間、記憶が一瞬だけフラッシュバックした。
あの日の出来事だ。曖昧になっていたはずの記憶が頭の奥から蘇る。
俺はあの人の腹を刺した。何度も包丁を振り下ろして、頭蓋を砕いた。他人の生を無理矢理凌辱しているような不快な感覚だ。身体の底から吐き気がこみ上げてくる。
しばらく時が経ち、あの人は死んでいた。まじまじと見なくても、俺が殺したと分かった。そして────彼女は血まみれの母親に、泣きながら抱きついていた。
「思い出せないでしょ。思い出さなくていいよ」
そう言うと、彼女は俺の目をそっと手で覆った。息ができない。身体が熱い。目を背けてしまいたい。けど、目を背けることすらできない。もう俺の目はあってないようなものだから。
先ほどの記憶はもう靄がかかってる。けど、これはどうしても聞きたかった。
「なぁ、なんでお前はあれほど憎んでいた母が死んだとき泣いたんだ?」
「……っ!?何で……」
彼女は苛ついたように、壁を叩いた。まだ記憶が残ってたの……?と動揺したように呟く。
「……ねぇ、そんなこと考えてもしょうがないでしょ。どうせ理解できないだろうし、理解できたところでどうだっていい。君は救われてるんだから、それを享受しなよ」
「それで納得できるかよ。なあ……今のお前は、本当のお前か?それとも、防衛本能で身を守るために、嘘で塗り固めた姿か?」
「君は真実が分からないんだから、信じたい方を信じなよ」
諦めきったような言葉だった。俺はもう、彼女を否定することも断罪することも、ましてや救いを求めることもできなかった。
「本当に救いが必要なのは俺だったのか?お前じゃなかったのか?」
俺の言葉に対して、彼女は何も言わなかった。
俺は震えたままの彼女の手を取った。
窓から見える夜桜は、いつもよりずっと、赤く染まっているように見えた。
彼女は俺に何かを隠している。けれど、それは自分の利益のためじゃなくて、俺と彼女が向き合うにはあまりにも重いものだからかもしれない。
俺は愛しい彼女をそっと抱きしめた。ひょっとすると俺はとっくの昔に、彼女の存在に救われていたのかもしれない。
記憶がなくとも、彼女を愛していたこと、そして今も愛しているのは変わらない。
「華奈美」
俺は愛する人の名前を呼んだ。
「俺が華奈美の罪も、豪も、全部一緒に背負うよ。愛っていうのは、そういうものじゃないのか?」
「───!」
顔は見えなかったけど、華奈美は泣いていたと思う。彼女に触れようとした次の瞬間───首筋に痛みが走った。彼女はきゅうっ、と噛みつき俺の血を啜っていた。
「救われるのは、君一人で充分」
噛みつく力は、涙を堪えるみたいに震えていた。
「……ねぇ、私は君が壊れたままの方が楽に生きられたのかな?」
その言葉だけが最後に聞こえ、俺の意識は遠くなっていった。




