師匠(テッサイ)
レイド村の村長宅──というかリンの師匠であるが──は、村の中心部に建っている。
堅牢な造りをした木製の塀に囲まれ、整備の行き届いた庭園を備えた平屋家屋。村の規模を考えると、少々浮いて見えるほどに厳かな雰囲気漂う和風建築だ。
幼い頃、よくタケルとかくれんぼをしていた広大な庭。色とりどりの魚が泳いでいる池。ただ眺めているだけでよみがえってくる懐かしい郷愁の念に、リンの心は安らいでいく。
と言いたいところだったが──。
「勝手にちょろちょろ動きまわるな! 先ずはしっかり訪問の挨拶をすること。遊ぶのは用件が済んでからにしろ!」
「えええ。だって、つまんない」
「子どもか!」
好奇心旺盛なコノハが落ち着きなくはしゃぎまわる。終いにリンは、彼女の首根っこを掴んで引き摺るように連行していった。
「暴力、反対」
「だったら言うこと聞け。うろちょろすんな」
コノハに釣られたのか、それとも単に、記憶喪失による物珍しさか。ルティスまでもがきょろきょろとし始める。教育上宜しくないし、彼女が真似をするのでやめてください、ほんとマジで。リンは肩で溜め息をついた。
さて、そんな一幕を挟みながらも、「こちらです」とタケルに案内され、建物の一番奥にある座敷に一行は通された。
十五畳ほどありそうな畳張りの部屋のなか、上座に座っているのは、着物と呼ばれる前をかきあわせる衣服を着た七十代ほどの老人男性。彼の左右に二名ずつ、側近と思しき侍衆も正座し待機していた。
この老人こそが、侍衆の長であるテッサイである。既にかなりの老齢なのだが、ここ数年変わることのないピンと伸びた背筋。今だ衰えを感じさせない引き締まった体は、彼の年齢を一瞬忘れてしまうほど。流石だな、とリンは改めて感嘆の念を抱く。
各々が簡単に自己紹介を済ませたのち、村を訪れた経緯をリン自らが順を追って説明していった。
禁忌の場所に、赴く資格を持つと思われる者の出現。
明日の朝にでも、禁忌の場所へ行くことを許して頂きたいという事。
具体的には、この二点である。
テッサイは、ルティスの珍しい容姿を値踏みするように観察した後、口を開いた。
「なるほど。お主らの事情は把握した。しかしながら、その娘が資格を持つ者であるという話。それは真か?」
テッサイが問いを投げると、ルティスは正坐したままにじり寄り、リストバンドを外して左手首の宝石を披露する。テッサイは「ふむ」と呟いたのち、ルティスの側にすり足で動いた。
「手首に紋章とな。少し触ってみても良いか?」
「はい。平気です」
「なるほど。良い目をしておる」
ルティスの手を取りしげしげと十数秒ほど眺めたのち、「ふむ」と首肯し元の姿勢に居直った。
「皮膚と完全に同化しているようだな。にわかには信じ難いことだが、浮かんでいる紋章は遺跡の扉に描かれているものと相違ない。お主はいったい、何者じゃ?」
「あ、いえ。彼女は記憶を失っておりまして、実のところ素性からなにまで一切わかっていないんですよ」
出会いから現在までの経緯をリンが語っていくと、ふむ、とテッサイは頷いた。
「なるほど。気にはなるが……、余計な詮索は一先ずよしておこう。それに、その娘の素性がわからぬからこそ、遺跡に行かねばならぬということなのだろう?」
はい、とリンは点頭した。
節くれだった指先で長い顎鬚を数回梳いたのち、テッサイは腕を組んで目を閉じた。
「我々侍たちの祖先は、元々このエストリア王国に住んでいたわけではない。というのは、以前確か聞かせたな?」
「はい。この場所とは違う異国の地より、流浪の旅を経てたどり着いたという伝承が残っているんでしたよね」
リンがよどみなく答えると、さよう、とテッサイは頷いた。
「もっとも……その伝承自体、新王国歴千年を越えた現在においては、既に風化した言い伝え。真実などとうに失われて久しい」
かつてこの島を最初に統一したという、今となっては名も失われた王国。その国が建国された日から始まったといわれているのが、この新王国歴。侍たちの祖先なる者たちが何時、この地に辿り着いたのか、具体的な年代は伝承の中にも残されていない。
「ただひとつはっきりと言えること。我々侍の祖先は、禁忌の場所にある遺跡の中に、血の封印を施しなにかを秘匿したということだ」
「血の封印、ですか?」とシャンが尋ね返す。
「うむ。ゆえに、資格を持つ者以外、その場所に入ることは叶わぬと言われておる。もっともこの伝承ですら、数百年は過去の話であり、信憑性はよくわからん」
「では、それが彼女だと?」
「さあな。そこまでは」
だが──とテッサイはなおも続けた。
「資格を持つ者が、現れたやもしれぬという事。これは、祖先らが秘匿してきた何かと今こそ向き合え、というメッセージなのかもしれんな」
「それでは、遺跡に向かうことを許可して頂ける、という事でしょうか?」
リンが確認を求めると、テッサイは、「うむ」とだけ簡潔に答えた。「わしとて、あの場所に何があるのかまではわからん。だが」とルティスに目を向ける「資格を持つであろう者が現れた今、頑なに拒み続ける理由もない。しきたりとは年月によって変わり打ち破られるもの。今がきっと、その時なのじゃろう」
しかし──と再びテッサイが顔を上げる。
「一件、気になることがある」
「気になること?」
「つい二日前のことじゃ。遺跡からほど近い山中において、魔獣が目撃されたという情報が寄せられておる」
禁忌の場所と村を繋いだ中間点で、魔獣を見た。そんな知らせが立て続けに二件まいこんできている。暫定対策として、目撃情報が寄せられた地域での狩りを全面的に禁止したものの、詳しい情報もなく困っているところだったのだという。
「分かっているのは、四足歩行の魔獣だという一点のみ。何の魔獣なのかについては、さっぱりなのじゃ。幸いにも今のところ襲われた事例こそないが、そのような危険な場所に、一般人の娘を連れていくのはいささかどうか、と思うてな」
「ルティスなら平気だよ。だって、彼女は不死身──」
「コノハ」
嬉々として語り始めたコノハをリンはそっと窘める。「ごめん」と彼女は舌を出した。「まだそうと決まった訳じゃなかったね」
決まってたとしても言うべきことじゃない、とリンは内心で呆れた。コノハの言葉にタケルが眉をぴくりと動かし、テッサイが口を挟んでくる。
「その娘がどうかしたのか?」
「あ、いえ。なんでもないです。ルティスならまあ、我々でちゃんと守りますんで大丈夫ですよ」
それに、とリンは続ける。
「それであれば、俺たちが退治してしまった方が良いのではないですか? 人里近くに出没する魔獣が相手であれば、俺らはその殆どに遅れなど取りません」
人間たちに敵意を剥き出しにしたり、捕食しようと襲ってくる魔獣や妖魔といった危険な魔物は、強い力を持つモノほど人里はなれた山中か遺跡の内部などに住んでいる傾向が強い。強い力を持つ魔物ほど知能も優れているため、彼らもまた、人間たちを危険な存在として認識しているのだ。
「うむ──近いうちに我々の中から有志を募り、山狩りをせねばならぬのか、と頭を悩ましていたところじゃ。なので、そうして貰えると助かるのは山々だ」
「了解です。魔物と遭遇したら、ですが」
「すまん、宜しく頼む。退治してもらった際には、ちゃんと謝礼は弾む」
いえ──と一旦断りかけてからリンは気が付いた。それで納得するような師匠ではなかったな、と。「すいません。ありがとうございます」
こうしてテッサイの依頼を追加で請けつつ、無事禁忌の場所に向かうことを承諾される。出発の時刻は、明朝六時とこの場で決定された。
それではこれで、と腰を上げかけたリンたちをテッサイが呼び止める。
「今日はもう日も落ちようとしておる。このまま泊まってゆけ」
「いやしかし、この大人数ですし。宿なら他で探しますゆえ」
「構わん構わん。久しぶりの再会じゃろうて。五人一部屋で良いなら、客間が一つ空いておる」
「だってさ、リン。お言葉に甘えようよ」
厚顔無恥とはこのことか! コノハの口を慌てて塞いだリンであったが、「わしの顔に泥でも塗るつもりか?」とテッサイが大声で笑うと、もはや断る理由もなかった。
「すいません。お気遣い痛み入ります。一晩の宿をお借りします」
障子の隙間から入り込む日射しは、既に赤味を帯び始めていた。このままでしばし待っておれ、とテッサイは一向に告げると、ささやかではあるが夕食が準備されることになった。稲作が盛んな村ゆえに、白米の飯。それと焼き魚に山菜等々。質素ではあるが、良い調味料を使っているのか薄味でもしっかりと風味がある。
「贅沢は言えませんよね」
等と口走ったシャンを黙らせるため、リンが再び慌てふためいたのは言うまでもない。
タンスの角に小指をぶつけて悶えろ! と心中でリンはぶちまける。苦い顔になった彼女を見て、テッサイが「がはは」と大声で笑った。
そんなやり取りも何処吹く風。コノハはご飯のお代わりを繰り返している。
いったいその細い体のどこに、それだけの食事が入るのかしらと、がっつくコノハを見てオルハが肩をすくめた。
終止心が休まらないリンであったが、でも、それなりに食べた。ヒトというものは、実に欲望に忠実な生き物だ。そんな感じに、こっそり神に懺悔した。
* * *
食事を終えたあと一行は、大きめの和室に通される。全員が雑魚寝をしてなお余裕がありそう。人数分並んだ布団の上で、思い思いの姿勢でくつろぐ五人。
「あ~食べた食べた。もうお腹一杯だよ」
満足そうにお腹をさするコノハを横目で見ながらリンは心中で誓う。うん、後で師匠に謝っておこう。それとなく、な。
そんなコノハの傍らに寄り添うのはルティス。他愛もないガールズトークを繰り広げ盛り上がっている。コノハの社交性の高さもむろんあるが、二人はあっと言う間に打ち解けた。記憶を失ったことで不安を抱えているであろうルティスが笑顔を見せているだけで、リンの心も自然と和む。
恐らくは同じことを考えているのだろう。オルハも、二人に柔和な眼差しを注いでいた。
一方で、窓の外に険しい目を向けているのはシャン。
無論、外は闇に閉ざされている。何かを見ているというよりは、明日の事に思考を巡らしているのだろうか。道中、いかなる危険があるのか。遺跡に付いた後で、何を目撃することになるのか。思考が深い迷宮のなかに入り込みそうになったところで、リンはかぶりをふって考えをとめた。
そのまま時は静かに流れた。時刻も夜半に迫ったころ、部屋にやってきた使者によって、リンは呼び出される。
ああ、この流れだと、絶対怒られるやつじゃん……。
よっぽど疲れたのかそれとも満腹になったせいか。気持ち良さそうに口を開いたまま寝息を立てるコノハに視線を向けて、リンは溜め息を落とした。