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この美しいものを守りたいだけ  作者: 氷室玲司


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第15話 世間知らずなハーフエルフ

 影路地の路地裏市場。


 木箱や布切れに無造作に並べられたガラクタの山を前に、トールは思わずため息をついた。


 錆びた鍋、歯の欠けたナイフ、壊れかけの籠……ろくに使えるものは見当たらない。


「……ここから選ぶのか」


 ぼやくトールの横で、ナターリヤとタチアナの表情はむしろ輝いていた。

 並べられた品々を一つひとつ手に取り、値段を聞き、店主とやり合う。


「これなら鍋底に穴を塞げば使えるわ!」

「針金もあります、これで布を繕えます!」


 次々と声を弾ませる二人。


 その熱気にギルが呆れた顔をして、トールへ視線を投げた。

 目が合うと、二人同時に小さく笑う。


(……女の買い物の執念ってやつだな)


 そんな時だった。

背後から声がかかる。


「……お探しのものは、鍬やシャベルのようですが」


 振り返ると、やせた青年が立っていた。

 擦り切れた上着に、肩からは工具や鉄屑の入った袋を下げている。

 髪は長く垂れ、片耳に巻かれた布の下から、わずかに尖った輪郭が覗いていた。


 彼の瞳はどこか怯えがちだが、その奥には誠実な光が宿っている。


「よろしければ……私の直した物を、見てもらえませんか」


 差し出されたのは、刃こぼれを研ぎ直した鍬と、柄を補強したシャベルだった。

 どちらも新品には見えない。だが、壊れかけのガラクタを抱える周囲の品と比べれば、十分に実用に耐える輝きを放っていた。


「……俺はヨームといいます。拾った物や壊れた物を、こうして直して暮らしているんです」


 不意に声をかけられ、トールは一瞬身構えた。


 だが、青年が差し出した鍬とシャベルを手に取ると、その緊張はすぐに和らいだ。

 刃は研ぎ直され、柄の補強も丁寧に施されている。粗末な市場のガラクタとは明らかに違う仕上がりだ。


 何より、青年――ヨームと名乗ったその目は真っ直ぐで、卑屈さの中にも誠実さがあった。


「これで銀貨一枚いただければ……」


 おずおずと告げる声に、すかさずナターリヤが口を挟む。


「高すぎます。せいぜい半分が妥当です」


 いつもの倹約家ぶりで、きっぱりと言い切った。


 だがトールは首を横に振り、ヨームの差し出す鍬を手で押し戻す。


「いや、言い値で買おう。これなら払う価値がある」


 短くそう告げ、銀貨を手渡した。


 ヨームは目を丸くし、やがてぱっと表情を明るくした。

 陰鬱な影路地の中では珍しい、屈託のない微笑だった。


「……ありがとうございます。本当に……」


 その笑みを見て、トールはふと口を開く。


「よければ――お前の店を見せてもらえないか」


 ヨームが驚いたように瞬きをした、その時。


「きゃっ!」


 抱かれていたサビーネが身を乗り出し、ヨームの頭に手を伸ばす。

 布の下からのぞいた尖った耳を、興味津々で引っ張ったのだ。


「みみーっ! とがってる!」


「う、うわっ!? ちょ、ちょっと!」


 ヨームが慌てて身をすくめ、トールとナターリヤが同時に苦笑する。


 サビーネが無邪気に耳を引っ張ったことで、隠していたものが露わになった。

 尖った耳先。市場の喧騒にまぎれながらも、それは確かに人間とは異なる証だった。


 ヨームは慌てて耳を押さえ、うつむく。


「す、すみません……」


 トールは片手を挙げ、サビーネを抱き直しながら短く頭を下げた。


「悪い。子供のしたことだ……だが――」


 まっすぐにヨームを見据える。


「失礼だが……君は?」


 ヨームは唇を噛み、しばらく逡巡したのち、小声で答えた。


「……はい。私は……エルフの血が混じった、いわゆる“ハーフエルフ”です」


 その声は怯えに満ち、周囲の視線を気にして絶えずきょろきょろと動いていた。


 傍らでタチアナが、ナターリヤの袖をそっと引く。


「ねえ……ハーフエルフって……だ、大丈夫なの?」


 その囁きに、ナターリヤは苦笑しながらタチアナの頭を軽くこつんと叩いた。


「何を言ってるの。人を疑う前に、自分の心を疑いなさい」


 たしなめる声はやわらかく、それでいて揺るぎなかった。


 トールはそのやり取りを見て、静かに目を伏せる。


(……なるほど。この世界では、弱者の中にすらさらに差別があるというわけか)


 影路地での暮らしが過酷な理由を、またひとつ理解した気がした。



 案内されたのは、路地裏のさらに奥。

 石壁に囲まれたどん詰まりの一角に、ヨームの工房兼店はあった。


 打ち捨てられたような小屋の中――雑然と並ぶ金物や木工品、継ぎはぎの衣類。

 だが、そのひとつひとつに目を向ければ、粗悪品とはまるで違っていた。

 刃は研ぎ直され、布は丁寧に繕われ、壊れた道具はしっかりと補強されている。


 影路地の露天市のガラクタとは一線を画す品揃え。

 トールの目から見ても、十分に実用に耐えうる出来栄えだった。


 ……にもかかわらず。


 店には客らしい影はひとつもなく、静けさだけが漂っていた。


 ナターリヤが仏頂面のまま、ぼそりとつぶやいた。


「……高い」


 ヨームは気まずそうに頭をかき、うつむく。


「い、一応……それなりに手間はかかってますし……」


 その言葉を聞くなり、ナターリヤの声が鋭く跳ねた。


「でも売れなきゃしかたないでしょ! さっきの鍬だって、トールだから払ったけど……あの値段じゃ誰も買わないわ!」


 唐突に浴びせられる口撃に、ヨームは肩を縮めておろおろとする。


 トールは二人のやり取りを黙って眺め、内心で小さくため息をついた。


(……なるほどな。腕はあっても商売が下手。誠実で不器用――だからこそ、影路地で燻ってるわけか)


タチアナが並んでいる服をそっと手に取った。


「でも……綺麗。これなんか、染め直しまでしてるよ。……高いけど」


 目を細め、指先で布地をなぞる彼女の声には、素直な感嘆が滲んでいた。


 すると横で、ギルが鼻をこすりながら訳知り顔で口を挟む。


「だよな〜。でもさ、買い物で銀貨なんか持ち歩く奴、こんなとこに来たら――買う前に身ぐるみ剥がされちまうって!」


 わざと大げさに肩をすくめ、苦笑いを浮かべる。


 ヨームはバツの悪そうな顔をしながらも、どこかで「やっぱり」と諦めたように視線を落とした。


ふと思いついたようにトールが話しかける。


「武器は扱わないのか?例えば…弓とか」


トールの言葉に、ヨームは一瞬驚いたように目を細め、それから照れくさそうに肩をすくめた。


「武器……というと、弓か。扱いますよ、直すのは得意です。新しく作るとなると材料次第ですが、木材とすじさえあれば簡単な狩り用の弓なら組めます」


タチアナが顔を輝かせて身を乗り出す。


「弓! それなら…遠くから獲物を狙えるってこと?」


ヨームは小さく頷きながら、店の奥へと歩いていく。そこには古い木片や、擦り切れた弦、矢じりに加工の跡が残る小さな作業台があった。手に取るのは、かつて誰かが使っていたであろう短めの弓の破片だ。


「ここらじゃ長尺のロングボウなんて材料も技術も揃わない。森の中で取り回しが利く、短めのリカーブ(反りのついた)か反射型のハンティングボウが現実的ですね。射程は長くないけど、山林の暗がりで扱いやすい。矢は木の芯に羽をつけて作る。鉄の矢じりはあれば直します、なければ骨や石で先を削ることもできます」


トールは真剣に作業台を見つめ、指先で破片に触れる。


「制作にどれくらいかかる?」


ヨームは唇を噛んで考えるように眉を寄せた。


「直すだけなら半日から一日。新しく一本作るなら二日から三日。矢を揃えるのも時間が要ります。材料を寄せてくれれば、急げば一晩で形にはしますが、使える精度は落ちますよ」


ナターリヤが慎重に口を挟む。


「値段は……?」


ヨームは目を逸らし、申し訳なさげに言った。


「商売ですからそれなりに。でも、あんまり高くはできません。腕はありますが、ここで売れなければ意味がない。話し合って決めましょう」


トールはふっと笑って肩を竦めた。


「金はある。だが大切に使う。山での実戦用に一本、作ってもらう。矢はまず数本、補修用に材料も頼む」


サビーネが好奇心でヨームの耳先に手を伸ばして引っ張ると、ヨームは思わず目を細めて笑った。ぎこちないが確かな温かさが、その場に広がる。


ヨームは小さく頭を下げる。


「分かりました。では、私は用意に取り掛かります。そうですね…三日後に取りに来てくだされば」


トールは短く頷き、店の中に立つヨームの肩越しに、子供たちのはしゃぐ顔を見た。その視線の先には、未知の山中で命を繋ぐための、ほんの少しの希望が光っていた。








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