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一章

俺は今走っている。

女の子のために、家族のために。みんなを救うために、日中を全力疾走している。

額から落ちてきた汗が目に入って痛い。

現状をこうして並べれば、物語の主人公感がで溢れてる。えらく格好いいじゃないか。

柄にもなさに思わず吹き出しそうになるが、息が切れているこんな状態じゃむせてしまうだろうから、やめた。


俺はお世辞にも人の為に何かをするなんてことはない。

誰かが苦しんで、つらい思いをして救いの手を求めていたとしても「知らないよ」で突っぱねる人間だ。

確かに、虐殺とかいじめとかのニュースを見て心を痛めることはあるが、なにかをすることはない。


じゃあなぜ今、僕は息をぜえぜえ吐きながらだるい思いをしてるのかというと、俺のためだからだ。

それを全部知った上で彼女は俺にメッセージを送ったのだ。

彼女は、俺を脅迫しているのだ。

彼女は「助けてほしい」なんかじゃなく、「お前死にたくなければどうにかしろ」と言っているんだ。

やれやれだぜ、と主人公らしく俺は心のなかでほざいてみた。

いや、やれやれなんかじゃ本当に済まないんだけど。

全く、片腹痛いな。2つの意味で。


24時間営業の飲食店をありがたいと感じることは滅多にない。

それこそ、夜中に飲みつぶれたときや、どうしようもなく暇を持て余しているときくらいだろうか。

大抵の人は、日中に起きて夜は寝ている。

ましては平日の深夜、しかも田舎と来たらこれはもう誰も用などないだろう。

酔い潰れたサラリーマンが1人、カフェ代わりにしてなにかを作業をしている青年が1人。

することもないので、壁に寄りかかっていたところに仕事のできなそうな顔をした中年と目が合う。嫌な予感がした。

「篠原くん、悪いんだけど今日はもう上がれる?」

構えていたとは言え、苛立つ。

あんたは一体何年店長をやっているんだ、という言葉を飲み込む。

深く息を吐き、軽く頭下げて店をあとにすることにした。

出ていく際に謝罪の言葉が投げられた気がしたが、聞こえないふりをした。

もうこのアルバイトも潮時かもしれない。



こんなに愛想が悪い俺だが、普段からこんな態度なのかと言われればそういうわけではない。

学生時代に友達は普通にいたし、彼女だっていた。

まず社交性がないわけではない。友だちと話すのは楽しいし、人と関わるのは好きな方だ。

しかし今のアルバイト先では、基本的に大人しくしている。必要なこと以外は話さない。

これは話しても仕方がないからだ。

田舎の夜勤アルバイトなんて、話しても仕方がない人間しかいないのだ。

夢を目指しているらしいよくわからない変人、ただただ生きているためだけが目的な初老、シフトの調整もろくにできない中年。

本当に話すことなんて一つもない。

話なんて話したいやつとすればいいだけ、そう思っているだけなのだ。

就職した友達とはなかなか会えないけど、大学生の友達とならいつでも会える。

だから俺は全然困ってない。

俺が困ってないなら別にいい。

シフトを入れてもらえないのは困っているが。


俺は家に帰ってもどうせやることもないので、コンビニによることにした。

田舎は色々と不便だが、夜中が静かなのは気に入っている。

真っ暗な道を無機質に照らすコンビニは、なかなかに好きだ。

缶コーヒーと惣菜を買い、そそくさと入り口にある小さな灰皿へ向かう。

たばこを取り出し、火をつけ、軽く吸い込んで、深く煙を吐き出す。

労働後は美味いのが通説だが、たかだか3時間で追い出されたからか満足感は得られない。


「うんざりするなぁ」

口に出したつもりはないのに声に出てしまったか、と焦ったが違った。

目線を上げたら、なるほど。駐車場のパーキングブロックに体育座りしている彼女が言ったらしい。

自分と同じくらいの年齢だろうか、なんて見ていたら目があった。

瞬時に、目線を逸らすべきか考えたが、彼女が恥ずかしそうにぺこりと頭を下げてきた。

「なんかだるいっすよね」

俺はイヤホンを外しながら、喋りかける。

「いやもう、本当に」

彼女は腕に顎を乗せて吐き捨てるように返した。

火を消すべきか迷ったが、そこまで気を使う必要はないなと思い、もう一度軽く吸い込む。


彼女は家庭で「うんざりすること」があって家を飛び出してきたという。

彼女も具体的には話さないし、俺も聞いたりしない。

「俺も家族と関わるのが嫌で、実家を出たんです」

「いや私は関わるのが嫌なわけじゃないんだけど」

これはどうもすみません。

「問題なのはどう考えても私だし。そもそも嫌とか言える身分じゃないしね」

知らねぇよ。

「なら、どうにかしなきゃっすね」

俺は何も考えずに返す。どうせもう会うこともないだろうし。

「そうだね」

「そうっすよ」

相談などされたらたまったものではないので、話をぶった斬る。


「お兄さんは何にうんざりしているの?」

少し考える。シフトが入れてもらえないと言うのはなんだか嫌だったので言い回しを考える。

「経済的な問題ですね」

「お兄さんアルバイト?」

「ええ、まあ」

「なら、どうにかしなきゃだね」

軽快に彼女は笑う。負けず嫌いらしい。

やはり辞めるしかないな、あのアルバイト先は。


俺は吸いきった吸い殻を灰皿に落とす。

「じゃ、頑張ってください」

もう今後会うこともないだろうし、投げやり気味に頭を下げる。

彼女の方を見向きもせず俺は帰る方向へ進む。

彼女は特に声をかけてこなかったので、少しだけ俺は嬉しくなった。


それから彼女にもう一度会ったのは、2週間程経ってからだった。

「お兄さん。この間の話の続き、相談の続きをしてもいいかな」

どうやら彼女はやはり相談をしてたつもりだったらしい。

俺は気が乗らないが、ここで無理ですと言う事もできず話を聞くことにした。


「問題が明確化して対処しなければいけないとき、けれどあらゆる対処を思いつく限りしてもできなかったとき。そんなときはどうするのがいいと思う?」

なんともまぁ漠然とした相談である。

「問題解決をするのが面倒くさくなったんですか?」

彼女は顔を上げ、ようやく目があった。

「だったらこんな質問はしないよ、手も足も出なくなってどうしようもないんだよ」

「疲れちゃったから、面倒くさくなったから、手も足も出せなくなったんじゃないですか?」

我ながらここまで相談役が務まらない人間もいないのではないか。本当に気が進まない。

「そうかもしれない。でも、手も足も出せるなら出したいというのも本当だよ」

相談されている。さて、彼女は解決を望んでいるのか、話を聞いてほしいだけなのか。

俺は考えるのが面倒くさくなっていたので、当たり障りないことだけ言うよう心がけることにする。

「じゃあ手も足も出ない今、何をしているんですか」

「何もしていないよ。何もできていない」

どうやら、話を聞いてほしいだけらしい。

「保留、先回しって感じですかね」

彼女は目線を地面に戻し、黙って頷く。

「そのままでいいんじゃないですか、問題として意識しなければ困らない。現にあんたは今そうしてる。そうしてるのはそれが最善だと思っているからでしょ」

「でもそれは成長できないし、今後を考えれば辛くなるよ。」

「それは考え方次第ですよ。成長なんて違うきっかけでも別にいいし、今後についてなら考えなければいい。知らない内に片付くことだってある。変に模索して、かえって失敗したこともあるんじゃないですか?」

と、言い聞かせる。だいたい彼女もモラトリアムだろうし、なにも焦る必要はないだろう。

大抵の人間は、時間的解決を繰り返し大人になっていく。

試練など乗り越える必要もなく、たばこを吸えるようになる。


悩むのと考えるのは違う、現に彼女は悩んでいるだけなのだろう。

悩むことは生産的ではないけど、悪いことではない。

もはや趣味みたいなものではないか、もしくは癖になっているケースだって少なくない。それは本人がそうしたいからそうしているだけの話、悩みたいから悩んでいるだけなのだ。

問題がどこまで緊急性を帯びているかは分からないが、少なくとも今、すべきことやできることはないんだろう。俺はそう判断した。


「随分とジメジメした考え方だね」

初めて会ったときから思っていたが、この女には遠慮というものがない。

俺は自分のことを棚に上げて、なんだこいつというように無視をした。

「その考え方でこれまで失敗こともあったんじゃない?」

失敗?挑戦してもないのに失敗もクソもあるかよ。

「でも後悔するほど悩んだりはないですよ」

「逃避する言い訳にしか聞こえないけど?本気出せばもっとできるって思ってるだけじゃない?」

「ニヒル気取りたいのかもしれないっすけど、それは違いますよ。」

自分がいらだっているのを出さないようにしながら続ける。

「それにそっちは悩んでいることを、行動しない理由にしてる分よほど悪質ですよ」

深く煙を吐き出した。そういえば彼女のことをなんて呼ぼうか。まぁいいか、こんなやつ。

「どっちにしても俺ら、ほんとしょうもないっすよ」

「それはそう」


沈黙が続いた。

きまずいなと思ったが、そんなことを思う理由もない。

家までの中間地点であるコンビニがあるから俺はここにいる、こいつとディベートするためじゃない。

次会ったとき喋る気がなかったら、無視すればいいだけだ。

冷静に考えて、こいつは変なやつだ。

初めてあったときから独り言はするわ、深夜に用もなく駐車場に1人で座り込むわ、典型的な変人だ。

俺は変人は嫌いである。よくわからないし興味もない。なぜ普通に生活できないのか不思議で仕方がない。

エスカレータでは片方が止まってもう片方は歩くのが暗黙の了解だが、歩いちゃいけないという正義を持ち込んで後者の側で止まるやつが嫌いだ。

そんなのはわかっちゃいるんだよ、けど止まりたかったらみんなが止まってる方に止まれよ。関東なら左側で関西なら右側っていうあれだ。

ポリシーとか持つのは結構だが、それは自身でとどめておいたらいいのに、と思う。

ルールがある以上俺が言ってることはまかり通らないのは知ってる。

けど、面倒くせーなとどうしても思う。空気読めよとは言わないが、気持ち悪いことしてんな、とは思う。

何も考えてないのか、考えた上での行動なのかわからないがどちらにしても変人だ。


「絶望してるんだね、お兄さんは」

頭の中でつらつらと悪態をついてるところで、変人が俺を定めてきた。

会って2回目の人間にすごいことを言うな、と俺は素直に感心してしまった。

「そんなことないっすよ、希望を持った覚えはここ最近ないんで」

「なんで否定しかしないの?疲れない?」

「クリティカルシンキングって奴ですよ」

もう会話を続ける気がないからですよ、とは言わない。これが配慮ってやつだぜ、変人さん。自分の言動に満足してたばこを深く吸いこむ。

「お兄さんて変な人だよね」

俺は思いっきりむせた。


何が楽しいのか、彼女とはコンビニに行くたびに会っては話すようになった。

「お兄さんと話すときは遠慮とかしなくていいから、楽なんだよね」

どうでもいい存在だと遠まわしに告げられる。まぁ俺もどうでもいいと思っているから仕方がないというか、別にいいのだが。

会うたびに俺の願いとは反して彼女のことがよく分かっていった。


家族に対し、自分がトラブルメーカーであると思っており、最近ではコミュニケーションを取っていないこと。

そのためにも夜に活動して、会う時間を減らしているということ。

学校にはいっておらず、「家でできる仕事」をしていること。

年齢は分からないが、同級生は学校に行っているということ。

シュークリームが好きだということ。


話しているうちに、家族に対しては過度な配慮をしているイメージを持ったが、いろいろな家庭があるので突っ込んだりはしない。

まず踏み込めるような義務も裁量も俺には持ち合わせていなかった。

それに、相手の事情をそこまで知らない関係性というのも話しやすい。

どうでもいい存在というのは意外と必要なのかもしれない、と思った。


「私はね、お兄さんとしかここ最近話していないんだよ。」

「友達いないんですね」

一瞥を投げられた気がしたが、俺は気づかないふりをする。

「ちょっと前まではどんな人とも仲良く話せたんだよ、本当にね。でも学校も辞めて、家族とも話さなくなって、自分の部屋とこのコンビニしか今は自分の居場所がないんだ。

お母さんとも扉の下の隙間から手紙で関わるくらい。アフィリエイトで稼いだお金を月末にここで下ろして早朝にテーブルに置いておくと、次の日に『ありがとう』って書かれた紙が隙間から差し込まれてるんだ。」

異常だ、と思った。ネグレクトなのか?監禁でもされて、深夜しか逃げられない状況なのかもしれない。俺に助けを求めてるのか?だとしたら人選ミスだ。

できることを一応は考えたが、俺は彼女の名前すら知らなかった。そういえば誰なんだこいつは。そんな情報量ではなにもできまい。

返す言葉を考えていた俺に、彼女は察したように続ける。

「多分お兄さんが思っていることとは違うよ。家族にそうされてるんじゃなくて"自分がそうすべきと思ったから’’そうしてるんだよ」

あぁ、変人なんかじゃなくて狂っているのか。変わっているくらいなら関わったら面白い事があるかと思ったが、狂っているなら話は別だ。

お大事に。さようなら。

さっさとタバコの火を消して帰るとしよう。良くないことが起きる気がする、と言うかもう巻き込まれている気がする。

「逃げないでよ、とりあえず最後まで聞いてよ」

「はい、じゃあどうぞ」

もう見逃してくれと言わんばかりの態度で、諦める。

「私ね、暴力振るっちゃうんだ」

「そうですか、それはよくないですね。カルシウム取ってください、じゃまた」

もう無理だ、本当に。火を消そうと灰皿にたばこを近づける。

「どうでもいいんでしょ。助けになろうとか少しも思ってないんでしょ。なら助けないでもいいから話くらい聞いてよ!」

甲高い声があたり一面に響く。近所迷惑ですよ、と言おうと思ったが、あいにく周囲にはなにもないので言えなかった。

とは言ってもヒステリーは困る。

「私ね、自制が効かないんだ。今日も無理だった。」

涙声だった。拭うものなど持ち合わせていなかったが、流石に気分を落ち着かせて事なきを得るようにするのが最善だろうと思ったので彼女の方を見る。

どうでもいいのがこの関係の良いところだったのに。彼女に向かい合い、あくまで対話をするポーズを取る。


さて、彼女の方を初めて見る。暗くてよく見えていなかったが、右足が黒い。

全体的に黒いのではなく、部分的に。いや部分的と言うには範囲が広すぎる。

痣だと気づくのに少し時間が掛かった。大きく転んでもこんな範囲の痣はできないだろう。

「あの、」

言葉が詰まる。足のことを聞くべきか、まず何があったのか、どこから聞くのが正解なんだろうか。俺は言葉を探す。反面、「聞いたところで何もできないだろうな」とも考えながら。

とりあえず現状を解決するための言葉を見つけた。

「大丈夫ですか」


言い終わる前に彼女が走り出した。

意味がわからず、彼女の動向を見つめる。そのまま帰るのだろうか。それならそれでいい。

彼女は車道の方まで行き、ガードレールの前で急に立ち止まる。


数秒経ってから、右足を後ろに上げて、大きく振り下ろした。

鈍い轟音が軋む。その音は響かず、しかし耳にはしばらく残った。

何が起こっているのかわからないまま、二度目の音が聞こえてきた。

俺は音の正体を見間違いかと思い目を擦って再確認する。

やはり彼女がガードレールを蹴っている。蹴り続けている。蹴りまくっている。

何度目かの暴行の途中で彼女は叫び始めた。奇声を叫び始めながら、足は止めずに。

彼女から発せられる奇声が悲鳴だとわかり、たじろぐ。


引いた。俺は吸い込まれるように後ろに引き下がる。

何歩目かで小石が足に当たり、飛んでいった小石が灰皿にコツンと当たる。

その音で俺はふと我に返り、本能的に逃げ出した。煙草の吸殻を灰皿に入れる余裕もなく走る。

怖い、関わりたくない、巻き込まれたくない。

俺は自分のアパートにつくまで後ろを振り向くことなく走り続けた。

走るのに必死だったからか、いつからあの鈍い音が聞こえなくなっていたかはわからなかった。


続く

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