彼女
15:30〜15:35
普段彼女が校門に現れる時間だ。部活動をしていない彼女は、授業が終われば帰宅する。友人と談話をしたのち、あるいは手洗いなどの用事を済ませて、大抵この時間に校門に現れるのだ。彼女の友人の多くは部活動に参加しており、彼女の帰宅の路は一人きりになってしまう。年頃の女性が一人で歩く、というのはおかしな輩の格好の餌食となりかねない。用心するに越したことはないだろう。
「車出せ」
「はい」
彼女がいつも通りひとりで校門から出てきた。美しく風に揺れる髪は夕日で淡く光るように煌めいている。地毛なのに注意をされるんだと友人にこぼしていた姿を思い出す。彼女の美しい髪に文句をつけるなぞ、なんたる無礼だろうか。彼女があの教師について「あの先生のおかげで初めて数学理解できた!」なんて友人と喜んでいなければ、あの男は今頃海の底にいただろう。彼女に感謝するべきだ。
彼女の少し後ろをワゴン車でゆっくりと進んで止まる。彼女が一定の距離を歩いたら、またゆっくりと車を出し、止める。今日の運転は下手くそだ、あからさますぎる。文句をつけてやろうと思ったところで、彼女が不意に振り返った。
「すんません、見られました」
「黙れ」
神聖な、彼女の目線がこちらへ向いている時間を邪魔しやがって。彼女をじっと見つめ返す。舞い踊るイチョウの葉が、彼女に引き寄せられるように髪へ乗った。ああ、イチョウの葉になりたい。大きな瞳が強く一度瞬きをした。彼女が驚いた時によくやる仕草だ。そうして、彼女はまた前を向き直し、突然駆け出した。一体何が起きたのだろう。
「早く車出せ」
「っす」
最近の若いのは指示されなきゃ何もできないのか。そう、唯一信頼のおける部下に愚痴を吐き出した時を思い出した。「大して年齢に変わりはないと思いますが」なんて生意気な口を聞きやがったが、俺はここまで馬鹿じゃあない。彼女が突然駆け出しているのに呆けているなんて、言葉にできないほどの馬鹿だ。
走って横断歩道を渡ろうとした彼女の前に、左折して止まる。彼女の髪の先にでも車が触れていたら、殺すどころでは済まないところだった。しかしこうしてうまく止めたのだから、褒めてやらないでもない。
驚く彼女の前で、後部座席のドアを開く。
「急に走ってどうしたの?何かあった?」
「ひ、っ……!」
言葉に出来ないほどの何かがあったようだ。こういう時のために俺がいる。彼女を助けられるなら、これ以上のことはない。
「もう大丈夫、早く乗って」
「……は?え……、な、に……」
「捕まって」
「きゃあ!」
何かのせいで動けずにいた彼女の腕を引き、一先ず車内に引き入れる。この中にまで入ってくる、あるいはこの車を狙うほどの馬鹿がいるのであれば処理がラクでむしろ有り難い話だ。
「ここなら安心だからね」
「な、なにするんですか……!」
「心配しないで、もう大丈夫だから」
「何を言ってるのかわかりませんが、こ、こんなところでこんなことしたら誰か見てますよ!が、学校の近くだし……わ、わた、私が帰って来なければ、家族だって心配して!」
「ああ、そういえば、百合ちゃんのお母さん、今日帰り遅くなるみたい」
「……え?」
「遅番の人がお休みになっちゃったみたいで、交代の人が来てくれるんだけどちょっと着くの遅くなっちゃうから、お母さんが少し残業するそうだよ。百合ちゃん、連絡来てない?」
慌てて彼女がスマートフォンを取り出して画面を確認する。良かった、ちゃんと連絡があったようだ。彼女の母親は連絡をマメにするタイプだから、心配はしていなかったが。
「どうして……」
「ん?なんか遅番の人、熱出ちゃったみたいだよ。お母さん優しいからね、そういうの断れないんだろうね。少し遅くはなるけど、俺の部下が付いてるからお母さんのことも心配しなくて大丈夫だよ」
当然のことだ。百合ちゃんの家族であれば、俺の家族同然だ。むしろ俺の家族よりも大切な家族である。
「……先生の言ってたこと、本当だったんだ」
「先生の言ってたこと?」
「ふ、不審者がいるから早く帰れって……!ううう私早く帰ってるのに!」
合点がいった。彼女がこれほど怯えているのは、その不審者のせいだろう。きっとあの時振り返って、おかしな人間を見つけてしまったということだ。すぐさま学校周辺にいる部下に連絡し、不審者を炙り出すよう指示を出した。これで彼女も安心できるようになるはずだ。
「お母さん……」
「百合ちゃんは家族思いだもんね。安心して、君の家族は俺の部下が四六時中見守ってるから」
しかし彼女の顔色はより一層青くなってしまった。自身が不審者と遭遇して連鎖的にお母さんのことも心配になってしまったのだろう。お母さんの写真でも見せたら、安心してくれるだろうか。
「ボス、」
「誰が喋っていいっつった?」
「ひっ……やっぱ怖いお兄さんだ……」
馬鹿な部下が汚い声で喋りやがるから、彼女がまた怖がってしまった。
「この子怖がらせるんじゃねえよ」
「いや多分俺じゃねえっす……」
「あ?」
「すんません」
無理のある言い訳を始めようとした部下に向かって缶を投げつける。飲み終わっているのだからむしろ感謝して欲しいくらいだ。スキンヘッドに当たるいい音がして、助手席の床に落ちていく。
「怖かったね。あいつもう喋らないから安心して」
「……はい……」
震える彼女の肩に、柔らかいブランケットを掛ける。彼女の好きなクマのキャラクターが描かれているそれは、いつかこんな時が来るかもしれないと、準備していたものだ。彼女に使われ、このクマも喜んでいることだろう。こうして隣に座っていると、夫婦のようだ。なんて、考えて、本当にそう思えてきた。あまりに似合いの夫婦ではないだろうか。
「不審者なのに意外と優しい……」
「百合ちゃん?どうかした?」
彼女が小声で何かを呟いた。彼女の言葉なのに聞き逃してしまい、自分の耳を引きちぎるか一瞬悩む。一度の失敗でそんなことをしてしまったら、これから何度も聞くであろう彼女の言葉も聞き逃してしまうかもしれないと早まった考えを改めた。よく考えたら、彼女に防犯のためつけてもらっている盗聴器の音声データを聞けば良いだけだ。
良い解決法を思いついたところで、彼女の方から声を掛けてくれた。
「お、大人しくしていたら、家族には何もしないと約束してもらえますか」
「ん?大人しくしない可能性もあるの?」
なんて破廉恥な……いやしかしそんな彼女も魅力的だ。
「ないです!大人しくしてます!」
「良かったぁ」
積極的な彼女も良いが、まだ俺の心の準備ができていない。もちろんそういったことがしたくないわけがないが、この美しさ、可愛らしさを噛み締めてから次に進んでいきたいところだ。けれど彼女がその気なのであれば、あまり待たせるわけにもいかない。
彼女が不審者に目をつけられているのであれば、そいつを排除できるまでは家に匿っていた方が安全だ。部下たちが無能ではない限り、数日中には解決できるだろう。
「しばらくは一緒に暮らそう。百合ちゃんが良いならずっとでもいいんだけど……なんて」
同棲はまだ早いだろう。ご両親にも直接しっかり挨拶をしなければならない。けれどもしかしたら積極的な彼女は、さっそく同棲を望んでいるかもしれない。彼女の望みであれば、ご両親に殴られてでも俺はそれを叶えたい。どちらにせよ、彼女が望む方を選択するべきだ。
「……いえ、大丈夫です」
「そうだよね。こういうのはちゃんと段階を踏んでいくべきだって俺も思う」
「?はい……?」
お互いの意思を確認し合うことができて、夫婦への道を一歩前進した。
車は組織の本拠地となっている事務所へと走る。そこから唯一の信頼できる部下と共に俺の本邸へと移動する算段だ。本邸の場所を知っているのはヤツだけ。ヤツが彼女と並んで歩いていた時のことを思い出す。腸が煮えくり返りそうになるが、彼女が大切にしている家族は、俺の家族同然だ。
「百合ちゃんはすごく弟を大事にしてるよね」
「お、弟だけは、絶対、絶対に傷付けないでください……!」
「もちろんだよ」
ヤツがこうも彼女に大切にされていると思うと腹に一発くらい撃ち込みたくなるが、それも我慢する。なぜなら彼女の大切な家族だから。一度縁を切ってくれたら良いのにな。
◆◇◆◇◆◇
事務所についてから、少し彼女に休んでもらった。男どもが彼女に迷惑をかけないよう、女の部下を彼女の傍に置く。本来は俺が彼女と共にいたいところだが、本邸へ移る準備がある。ヤツと話す時間が必要だった。憎らしく思うが、彼女の家族なのだからこれも仕方がない。どうにかしていつか家族の座から降りてもらおう。
ヤツに不審者に関する情報と、本邸へ向かう計画について話した。
「そういうことだから、彼女の疲れが取れたら出発するよ。運転とあいつらへの指示はよろしく」
「……もしかしてですけど、本当に姉が好きだったりします?」
ヤツが訝しげにそう聞いてくる。今まで一体何を聞いていたのか、この男は。俺が彼女への愛を語るのは今日が初めてではない。彼女の家族でなければ腹に穴が3つは開いていただろう。普段は唯一優秀な部下ではあるのだが、時々こうしてポンコツになってしまう時がある。彼女と瓜二つの、少し垂れた目尻をどうにか引き裂いてしまいたい。どうしてこんなヤツが彼女の双子の弟だなんて恵まれた運命にあるのか。
「嘘だとでも思ってたのか?」
「い、いえ……いえ、でも、どう見ても脅しとしか思えず」
「脅し?俺があの子を?」
「いや……俺への脅しなのかと。姉が人質に……いや、なんでもありません。ええと、つまり、姉が好きで突然誘拐なんてことを?」
「は?何?俺と彼女の仲を引き裂こうとしてる?誘拐ってなんだよ人聞きが悪いな」
なぜ俺が脅さなければならないのか。彼女を脅すなんてこと俺がするはずない。それにヤツを脅すこともない、そんな面倒な真似をするくらいならさっさと殺している。彼女の弟だからと調子に乗っているのではないか?鬱陶しい。彼女を不審者から救ったのは俺だ、彼女だって感謝こそすれ、誘拐だなんて思うはずもない。
「……いえ、なんでもありません」
彼女の盗聴器の音声データを聞いて、大混乱の末に本邸が銃痕まみれになることを、この時の俺は知るよしもなかった。