無限会社家族
どうも、星野紗奈です。
今回投げておくのは、「どんな精神でコレ書き上げたんだろ……?」みたいな作品です。
自分で言うのもなんですが、結構胸糞です。
多分もろもろ疲れていたんだと思います。
以上三行の説明で少しでも不安を覚えた方はブラウザバック推奨です()
なんでも大丈夫!という方は、このままお楽しみいただければ幸いです。
それでは、どうぞ↓
ある土曜の昼下がり、折りたたみ式の机を囲むように皆が地べたに座っていた。俺はラグの柔らかさの丁度良い位置を上手いこと探し当てると、痛む腰を落ち着けて口を開いた。
「えー、今月もお疲れ様です。定例会議始めていきます。よろしくお願いします」
そんな口上を述べると、他の者が似たようにひょっこり頭を下げた。進行を妨げないためか、返答はせずにじっとこちらを見つめている。
「まず、来月支給の給与読みあげです。恒例で衣食住などの必要出費を除いた実質的な支給額のみ発表します。母。日当一〇〇〇円かける三一日で計三一〇〇〇円。姉。月給六〇〇〇円。今月はおそらく定期考査が実施されていたと思いますので、学業における賞与は別途母に申請をお願いいたします。弟。月給三〇〇〇円。こちらもスポーツにおける賞与制度がありますので、忘れずに自己申告をお願いします。犬。日当一五〇円かける三一日で計四六五〇円。これにより犬の預金残高は二〇〇八五円となっております。もしレジャーなどを企画する場合には必ず一週間以上の余裕を持って提案をお願いしますね」
特に言い淀むこともなく読みあげが終わったことに、俺はほっと息をつく。各々の給与を記した紙をそっと手放すと、端が手汗でふやけていた。
「……私からは以上です。では、他に何かこの場で話しておきたいことがあれば挙手をお願いいたします」
俺がそう言うと、脇ですっと手が挙がるのが見えた。母である。俺は身構えながら「母。どうぞ」と発言を促した。
「はい。お時間いただきありがとうございます。この場を借りて母の昇給を提案させていただきます」
「詳しくお願いします」
「はい。姉と弟の進学に伴い、母の業務は激化しているのが現状です。私は毎日朝早く起きて弟の弁当を作り、姉が夜バイトから帰宅した後に眠い目を擦って洗濯をしています。これは私の作業効率の問題ではなく、家族の要望に応えた結果、業務の量も労働時間も増加傾向にあるのです。私の業務成果は他のメンバーの感謝の言葉によって証明されていると思いますので、これを評価した昇給をご検討いただけないでしょうか」
「なるほど。ですが現在の給与で特に困ったことはなさそう……」
「他の方が御存じかどうかはわかりませんが、家全体の収入は今月大幅に増えていたはずですよね。今昇給を提案しなければ次はいつその機会が望めるでしょうか。それとも、既に何かに予算があてられているのですか」
「いえいえ、そんなことは。ただほら、貯蓄はあって困るものじゃないですし……」
「今回の私からの提案は決して父に対する着服の疑いに発端するものではありません。あくまで業務対対価を見つめ直した結果です。ただ、もし今後も同じ給与で同じ仕事を任されるのであれば、業務内容と給与が釣り合っていないと感じるためボイコットさせていただきます」
「……わかりました。母の昇給を検討します」
俺が一言そう伝えると、母はすまし顔で背筋を伸ばして座り直した。喉の奥から這い上がってくる空気のようなものをどうにか引きずりおろして、「他には」と辺りを見回す。今度は弟が「はい」と言って手を真直ぐに挙げた。
「弟。どうぞ」
「はい。ありがとうございます。僕が言いたいのは賞与の話です。学業などで優秀な成績をおさめたら賞与があるという取り決めについては、先ほど父もおっしゃっていましたよね。ですが僕はまだそれを受けとっていません」
「申請を忘れていた、ということは?」
「ありません。ちゃんと行いました。なのに先々月の分から延滞続きです」
「なるほど。ちなみにスポーツにおける賞与の手続きは母が担当していたかと思われますが」
「はい。こちらで申請は受けています。ですがその後父から金銭の支給がないため、支払い手続きが滞っております」
「……それはすみませんでした。解散後至急受理します」
「あ、それともう一ついいですか」
「はい。何でしょう」
「最近、スポーツの成績に対するお祝いがずさんだと思います。中学生になって一層頑張って結果を出しているのに、これじゃあモチベーションが下がります。待遇改善を求めます」
「具体的には何かありますか」
「毎回ゲームを買って欲しいなんて贅沢は言いません。好きなお菓子を一つ買ったり、特別にデザートを付けて夜ごはんを少し豪華にしたり」
「なるほど。現実的な提案ですね。ですが先ほど母の業務について提言があったため、折り合いを付けながら少しずつ……」
「少しずつっていったいいつになるんですか。そうやって問題を先送りにしている間にも、僕は成績を残して欲しいと期待をかけられますよね。スポーツが好きという気持ちを利用してこの活動を続けさせるのであれば、それはやりがい搾取ではないのですか。それともこれは僕へのモラルハラスメントですか」
「そんなつもりでは」
「待遇の改善を求めます」
「……承知しました。なるべく早く方針をまとめて打ち出しますので、申し訳ございませんが数日ほどお待ちください。必ず来月までには対応しますので。それから、弟への待遇改善は他のメンバーの助力が必須になると思われますので、その際はどうかご協力をよろしくお願いいたします」
背中に張り付いたシャツをひきつらせながら俺が頭を下げると、「あの」と次の声が掛かった。姉である。
「姉。何でしょう」
「私は弟の評価を一度見直すべきではないかと思います」
「なるほど。理由をうかがっても?」
「はい。弟は現状スポーツのことばかりを話していますが、その実学業の成績はかなり落ちていると聞いています。スポーツによる賞与はあくまで賞与、学生の本分である学業で実績を残していない人物ばかりを評価し続けるのは正当ではないと思います」
「一理ありますね」
「それから」
「……それから?」
「改めてこの場でセクシャルハラスメントの被害をご報告させていただきます。深夜に弟が私室へ侵入してきて身体に触れる行為が常習的に繰り返されています。それにより不眠の症状があらわれており、寝不足で毎日の体調が優れないほか、思考がままならないことによりテストの成績が落ちてしまいました。これらは私自身の責任よりも弟の行動による影響が大きいと感じるため、これらの被害について弟に補償を求めます」
「なるほど。ですがまずは事実確認が先です」
「お言葉ですが、私は先々月からこの告発を行っております。それなのに未だ何の対策もうたれていないというのは、一体どういうことなのでしょうか」
「……申し訳ございません。では、応急措置として姉の私室に鍵を取り付けるというのはいかがでしょう。勿論、これは経費として落とします」
「お言葉ですが、先月も同様の提案があり、至急対応するとのご返答をいただきました」
「…………大変申し訳ございません。解散後、すぐに鍵の注文を行います。今夜に関しては、母の私室に避難する形で、ええ……いかがでしょうか?」
母の方に目を向けながら、俺は右往左往する音を無理矢理並べてそう言う。母はすまし顔で「急な提案は困るんですけど」と小さくこぼした。それが聞こえたのか否か、姉はむっと眉間に皺を寄せたままである。
すると、「あのう」という声に続いて、独特の呼吸音が耳に入ってきた。若干視線を下げると、犬がおずおずと右の前足を持ち上げていた。
「犬。どうかされましたか」
「ええっと、余計なお世話だったら大変申し訳ないのですが……ご迷惑でなければ、私から一つご提案させていただいてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「ありがとうございます。これはあくまで一時的対処にしかならないのですが、ひとまず今夜の対策ということであれば、私が姉の部屋の警備を請け負いましょうか?」
「大変ありがたい申し出なのですが、本当にいいのですか?」
「ええ、ええ、もちろんです。最近は静かに昼休憩をとれるので、夜通し見張るくらいの元気はありますから。それに、姉には幼い頃からお世話になってきましたから、私奴がお力になれるのであれば嬉しい限りです」
「……とのことですが、姉としてはどうですか」
「是非お願いしたいです」
「では、今晩は犬に姉の部屋の警備をお願いしようと思います」
「それで、代わりといってはなんですが……」
てっきりもう止まると思っていた犬の声に、吐き出しかけた息を押し戻す。一難去ってまた一難、ふとそんな言葉が浮かんだ。
「ええっと、可能であれば待遇の改善をお願いしたいのです」
「具体的にうかがっても?」
「はい。私が待遇の改善を求めますのは、主に福利厚生の面でございます。グレードの高い餌や道具の購入は、現在自費で支払っておりますが、働きぶりによってはそれを経費で落としてもらえないものかと思いまして……。こんな愚鈍な犬を雇い入れてもらえているだけ大変ありがたい話ではあるのですが、もし私も他の方々と同じように仕事を評価していただけたら、どんなに充実した犬生になるだろう……と非常に羨ましく思っているのです」
直後、犬が突然目の色を変えたことで、俺は自分が「仕事……」と意図せず口にしてしまったことに気がついた。
「……やはり、と言うべきでしょうか。私奴のような分際ではおこがましいお話でしたね」
「いえ! いえ、そんなことは……」
俺が次に返す言葉を必死に探していると、犬は熱を帯びた声をもって静かに訴えかけるように語り出した。
「私奴の行っていることは、皆様と比べましたら極めて小さなことでございます。傍から見れば、食って遊んで寝ているだけの世話のかかる居候でしかないのですから、これを仕事と認めてくださらないのは当然のことかもしれません。ですが、それでも私奴は、皆様の人生の幸福度の向上の一端を担っているという自負があります。それはこの家の中に限ったことではなく、社会全体に対するものです。ご近所付き合いはもちろんのこと、SNSなども普及してより広くアニマルセラピーを行うことができるこの時代に生きていることを、私奴は何より喜ばしく思うのです。私奴の行っていることを仕事と認めてくださらないのであれば、それでもかまいません。ですが、こんなにも小さな存在である私奴のことを待ちわびて下さる方々が少なからずいらっしゃるのです。今後も充実した活動を続けていくためにも、何卒ご支援を……」
そう言うと、犬は毛深い首を引っ込めて不格好に頭を下げた。俺は思わず息をのみ込んだ。誰が結託しているのかを悟れるほど俺は現状を把握できていなかったが、少なくとも今俺が犬の意見を却下すればまたどこかから「動物虐待」なんて言葉が飛びかかってくるに違いないことだけは確かだった。一つ一つ慎重に言葉を選んで、俺は口を開く。
「……わかりました。ご要望に沿うように、既存の制度を見直しましょう。改定にあたっては、少々お時間をいただくことになりますが、よろしいですか?」
「本当ですか! ありがとうございます……ありがとうございます……」
犬は持ち上げた口角から規則的に息を吐き出しながら、大げさなくらい恭しく何度も頭を揺らした。何だか掌で転がされたような気がして少しばかり眉間に皺を寄せたくもなるが、この場が丸く収まるに越したことはない。そう自分に言い聞かせて、俺は吐き出しそうになった悪態を湿った空気に変えた。
全員の意見が出そろったということは、この会議の時間も着々と終わりに近づいているということである。俺はそこに僅かな希望を見出して、最後の気力を振り絞る。
「皆さん、貴重なご意見をありがとうございます。さて、時間も時間ですし……どうでしょう、他になければそろそろしめさせていただこうかと思うのですが」
俺の声を聞いて、皆が考え込むような表情を浮かべる。そして、早く解放されたいという俺の願いを裏切るように、一つ、手が挙がった。
「姉。どうぞ」
「お時間をとってしまい、申し訳ございません。ちょうど今思い出したのですが、先日母が風邪で寝込んだ際、代わりに私が家事を請け負った件について、そこに賃金は発生しないのでしょうか?」
「なるほど、確かにそうですね。その日の母の仕事を姉が代わったと考えるのであれば、母が受け取っている賃金を姉が受給する権利はあるでしょう。これに関しては私を経由するより母に直接手続きを行っていただいた方がスムーズかと思うのですが、いかがでしょう?」
提案先の母の表情を見やれば、いかにも不機嫌そうだった。しかし、反論できそうな箇所もないと分かったらしく、母は口をすぼませて「わかりました」とぼそぼそ言った。俺がほっとしたのもつかの間、直後、その白羽の矢が俺たちの方へ飛んできた。
「その日のことについて、私も思ったことがあるので言わせていただきますと、母が体調不良であるにも関わらず弟や父のサポートがありませんでした。今後のためにも、どのようなサポートを行うべきか事前に話し合っておくのが良いのではないかと」
「なるほど。何か具体的な案は考えていますか?」
「そうですね。例えば、今回の件に関しては姉しかスキルを持っていなかったことがサポート不足の要因の一つと考えられますので、洗濯や料理といった家事に関する勉強会を実施して欲しいです。また、病人に対するメンタルケアは一層慎重になる必要があるにもかかわらずそれが疎かになっていると感じたので、その点に関しても同様です。それから、母が休んでいる間に出費が急増していたことにつきましても、金銭的な取り決めを新しく設ける必要性があるだろうと思います。加えて……」
「わ、わかりました。この件に関しましては後で個別に話をうかがいますので、内容を整理してから全体の議題にしましょう。他はもうよろしいですか?」
「弟です。姉が母の家事を代わりに行ったことについて僕も言いたいことがあるんですが、いいですか?」
「何でしょう」
「そもそもなんですが、あの日の家事代行は姉が自ら母に進言して行ったことですよね? なら、それはボランティア活動として考えるべきではありませんか? なので、姉への賃金支給は不当だと思います」
「なるほど。それが本当なら、一理あるかもしれませんね」
「それに、姉はバイトをして外部からお金を稼いで来ているので、お金にはあまり困っていないと思います。だったら、その日母が貰うはずだった給与は、家庭内の貯蓄として別のことに充てて有効活用すべきじゃないですか?」
「それには異議があります」
俺が仲介の言葉を発するより先に、姉が眉をぴくぴく震わせながら反論する。
「ボランティアだから無償でも良い、という考え方はいささか古いのではないでしょうか? 私は母のやっていた仕事を不足なくきちんとやり遂げたのですから、同じだけの報酬を貰うのは当然のことだと思います。そもそも、給料に関して言えば減給すべきは弟の方ではありませんか?」
「何でですか? 僕が何かしたって言うんですか」
「スポーツ推薦を狙っているのか何なのか知りませんけど、学生の本分は言わずもがな学業です。最低限の学業もこなせていないのに賞与ばかり受け取っているのはおかしいと思います」
「今どき学業の成績ばかりにこだわるなんて、それこそ古臭い考え方ですよ。今は個性を大事にする時代なんですから、僕は僕の得意な分野を伸ばしていきたいと思っています。……というか、姉のそういう態度は立派な学歴差別だと思いますが」
二人の語調が徐々に揺らいでいくが、母はいつかこうなるはずだったに違いないという平然とした面持ちで黙っており、犬はどうすべきかおろおろと首を左右に振るばかりである。俺は冷や汗をかきながら「まあまあ、一旦落ち着きましょう」と仲裁に入った。むっとした弟と姉の視線がこちらに刺さる。その痛みをこらえながら、俺は冷静を装って言葉を発した。
「感情任せの言い争いになってしまうのはよくありません。この場は個人の不満を吐露する場ではなく、あくまで理性的な話し合いの場です。会議の時間が長引いているせいで本題を見失っているようですから、ここで改めて経営方針を確認し、それにそう内容のご意見をこの場の議題としましょう。ではまず母にうかがいますが、使命・存在意義であるパーパスは何でしょう?」
「『家族としての生活の充実度を向上させ、幸福な社会の一員となる』ことです」
「おっしゃる通りです。では弟、あるべき姿を表したビジョンは何でしたか?」
「はい。『愛の奉仕者ではなく、よきビジネスパートナー』です」
「そうでしたね。では、姉にお尋ねします。指標となる価値観、バリューはどういったものでしたか? 四つあるうちの二つを教えてください」
「『一、家族はいつも繋がっている。』家族とは、どんな時でも助け合える存在です。一方で、密接なつながりだからこそ、お互いの影響をきちんと考えましょう。『二、素直な心で話し合おう。』遠慮は必要ありません。自分の価値を下げずに、言いたいことを言って良好な関係を築きましょう」
「素晴らしいですね。では最後に、犬。残りの二つのバリューをおっしゃっていただけますか」
「はい。『三、親しき仲にも礼儀あり。』身近な距離感を大切にしながらも、感謝の心はいつも忘れないようにしましょう。『四、隣の芝もいい感じに青い。』他所は他所、うちはうちです。どちらもけなすことがあってはいけません。……以上です」
「ありがとうございます。完璧なご回答でした。経営方針につきましては、今確認した通りです。これらを踏まえて、何か提言したい内容がある方はいらっしゃいますか?」
既に疲れきった笑顔が更にひきつる。しかし、この会議を進行するのは紛れもなく俺の役目であるから、俺は「はい、犬。どうぞ」とか細く口にした。
「度々お時間をいただいてしまい、すみません。私奴が提言させていただきたいのは、空気の改善でございます」
「……続けてください」
「ええ、はい。具体的に申し上げますと、この会議制度の改正を進言いたします。勿論、こちらの定例会議は我が家に適した方法であると考えられたが故に採択されたことは存じ上げておりますし、先ほどバリューの四つ目として読みあげさせていただきました『隣の芝もいい感じに青い。』という価値観につきましても重々承知しております。ですが、毎月このような会議を行っていることそのものが皆様の多大な心労となっているのではないかと、この犬畜生奴は思うのです。病は気からとも言いますからこのままでは皆様のご健康も心配ですし、ご病気になられては『幸福な社会の一員となる』というパーパスの達成も遠のいてしまいますでしょうから、どうぞもっと穏やかなやり方を探してみるのはいかがでしょう」
「バリューやパーパスと絡めた問題提起をありがとうございます。なるほど、現状の会議の制度を根本的に変える必要がある、ということですね?」
「ええ、ええ。犬如きが何を、と思われたら大変申し訳ございませんが……」
そんな言葉と共に、短い首がまた毛の中へと埋もれていく。するとその時、「はあ」というため息の音がくっきりと耳に刻まれた。
「犬はこんなに謙虚なのに、姉ときたら……」
「母。何か発言があるのなら挙手をお願いいたします」
俺が注意すると、母は苛立った様子で腕を持ち上げ、指名するより先に話し出した。
「私、母がカスタマーハラスメントを受けていることを、皆様は御存じでしょうか。加害者は姉です。姉は近頃、無遠慮に私の作る食事に文句ばかりつけてくるのです」
すると、今度は姉が足を組んで母を睨みつける。
「異議あり。私は『素直な心で話し合おう。』というバリューに基づいた行動をとっただけです」
「なるほど、その点は認めましょう。ですが、あなたの一方的かつ威圧的な態度は『親しき仲にも礼儀あり。』というバリューに反していますよね? それに、私が姉から受けているカスタマーハラスメントは、何も食事に限ったことではありません。先日私が洗濯を行おうとした際、姉から突然、男性物を一緒に洗うなと言われました。私たちは『愛の奉仕者ではなく、よきビジネスパートナー』であるはずですよね? 報連相がないのであれば対応できかねますとお返事したところ、一方的に怒鳴りつけられました」
思わぬ指摘に、俺の肩が揺れる。
「なるほど。……ちなみに、母の言ったことが正しかった場合、それは男性を対象としたジェンダーハラスメントとも受け止められる可能性がありますが、この点について姉はどうお考えですか」
「父のご意見について、そもそも私のような若輩者には思春期や反抗期といった時期が存在することは周知の事実ですよね? であれば、その事情は言わずもがな考慮されてしかるべきだと思うのですが。……それに、そもそもジェンダーに関することでいえば、私の受けているセクシュアルハラスメントの問題がまだ解決していませんよね。まさか、それを外に投げてご自身の関わる問題を先に解決しようとする気ですか?」
「いや、そ、そういうわけでは……」
俺がどもったのを好機とみたか、全員の不満がここぞとばかりに溢れ出す。
「ちょっと待って下さい。僕はセクシュアルハラスメントなんかしてません! 僕は絶対、加害者なんかじゃないんです!」
「何をおっしゃっているんでしょうか? 『家族はいつも繋がっている。』という価値観が提示されているにも関わらず、都合の良い時だけ甘えて、助け合いが求められる場面からはいつも率先して逃げていますよね? 共有されているはずの仕事を押し付けているんですから、観点を変えればあなただって加害者じゃないですか!」
「母、落ち着いてください。『素直な心で話し合おう。』とはありますが、言葉を選ばずに他者を傷つければ、それは自分の価値を下げることにも繋がってしまいます。どうか落ち着いて……」
「何よ! さすが、食って寝て遊んでいるだけで金が手に入る奴は態度が違うわね。犬の癖にしゃしゃり出てこないで!」
「ちょっと母! その言い方はないでしょう!? これは動物虐待ですか? それともパワーハラスメントですか!?」
「姉はいつもそうやって犬の味方ばかりしますよね。そうやって普段から犬を騙しているんだ! 僕は姉が犬の動画をSNS上に投稿していることを知っていますが、言いなりになる犬を使って小銭を稼ぐのがそんなに楽しいですか? あれはやりがい搾取ですよ!」
「動画をネット上に公開しているのは知っていたけれど、まさかお金を稼いでいたなんて! あなた一人で稼いだものではないんだったら、それは家全体の収入として換算すべきでしょうに……これは立派な横領よ!」
「そんなの無茶苦茶です! 大体、母だって掃除をしていないのにしたとか、お惣菜を詰めたお弁当を渡してきて手作りだとか、散々虚偽の報告をしていますよね? そうやってずる賢く稼いだ給料があるくせに、人のこと言えるんですか!?」
ありとあらゆる問題が芋づる式に現れてくる。そのほとんどが母と姉と弟の三人の罪の擦り付け合いで、そこに時々犬が巻き込まれているような様子だった。俺は気づけばすっかり蚊帳の外で、言い争いを止めに入るほどの元気も残っておらず、ただただ傍観するしかなかった。しかし、聞いても聞いてもその熱が引いていく気配はない。茹る空気の中、俯いた視線が机の上に置かれたままの資料をとらえる。そのふやけた紙の端が、きっと今の俺の表情そっくりなんだろうと思った。その瞬間、何かが喉の奥からせり上がってくるのを感じた。勢いに任せて、俺はそれを吐き出す。
「もうやめてくれ! このままでは死んでしまう……!」
俺が突然叫ぶと、全員がぴたと動きを止めた。先ほどまで波打っていたのが嘘かのように、空気がしんと鎮まり返る。俺は必死だった。涙より先に全身から汗が吹き出し、荒々しい呼吸が喉を削ぐ。それでも俺は、俺の役目を果たさなければならないと必死だった。
「……皆さんの言い分は、よく分かりました。ちりも積もれば山となる、ということでしょう。ですから、何一つ取り残さずに、一つずつ、着実に改善していきましょう」
もう笑顔にも見えないかもしれないが、俺は目を細めて精いっぱい口角を持ち上げた。一斉に集まった皆の視線で、俺の表情がそのまま釘打ちされる。目が開かない。口が動かせない。沈黙が生まれる。
「現場にいない人に言われても、説得力ないですよね」
やや冷静さを取り戻した母の声だった。続けて、姉と弟の不満げな声が俺の耳に響く。
「定例会議で話し合った内容って、複数回議題に上がっているようなものも多いですよね? これって、結局いつも口先だけで終わっているってことじゃないですか」
「こちらのことを本当に真剣に考えていただけているのか、正直ちょっと分かりません」
頬の筋肉が鈍い痛みを覚える。どこかの歯がかちとぶつかった。
「………………犬。あなたはどう思いますか」
「……私奴でございますか?」
そう聞き返しながら、犬は体毛の奥の筋肉を収縮させた。犬の真っ黒い瞳が片方だけ露わになった。憐みの目だと思った。
ぷつと細い糸が切れるような音が脳内に響いて、硬直していた筋肉が僅かに震えたかと思うと、身体の熱がさっと一気に引いていった。そして、それが津波のように一気に喉元へ押し寄せて、俺はついにこらえきれなくなった。
「だって……だってしょうがないだろ!? 俺は好き好んで家にいない訳じゃない! 皆が生活していくための金を稼ぎに俺は毎日毎日会社に行っているんだ! 確かに俺は家で過ごす時間が少ないからもしかするとこの会議で決めたことを実行する時間の余裕もなく結局口先だけになってしまっているかもしれない……だが!! それを現場にいない人に言われてもとか本当に真剣に考えていただけているのかとかそんなふうに言われる筋合いはない! お金がないととにもかくにも生きていけないことは皆分かってるだろ? だから俺は真面目に金を稼いでいるんだ! だからといって俺が皆に対して何もしないとは言っていないし事実今までだって色々な面で協働してきたじゃないか! ただ金を稼いでくるのは現状俺にしかできない仕事なんだから俺がやるしかないだろう? それに対応できるたった一人の人材を別のリソースにさいてどうする? 稼ぎ手がいなくなるのは困るだろ!? なあ!!」
必死に息を吸いこんでいると、酸素と一緒に吐瀉する直前のような不快な空気が体内に流れ込んできた。吐き出したいことは吐ききったつもりだったのに、次から次へとよじ登ってくるそれを大量の唾で強引に飲み下す。額から流れてきた汗が目に入りそうになるのがわかって、俺は手の甲で拭う。その時、瞼の肉が少しずり上げられて、隙間から周囲の様子が見えた。
全員が、俺のことを指さしていた。
「そんなのパワハラです‼」
ありがとうございました!