『魔法契約書』
「……アルバート殿、愛称で呼ぶのは止めるようお願いしたはずです」
「申し訳ありません、エレノア殿」
僕が会釈すると、彼女はきゅっと下唇を噛んでから無表情に戻ってしまった。
「とまぁ、こんな感じでね。私達なりにアルバート君のことを案じていたのさ」
ライアスがにやりと笑った。
おそらく、エレの反応や過去のやり取りを振り返れば彼女が僕のことを案じてくれていたという話は本当だろう。
でも、ライアスからはきな臭さしか感じない。
感情を落ち着かせるべく、僕は深呼吸をするとライアスを見据えた。
「……エレノア殿とライアス殿が気に掛けてくれていたことはわかりました。しかし、それが今回の件と何の関わりがあるんでしょうか」
「イルバノア殿がどうなるかわからんが、ギルバート君とエレノアの婚約を解消するつもりはない。つまり、莫大な賠償金が請求されればエレノアの負担にもなるということだよ」
「それは……」
ライアス、イルバノアに負けず劣らずなんて奴だ。
自分の娘をだしにしてくるなんて、こいつもイルバノアと同類じゃないか。
それとなくエレを見やると、彼女は小さく小刻みに震えていた。
エレは気位が高くて自尊心が強いところがあるから、今回の件は納得していないんだろう。
言い淀んでいると、ライアスはふっと鼻を鳴らした。
「アルバート君とソフィア殿との出会いには、結果的に我らも間接的に関わっているようだしな。ここは貴族として、元婚約者として懐の大きいところを見せるべきではないか。それに……」
彼はちらりとセラとギルバートを見やった。
「血は繋がっていないかもしれないがセラは君の母であり、ギルバートに至っては血の繋がった弟だろう。将来後悔しないためにも、君の積年の恨みはイルバノア殿だけに向けるべきだ」
癪だけど、ライアスの言葉にも一理あるかもしれない。
僕がグランヴィス侯爵家で蔑まれていたのは事実だけど、その原因はイルバノアだ。
彼が僕のことを認めてくれていたなら、こんなことにはなっていなかった。
でも、結局のところ僕が魔法の才能をもっと早く発揮できていれば違ったのか。
いや、仮に僕が才能を発揮できていたとしてもイルバノアの本質は変わらないはずだから、どこかで衝突していたかもしれない。
何だか、鶏が先か、卵が先かみたいな話で頭がこんがらがってきた。
「そ、そうよ。全部、あのクソ男。イルバノアが悪いのよ、アルバート」
「え……?」
急に金切り声が轟いて目を向ければ、顔を真っ赤にしたセラが立ち上がっていた。
「あの男はクソよ、クソ。自分より頭が良くて気位の高い女は嫌いで、もう良い年齢なのに領内にいる若い女を金で買いあさってる猿よ、畜生よ。外で子供を作ってんのも、私は知ってんだから」
部屋にいる全員の顔から血の気が一気に引いていく。
空気が急激に凍てつくも、彼女は上機嫌で語り続けた。
「イルバノアの世話になった恩はギルバートを産んで、育てて私は果たしたのよ。だから、私もあいつと同じことをしてやったんだから。いや、もっと凄いことよ。あはは、あははは」
「もっと凄いこと……?」
僕達が眉を顰めて訝しむと、血相を変えたライアスが立ち上がって、彼女を慌てた様子で羽交い締めにした。
「申し訳ない。どうやらセラ殿はお酒を飲み過ぎているようだ。ギ……」
ライアスがギルに目配せしようとしたその時、セラがうっとりと目を潤めてライアスの頬に手を添えた。
「これよ、これ」
「んん……⁉」
部屋の空気が凍てつくどころか絶対零度、氷点下となった。
セラがライアスに熱烈な接吻を始めたのである。
「や、やめてくれ。セラ殿。私はイルバノア殿ではないぞ」
「なによぉ。いつもは熱烈に返してくるじゃないの」
何とか取り繕おうとするライアスだが、セラは艶っぽい声を発して口を尖らせると僕達を見やった。
「ねぇ、凄いでしょ。これで、あいつが大切にしていたグランヴィス家の全てをライアス様に渡しちゃうんだから」
「ち、違う、誤解だ。セラ殿は私のことをイルバノア殿と勘違いしているだけだ」
「えぇ、なんでそんな連れないこと言うのよぉ。いつも、ベッドでイルバノアを失脚させる好機があれば教えてくれって、言ってたじゃないの」
「やめろ、断じてそんな話はしていない」
必死に何とかしようとするライアスだが、彼が弁解すればするほど僕の心は冷めていった。
「……茶番だな。もういい」
ソフィが今までに聞いたことのないどすの利いた低い声を発した瞬間、部屋の床、壁、天井に至る全ての場所がきしみだした。
彼女が魔圧を発したのだ。
「うぐ……⁉」
「あぁあああ⁉」
ソフィが睨みを利かしたライアスとセラに至っては、立ってられないほどの魔圧を浴びせられたらしく、その場に両膝を突いて倒れ込んでしまった。
「貴殿達がどんな陰謀を張り巡らそうが、私は別に構わん。だが、聞くに堪えん醜聞を勝手に語ることを許すほど、私は寛容ではないぞ」
「も、申し訳ありません、ソフィア殿。どうか、どうかお許しください。全てはセラ殿の酒乱によるもの。彼女は、彼女もイルバノア殿の暴言と暴力に脅かされ、心を病んでいるのでございます。どうか、どうかご容赦を」
ライアスが必死に嘆願する横で、セラは悲鳴を上げている。
「はぁ、全く頭が痛くなる輩だ」
ソフィはため息を吐くと、魔圧を発するのを止めた。
「アル、この件は一任する。したいように裁定を下せ」
「裁定を下せって、そんな権限……」
「王家に次ぐ力を持つデュランベルク公爵家にできないことはありません」
あるわけない、と言おうとしたらセシルが被せてきた。
「そもそも、彼等はアルバート殿と約束があるという虚言を用いて上位貴族である当家に無断で上がり込んだのみならず、給仕たちに暴言を吐き、乱暴まで働いたのです。何をどうしようが文句は言われないでしょう」
「あ、そうなんですね」
そうか、デュランベルク公爵家ってそういう存在だったなぁ。
僕は部屋にいる面々を見回すと、ライアスを見据えた。
「陛下に賠償金減額を申し出ることも、僕が賠償金の一部を負担することもお断りします」
「うぐ……⁉」
ライアスは悔しそうに歯ぎしりするが、僕はまだ言わないといけないことがある。
「それと、エレノア・エルマリウスとギルバート・グランヴィスの婚約を白紙にしてください。その上でエレノアが自分自身の判断で婚約するか、独立するのか、はたまた家に残るのか……道を選べるようにしてください」
「え……⁉」
エレは驚愕した様子で目を見開いている。
彼女との婚約は解消されたし、今の僕はソフィの夫だ。
道は違ってしまったけど、僕があの家でも腐らずにやって来られたのは『エレ』のおかげであることだけは間違いない。
「な……⁉」
ライアスも目を丸くするが、彼は何やらハッとしてにやりと笑った。
「いいだろう。だが、条件がある」
「この期に及んで条件、だと……?」
ソフィが睨みを利かすが、ライアスは怯まない。
「はは、凄んだって無駄だ。カルドミア王国の法律上、エレノアの婚約解消には絶対に私の承諾が必要だからな。私の条件を聞かなければ、エレノアはグランヴィス侯爵家に絶対に嫁がせる。娘は巨額の賠償金を背負うことになるが、アルバート君の決定だ。しょうがあるまい」
「……姉上、アルバート殿」
セシルが眉をぴくりとさせ、僕達を見やった。
「エレノア殿の婚約解消については、残念ながら奴の言うとおりです。部外者の私達がどうにかできることではありません」
「畜生でも侯爵か、小賢しい奴だ。どうするんだ、アル?」
「わかりました。まずは彼の条件を聞きましょう」
僕がそう告げると、ライアスは不敵に笑った。
「簡単だ。私とアルバート君で『魔法契約書』を用いて決闘を行おうじゃないか。もし、アルバート君が勝てばエレノアとギルバート君の婚約を白紙とし、君の言うとおりに娘は自由にする。しかし、私が勝てばグランヴィス侯爵家の負担する賠償金は全てデュランベルク公爵家に肩代わりしてもらい、今回の件はすべて不問としてもらうぞ」
「な……⁉」
こいつ、なんて面の皮が厚い奴なんだ。
『魔法契約書』とは、魔力を帯びた特殊で貴重な契約書を指している。
記載内容に納得して血判することで効力が発動し、もし契約を破ったり、反故にした者には契約書に記載された罰則が発動される。
罰則は基本的に『死』に直結するものか、四肢や臓器など体の一部を欠損させることが多いそうだ。
僕も存在は知っているけど、現物は見たことがない。
魔法契約書を用いた決闘なんて、とんでもない危険性が伴うから普通は考えてもやらないはずだけど、僕との決闘であれば勝利を確信しているんだろう。
本当に小賢しいことを考える。
でも、この条件を呑んでライアスに勝たないと、エレノアは救えない。
「良かろう」
「え……⁉」
どうすればと僕が考えている間に、ソフィが即答してしまった。
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