人形の吐息
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
古い人形にまつわる怪談。つぶらやくんは、どれくらいご存じかしら?
私たちの日本では、髪の伸びる人形の話がポピュラーなんじゃない? 長い年月を経た人形の髪が、しだいしだいに伸びていく。誰かの怨念がこもっているとか、様々な解釈がされたけど、科学的にネタがあがっているわ。
製作時に埋め込まれた髪の部分が、経年劣化によってゆるみ、外へ外へ出てくる。それが周りの髪の毛に支えられ、どうにか抜け落ちずに済んでいる状態。
伸びて伸びて、そのうちはげ頭になっちゃうんでしょうね。いや、そこまで見たことはないけれど。
私たちの身の回りに置かれている。それだけであらゆるものは私たちに目をむけられ、些細な変化についても、様々な憶測が飛び交う。それによって伝えられる怪談の数々は、人によっては噴飯ものでしょうけど、ひょっとしたら真相への糸口になるかもしれないわ。
私の家の人形についての昔話なんだけど、聞いてみない?
私の家には、市松人形が一体あったわ。
かつて祖母が存命だったときに、買ってきたといわれる人形で、亡くなられてからは私たち姉妹が寝る部屋へ置かれるようになった。
十二単をまとったおかっぱ頭の女の子でね。ガラスケースに入れられて、ちょこんとたたずんでいる。彼女を覆うガラスが、ほこりも汚れも寄せ付けない。鉄壁ガードの女の子ってところかしら。
私たち自身はというと、人形にさしたる感情を抱くことなく、普通に寝起きして生活していたわ。
いかに祖母の遺品とはいえ、私たちにとっては数ある家具のひとつにすぎない。せいぜいがお守り程度のポジション……と、最初の数年間はそう思っていた。
ところが、妹が小学校にあがったあたりで、少し妙な様子を見せるようになったの。
私が帰るより先に、時間割の関係で妹が帰っていることが多いんだけど、部屋に入ると市松人形とにらめっこしていることが、しばしばあったのよね。
人形の入ったケースは床に置いてある。自然、人形とにらめっこをする妹は四つん這いをする姿勢になったのね。
私ははたで見ていて笑ってしまう。もし、本気でにらめっこを挑んでいるなら、妹に勝ち目はない。だって人形が表情を変えるはずがないのだもの。勝敗は人間側が根負けするより、他にないはず。
なのに妹は飽きることなく、ケース越しに人形を見つめていた。五分たち、十分たち、十五分経ってもそのままで、とうとう私も妹に声をかけちゃったわ。
すると妹が答えるのよ。「ときどき、このお人形が息をしているんだ」って。
そんなばかなと、妹と位置を変わって人形を見張る私。すでに人形の顔の前のガラスは、白く曇っている。けれど私は、妹が顔を近づけすぎたゆえの吐息の跡だと、最初は思っていたの。
ところが、拭えない。私がじかにガラスへ指を押し当てても、曇りは取れることがなかった。まさかと思って、ハンカチはじめとするあらゆるものを、当ててみたけれど結果は同じ。
確かに、ガラスの内側から息を吹きかけない限り、このような状態になりそうもなかった。
――人形が、本当に息をしているのか?
私たち姉妹は、並んで人形とのにらめっこに興じたわ。
夕飯ができたのは、それから3時間後だけど、その中で一度だけ、人形が息を吐いたとしか思えないことが起きた。
おかっぱ頭の、ぱっつんとした前髪がね。ふわっと浮いたのよ。ほんの少しの間だけ。一緒に人形の顔の前のガラスが、更に濃く曇ったのも分かった。
もう私たちは大騒ぎ。ガラスケースのふたを開けて人形を取り出すと、母親の元へ持って行って、これこれこうだと、事情を説明したわ。
けれど、家事でつかれていたんでしょうね。まともに相手してもらえず、バカなこといってないでさっさと寝なさいと言われる始末。私たちは一緒にむくれて、こうなったら何としても動かぬ証拠をつきつけて、ぎゃふんといわせてやるって思ったわ。
具体的には、人形をケースへ戻さず出しっぱなしにしておく。そうして息を吐き出した瞬間に、たとえ夜中だろうが人形を持って部屋を出る。そして親の眼前につきつけてやろう、という寸法よ。
私たちはできる限り二人一緒。お風呂に入るとき、トイレへ行くときはひとりずつ交代で見張って、人形のわずかな変化すら見逃さないよう努めたわ。
けれど、そんな私たちをあざ笑うかのように、人形はこそりとも息を吐き出してくれない。すでに時刻は午後の11時を回り、もし起きているのが分かると、母から怒られる時間帯。
ゆえに私たちは部屋の明かりを消しながらも、布団をかぶって人形をわきに置きながら、スタンドの明かりをもって、その顔を観察し続けていたの。
人形は息を吹かない。けれども、少しずつ変化が見られたの。
人形が顔に汗をかき始めたのよ。当時の私たちは、明かりに照らされ続けた人形が暑がり出したのだと思って、ハンカチでそれを拭っていったの。
それでも発汗は止まらず。そして何度目かの汗拭きをしたとき。
人形の顔がずるりと、汗と一緒にむけちゃったの。ミカンの皮をむくように、ぺろりとね。
そこからのぞいたものは、何本ものコードと色とりどりに輝く、細かい液晶たち。そうして開いた穴からは、「しゅーっ」と音を立てて蒸気が湧き、のぞき込んでいた私たちを直撃する。
やかんの湯気よりも、もっと熱い。思わずひるんで顔をそむけた拍子に、今度は「パン」と音を立てて私たちの顔へ、いくつもの細かい破片がぶつかってくる。
どうにか向き直ったとき、人形はすっかり壊れてしまっていたの。
まとっていた十二単と、手足の部品の成れの果てが散らばっている。けれども、私たちが先ほど見た、顔の裏側に見えたコードや液晶は、どうしたことか破片すら見つからなかったの。
急なことで、私たちはまともに対応ができず、次の日に人形を壊したとして母親にこっぴどく怒られたわ。けれど、私も妹もあれが純粋な人形じゃなかったとは、強く思っている。
もしかしたら、直立不動で済む何かしらの機械だったのかもしれない。たとえば、私たちを見張るかのような。だとしたら、あそこで無くしてしまったことが、かえって好都合を生んだんじゃないか。
そう考えないと、いまでも少し心苦しいのよね。