アルバート・グランヴィス
「アルバート・グランヴィス君。突然で申し訳ないが、君と娘の婚約は今日限りで破棄させてもらう」
「え……?」
魔法の名家と名高いカルドミア王国所属のグランヴィス侯爵家。
王都にそびえ立つ豪邸の来賓室で、義父となるはずだった『ライアス・エルマリウス』からの冷たく突き放すような言葉に僕は絶句していた。
ライアスの細い目に浮かぶ青い瞳は全く笑っておらず、いつもの笑顔はそこにない。
彼の赤毛の髪が、怒りに燃えているようにも見えてくる。
「ライアス様、恐れながらどうして急にそのような……」
「君自身の胸に聞いてみたらどうかな」
ライアスがソファーの背もたれに体を預けると、眉間に皺を寄せていた僕の父上こと『イルバノア・グランヴィス』が深いため息を吐いた。
父上は茶色の短髪、鋭い目つきに茶色の瞳を浮かべた怖面の表情をしている。
「……我々は寛大にも十八年の猶予をお前に与えていた」
「十八年の猶予……」
僕が恐る恐る視線を向けると、父上はこくりと頷いた。
「そうだ。我らグランヴィス侯爵家は、カルドミア王国建国時代から魔法に優れた名家として名を馳せ、政権を支え、戦に貢献し、国を支えてきた。その実績によって侯爵家という地位を獲得しているのだ。その侯爵家の跡取りが『できそこないの落ちこぼれ』など、許されるわけがあるまい」
「う……」
父上の鋭い眼光に睨まれ、僕は一気に震え上がってしまう。
でも、『できそこないの落ちこぼれ』という指摘は全くその通りで何も言い返せなかった。
僕には魔法も、武術も才能が全くない。
特に魔法は致命的でどんなに知識を学び、練習に励んでも『誰でも使えるような魔法』すら発動できないのだ。
「お前の母であるセシリアは、魔法の扱いに長けた妖精族だったというのに。何故、お前のような『出来損ない』が生まれたのか。理解に苦しむ」
「……返す言葉もございません」
言い返すこともできずに悔しくて、悲しくて、情けなくて、僕は下唇を噛んで俯いた。
僕の母の名は『セシリア・グランヴィス』。
小柄だけれど、誰もが魔法の才に恵まれるという妖精族の高貴な血筋だったそうだ。
魔法の名家と名高いグランヴィス侯爵家と妖精族の高貴な血筋が混ざり合い、長男として誕生したのが僕だった。
父上や周囲の期待を一身に受け、父親譲りの赤毛に青い瞳を持つ『エレノア・エルマリウス』と婚約したのも物心が付く前の幼少期だ。
魔法の名家と妖精族の血が混じり合った後継者の誕生……期待値が高かった分だけ、僕に対する失望は凄かったんだろう。
日を追うごとに父上や周囲の期待は薄れ、僕は『できそこないの落ちこぼれ』として冷たい眼差しを向けられるようになる。
母上だけは優しかったけれど、家の中で立場を失っていたのは子供の僕でもわかるほどだった。
やがて母上は体調を崩し、病に倒れてそのまま数年前に亡くなってしまった。
『アル、大丈夫よ。イルバノア様や周囲がなんて言おうとも、貴方は絶対に才能がある。諦めずに前を見て、道を踏み外してはなりませんよ』
母上はそう言い残し、最期まで僕のことを心配してくれていた。
確かに父上やライアスの言うとおり、僕は『できそこないの落ちこぼれ』だ。
でも、このまま婚約破棄を受け容れれば案じてくれた母上に顔向けができない。
僕は意を決して声を発した。
「し、しかし、父上。私にだって出来ることはございます」
「ほう、言ってみろ」
「炊事洗濯、料理、事務処理は何でもこなせます」
身を乗り出して声を高らかに発言すると、来賓室がまるでお通夜のような空気になってしまった。
どうしよう、この空気。
困惑していると「ふふ、あっはは」と明るい笑い声が室内に響いた。
「アル兄様は本当に面白いね」
目元を擦りながら笑顔をこちらに向けたのは、僕の腹違いの弟『ギルバート・グランヴィス』だ。
僕と違って身長の高い弟は、薄い茶髪に目尻の下がった目に黒い瞳を浮かべている。
「必死になって何を言い出すかと思えば、それは父上が求める後継者には必要ないでしょ」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
「ギルバートの言うとおりです」
言い返そうとしたところで、黒い長髪と細く鋭い目つきに黒い瞳を浮かべる『セラ・グランヴィス』が被せるように断言した。
彼女はギルバートの母であり、僕の義母だ。
「炊事洗濯、料理など給仕や使用人の仕事です。事務処理に至っては執事にでも任せればよいではありませんか」
「セラの言うとおりだ。我がグランヴィス家の当主に必要なのは魔法の名家として相応しい『魔法の素養』。つまり、才能だ」
「で、ですが……エレノアの経歴にも傷がついてしまいます。それでも、よろしいのですか」
「その点は問題ありません」
この場に同席している婚約者の『エレノア』に視線を向けたその時、ライアスが身を乗り出して頭を振った。
「今回の婚約破棄はエレノアもすでに承知している」
「え……⁉」
目を丸くして振り向くと、彼女は顔色を変えないまま淡々と冷たく切り出した。
「察しの悪さは相変わらずですね。私の父を含め、イルバノア様やギルバート様という面子が揃っているのです。私が承知していることは言うに及ばず、考えれば理解できることでしょう」
「エレ、君までどうして……⁉」
物心がつく前、幼少期に婚約したエレノア。
彼女だけは『大丈夫。私は貴方のことを信じております』と言って、僕のことをずっと励ましてくれていたはずなのに。
彼女は小さなため息を吐くと、やれやれと首を横に振った。
「……今後、私の事を愛称で呼ぶのはお控えください。これからは『エレノア』でお願いします」
「ぐ……⁉ 畏まりました。ですが、まだ質問にお答えいただけておりません。エレノア様の経歴はどうされるおつもりですか」
どんな理由があるにしろ『婚約破棄』という経歴があっては、高位貴族との縁談は望めないだろう。
僕だけならいざ知らず、彼女まで巻き込むなんて。
「やっぱり、アル兄様は鈍いねぇ」
ギルが笑みを溢して立ち上がると、エレノアの隣に腰掛けて彼女の肩を抱き寄せた。
「こういうことだよ、アル兄様」
「な……⁉」
目を瞬くと、父上が咳払いをした。
「アルバート、お前にはグランヴィス家が管理する辺境で隠居してもらうつもりだ」
「辺境で隠居、ですか?」
「あぁ、そうだ。表向きは難病を発症したことにするがな」
父上が相槌を打つと、ライアスが続けた。
「難病を発症したアルバート君は、次期当主の座と婚約者をギルバートに譲り渡した。そして、君自身は療養のため辺境で過ごすことになったと、発表するつもりだよ。誰も傷つかない、素晴らしい物語【ストーリー】だろ」
療養のため辺境で過ごす、か。
隠居というよりも、実際は軟禁に近いんだろうな。
父上とライアスがここまで計画を立てているということは、もう何を言っても無駄だろう。
僕は深呼吸をすると、エレノアを見つめた。
「エレノア……様は本当にこれでよろしいのでしょうか」
「……当然です。アル、バート様は才能がなく、当主に相応しい器ではありません。人には分相応というものがあります。家や私達のことなど忘れ、辺境で隠居するのが貴殿のためかと」
「そうだね。それにアル兄様は優しくして努力家だから、辺境でも上手くやっていけるよ」
「はは、そっか……」
彼女の言葉にギルバートが目を細めて頷くと、もう乾いた笑いしか出てこなかった。
エレノアの言うとおり、人には分相応というものがあるのも確かだ。
彼女のため、母上のため、必死に頑張っていたけれど、ここで諦めて良いのかもしれない。
それにギルバートは僕と違って魔法の素養もあるし、才能豊かだ。
グランヴィス家の後継者として、エレノアの婚約者として僕よりも相応しいだろう。
結局、僕は後継者の座に未練たらしく、しがみついていただけなのかもしれないな。
「……わかりました。父上とライアス様の言うとおりにいたします」
「決まりだな。では、アルバート・グランヴィスに命ずる」
僕が頷くと、父上は眼光を光らせた。
「直ちに荷物をまとめ、辺境に向けて今日中に出発しろ」
こうして、僕ことアルバート・グランヴィスは王都を去ることになった。
◇
「……まさか十八年過ごした家をこんな形で去ることになるなんて想像もしていなかったなぁ」
僕はいま飾り気のない服装で最低限の荷物をまとめたリュックを背負い、王都から辺境まで乗せてくれる『魔動列車』の駅に向かって街中を一人で歩いていた。
魔動列車は魔石に込められた魔力を動力源とし、線路がある地域に短時間で移動できる乗り物だ。
『アル兄様、貴族服のままで魔動列車に乗るのは危険ですよ。できるかぎり、質素な服装で行ってください。万が一、誘拐や事件に巻き込まれても父上は助けてくれませんよ』
家を出て行く準備をするなか、ギルバートに掛けられた言葉に僕はゾッとした。
実際のところ次期当主の座を降りた僕に、父上は従者や護衛を用意してくれなかったのだ。
隠居先の辺境に辿り着く前に何かあっても、助けるつもりがないのかもしれない。
むしろ、厄介払いになったと思うかも。
「はは、僕は僕なりに頑張っていたつもりだったんだけどな……」
自虐的に呟いたその時、背後から馬車とは違うけたたましい音が轟いてくる。
なんだろうと、足を止めて振り向くと『魔動車』が道の真ん中を走ってきていた。
魔動車、か。
それもパッと見た感じ最新型っぽい。
グランヴィス家と同等か、それ以上の貴族が乗っているんだろうな。
魔動車は魔動列車と同じく魔石を動力源として動く乗り物だ。
数年前に開発され、瞬く間に貴族御用達の乗り物となっている。
ただし、最新型となれば高位貴族しか買えない高価な代物だ。
大型車っぽいし、危ないからちょっと離れておこう。
道の脇に逸れようとしたその時、背負っていたリュックに強い衝撃が走る。
「え……⁉」
自分の身に何が起きたのか理解できないまま、僕は押し出されるように道路の真ん中で転んでいた。
「痛……⁉ 一体、誰の悪ふざけだよ」
転んだまま地面に向かって悪態を吐いていると、周囲から「危ないぞ」という声と悲鳴が聞こえてきた。
ハッとして顔を上げると、魔動車がすぐそこまで迫ってきているじゃないか。
「うわぁああああああ⁉」
僕、これで死んじゃうの⁉
叫ぶと同時に僕の体は魔動車に跳ね飛ばされ、体と衝撃が走る。
次いで、地面に背中から落ちて頭が鈍痛に襲われた。
彼方此方から悲鳴が聞こえてくるなか、「君、大丈夫か⁉」と凛々しい女性の声に呼びかけられる。
でも、頭がぐわんぐわんしているせいか、目が回って声の主の顔がよくわからない。
「待っていろ。すぐに医者のところに連れて行く」
医者、だって⁉
そんなことになれば父上達になんて言われるかわからない。
僕は必死に声を絞り出した。
「ま、待ってください。医者はやめてください。僕はこのままで大丈夫ですから」
「何を馬鹿なことを言っているんだ」
「大丈夫、だいじょう……ぶ……」
体の痛みはないけれど意識がどんどん遠くなって、呼びかけられる声も籠もって聞こえてくる。
「おい、君。しっかりしろ⁉」
「だい、じょうぶです……から……」
なんとか言い切ると、僕の意識はそこで途切れてしまった。
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