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魔族の気配

 テッサイの部屋の前に立つと、リンは(ふすま)の引手に手をかけた。


「し……失礼しマス」


 緊張しすぎだと自分を戒めるも、声は自然と裏返る。(ふすま)を開けるとそこは、十畳ほどの畳張りの部屋。正坐して彼女を待っていたのは、テッサイとタケルの両名だ。


「本日はおもてなしを受けた上に、一晩の宿まで借りることになり恐縮至極。あいつらには、後ほどきつく言っておきますので。ああ見えて、言えばちゃんとわかる奴らです。どうかここはひとつ穏便に」

「……頭でもおかしくなったのか?」


 口から心臓が飛び出しそうな程ガチガチなのに、タケルが口にしたのは緊張感のない台詞。なんだよ、と憤慨しながら、伏せていた瞳をリンはあげた。

 事情が飲み込めない、とばかりにテッサイの顔色をうかがうと、彼は愉悦の表情を浮かべていた。


「なにか誤解をしておるようじゃな。なにも、お主を叱るつもりで呼び立てしたわけではないぞ」

「あ、いえ、しかし」

「なんだ。わしが腹を立てているとでも思っておったのか?」

「あ、いえ。……あ、はい。思ってました」


 どっちなんだ、と自分のうろたえぶりにリンは苦い顔になる。

 そんな彼女を見やり、「ははは」とテッサイは豪快に笑った。


「なあに、よいよい。人生というものは、確かに日々鍛錬の繰り返しだ。とは言え、やりたいことも我慢し、根をつめて頑張りすぎても、よい方向に転がらぬのもまた事実。不満を腹に溜め込むことなく、都度吐き出していった方が良い結果を生むものだ。よく寝て、よく遊び、飯だって腹いっぱい食わねばならん。肩の力を上手く抜くのが、長生きする秘訣じゃよ」


 そう言って、今度はニヤリと笑んだ。


「お主らの仲間は、実に要領がいい」

「いや……その件については、本当にすみません。後で必ず伝えておきますので」


 だがテッサイは、気にするな構わんとだけ返し、襟を正すと同時に真顔に戻った。


「さて、いい加減本題に入ろうか。夜半近くにもなってお主を呼び立てした理由、それは、お主らが明日向かおうとしている禁忌の場所の周辺で確認されておる、気になる点についてじゃ」

「それは……夕方に聞いた魔獣の件とは違うのですか?」


 リンが疑問をのべると、「如何にも」と神妙な面持ちでテッサイが顎を引く。「それならば、こうしてわざわざ呼んだりせん」頷きの深さが、事態の深刻さをそのまま暗示しているようだった。


「驚かずに聞け」とテッサイがリンの瞳を正面からとらえる。「禁忌の場所がある方角から、魔族の気配が感じられておるのじゃ。最初に気づいたのは、二日ほど前だったか?」


 テッサイがタケルに視線を送ると、彼は表情ひとつ変えずに頷いた。


『魔族の気配が感じられる』


 なんとも荒唐無稽(こうとうむけい)に感じられる話だが、紛れもなくこれは真実だった。テッサイの家系の中には、代々、魔族の気配を感知する能力を有した者が現れるのだ。これは、生まれつき備わっている能力というわけではなく、ある日を境にし、突然発現するものだ、とリンもテッサイから教示された記憶がある。

 ただしそれは、例えるならば匂いのようなもので、対面している状態ならともかくとして、複数人いる場所になると気配の発信元を特定するのは極めて困難になってしまう。使えそうで、案外使いでのない能力。それが、魔族の気配を感知する、という能力の本質だった。


「魔族、ですか」


 ごくりと唾を飲み、呻くようにリンは言った。

魔族というのは、人間やエルフといったヒト族が住んでいる空間とは異なる世界、『魔界』に住んでいる者たちの総称。魔族は時々この世界にも姿を現すのだが、彼らの多くは人間にとって敵対的な存在であり、忌むべき相手といえた。

 その膂力や魔力は、並みの人間が太刀打ち出来るものでは到底なく、彼らとの遭遇は即、死を意味する。

 それは、リンたちヒートストロークとて同じこと。いまだ魔族との交戦歴が彼女らには無いため、遭遇して勝てるか、と問われたところで答えようがない。それでもこれだけは言えた。間違いなく、死力を尽くした戦いになるだろう、と。


「それにしても、少々腑に落ちませんね。ここ数年、エストリア王国全土を見ても、魔族の目撃情報などほんの数件しか寄せられていません。それなのに、どうしてこんな農村の近くで? いったいなんの意図があって? まったく理解できない話──あ」


 疑問を言葉にして並べていく途中、リンはひとつの可能性を見出した。ルティスを保護したこと。彼女の左手首の紋章。時を同じくして現れた魔族。いやいやまさか、と必死に浮かんだ推論を否定しようとかぶりを振るが、違和感が完全にこそげ落ちることはなかった。偶然というものは、ここまで積み重なるものなのか?


「うむ。わしもまったく心当たりがない、と昨日までは思っておった。だが」

「なにか、あるのですか?」

「本日、お主らの一行と顔を合わせたことで、もうひとつ、気になる案件が見付かった」

「気になること。まさか……」


 リンが疑問の言葉を挟むと、数秒の沈黙を挟んだのち意を決したようにテッサイは言った。


「お主らの仲間の中に、魔族の気配を持つ者が混じっておる」

「……!」


 やはりそういう話か。薄っすら予測していたとはいえ、あまりの衝撃に返す言葉を失ってしまう。なるほど、俺だけ呼び出されたわけだ、とリンは思う。


「信じられません、と言いたいところですが、師匠が言うのであれば間違いないのでしょうね。それで、気配の主が誰なのか、わかっているのですか?」

「残念ながら、特定は難しいな」


 テッサイに代わって答えたのは、ここまで口を噤んでいたタケル。『魔族の気配を感知する能力』は、どういう訳かテッサイより彼の方がより強い。


「魔族の気配を感じたこと自体は間違いない。間違いないのだが、恐ろしく微弱な気配でしかなかったんだ。例えるなら、下位魔族のさらに下、といえるもの」


 魔族とひとくちに言っても、その強さは千差万別だ。

 中級以上の冒険者でなんとか勝負になる下位魔族から、手練れの冒険者ですら遭遇したら死を覚悟せねばならぬ上位魔族まで。タケルがそう言うのであれば嘘ではないのだろう、とリンも思う。だが、そこまで気配が微弱である理由はなんなのか?

 本来魔族たちは、巧妙に自分たちの気配を隠すもの。そうすることによって、人間社会に上手く馴染み、数年のあいだ潜んでいた、なんてケースも報告されているくらいだ。だが、気配が弱いというのはいったいどういうことか。

 上手く隠せていないのか。それとも本当に弱いのか?

 リンが俯き考え込む様を見て、タケルが口添える。


「今回感じられた気配だが、はっきり言って、二件ともオカシイ」

「二件とも?」

「ああ。先ず、禁忌の場所から漂ってくる気配の方。こちらは相当に強い。だが、むしろそこが一番妙な点。これだけ力の強い魔族であるなら、それこそ、完全に気配を消してしまえるはずなんだ」


 だろうな、とリンも思う。人間界に数年紛れこんでいたのもやはり上位魔族だった。能ある鷹は爪を隠す、の言葉通りだ。


「村の外周に立つだけで察知できる気配なんて、はっきり言って、無造作な垂れ流しでしかない。下位魔族ならいざ知らず、強いわりにこんな不用心な気配、俺はともかくとして、爺ですら初めてだと言っている」


 さよう、とテッサイが相槌を打つ。


「一方で、お前たちの仲間から感じた気配。こちらは先程も言ったように、あまりにも脆弱で不安定。時として、気配が掠れ消えてしまうほどにはな。意図的に弱く見せているのか? それとも、魔族とは違うなにか別の存在なのか? こちらもあまりに不可解だ」

「不可解……か」


 そもそもの話、と考えを巡らせるリン。気配を放っている主は誰なのか?

 タケルと面識があるコノハとシャンは除外していいだろう。オルハについてはまだ顔を合わせて日が浅いものの、それでも初対面ではない。

 そう考えると、消去法で残るのはルティス。


「なあ、タケル。特定は難しい、とさっきお前は言ったが、ぶっちゃけた話、それはルティスなんじゃないのか?」


 頭の中に浮かんだ推論を、包み隠さずストレートな言語でぶつけてみると、タケルはなんとも名状しがたい顔で首を横に振った。


「かもしれん。だが、今の段階では俺にはなんとも言えん。もちろん、一人一人順番に面会していったら特定できるかもしれんが、知ったところでどうする? とそこまで考えたところで、俺も悩んでしまったんだ。断罪するのか、それとも許すのかってな」

「すまん」とリンは頭をさげた。「確かにそのとおりだ。ちょっと意地の悪い質問をした」

 

 もしルティスが魔族だったとして、自分に斬れるのか? とリンは自問してみる。

 一点の曇りもない翡翠色の瞳を湛えた頭部が、ごろり、と床に転がる光景が頭に浮かぶ。

 できるはずがない。俺にそんなことが、と彼女は慌ててかぶりを振った。


「とにかく俺に言えることはこれだけだ。あの娘の記憶が戻ったとき、寝首をかかれんように、十分気をつけておくんだな」

「ああ」


 タケルは冗談めかして言ったが、笑う気にはなれなかった。

 さて、とリンは思案にくれる。

 禁忌の場所周辺から発せられる魔族の気配。まだ魔族と確定した訳じゃないが、同質の気配を放つ少女。これら二つの情報を、無関係だと論じるのはいかにも危険。これは、ルティスがしかけた罠なのか? 最初から全部?

 だとしてもわからん。多少名前が売れているとはいえ、俺たちは一介の冒険者に過ぎない。罠に陥れたところで、魔族側にメリットなんてないだろう。

 疑念が胸中を支配していく。


「俺は、禁忌の場所におもむくべきなのでしょうか……?」


 まさに口をついてでた、という表現がしっくりくる。それは、物事を自分で決められないリンの性格を代弁しているかのよう。

 テッサイとタケル。合わせて四つの瞳が、疑問の色を湛えてリンをとらえた。

 

「その為に来たんじゃなかったのか?」

「あ、はい。もちろんそうなんですが」


 テッサイの言葉に、痒くもない後頭部をかきながらリンが言いよどむ。


「ま、こんな事を聞かされたら決心も鈍るよな」


 タケルが苦笑いで応えると、沈黙が、数刻の間流れた。


「貴重な情報を、わざわざありがとうございました。明日は、なるべく用心して向かいたいと思います」


 結局、そう締めくくるに留め、リンは退室した。翌朝を迎えるまでまだまだ時間はある。ゆっくりと時間をかけ、考えてみよう。

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