殴り込み……?
「ソフィ姉様、物騒な物言いはしないでください。アル殿が驚いているではありませんか」
「いいじゃないか。似たようなものだろう」
セシルがやれやれと額を抑えながらため息を吐く姿を見て、ソフィは楽しそうに笑い始めた。
「あ、あの。話が見えないんですけど、殴り込みってどういうことでしょうか。まさか本当にデュランベルクの兵士を率いてグランヴィス家に行くわけではありませんよね」
「それも面白そうだが、アルと私が結婚するためには君の……生物学的な父親であるイルバノアの承諾がいるだろう。それをもらいに行くだけさ。実に癪な話だがね」
「な、なるほど。そういうことですね」
彼女の『生物学的な父親』という物言いには、ぞっとするほどの嫌悪感が込められていて思わずたじろいでしまった。
「さて、アル。さっき話したことは覚えているな?」
「え、さっき話したことですか」
契約結婚のこと?
いや、百億ルドのことか。
もしかして、僕が莫大な魔力を秘めていたことだろうか。
はたまた、交通事故が実は暗殺だったことかな。
一体、どの話だろう。
一気にいろんなことがありすぎて、すぐに答えが導き出せない。
「えっと、すいません。どの話でしょうか?」
「やれやれ、もう忘れてしまったのか」
言い淀んで困惑していると、彼女は肩を竦めてこちらにやってくると目と鼻の先まで顔を寄せてきた。
間近に迫った顔立ちと澄んだ青い瞳に見つめられ、胸がどきりとなってしまう。
「アルと私は魔動車事故で運命の出会いを果たし、介抱を得て互いに一目惚れ。周囲が見えぬほど相思相愛という話だ」
「そ、そうでしたね」
僕が相槌を打つと、「ちょ、ちょっと待ってください」とセシルが慌てた様子で大声を発した。
「ソフィ姉様とアル殿が契約結婚するのは聞いていましたが、『互いに一目惚れで周囲を見えぬほど相思相愛』ってどういうことですか⁉」
「セシル、何を驚いているんだ。レオニダス王やエスタを納得させるためには必要な物語【ストーリー】ではないか」
「うぐ……⁉ た、確かにそれはそうかもしれませんが……」
ソフィが毅然とさも当然のように答えると、セシルは困り顔で言い淀んでしまった。
大切なお姉さんと僕が急に相思相愛と言われたら、そりゃ誰だって戸惑うよね。
「セシル殿、あくまで演技ですよ。僕とソフィは契約結婚ですから、安心してください」
「そ、そうですね。ソフィ姉様がデュランベルクの当主となるためには『相思相愛の物語【ストーリー】』ぐらい必要かもしれません」
彼は合点がいった様子で頷いたその時、刺すような視線を感じて振り向くとソフィが鋭い目付きとなって凄まじい剣幕になっていた。
「アル、君は私と相思相愛というのは設定に不満があるのかな」
「い、いえ。決してそういうわけじゃありません。ただ……」
「ただ、なんだ?」
ずいっと顔を寄せられると、ついどぎまぎしてしまう。
おまけにソフィの方が身長が高いから、僕は上目遣いになってしまった。
「そ、その、ソフィみたいな綺麗で素敵な女性と相思相愛というのはすごく光栄ですし、嬉しくないわけありません。ただ、今までの僕からすれば分不相応なんじゃないかと思いまして……」
「ほう……」
ソフィはなにやら意味深な相槌を打つと、にやりと口元を緩めた。
「なるほど。つまり、アルには自信がないだけというわけだな」
「恥ずかしながら仰る通りです」
顔の火照りを感じながら頷くと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「ならば、これから自信をつければよい。そもそも、自信なんてものは行動して失敗と成功を学んで得るものだ。縮こまっていても、身に付くものではないぞ」
「は、はい。ソフィの契約結婚に相応しくなれるよう頑張ります」
「うむ、その意気だ。それに……」
ソフィはそう告げると、僕の耳元に顔を寄せて囁いた。
「アルの頑張り次第では、本当に私が君に惚れてしまうことだってあり得るかもしれんぞ」
「え……えぇ⁉」
ソフィが僕に惚れる、だって⁉
突拍子もない発言に顔を真っ赤にしてたじろぐと、ソフィはさも楽しそうに笑い出した。
あ、なんだ冗談か。
ほっと胸を撫で下ろしていると、セシルが訝しむように口を尖らせる。
「……ソフィ姉様。アル殿に何を仰ったのですか?」
「何でもいいだろう。それよりも、だ」
彼女は肩を竦めると、真顔になった。その瞬間、部屋の空気が急にピンと張り詰める。
「グランヴィス侯爵家に出向くぞ。準備に少し時間がかかるだろうから、先に使いを出しておけ」
「畏まりました。手配いたします」
セシルは威儀を正して一礼すると、踵を返して部屋を退室した。
いよいよ、あの家に戻るのか。
今日の朝追い出されたというのに、まさか日も沈まないうちに舞い戻ることになるなんて想像もしていなかった。
「アル、早速で悪いが君にも協力してもらうよ」
「はい、僕に……いえ、私にできることであれば何でも協力します」
「ありがとう。その言葉、とても嬉しいよ」
ソフィが部屋にあった呼び鈴を鳴らすと、男性の執事がやってきた。
「ソフィア様、お呼びでしょうか」
「これからグランヴィス侯爵邸に出向くことになった。アルが私の、デュランベルク公爵家の一員であることが一目でわかるよう身なりを整えてくれ」
「……⁉ 畏まりました。すぐに取り掛かります」
執事の人は一瞬だけ目を瞬かせるも、察した様子で頷いた。
さすがデュランベルクに仕える人だ。
ソフィがみなまで言わなくても、全部理解できてしまうんだろう。
ちょっと羨ましいな。
そんなことを思っていると、執事の人が手を何度か叩いた。
すると、どこからともなく現れたメイド達が僕を取り囲んだ。
「え、え?」
「さぁ、お前達。ソフィア様のご命令だ。そちらのアルバート様をデュランベルクの名に恥じぬお姿にして差し上げるのだ」
「畏まりました」
執事の指示にメイド達は深く頭を下げると、きょとんとしている僕の腕を掴んだ。
「あ、あの、ソフィ。これは一体……?」
「言葉通りだ。アルが私のも……ではなく、デュランベルク公爵家の一員となったことをグランヴィス家に見せつけるための前準備だ」
ひ、酷い。
ソフィ、いま僕のことを『物』扱いしようとしたよね。
愕然としていると、彼女はにこりと微笑んだ。
「怖がることはない。この屋敷に仕える者は全てにおいて一流だからな。任せたぞ、お前達」
「はい、ソフィア様」
「え、えぇええ⁉」
その後、僕は別室に移動させられ、執事とメイド達の手によって瞬く間に服を着替えさせられるのであった。
◇
「……もう、お婿さんにいけない」
グランヴィス侯爵邸に向かう魔動車の中、顔を両手で覆って俯いているとソフィの「ふふ」と噴き出す声が聞こえてきた。
「何をいっている。アルはもう私に婿入りしたじゃないか」
「そういう問題じゃないよ。屋敷のメイドさん達に身ぐるみ剥がされて、恥ずかしくて死ぬかと思ったんだから」
デュランベルク公爵邸の別室に連れて行かれた僕は、執事とメイド達の手によって容赦なく下着姿にされて体の全てを余すところなく採寸された。
その後は『着せ替え人形』の如く、何種類かの服を着替えることになったのだ。
「はは、それは大変だったな。しかし、アルのその姿、なかなか似合っているぞ」
「そ、そうですか。こんな高価な服を着るのは初めてなのでちょっと緊張します」
僕がいま着ている洋服は、ソフィやセシルが着ているものと同等のものだ。
多分、この洋服一式で家が建てられるぐらいの価値があると思う。
あお、服を着替える時、目が飛び出そうになったことがある。
『洋服一式がその場で作られた』ことだ。
僕の体格に合う服が屋敷にないとみるなり、執事とメイド達はすぐさま裁縫道具を用意して躊躇も遠慮もなく、この高価な服に鋏と針を入れたのである。
見ていたこっちが青ざめたぐらいだ。
「アル殿、服ぐらいで緊張していたらこれからもっと大変ですよ。グランヴィス侯爵邸ではハッタリでも何でも、ともかく胸を張ってください。交渉は俺とソフィ姉様がしますから」
「は、はい。わかりました」
同じ車内にいたセシルの言葉に頷くと、魔動車がゆっくりと停車した。
あれ、ここはまだグランヴィス家の屋敷じゃないけどな。
車窓から外を覗いたその時、目に飛び込んできた大きな建物に僕は目を丸くする。
「こ、ここって、カルドミア銀行ですよね⁉」
カルドミア銀行とは、カルドミア王国に存在する大陸最大手の銀行だ。
大富豪や貴族御用達の銀行で、口座を作るだけでも一千万ルドが必要らしい。
庶民には手が届かないと言われるほど、格式高く厳重な警備が敷かれている超がつく大銀行である。
「まぁ、先立つものがないとなんとやらというやつだ」
ソフィは不敵に笑うと、車を降りて颯爽と建物に向かって歩き出した。
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