爽やかな朝
「……う、うん」
顔に光を感じてゆっくり目を開けると、カーテンの隙間から朝の日差しが僕の顔にだけ当たっていた。
ベッドから体を起こして「ふわぁ……」と欠伸をしながら体を伸ばすと、僕は目を擦りながら隣を見やった。
「結局、あんまり眠れなかったなぁ」
そこには普段凜とした表情をしているソフィが、静かな寝息を立てて眠っていた。
契約結婚したとはいえ、男性が隣にいるのに無防備に安眠できるなんて豪快というか肝が据わっているというか。
もしかすると、彼女の中で僕が男という認識が薄いのかもしれない。
女顔って良く言われるもんなぁ。
僕の容姿と体格は妖精族である母似のため、人族でみれば体格は小柄で顔付きは童顔だ。
服装と演技力次第で十代前半と偽れるだろう。
頑張ればレストランでお子様ランチも頼めるかもしれないし、色んなところで子供料金でいけるかもしれない。
ある意味、とってもお得な容姿だ。
やめよう、考えれば考えるほど悲しくなる。
「はぁ……」
ため息を吐いたその時、「んん……」とソフィが寝返りを打って掛け布団が外れる。
案外、ソフィも子供っぽいところもあるじゃないか。
ふふ、と笑みが吹き出るも、僕はあることに気付いて目が点になってしまった。
ソフィの胸元に、昨日の夜までなかったはずの大きくて立派すぎるたわわな果実が実っていたのだ。
おまけに寝間着のボタンが今にもはじけ飛びそうで、ぴちぴちである。
女性のそれって、たった一晩でこんなに育つの⁉
僕は唖然としてしまった。
昨日までは問題なくて、今現在ボタンがはじけ飛びそうということは、確実に一晩で立派でたわわに実ったということである。
「ん……んん?」
ソフィが再び寝返りを打つと、立派すぎる果実がほよんと揺れる。
うぐ……⁉
僕も男だ。
こんな光景をまざまざと見せられるのはさすがに辛い。
そうだ、別のこと、何か別のことを考えるんだ。
果実、果実、果実と言えば農業だ。
そう、いつか見に行った農園で行われていた農作業の光景を思い出すんだ。
想像力をフル回転で回せば、いけるはず。
青い空、澄んだ空気、眼前一面に広がる果実畑、鳥たちのたわむれ、僕の前を通り過ぎていく様々な蝶たち、頬を撫でる爽やかで心地よい風。
そう、心が洗われるこの光景には煩悩なんてありはしない。
『おぉ~い。アルバート様、よくぞこんな田舎の農園に来て下さいました』
あぁ、そうだ。
農作業をしている素朴なおじさんが声を掛けてくれたんだよね。
麦わら帽子にオーバーオールの作業服、日に焼けた肌に髭を蓄えたおじさんだった。
これこそ、煩悩とはほど遠い存在だ。
『見てくだされ。今年たわわに実った立派なスイカでございます。特に大きいものを二つお持ちしましたぞ』
麦わらおじさんは屈託のない笑顔を浮かべ、両手に一個ずつ上手に持った立派な二玉のスイカを僕によく見えるように胸元へ持ち上げている。
そう、この特に大きい立派なスイカだ。
ソフィのそれの現象を言い表すなら、何もなかった畑に一晩でこのスイカが育ったと言えるだろう……って、煩悩を持ってくるんじゃない!
『ぐおほぉ……⁉』
僕は両腕で拳を繰り出し、煩悩を抹殺すべくスイカごと煩悩おじさんを貫いた。
『たわわなスイカが砕けども、世に煩悩の種は尽きまじ……がくり』
煩悩おじさんは辞世の句らしきものを言い残すと、僕の頭の中から消え去っていった。
なんなんだ、お前は⁉
心の中で想像の産物に突っ込みを入れつつ、僕は勢いよく頭を振った。
駄目だ、駄目だと意識するほど意識してしまう。
その時、僕はハッと閃いた。
そうだ、いっそ部屋を出ればいいじゃないか。
早く起きたから公爵邸を歩いてみたくなったとか、それっぽい理由になる。
うん、これでいこう。
「んん……? アル、どうした」
「あ……」
ベッドから降りようとしたまさにその時、ソフィがゆっくりと体を起こした。
彼女は寝ぼけているのか、いつもと違って目がとろんとしている。
「えっと、早く起きたから公爵邸を散策させてもらおうかなって。あ、あはは……」
どうしても、彼女のはちきれんばかりの胸元に目がいってしまう。
僕は決まりが悪くなって視線を逸らし、誤魔化すように頬を掻いた。
「……離れては駄目だ」
「え……?」
ソフィは口を尖らせると、僕の腕を掴んでぐいっと引っ張った。
ちなみに彼女の腕力は体質上、筋肉隆々の騎士よりも強いので掴まれたら僕に逃げる術はない。
「夫婦は一緒に寝るものだぞ」
「……⁉」
寝ぼけているのか、いつも凜とした表情が緩んでいて可愛らしい。
ただ、それを楽しむ余裕は僕にはなかった。
何故なら、彼女のそれが僕の腕に当たっているからだ。
柔らかさに腕が包まれていく。
駄目だ、煩悩を抑えるんだ。
今は朝だ。
朝と言えば朝食、朝食と言えば米もいいけどパンだ。
そうだ、朝のパン工房を思い出すんだ。
パンの焼けた香り、忙しい工房、並んでいく様々な種類のパン。
そう、この光景にこそ煩悩はない。
『おはようございます、アルバート様』
そうそう、工房には必ずコック長がいるんだよね。
長くて煙突みたいな白い帽子を被り、白の調理衣に身を包んだコック長。
これこそ、煩悩にほど遠い存在だ。
『見てくださいアルバート様。今日朝一で焼けた食パンでございます。出来たてふわふわ、弾力性もあって、水をも寄せぬ滑らかさ。まさに至上のパンでございます』
コック長は両手で出来たての食パンを一斤抱え、白くて柔らかいところを見せてくれた。
そう、僕の腕はいま、このパンにも勝るふわふわに包まれていると評しても過言ではないだろう……って、また煩悩を持ってくるんじゃない!
『ぶほぉ……⁉』
僕は拳を繰り出し、再び煩悩を抹殺すべく食パンごと煩悩コック長を貫いた。
『ふわふわの食パンが潰れるとも、世に煩悩のパン種は尽きまじ……がっくり』
煩悩コック長も辞世の句らしきものを言い残すと、僕の頭の中から消えていった。
だから、なんなんだお前達は⁉
心の中で叫びながら頭を振っていたその時、バチッと何かが弾ける音が聞こえて額に何かが当たった。
「いた……⁉」
反射的に声が出ると、「あぁ、すまん」とソフィの声が返ってきた。
「どうやら寝間着のボタンが外れてしまったようだな」
「へ……?」
間の抜けた声と共にソフィの顔を見やると、同時に露わになったとんでもない『それ』の白い肌がお目見えしていた。
残った寝間着で、辛うじて大事なところは隠れている。
でも、それが逆に妖艶さを増して悩殺度が上がっていた。
「な、なな……⁉」
耳まで真っ赤になっていることを自覚できるぐらいに、僕は顔が火照っていた。
腕を掴まれままたじろいでいると、彼女は首を捻ってから「あぁ、これが気になっていたのか」と合点がいった様子で頷いた。
「どうやら寝ている間に外れてしまったようだ」
「外れた……?」
僕が首を傾げると、彼女は僕に背を向けていきなり上着を脱いだ。
「ちょ……⁉」
慌てて後ろを振り向くと、ややあって「はは、アルはシャイだな」と笑い声が聞こえてきた。
「もう振り返っても大丈夫だぞ」
「う、うん」
本当に大丈夫かな。
どきどきしながら振り向くと、ソフィは上着を着直していた。
ただ、やっぱり『それ』の肌は寝間着の隙間から見え隠れしている。
さっきよりは大分ましだけど。
どぎまぎしていると、ソフィは「ほら、これだよ」と何かを投げてきた。
反射的に受け取って何も考えずに広げてみると、それは布である。
それもまだ暖かい。
僕はハッとして、顔を真っ赤にした。
「ソフィ、これって下着じゃないか⁉」
「そうだ。普段はその下着で胸を小さくしているんだよ。これだけ大きいと礼服や甲冑を着るのにも邪魔だし、戦闘訓練や実戦ではもっと邪魔になるからな。寝込みを襲われることもあるし、寝るときも付けているんだよ」
「あぁ、なるほど……」
合点がいくと同時に、僕はさぁっと青ざめていた。
寝込みを襲われることを想定していたってことは、万が一にでも暴走した時には僕は天に召されていたということになる。
きっと、昨日から今日に掛けてのやり取りは、謂わばソフィの最終テスト。
僕が契約結婚に相応しい貞操観念と忍耐力を持っているかどうか、その最後の試練だったに違いない。
ほっと胸を撫で下ろしていると、ソフィは「ふふ」と急に噴き出した。
「そのうち知ることになるだろうから伝えておこう。私は、何度かこのままの胸で社交界に出たんだがな。以降、一部のご婦人や令嬢達から陰口を叩かれているんだよ」
「はぁ、陰口ですか」
僕が首を傾げると、彼女は両腕を組んで胸をあからさまに際立たせた。
「曰く、私は戦公女ならぬ下品な爆乳公女だそうだ」
「な……⁉」
目を見開くと同時に、僕は思いっきり咳き込んでしまった。
王族と同等かそれ以上の力を持つという、デュランベルク公爵令嬢になんて失礼な陰口を叩くんだよ。
「ちなみにその下着。アルがほしいならやるぞ」
「いらないよ⁉」
「遠慮しなくていいぞ。夫と妻の仲だからな」
ソフィが豪快に笑い出したその時、部屋の扉が叩かれた。
「アルバート様、朝でございます」
聞こえてきたのはエレの声だった。
まずい、この状況を見られたら絶対勘違いされる。
でも、表向きは夫婦だから問題はないのか。
いやいや、そういう問題でもないような気がする。
困惑しながらどう答えようかと、頭を抱えていると扉が開かれる。
「失礼いたします。長旅でお疲れとは存じますが、デュランベルク公爵邸に来られて早々に寝坊をされては体裁が……」
メイド姿のエレは、僕とソフィが同じベッドにいる姿を見て固まってしまう。
あ、もう駄目だと思ったその時、エレが「な、な……」とわなわな震えながら顔を真っ赤にした。
「何をされているんですかぁあああああああああ⁉」
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