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この美しいものを守りたいだけ  作者: 氷室玲司


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第4話 3人の子供達

 教会の地下に残されていた古い貯蔵室は、湿気で壁が黒く染まっていた。

 徹は朽ちた棚を押し倒し、乾いた藁を敷き詰めて即席の寝床を作った。

 光の入らないこの場所は薄暗く、隠れ家としては好都合だった。


 やがて、かすかな寝息が途切れ、子供たちが次々と目を覚ます。

 最初に身を起こしたのはギルだった。

 黒い髪に黒い瞳――この街では珍しいのか、異質さをまとった少年の目は鋭く徹を射抜く。

 年端もいかぬ体つきに不釣り合いなほどの警戒心があった。


「……あんた、誰だ」


 声は震えている。だが、それでも“守る側”であろうとする気持ちがにじむ。

 徹は無駄な言葉を挟まず、腰のポーチから携帯食糧を取り出した。

 包装を解き、片手で差し出す。


「食え。まだ残りはある」


 ギルの目が一瞬だけ揺らぐ。

 恐る恐る受け取り、口にした瞬間――少年の頬に、露骨な驚きが浮かんだ。

 乾ききった舌に広がった塩気と旨味が、警戒心を溶かしていく。


「……う、うまい……!」


 思わず漏れた言葉に、徹の口元がわずかに緩む。

 単純だが、その単純さこそが年相応だった。


 続いて目を開けたタチアナは、茶色の髪を肩に散らし、澄んだ碧い瞳を大きく揺らした。

 すぐにナターリヤの背に隠れ、しかし隙間から何度も徹を覗き見る。

 徹は視線を合わせ、穏やかな笑みを作ってから手を伸ばし、彼女の頭を軽く撫でた。


 少女の身体がびくりと震え、次の瞬間、恐れよりも安堵の色が広がった。

 その小さな笑顔は、まだ揺れながらも確かに徹を受け入れていた。


 最後にサビーネがむくりと起き上がり、金の髪を乱し、碧い瞳を涙で濡らして泣きべそをかいた。


「……おなか、すいた……」


 ナターリヤが微笑んで徹から携帯食糧を受け取り、小さな手に持たせる。

 幼女は数口かじると、安心したようにナターリヤにしがみつき、涙を止めた。

 ナターリヤ自身は同じ金の髪を持ちながら、茶色の瞳に翳りを宿し、子供たちの背にそっと手を添えていた。


 徹は三人を見渡し、無言でうなずいた。

 冷徹な合理の裏にある、静かな温かみ――子供たちの心が少しずつ、それを感じ取り始めていた。


 ギルは食糧を頬張りながら、ちらちらと徹の姿を観察していた。

 黒髪黒目の瞳が、軍靴からベスト、肩の金具にまで動いていく。


「なあ……その格好、なんだ? この街じゃ見たことねえ。

 鎧でもないし、兵士の服にも見えない……けど、なんかすげえ強そうだ」


 率直で、子供らしい疑問。

 敵意よりも好奇心が先に口をついて出た。


 徹は短く息を吐き、少年の素直さにわずかな安堵を覚えた。

「これは……俺の世界の軍服だ。戦うための装備でもあり、守るためのものでもある」


 ギルの瞳がきらりと光る。

「へえ……やっぱりあんた、ただの人じゃないんだな!」


 単純で真っ直ぐな言葉。

 その明るさは、重苦しい空気に小さな穴を開けるようだった。


 ギルがきらきらした目で徹を見上げているのを見て、タチアナは慌ててナターリヤの背に隠れた。

 茶色の髪が揺れ、碧い瞳がカーテンの隙間のように覗きこむ。

 けれど、徹が穏やかに微笑んで手を伸ばすと、彼女は小さな声を漏らした。


「……わ、私は……タチアナ」


 か細い声。

 けれど、その瞳の奥には、怯えを越えて「自分も名乗らなきゃ」という幼い責任感が宿っていた。

 徹は軽く頭を撫で、短く返す。


「タチアナ。覚えた」


 その一言に、少女の頬がほんのりと赤く染まった。


 次にサビーネが弾かれるように立ち上がる。

 金の髪を乱し、碧い瞳をまん丸にして、まだ頬に食糧の欠片をつけたまま大声で叫んだ。


「サビーネ! わたし、サビーネ! おなかすいたけど、もう元気!」


 無邪気で眩しいほどの明るさ。

 徹は思わず口元を緩め、頭をぽんと叩いた。


「サビーネ、よく食べたな。偉いぞ」


 幼女は嬉しそうに頷き、今度はナターリヤの腰にしがみつきながらも、時折徹を見上げて笑った。


 子供たちの名が一人ずつ告げられていく。

 ギルの率直さ、タチアナの内気さ、サビーネの無邪気さ。

 その光景を前に、徹はふと、自分の中に古い記憶が立ち上がるのを感じた。


 ――孤児院。

 冬の寒い廊下で、年下の子供たちに毛布を分け与えた夜。

 配られた食事を均等に分ける役目を、無意識に背負っていたあの日々。


 あのときも、今と同じように小さな瞳がこちらを見上げていた。

 頼るしかない無垢な眼差し。その重さを、誰に教わるでもなく背負った。

 だからこそ、今この異世界でこうして振る舞うことに違和感はなかった。

 むしろ自然だった。


 子供たちの笑顔は、どの世界でも変わらない。

 そしてそれは、どの世界であろうと守らねばならないものだ。


 徹は息を吐き、決意を新たにした。

 次は自分が名を告げる番だった。


 子供たちの笑顔を見渡しながら、徹は静かに口を開いた。


「俺の名前は片桐徹。……けど、この世界じゃ覚えづらいだろう。呼ぶなら“トール”でいい」


 短い言葉。

 だがその声音には、彼がここで果たすべき役割を自らに言い聞かせる響きがあった。


 ギルが真っ先に反応する。

「トール……! なんか強そうな名前だな!」


 単純な賞賛に、徹は苦笑を漏らす。

 タチアナは小さな声で「……トールさん」とつぶやき、サビーネは「トール! トール!」と嬉しげに跳ね回った。


 その呼び声が、暗い地下室に一瞬だけ光を灯す。


 徹は胸の奥で静かに息を整えた。

 ――何一つ分からない世界だ。

 だが、俺を必要とする存在ができた。

 それだけで充分だ。


 どんな環境であろうと、やるべきことは一つ。

 子供たちを守り、食わせ、生かす。

 それが今の自分に与えられた唯一の任務だった。


 徹は目を閉じ、腹の底に残っていた迷いを切り捨てる。

 もう吹っ切れた。

 あとは、この道を歩むだけだ。


 徹は装備袋を開け、残っていた携行食糧を取り出す。

 ナターリヤの前に差し出し、短く言った。


「これで二日は持つはずだ。最悪それだけ凌いでくれ」


 ナターリヤは驚いたように顔を上げ、そして強く頷いた。

 その指はまだ震えていたが、食糧を受け取る手にだけは確かな力がこもっていた。

食糧を抱きしめるように受け取ると、背にしがみついたタチアナが安堵の息を漏らした。




「……わかりました。子供たちと一緒に、待ちます」


 その声に徹は一度だけうなずき、背に装備を背負い直す。

 軍靴の紐を確かめ、ナイフとアックスの位置を確認する。

ベストにある浄水タブレットを確かめ、喉の渇きは潤せる…最後の命綱の確認だ。


 出発の準備は整った。


 ――まずは山だ。獲物を仕留め、食糧を確保する。

 戻ってくるまでの時間を、あのわずかな糧で持たせるしかない。


 冷たい空気を吸い込み、徹は立ち上がった。

 その背には、もう迷いはなかった。




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