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2. 尾行、そして

 ルシファーの息子と一口に言っても、 その人数だけで30人を超える。

 ルーヴストリヒトのことだとは限らなかった。

 それにまず、魔界の王の息子たる地位にある高位も高位の魔族が、天使と恋仲だなんて、そんな常軌を逸した話をいきなり信じろというのが無理な話だ。

 だが、メイリールは、それが根も葉もない噂であると切り捨てることもできなかった。

 もしそれがルーヴストリヒトならば、あの変わり者に限っては、あり得ないと言い切れない。


 どうしても、この目で確かめたい。

 噂に振り回されるには、あまりに耐え難い話題だった。

 もし、もし本当にその話が真実だったなら、自分はどうなってしまうだろうか。

 考えたくもなかった。

 けれど、はっきりさせないままにしておくこともまた耐え難く、メイリールは行動に出ることにした。


 メイリールが真っ先に思いついたのは、ルーヴストリヒトに会って直接確かめることだった。

 だが、正攻法で問い詰めて、すんなり答えてくれるとも思えない。

 それならば、言い逃れできないような証拠を押さえるしかない。

 ルーヴストリヒトが本当に天使と逢引きをしているのか、もしそうなら、どこで、どうやってそれが可能なのか、後をつけて確かめる。

 メイリールは、それが自分の首を締めることになるかもしれないと予感しながらも、そうするしかないのだと自分に言い聞かせた。


 メイリールは己の探知能力を全開にして、ルーヴストリヒトの気配を探った。

 ノイズをかいくぐり、感覚を研ぎ澄ませる。

 そして微かに、しかし確かにルーヴストリヒトの魔力を感じとった。

 どうやら、気配を消して行動していたようだった。その時点で、怪しさが一気に増す。

 だが、他の魔族の目は誤魔化せても、同じ一族の血が流れるメイリールの探知を逃れることはできない。

 メイリールは、自身も気付かれぬよう気配を消し、ルーヴストリヒトの向かった方角を目指して動きだした。


 天使なんて、メイリールにとっては学校の退屈な授業で学んだだけの、ほとんど歴史上の存在だ。

 天界にかつて君臨していた、神に最も近しい位の大天使のひとりが、堕天して、魔族の祖たるルシファーとなったと、そうメイリールは教わった。

 そういう意味では、天使は魔族にとって分かちがたい半身であると同時に、血で血を洗う戦いとなった魔界と天界の大戦で、同胞を数多く失うことになった元凶、憎しみの対象でもある。

 そんな存在と、もしかしたらルーヴストリヒトが、想いを交わしているかもしれない。

 そのことが何を意味するのかわからないほど、メイリールも子供ではなかった。

 もし事実なら、魔界の一大事である。

 ルーヴストリヒトの気配を見失わないように気を配りながらも、メイリールは手のひらにじっとりと汗をかくのを感じた。


 ルーヴストリヒトが一体どこへ向かっているのか、はじめのうちメイリールには見当もつかなかった。

 だが、次第にその行先が魔界の境界へと向かっていることに気づいたメイリールは、思わずぶるりと身を震わせた。

 それでも、メイリールの頭の中に、尾行をやめて引き返すという選択肢はなかった。


 境界を抜けるのは、初めてだった。

 なんとも言えない、ゾワっとした違和感を一瞬肌に覚えたが、それだけであとは拍子抜けするくらい呆気なく、気づいたら空気が変わっていた。


 ——人間界……か……?


 魔界には、ところどころ、異界と接している境界があることは、話には聞いて知っている。

 その中のいくつかは、人間界につながっている、ということも。

 他にどんな異界があるのか、それぞれがどんな世界なのかメイリールは全く知らなかったが、直観的にここは人間界だと感じた。

 感じる全てに、生命が満ち溢れている。

 魔族の中には、人間界へ出て行っては人間をたぶらかすのを趣味とする者もいて、メイリールも過去に付き合った男たちから寝物語にそんな話を聞かされたことが幾度かある。

 だがまさか、自分が境界を越えて人間界へ足を踏み入れる日が来るとは、思ってもみなかった。

 日光にきらきらと光る樹木の葉に目を奪われ、魔界とは組成の違う空気の香りを胸いっぱいに吸い込む。


 肩に乗ったルークにツン、と頬をつつかれて、メイリールは我に返った。

 危うくルーヴストリヒトの気配を見失ってしまうところだった。

 慌てて、物音を立てないようにルーヴストリヒトの後を追う。


 やがて、前方にやや大きな洞窟が見えてきた。

 人間界に出てからのルーヴストリヒトは気配の制御を緩めているから、後を追うのはかなり容易になっていて、そこに入っていったのはまず間違いないと思われた。

 とはいえ、さすがに洞窟の中までついていけばこちらの存在に気づかれるかもしれず、メイリールは洞窟の入り口が見える位置にある大きな木の枝に隠れて、なにか動きがあるまで待つことにした。


 ——……!


 突然、強大な魔力の圧を感じて、メイリールが目を見開いた。

 待っている間に、思わず居眠りをしていたらしい。あたりはすっかり暗くなっている。

 慌てて洞窟の方に目をやると、まさにルーヴストリヒトが出てくるところであった。

 背中には、滅多に人前で見せない、大きな翼を従えている。

 魔族は翼を顕すことで、魔力を多分に放出する。

 飛行するため以外にも、威圧する際に翼を広げるのはその魔力の強さを誇示することができるからでもあった。

 魔力の圧が急激に高まったのはこのせいだったか、とメイリールは納得したが、次の瞬間、目を見開いたまま、凍りついたようにその場から動けなくなった。


 ——天、使……!


 間違いなかった。

 初めて目にするそれは、紛れもなく、天使だった。

 なぜ人間界に天使が、どうしてその天使とルーヴストリヒトが、と疑問が次から次へとメイリールの胸に湧き上がってくる。

 だが、それよりもメイリールの目を釘付けにしたのは、視線の先にいるルーヴストリヒトの腕に抱かれた、天使の、翼だった。


 ——漆黒の翼……


 その天使の背負う翼は、漆黒に艶めいていた。

 その意味するところは、たった一つしかない。

 すなわち、禁忌の交わりである。

 噂を耳にしたメイリールが、知りたくもないのに、どうしても気になってこっそり調べた中に、その記載はあった。


 ——天界に棲むものと魔界に下ったものが交わることは、禁忌とされ、禁を冒した天使の翼はその証に漆黒に染まる。


 もはや伝承の域の扱いだったが、確かにそう、書かれていた。


 ——ってことは、やっぱり、この天使は、ルーヴストリヒトと……


 頭を殴られたような衝撃だった。

 単なる気まぐれ、慰みでルーヴストリヒトがこの光り輝く存在に手を出したのではないことは、腕の中の天使に何事か囁いているその顔つきで、否応なく分かる。

 メイリールとて、だてに片想いを拗らせていたわけではなかった。

 誰よりも近くで、ずっと見てきたと、そう思っていた。

 だが、その自分さえこれまで見たことのない、愛しいものを見つめるその表情を目の当たりにして、メイリールは喉が詰まるような感覚に襲われ、浅い呼吸を繰り返した。

 2人がやがて手を取り合って夜空へ飛び立ってしまった後も、メイリールは魂が抜けたようにその場所から動くことができなかった。


 後から考えれば、このときさっさと魔界に引き返しておくべきだったのだ。

 思い出すと、今でも胃のあたりが重たくなる。

 木の幹にへたりと寄りかかったまま呆然としていたメイリールだったが、やがて聞こえてきた微かな物音と、魔力の気配に我に返った。

 2人が戻ってきたようだ。音のした方向へ顔を向けて、耳を澄ませる。


 ——……


 このときほど、絶望にかられたことは、記憶にある限りない。

 魔族の中でも抜群の感知力を誇る己の能力を、心の底から呪った。

 身体を丸め、両手で耳を塞ぐ。

 そうしたって魔力で感知してしまうのだから無駄なことなのだが、2人の睦言を、艶めいた水音を、きれぎれに聞こえる色を含んだ悲鳴を、己から締め出すように、メイリールは頭を抱え込んでうずくまった。


 気がついた時には、物音も止み、気配も消えていた。

 そのまま、気を失っていたようだ。

 メイリールに、もうまともな思考をする余裕は残っていなかった。

 もしかしたら、本当にあの瞬間は、気が狂っていたのかもしれないと、今は思う。

 それほどに、耐え難い事実だった。

 今までの自分の心の支えにしていたものが、全て崩れ去った。

 ルークが心配そうに自分の様子を伺っていることは分かっていたが、メイリールは据わった目で洞窟を睨み続けていた。


 その後の自分の行動は、あまりに苦痛で無意識に記憶を封じたのか、ぼんやりとしか思い出せない。

 一度魔界に戻ってはみたものの、あの夜の出来事がメイリールの頭から離れず、まるで悪夢を見続けているようだった。

 日夜その痛みに耐えるうち、次第に心にどろりとしたどす黒い感情が溜まっていき、膨れ上がったそれが限界に達したとき、メイリールは再び人間界へと飛び立っていた。

 洞窟へ真っ直ぐ向かい、ルーヴストリヒトがいなくなったのを見計らって、天使の寝込みを襲った。

 このとき、何がしたかったのか、自分でもよくわからない。

 とにかく、全てをめちゃくちゃにしてやりたかったことだけは、なんとなく思い出せる。

 そんなことをしても何にもならないのに、自分の醜い感情をこの無垢な天使にぶつけることしか、メイリールにはできなかった。

 結局、ルークの機転によってメイリールの行いはルーヴストリヒトの知るところとなり、すんでのところで最悪の事態は逃れられた。

 だが、罰としてメイリールに課されたのは、1週間口がきけなくなる消音魔法のみ。

 こんな時さえメイリールには甘いルーヴストリヒトの、残酷なまでの優しさに、嫌いになることさえもさせてもらえない。

 メイリールは、目の前に突きつけられた非情な現実から逃げるように、さらに荒んだ生活へと身を落とした。

 それを咎めるルークとの言い争いも日常茶飯事になった。

 そうしてどれくらい経ったかわからなくなった頃、ルーヴストリヒトの魔界追放が公式に通告された。


 そうして、かつてメイリールが背中を追い続けたその人は、魔界から姿を消した。

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