醜悪な素顔
「……この位置では中の様子はよくわからんな。だが、この鼻をつく鉄粉のような臭いは間違いなく血だ。それも、大量のな」
「そ、そんな……⁉」
グランヴィス侯爵邸の玄関扉前、扉の隙間から中を覗いたソフィが眉間に皺を寄せて小声で呟いた。
僕は青ざめてたじろぐも、セシルは表情を変えない。
「先日、イルバノアに会った時、俺は魔族の気配は微塵もありませんでした。姉上は何か違和感がありましたか?」
「いや、私もなかった。この数日の間に、イルバノアの身に異変があったと考えるべきだろうな」
「異変って、一体何が起きたんでしょうか」
僕が聞き返すと、ソフィはにやりと笑った。
「わからん。だから、これから確かめるのさ」
彼女はそう言うと、剣を構えて凄んだ。
「三秒数えたら扉を蹴って突入する。二人とも、覚悟はいいな」
「はい。私はいつでも構いません」
「ぼ、僕もいつでも大丈夫です」
セシルと僕が頷くと、ソフィは指を三本立てた。
「……三、二、一、いくぞ」
彼女が扉を蹴って開けると、一気に僕達は屋敷の中に入り込んだ。
でも、次の瞬間、僕は目を丸くした。
玄関ホールの大理石一面が血と肉片で真っ赤に染まり、見覚えのある顔の門番達が剣で壁に串刺しにされていたのだ。
「こ、これは……⁉」
唖然とするが、足下から『ズチャ』という嫌な音で我に返ると、凄まじい血の臭いが鼻をつき、思わず嘔吐いてしまった。
「う、うぇ……⁉」
「アル殿、気をしっかり持ってください。敵がどこにいるかわかりません。この程度で怯むなら、姉上の夫は務まりませんよ。戦場はもっと過酷ですから」
「……⁉ は、はい。すみません。もう、大丈夫です」
セシルに叱咤され、僕はハッとして頭を振った。
そうだ、ソフィは魔族からこの国を守るデュランベルク公爵家の当主となる人だ。
戦公女という異名も、戦場の活躍からきている。
彼女を支えると決めたんだ、怖くても気を強く持て。
「頼もしいぞ、アル」
ソフィが僕の名を力強く呼んでくれたその時、「あれあれぇ~」と気の抜けた声が正面から聞こえてきた。
ハッとして身構えれば、奥の部屋から全身血まみれになったイルバノアがやってくる。
「どうして、ソフィアとセシル。それに、アル……じゃなかった。アルバートまでここにいるんだ」
惨劇を前にして平然と尋ねてくるイルバノアに、僕は苛立ち、かっとして怒号を発した。
「父上、一体この惨状はどういうことですか⁉」
「あぁ、これか。そんな大したことじゃない。俺の糧になってもらったんだ」
「か、糧だって……?」
僕が顔を引きつらせてたじろぐと、イルバノアは口角を上げた。
「言葉通りさ。より強くなるため、全員この手と口で喰らったのさ。だが、そもそも、グランヴィス侯爵家に忠誠を誓った者達だ。どうしようが私の勝手だろう」
「ふ、ふざけるな。そんなこと許されるわけないだろう。それにギルは、ギルバートはどうしたんだ」
「ん……? あぁ、ギルバートねぇ。ちゃんと食べてあげたよ。よく噛んでね」
「お、お前ぇ……⁉」
何食わぬ顔で応えるイルバノアを前に、僕は魔剣に手を掛けた。
この数日の間、グランヴィス侯爵家に何があったのかはわからない。
ただ、はっきりしていることは、僕の目の前にいるこいつは、父上でもイルバノアでもない。
ひたすらに邪悪な何かだ。
魔剣を抜こうとしたその時、腕をソフィに掴まれた。
「待つんだ、アル」
「で、でも……⁉」
「アルには魔族との実戦経験がないだろう。それに、敵の正体もわからないのに突っ込むつもりか」
「う……⁉」
ソフィに凄まれ、僕は魔剣を強く握りながら「わかった」と頷いた。
彼女の指摘も尤もだ。
下手に突っ込めば、二人に迷惑がかかってしまう。
「おやおや、どうしたのかな。その魔剣で俺を斬らないのか」
イルバノアが挑発するように肩を竦めておどけるが、ソフィは動じず睨み返した。
「お前を斬るのはいつでもできる。しかし、一つ聞いておきたい。お前が人ではないことは確かだが、気配からして魔族でもない。貴様は、一体何者だ……ギルバート・グランヴィス」
「え……⁉」
こいつがギルだって。
ソフィは一体、何を言っているんだ。
僕が目を瞬くと、イルバノアは「くっくくく……」と喉を鳴らして笑い始めた。
「俺がギルバートだって。どこをどう見たって、俺はイルバノアじゃないか。何を馬鹿なことを言っている、ソフィア・デュランベルク」
「とんだ猿芝居だな。見た目や声こそイルバノアだが、仕草や口調が変わっておらん。それに貴様から漂ってくる魔力は、ギルバートのもので間違いない。先日も言ったはずだぞ、私には通じないとな」
ソフィが剣の切っ先を向けて指摘すると、イルバノアは「はは、あははは」と笑い出す。
その姿は狂気に満ち満ちていた。
「もう少し、この姿で遊びたかったんだけどねぇ。ばれちゃったならしょうがないなぁ」
「な……⁉」
僕は目を見開いて唖然とした。
ギルバートの声が聞こえたと思ったら、姿がイルバノアからギルバートに瞬く間に変わったからだ。
「ギル、本当にギルなのか……?」
「そうだよ。俺はアル兄さんに大切に想われながら、全てを奪った弟ギルバート・グランヴィスさ」
ギルが目を細めると、僕は全身に怖気が走った。
こんな邪悪な魔力を感じたのは、生まれて初めてだ。
心の闇を抱えていたとか、そんな次元じゃない。
目の前にいるギルこそが、本性を露わにした彼の真の姿なんだと直感した。
そして、同時に腹の底から怒りが湧いて溢れてくる。
「僕のことはいい。どうして……どうして、屋敷の皆にまでこんなことをしたんだ⁉」
声を震わせて問い掛けると、彼はにこりと目を細めた。
「アル兄さん、相変わらず察しが悪いなぁ。さっき言ったばかりじゃないか。糧になってもらうことで、俺がより強くなるためだよ」
「つ、強くなるため……?」
何を言っているのか理解できずに困惑すると、セシルが「アル殿」と呼びかけてきた。
「魔族が人を喰らう理由は、魔力を多量に保有する人を喰らうことが最短で強くなれるからです。糧とは、そういうことです」
「な……⁉ で、でも、ギルバートは間違いなく人のはずです。幼少期の頃からギルのことは知っていますから、魔族であるはずがありません」
「だから、姉上は奴に問い掛けたんです。『貴様は、一体何者だ』とね」
「え……?」
僕が目を瞬いていると、ソフィが目付きを鋭くして凄んだ。
「そろそろ、答えてくれないか」
「くっくくく。いいよ、俺はいま最高に気分がいいからね。特別に教えてあげるよ」
ギルバートはそう言うと、不敵に笑った。
「人間の才能には生まれつき限界がある。でも、魔族と融合すれば才能限界を突破できるのさ。俺は魔族と融合して進化した、新たな種族……そう、言うなれば『魔人』かな」
「魔族と融合、進化した魔人……⁉」
人を襲い、喰らう魔族のことは文献や伝聞で知っているけど、『魔族と人が融合した魔人』なんて聞いたことがない。
ソフィとセシルも顔を顰めている様子から察するに、初めて相対する相手なのかもしれない。
でも、ソフィがふっと表情を崩して肩を竦めた。
「なるほど、道理で合点がいったよ。お前からは魔族と人の気配が入り混じっていたからな。気持ち悪くてしょうがなかったんだ」
「気持ち悪いなんて酷いなぁ。魔人は選ばれた者にしか到達できない進化であり、人の新境地なんだ。もっと感動してくれよ」
ギルはにやにやと笑うも、ソフィは意に介さず「ところで……」と話頭を転じた。
「魔人にも『名前』ぐらいあるだろう。融合したのであれば、魔族にとって『名前』がどれだけ重要な意味を持つか知っているはずだ」
「姉上の言うとおりです。魔族は完全な実力主義の社会ですから『名・階級・種族』の三つを合わせて本名としているはず。まさか、魔人は本名を持たない『下郎』なんてことはありませんよね」
セシルが煽るように指摘すると、ギルはにやりと口角を上げた。
「その安い挑発に乗ってあげようじゃないか。俺の名はギルバート・ビショップ……いや、ギルバート・ナイトシルバー・エレヴィだ」
「ほう、エレヴィ族とは良い血筋だな。しかし、ナイトシルバーとは頂けん。私の前に立つなら、せめて『クイーンブロンズ』の強さはほしいところだぞ」
「……口が減らない、癇に障る人だねぇ」
ソフィが不敵に笑うと、ギルの眉がぴくりと動いた。
僕は隣に立つセシルの耳元に顔を寄せ、小声で尋ねた。
「あの、魔族の階級ナイトシルバーって、人でいう爵位みたいなものですよね。ソフィの言った『強さ』ってどういうことですか?」
「……手短にお伝えすると、魔族は『強さ』と『爵位』が相関関係にあります。最弱にして人でいう平民や兵士がポーン。次いで、準騎士のルーク、騎士のビショップ、男爵のナイトブロンズ、子爵のナイトシルバー、伯爵のナイトゴールド、侯爵のクイーンブロンズ、公爵のクイーンシルバー、大公のクイーンゴールドと続き、魔族の中に存在する部族の頂点に立つ者は王のキングと呼ばれています」
「な、なるほど。じゃあ、ギルの言った『ナイトシルバー』って、どれぐらいの強さなんでしょうか?」
「魔人の強さというのはわかりませんが、魔族のナイトシルバーであれば一対一で『ライアス』を圧倒できるぐらいの強さはあるはずです」
「ライアスを圧倒……⁉」
決闘で倒せたとは言え、ライアスが当主を務めていたエルマリウス侯爵家は魔法の名家として名高かった。
その彼を圧倒するなんて、魔族はなんと恐ろしく強いんだろうか。
僕が喉をごくりと鳴らして息を呑むと、セシルは「あぁ、大丈夫ですよ」と笑った。
「ライアスの魔法は確かに優れていましたが、実戦で使えるかは別物です。俺と姉上から見れば、魔法の名家といっても大したことありませんでしたよ」
「そ、そうなんですね。それを聞いてちょっと安心しました」
ほっと胸を撫で下ろすと、「くっくくく」とギルが喉を鳴らして笑う声が聞こえてきた。
「アル兄さんへの説明は終わったみたいだね。さぁ、そろそろ俺の強さを見せてあげるよ。そして、お前達を生きたまま捕らえ『あのお方』に献上するんだ。そうすれば、俺はもっと強くなれる」
『あのお方』という言葉が発せられると、ソフィの眉間に皺が寄った。
「なるほど。では、私達もお前を捕らえ、知っていることを洗いざらい吐いてもらおう」
「やってみなよぉ、できるものならねぇぇええええ」
ギルが叫んだ次の瞬間、凄まじい魔波が彼を中心に吹き荒れる。
ハッとして見やれば、ギルの左腕が蛇、魚、虫の頭部を模した無数の異形な触手となってこちらに襲いかかってきた。
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