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たけしのちょうせんじょう

作者: 浅居りむ



 ニュース曰く、今年は例年よりも猛暑が続くらしい。

 確か去年も一昨年も聞いたような文句だが、どのみち暑いものは暑い。

 ……こうも暑いと、毎年最高気温を更新していたとしてもさして驚かない。

 そんな真夏の正午過ぎ、雲ひとつない炎天下。

 幹久はとある建物の前で大いに迷っていた。

 太陽が真上にあがるにつれて、気温も午前より上がってきているだろう。ジリジリとアスファルトからの照り返しも加わって、肌が炙られてゆく様な感覚だ。そのような中で正常な判断ができるとは、幹久自身も思ってはいない。

 けれども、だ。


「……どうなんだろうなあ、これ」

 昭和の雰囲気が漂う木枠のガラス戸に貼られた張り紙を見て、何度目かの呟きは──蝉の大合唱に掻き消された。



【お手伝いさん募集】

条件:

できれば住み込み

細かいことを気にしない、身体が丈夫な方


アットホームな職場です



 大雑把にも程がある、手書きの張り紙。

 連絡先も場所も給与額さえ何も書いていない。貼られている場所は、一応それっぽい店のガラス戸なので、此処で働ける人を募集しているという事だろう。しかも住み込みで。

 胡散臭いを通り越して、余りにも大味過ぎるので、普通ならば気にもしなかっただろう。気に留めたとしても、精々が「今どきこの求人は無いわ」と一蹴して終わるに違いない。もしくはネタとしてSNSにあげる位か。

 だが幹久は今まさに求職中であった。しかも、街のあちこちにある求人の張り紙を探そうとぶらついていた為、運悪く? これが目に止まってしまった。結果、汗を滝のように流しながらも立ち止まって考え込む羽目となっていた。


 取り敢えずは、と。

 店構えを見ようと道路を渡って、反対車線の道から眺めることにする。


 都心から普通電車で1時間。

 なんとなく降りた駅から大通り沿いを歩き始めて、10分少しの場所である。物凄く便利と言うわけでもないが、不便でもない。ここまで歩いてきた道路沿いにも色んな店が点在しており、住みやすそうな街だなという印象だった。車通りは幹線道路程ではないが、結構走っている方だと思う。道路を渡って振り返ると、木造の店舗が視界に収まった。


 まず気になったのは、屋根に掲げられている古臭い木製の看板。『やうぼき』と書かれている。一瞬何かの呪文か外国語をひらがなにしたのか? とも思ったが、昔の看板やらは右から読むと、何かで見たのを思い出した。ということは響き的にも『きぼうや』と読むのだろう。

 先程貼り紙を見た後。外から店内を見える範囲で伺ってみたが、扱っている物が雑多で田舎の何でも屋さんというのが一番ニュアンス的に合っているのかもしれない。こうして全体を目に収めると、懐かしい感じはする。

 30代に足を踏み入れた幹久より上の世帯──昭和生まれの人ならば、もっと懐かしさを感じるのだろう。だが商店街に行く機会も無く、菓子や文具を買うのはもっぱらスーパーか100円均一。商業ビルや大型ショッピングモールの中で、走り回って成長した平成生まれの幹久にとっては、抱いた感情は懐かしさというよりも、憧れに似た感情の方が近い気がした。

 身も蓋もない例えだが、某国民的アニメの女の子が丸メガネの友達とよく通う雑貨屋そのものだ。


 貼り紙が異常だったので警戒はしたが、特に胡散臭い店構えでもないし、別段怪しい雰囲気は無い。寧ろ暑いので、飲み物が売っていたら買おう、とすら今は思った。

 実際入ってみれば、なんのことはない。ただのおばあちゃんが経営している店なのかもしれない。

 勝手な想像ではあるが、そんなことを考えながら再度道路を渡り──店の前へと戻ると、幹久は引き戸に手を掛けた。



 ガラガラと引き戸を開ける。

 想像よりも大きな音で嵌め込まれたガラスと木枠がガタガタと鳴り、振動が腕に響いた。

 店内に一歩足を踏み入れると、外の暑さから一転して涼しい空気が幹久の身体を包む。エアコンを効かせているのだろうが、汗をかいた身体には少し留まっているだけで寒くなりそうだ。冷気を外に逃さないよう、後ろ手で戸を閉めた後で幹久は声を出した。

「すみません」

 返事は無い。

 外で鳴いていた蝉のやかましさが嘘みたいに、店内は静かだ。耳を澄ませば、ブーンという冷蔵ショーケースの駆動音まで聞こえる。

「あのー、すいませーん!」

 もう一度、今度はさらに声を張ってみる。


「はーい」

 済ました耳が小さい声を捉えた。

「少しお待ちくださーい」

 幹久が立っている入口から反対側、つまりは店の奥から声は聞こえてきた。所用でたまたま離れていたのだろう。子供時代にお使いで通っていた、たばこ屋のばあちゃんが確かそんな感じで、店先にいないことがままあったと思い出す。個人商店だとよくあるのかもしれない。

 しかし、少しってどれくらいだ? 不用心じゃないのか?

 併せて、返ってきた声が想像していたものと掛け離れて、可愛らしい声だったのには驚いた。少し待てと言われた以上、こちらとしては相手が来るまで待つしか無いので。幹久は店内を見渡す事にした。


 外から伺った時には薄暗く感じたが、店内にもしっかり電気がついている。売り物として想像した通り、駄菓子や雑貨、文房具などが綺麗に陳列されていた。

 奥には小さいカウンターとレジ。廊下を挟んで隣にある冷蔵ケースに入った色とりどりのジュースとアイスケースは、胸の奥に眠る懐かしさを駆り立たせる組み合わせだ。

 アイスケースを覗き込んで、懐かしさに心躍らせたりもするが。一通り商品を見終わっても、まだ声の主が店に出てくる気配は訪れない。

 流石に遅いんじゃないか……本当に大丈夫か? と不安に駆られた時に、もう一度声が聞こえてきた。


「ごめんなさい! やっぱりこっちまで来てくださいー!」

 こっち、ってどこだよ……と思いつつ、幹久はカウンターと冷蔵ケースの間にある隙間へと視線を向ける。コンクリートの床は細い廊下へと続いており、奥には開きっぱなしの勝手口が見えた。声の主が言う「こっち」とは恐らく勝手口の先だろう。躊躇いが生じるも、来いと言われた以上は仕方ない。

 身長が高く体躯も良いため、ぶつかったり頭を打たない様に細心の注意を払いながら、幹久は声の主に導かれるまま勝手口を通り──裏庭の先にあった大きな蔵へと足を踏み入れた。


 蔵へと向かう間にも声はしており、最初は「こっち」から次に「はやくはやく」となり、恐る恐る勝手口をくぐった時には「……もうだめ」と、何やら物騒な言葉になったので慌てて蔵へと飛び込んだのだが。

 店内と違って明かりも見当たらなかったので、一歩踏み込んだ瞬間には暗闇しか見えなかった。暗闇にまだ目は慣れないが、呻く声が聞こえる方へと慎重に足を進める。薄暗さに辛うじて目が慣れると、数歩先に人影が見えた。

 どうやら積み上げている何かの箱がずれたらしく、腕を伸ばして支えてるようだ。苦しそうな声が聞こえる。

 隣まで近寄った幹久が腕を伸ばして代わりに支えると、苦しそうな声は止まった。

「このまま押し込んじゃっていいです?」

「……はい」

 箱を両腕で押し込む幹久の胸元あたりから、安堵の声が聞こえた。ふわり、といい匂いが鼻腔をくすぐる。

 それは何処か懐かしいような、ほっとするような、初めての筈だが初めてじゃないような──計形容し難い、幸せな匂いだった。



「助かりました」

 共に店内へと戻る女性の背中を幹久は眺めていたが、随分と小柄な女性だなと思った。店に戻るなり、こちらを振り返って頭を下げる。

「本当に有難うございました」

 怪我がなくて良かったです。そう返そうと思ったが、顔を上げた女性と目が合って幹久は言葉を失う。

 蔵の中では暗かったし、出た後も幹久の前を歩いていたので、顔は殆ど見えなかったが……幹久を見上げて笑顔を浮かべている女性は、大層な美人だった。

 肩まで伸びた綺麗な黒髪と可愛らしい声だなという程度の印象だったのだが、そこに大きな目と整った顔立ちが加わったことで、心拍数が唐突に狂って大乱舞を始める。

 ──要は超絶美人を前に、幹久は挙動不審に陥ってしまったのだ。

「あ、いえ……」

「初めて来てくださったお客さんなのに、お手伝いさせちゃってすみませんでした」

 初めてじゃなかったらいいのかよ。と、反射的に胸中で突っ込んでしまったが、幾分か動揺していた心が落ち着く。

「えっと、表の張り紙──お手伝い募集、ってやつを見たんですけど……」

 やや声が緊張で上擦りながらも、幹久は本来の目的を告げると、女性の顔が輝いた。

「あら! アレ見てくださったんですか」

 ばあちゃんどころか、女優並みの美人とは思わなかったが、表情から察するに表の貼り紙を書いたのはこの人で違い無いのだろう。

「住み込みできます?」

「そ、そちらが大丈夫でしたら……」

 寧ろこちらの方が、住み込みして良いんですか?と思うのだが、それは敢えて口に出さないでおく。

「身体は丈夫ですか? 重たいものを持ったり、運んだりとか」

「今年初めに行った健康検査は問題無し。丈夫さもそこまで無茶苦茶なものでなければ、見てもらっての通り頑丈な方です。前の職場が力仕事だったので……一応、ご期待には添えるかと」

「いいですね、とても有り難いです」

 元々身体は頑丈で、これだけが取り柄のようなものだ。それこそ胡散臭い話で、募集しているのが何やら物騒な類の仕事ならば役立つのかどうかは怪しいが。

「では──最後の確認、これが一番大切な事です」

 それまで笑顔を浮かべていた女性だったが、少し正した口調で幹久に訪ねた。


「細かい事は気にしない方でしょうか?」

 出た、怪しい文言。

 よく分からず頭に引っかかった一文が、これだ。

「どの程度が細かい事なんでしょう……って言ったら細かいかもですが。それが分からない以上なんとも」

「確かに、そうですよね」

「失礼ながら条件が良くとも闇バイトとかだと、事が起きた後では知らぬ存ぜぬでは通りません。しっかり確認させてください」

 疑ってしまい申し訳ないが、美人さんで釣る特殊詐欺バイトの可能性もなくは無い。給与も書いていなかったし、特に住み込みの箇所が怪しい。

「やみばいと?かどうかはわかりませんが、ウチは他のお店と違うところが少々ありまして……」

 なんと説明すればよいのでしょう、と小首を傾げて彼女はうーんと唸る。その曖昧な物言いに一瞬、身構えた幹久の表情には気付いていないようだ。それにしても──いちいち可愛い仕草をする人だな、と今にも緊張を解いて魅入ってしまいそうになるが、まだ油断はできない。

 幹久の出した質問に少しの間うーん、と考え込んでいた女性であったが。漸くなにかを閃いたらしく、視線が上がって再び明るい顔になった。

「丁度、いい感じのお客様がいらっしゃいました」

 続いて「いらっしゃいませ」と笑顔で告げる。女性の視線を追って幹久が振り向くと、店の中に立っている半透明の男と目が合った。

 歳の頃は40代半ばだろうか? 色彩がない半透明なので色はわからないが、スーツ姿でこちらを眺める表情は無表情だ。


 い……い、かんじ??

 何度か瞬きして目を瞑る。3つ数えて目を開けてみたが、男は消えるどころか幹久の目の前にいた。因みに、足音は聞いていない。

「これ、下さい」

 幹久は男が差し出したものに視線を向ける。それは昔のテレビゲームのカセットだった。鮮やかな橙色のカセットにカラフルなタイトルのシール。だが、気になったのはその下。カセットには文字が書かれている。

『5-2 まえだたけし』

 5年生なのに平仮名で名前を書くのか、と斜め上の突っ込みを思わず胸中でしたことを反省する。違う、そうじゃ無い。何なんだ? この客にこの商品は?

 思考が次々と湧き上がる疑問で塗り潰されてゆく幹久の隣で、女性はさも当たり前のように接客を行っている。

「はい、有難う御座います」

 何だこの光景は? 現状に理解が追いつかない。

「──とまあ、」

 顔色一つ変えることなく、平然とレジを操作してやり取りを終えた後。カウンターを挟んで女性は、にっこりと幹久に笑い掛けた。受け取った五千円札をレジの下皿に入れて閉じる。ガチャン、と中で小銭が踊る音がした。

「お客様が少し変わっていたり、商品が変わったものでも……お兄さんは、気にされない方でしょうか?」

 まだお客さん?が眼の前にいるのに、色々と凄い。

 だがまあ半透明だし、買ったものも名前の書かれたゲームカセットだし。この人自体、自分が少し変わった客だという自覚があるに違いない。ならば別に遠慮しなくてもいいか、と幹久は考えを改める。

「お客さんが犯罪者だったり、扱っている商品が盗品じゃなければ特に……」

「ああ! なるほど! そこを気にされていたんですね! 大丈夫です、そういう怪しいものはないです!」

 どうやら幹久が最初に抱いていた懸念の類は、心配無いらしい。奇妙なものは奇妙だが、犯罪に関わるものではないと分かるだけでも幾分か心は軽くなる。


「店員さん」

「少し、待たせてもらっていいですか?」

「勿論、構いませんよ。お客様が待ったほうがいいと思われるのならば『そういうこと』です」

 何だこの会話?

 奇妙な客と女性との続いたやり取りを聞いて、幹久の中に新たな疑問が芽生える。だが何一つわからないまま、美人と半透明の男性と幹久。三者の間に流れるのは無言の空気と時間だけだ。

 気まずいいと思うのは、恐らく幹久だけのようだが……取り敢えず気を紛らわそうと、冷蔵ケースの中で訪れた時から気になっていた迷彩柄の炭酸ジュースを100円で買うことにした。

 ライフガード。この状況下では商品名が絶妙な笑いを誘う。いや、決して笑えない出来事なのだけど。

 安い、美味い、懐かしい。

 喉元を流れる炭酸の感触と残った変に甘い味が、今起こっていることは現実だということを実感させてくれる。

 いっそ世間話でもすればよかったかな。でもこのオッサンと何を話せば良いのかわからないし、美人さんに話しかけるにしても多分色々な質問攻めになってしまいそうだよな。などと思考の堂々巡りが何巡目かに達した時。

 店の扉が開く音と共に、元気な声が店内に響いた。


「すいませーん! コーラください!」

 店内へと入ってきたのは、声に違わず元気な少年だった。小麦色の肌、野球帽、半袖、半ズボン、虫網。昨今ではとんと見掛けなくなった、全身全力で夏休みを満喫している見事なフル装備だ。

 幹久は妙な感心をしながらコーラを買う少年を眺めていたが、そこに声を掛ける男が視界に入る。思わず口に含んだ炭酸を吹き出しそうになった。


「まえだ、たけしくん?」

「そうだけど、おっちゃん誰?」

 少年に声を掛けたのは他でもない、半透明だった男だ。だが今は何故か身体が透けていない、黒いスーツ姿だ。足もある。

「良かった、君に渡したいものがあるんだ。丁度お宅にお邪魔する途中だったんだよ」

 そう言って男が差し出したものを見て、たけし少年が驚いて叫んだ。

「うお! 俺が無くしたゲームだ!」

「アツシ、って知ってるかい? 習字教室が一緒の」

「もしかして、アツシのとーちゃん?」

 アツシ、という名を聞いた時に、男の硬い表情はふっと緩んで頷いた。

「返しておいてくれって電話がかかってきてね。アツシ今、夏休みだから田舎に帰ってるんだよ。伝言も預かってる『俺んちに忘れてたぞ、返すのが遅くなってごめんな』ってさ」

「おっちゃん、ありがとう!」

 カセットを受け取って、たけし少年は頭を下げる。そして「じゃあ」と言って、店に来た時と同じ様に元気よく引き戸を締めて店を後にしたのだった。


 一連の出来事はあまりにも唐突に始まり、あっさりと終わった。それはまるで嵐のようでもあり、幻のようでもあった。

 

「本当に感謝します」

 たけし少年が去った後──幹久と女性の方に向き直って頭を下げた男は、穏やかで優しい表情だった。

「兄貴がね……勝手に売っぱらったらしいんですよ。それもあって、アイツが俺ん家に忘れたって気付くのが遅れたんです」

 そこから、ぽつり、ぽつりと。

 男は独白でもするかのように語り始めた。


 曰く、

 たけし少年とは小学校時代、習字教室の友達だった。ある日彼が遊びに来た時、自分の家にゲームを忘れていったらしい。だが自分は気づかなかったので、ゲームの事を聞かれた時には、何のことかさっぱりで喧嘩をしてしまったのだと。

 後で兄が彼のゲームを見つけて黙って売っていたと知ったのだが、小学生の身では買い戻すこともできず、それ以来気まずくて会っていなかった。

 一度だけ中学校に上がった時、たけし少年と同じ小学校だった奴に彼の事を聞いたが……最後に家にやってきた日から、間もなく父親が亡くなって転校したと知り、それからずっと思い出す度に後悔していたという事だ。


「──アイツね、あのゲーム『初めて父ちゃんに買って貰った!』って嬉しそうに言ってたんですよ。だから名前まで書いて持ってたんでしょうね」

「そりゃ確かに、返せなかったら一生もんの後悔しますね」

 思わず口からでた幹久の言葉に、男性は「ええ、ええ」と何度も深く頷き返した。

「どんな形であれ、アイツに返せて本当に良かった……」

「よかったっすね」

「有難う、店員さん」

 もう一度、こちらへ深々と頭を下げ礼を述べた後。男性の姿はフッと空気に溶け込むかのように消えた。



「驚きました?」

「……人並みには」

 男性が消えたあたりを呆然と見つめたまま、幹久は女性の問い掛けに答えた。

「細かい事は気にしない。それがウチ──きぼうやで働いていただける方の条件です」

「お客さんが幽霊でも金取るんスね」

「そりゃあ、お客様ですもの」

「そっか、そうですよね」

 釈然とはしないが、幹久も一応の納得はしてしまう。感覚としては、現実味は無いが『狐に摘まれた』という感覚に近いかもしれない。

「あ、でもでも、」

 女性は慌てて言葉を続ける。

「先ほどのお客様は結構稀な感じで……普通のお客さんが殆どですよ!」

 多分フォローのつもりだろうが、出会って間も無いにも関わらず、幹久の中では既にこの人の『普通』という定義が信用ならない。

 ただこの場にいた人間としては雰囲気に飲まれて、なんとなくで終わらせるには大きい疑問が一つだけあった。それを投げ掛けてみることにする。

「ひとつ、とんでもなく気になったのですが……」

「はい」

「さっきのたけし君は小学生で、幽霊?の人はオッサンでしたよね? どうなってたんです?」

「さあ? どうなっていたんでしょうね?」

「え、お姉さんも分からないんですか?」

 まさかの回答放棄に、幹久は驚いて女性の顔をまじまじとみる。

「私にも分かりませんし……気にしたってどうにもならないでしょう? ただ目の前で起きた事が、普段より少し不思議で変わった出来事だった。それだけの事です」

 そう言ってクスクス笑う姿は、やはり綺麗だった。先程の出来事よりも、この人と今同じ空気を吸っている今の方が、余程現実離れしているかもしれない。

「お客様として先ほどの方が現れ、商品として店にあったゲームを買われた。私は店員として、お客様に商品を売って代金を受け取りました。何もおかしな事はありませんよ」

 からかっているわけでもなければ、壮大なドッキリというわけでもないようだ。尤も、幹久みたいな人間を引っ掛けて何かこの人に得があるとも思えない。

「そういうところ、です」

「はい?」

「そういう『細かい事』を気にしない、っていう意図で求人に書きました」

 なるほど、わかった。しかし、全然細かくない。非現実の極みで、疑問が疑問を呼んで疑問しかない。

 でも。と、幹久は一呼吸おいて考える。

 自分はあのオッサンの家族でもなければ、知り合いでもない。この人が言う通り、気にしても仕方が無い出来事なのは確かだ。そんなことを気にする時間があるのならば、自分の周りをより良くする為に使う方が余程いい。例えば、実際に働けるようになった暁には、本当にこんな素敵な人と一緒に住み込みで働けるのか──とか。



「──で、お兄さんどうでしょう? 明日から出られます? それならお部屋をお掃除しないとですね」

「ちょっと待って下さい!」

「はい?」

「採用前提ですか?」

 慌てて叫ぶ幹久と対照的に、女性は「何か問題でも?」と、きょとんとしている。

「あの貼り紙を見て、うちの店に入ってきてくれたということは『そういうこと』だと思っていましたが……違うんですか?」

「……違わないです、お給金だけは気になりますけど」

「まぁまぁ、必要な説明は後です後」

 色々な意味で強引な女性である。だが不思議と嫌では無かった。寧ろこの人に必要とされて嬉しい、とすら思う始末であった。


「そういえば、自己紹介がまだでしたね。お兄さんのお名前、教えてくださいな」

 色々と順番がおかしいのだが、この人に対してはもう何もかも些細なことに思えてくる。

 もしかしたら、もしかしなくても。名を知る前から、一目惚れをしてしまったのかもしれない。

「植田 幹久です。31歳、好きな食べ物はだし巻き卵。座右の銘は『豪放磊落ごうほうらいらく』です」

「私はこのきぼうやの店主で、半渡なかわたり 葉子と申します」

 勢い余って意味不明な自己紹介をしてしまった幹久に対して、葉子と名乗った女性は穏やかな笑みを浮かべた。


「扱っているものは──駄菓子、文具、生活雑貨の他。お客様のご希望に合わせたもの。何処にでも在って、何処にも無い店。それがウチです。幹久さん、これから宜しくお願い致しますね」




 かくして、植田 幹久は無職(31)から雑貨屋の住み込み店員(31)へと華麗なる転職を果たしたのであった。この肩書が如何なく発揮されるのは、この翌日からの事だ。ある意味、とんだブラック就職である。


ファミカセフーッ

マジックで名前

缶ペン禁止

傘を持てばアバンストラッシュ

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