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禁忌の場所

 その石扉がある場所にリンが足を運んだのは、彼女がまだ十二歳だった時のこと。

 リンは、幼いころ、不幸な事故で両親を亡くしていた。身寄りを無くし、途方に暮れていた彼女を引き取ったのが、テッサイという名の老人だった。テッサイに連れられ、(さむらい)と呼ばれる者たちが住んでいる、レイドという名の村で暮らすようになった彼女は、彼を師とあがめ、剣術の修行に明け暮れる日々を送った。

 侍──刀と呼ばれる片刃の武器を用いた剣術を伝承している者らの総称である。それは、トリエスト島全土を見渡しても、おそらくこの村にしか伝わっていないであろう特殊な剣術。

 リンはある日、同じように村で暮らしていた少年と一緒に、村外れにある森へと出かけた。そこで彼女たちが見つけたのが、丘陵地のふもとにぽっかりと口を開けた、大きな石扉だったのだ。

 押しても引いても到底開きそうにない重厚な扉。

 扉の中心部に大きく描かれていたのは、菱形の岩に蔦が絡まったデザインの紋章。

 残念ながら中に入ることは叶わなかったものの、きっとこれは、凄いものを発見したに違いない、と興奮冷めやらぬまま村に戻った彼女らは、嬉々として見てきた扉の話を侍の長──テッサイに報告した。


『ほう、とんでもないものを見つけてきおったのう』


 そんな感じに賞賛されるものだろう、とリンは期待に胸を膨らませていた。

 ところが──。

 勝手に森の奥まで入るでない。今日見てきた遺跡のことは金輪際(こんりんざい)忘れろ。二度と口にするな、と激しくテッサイに叱責されたのである。

 のちに、別の大人から伝え聞いた話によると、その場所はレイド村に古くから伝わる『禁忌の場所』と呼ばれている土地。

 重厚な扉により封鎖された石造りの遺跡の内部には、資格を持つ者以外は決して足を踏み入れてはならぬ、という言い伝えがある隔絶された空間だったのだ。

 どうして近づいてはならないの? と大人たちに尋ねてみても、『さあな』とみな一様に首を傾げるばかりであった。


『すでに風化してしまった昔話。中にあるのは財宝とも災厄とも言われているが、真実なんて誰も知らない。だが──』

『だが?』とリンは尋ね返した。

『資格を持つ者が現れたとき、伝承が蘇る──なんて、言われているんだ』


 資格を持つもの。

 伝承。

 では、あの石扉に刻まれていた紋章と同じ刻印を体 (正しくは手首の宝石だが)に持つこの少女こそが、資格を持つ者だというのか? もしそうだと仮定するならば、帝国の人間は、禁忌の場所の奥に眠っている秘密を追っている?

 いや、待て。そう決め付けるのは早計だ。

 唐突に降ってわいた情報量の多さに、考えが混沌としてもやもやとゆれ動く。

 だが、とリンはなおも思案する。この不思議な少女と禁忌の場所との間に、どんな関係が? そもそも、関係なんて本当にあるのか? なおも考えを巡らしていくが、なにひとつ答えは導き出されない。師匠に聞けば、あるいは──?


「どうしました? 顔色が優れないようですが?」


 堂々巡りの思考のなか我に返ると、シャンが不思議そうな眼差しをリンの方に向けていた。どうやら俺は、相当酷い顔をしていたらしい。少女の腕を掴んだままだったことに気づき、慌てて手を離した。


「あ、ああ……実はちょいとばかり気になることがあって、な」

 リンは、みんなの顔を順番に見渡してから話し始める。

「なあ、ちょっと聞いてもらえるだろうか」


 資格を持つ者以外、入る事を許されぬ禁忌の場所の存在。遺跡の扉に描かれていた紋章。おそらく同じものが、少女の手首に嵌められた宝石にも浮かんでいる事……。


(にわ)かには信じ難い話ですね……。そもそも彼女の宝石に浮かんでいる紋章が、リンの記憶の中にあるものと同じだという確証はあるんですか?」

「いや、遺跡の扉なんてもう何年も見ていないのだから、確実とまではそりゃ言えない。だが、間違いないと思う」

「前後の文が破綻していますよ?」


 リンの要領を得ない答えに、シャンが呆れ顔になる。そのまま彼女は、腕を組んで考えを巡らせるよう沈黙した。


「あまり遠い場所じゃないと良いなあ~。森の中は歩きにくいから」


 自分の細い足を見下ろしながら、コノハがフィールドワークに対する不安を口にする。カノンやオルハも神妙な面持ちで見守る中、おずおずと口を開いたのは少女だった。


「……ボクを、その場所に連れて行ってくれませんか?」


 こちらを見つめ返す翡翠色の瞳。滲んでいる不安の色を感じとって、無理もないだろう、とリンも思う。今、一番不安な気持ちを抱えているのは他でもない、記憶を失った少女なのだ。


「いえ、入ることを禁じられている場所なのですから、ボクにとやかく言う資格はないのかもしれません。それでも……その場所に行く事で何かわかることがあるのなら、是非行ってみたいです。まったく記憶もないし、それなのに妙な力はそなわっているしで、考えがうまく纏まらないのですが」


 でも、と少女が顔を上げる。


「他に縋れるものがないんです。もちろんこれが、ボクのワガママなのもわかっています」


 決意の声とともに、少女の顔から迷いが消えた。それでもなお、リンの考えはうまく纏まらないままだ。


「う~ん、そうだなあ」


 少女の不安も、縋る気持ちも理解できなくはない。だが──。

 冒険者ではない普通の人間を連れて森の中を歩くという行為は、想像以上に危険が付き纏うもの。脅威となるのは、熊や虎といった獣だけではない。妖魔や魔獣のような危険な生物と遭遇することも想定しなければならないのだから。

 少女は、どう見てもコノハと同等かそれ以上に幼い。

 こんな子どもを、連れて行って良いものなのか? もし、万が一、不測の事態が起きたとして、自分たちに責任を負うことはできるのか? いや、できるはずなどないのだ。少女の身元すら分からない現状、余りにもリスクが大きい。こんな言い方はしたくないが、第一、金銭的旨みがまったくない。

 リンが黙考を続ける中、静かな口調で語り始めたのはオルハだった。


「……記憶を失っている彼女と今日出会ったことは、なにか、運命による導きなのかもしれません。彼女は記憶がないことを不安に感じ、今現在頼れる相手は私たちしかいない。確かに私たちと彼女は、今日出会ったばかりの間柄。共同して何かを成し遂げようとすることに、些か気乗りしないのもしょうがないことでしょう。危険な事件に巻き込まれる可能性があるうえ、これといったメリットが存在しないのですからね。それでも私は、このまま『はい、サヨウナラ』と別れてしまうのは、良心が咎めますかね。ああ──」


 とここでわざとらしく、オルハは口元に手を当てる。


「これはあくまでも私個人の意見ですので、どうかお気になさらず。これは所詮私の独り言。最終的な判断は、ギルドマスターであるリンに託しますから」


 それはリンが、いや、この場にいた誰もが考えていた問題。自分の意見ですが、と前置きをしながらサラっとみんなの声を代弁し、その上でリンの背中をそっと押す。まったく、お前には適わないな、と彼女の気配りに舌を巻いた。

 故郷の村にある禁忌の場所。そこに入る資格を持つであろう少女の出現。

 それに、少女は今、俺たちに救いを求めている。これだけの条件が揃っているのに、彼女を置き去りにしてこのまま別れることなどできるのか?

 ──愚問。とリンは自嘲の笑みをこぼした。これで少女の素性がわかるならなお良しか。


「しょうがねぇなぁ。わかったよ、連れて行ってやる」


 考えた末に、という体で答えた。ふふふ、とオルハが笑う。


「なんだよ」

「……いえ、なんでも」


 瞬間、少女の顔が、ぱっと花が咲いたように輝く。


「まあ、なんて言うかアレだ。別にお前のことが心配なわけでもないが、禁忌の場所ってのは俺の故郷である村の近くにたまたま、あるんだしな。そう、たまたま。そろそろ里帰りしようかな、と思っていた矢先だし、ついでに連れて行ってやるよ」

「……あらあら。村に帰ったのって、先月の話でしたっけ?」


 オルハが茶々を挟んでくると、「ぷっ」とコノハが顔を背けて吹き出した。すると、ここまでずっと無言を貫いていたカノンまでもが声を上げてころころと笑い始める。


「なんだよおまえらまで!?」


 バカにしやがって、とリンは憤ったが、まあ、言い訳染みた台詞を語尾に付け加えてしまう辺りが、自分の甘さなんだろうなと彼女も失笑する。


「……ただし、ひとつだけ条件がある」

「はい」

「俺たちの言うことは、ちゃんと聞くこと。決して単独行動はしないこと。俺らの側を離れた場合、お前の安全は保障できないからな?」

「はい!」


 少女が元気よく頷くと、「話がまとまったのであれば」と言ってリオーネがリストバンドを少女に向かって放り投げる。「わわっ」と慌てふためきながらも、彼女は上手く両手でキャッチした。


「それをつけて、普段は手首を隠しておきなさい。ハッキリ言ってその手首、色々と悪目立ちするから」

「ハイ。色々と、ありがとうございます」


 リストバンドを嵌めて位置の調整をしながら少女が笑顔で頭を下げた。


「それで? 出発は何時にするつもりなの?」とリオーネが訊ねると、「善は急げだ。早速、明朝にでも出発するさ」とリンが答える。


 それで構わんか? とリンが視線を配って同意を求めると、シャン、オルハ、コノハの順で頷いた。


「無報酬なのは正直納得いきませんが、リンが言うのであればしょうがないですね」

「……あなたがそう決めたのであれば、私は従うまでのこと」

 一方で、少女の手をがっしと握り締めて周りを見渡したのはコノハ。

「ねえねえ~いい加減に彼女の呼び名を決めようよ? あなた、とか君じゃいかにも他所他所しいし。取りあえずは……うーん……ルティスでいいのかなっ?」


 少女はコノハの勢いに気圧されつつも、「それで構わないのですよ」と答える。


「そっか、わかった! じゃあヨロシクね、ルティス!」

「じゃあ……ルティス? しばらくの間、宜しくな」


 満面の笑みを浮かべたコノハの横で、恥ずかしそうにそっぽを向いて手を差し出したのはリン。少女──ルティスはリンの手をしっかり握り返し「お願いします」とあどけなく笑った。


「なるほど、冒険の対価は少女の笑顔って訳ですか。これで納得できてしまうなんて……まったく、私も甘くなったものですね」


 皮肉めいた口調で、しかし言葉とは裏腹にシャンが笑みを浮かべると、「ルティスが着られる服を何着か買ってこようよ」とコノハが提案する。いいね、行こう行こうとカノンが同意を示すと、二人はルティスを強引に引っ張って連れ出そうとした。されるがままに診療所の扉を出ていったルティス、他二名を見送ったのち、リンがリオーネに言った。


「それにしてもすまんね。まさかリオーネが、少女をここに住まわせる提案をしてくるとは想定外だった」

「何よ、その言い方。私とて、身寄りのない記憶喪失の少女を放り出すほど悪魔ではないわ」


 先ほども言った通り、とリオーネが心外そうな顔をすると、「発言の中に、こっそり本心を混ぜ込むのが、リオーネの得意技だったな」とリンが更なる皮肉で返す。


「なんだかバカにされてる気分」


 じゃあ、俺たちも行くか、とリン以下三人が退出していくのを見届けたのち、リオーネは口元が寂しいと感じて懐から煙草を取り出した。

 火を点けて咥えると、肺の中一杯に煙を溜めこんだのち、ふう、と一息に紫煙を吐きだした。

 輸入品の煙草は高くつく。エストリア産の量販品に変えるべきだろうか、と手元の紙煙草に目を落としたその時、診療室の奥側にある扉がギイ、という音を立て開いた。


「リストバンドを与えて素性を隠せ、か。ごく自然に遺跡の情報を伝え、ついでに気遣っていますというアピール。なかなか見事な話術じゃないか」


 扉の影から姿を見せたのは、正装に身を包んだ銀髪碧眼の青年男性。彼は痩身を壁に凭れさせたまま、リオーネに声をかける。済んだ声音が静謐な空気を破って部屋の中に響く。


「お戯れを。遺跡の近隣が彼女の故郷だったのは偶然のことですし、それに、私はあなたに言われた通りにやっただけの事」

「さて、俺はそんな指示を出したっけかな? 最近物忘れが酷い」

「とは言え、実際有効でしょう。あの手首の宝石は目立ちます。見る人が見れば、あの国の紋章であると勘付いてしまう可能性があります。記憶が戻っていない今だからこそ、かもしれませんが、疑うことなく手首を隠してくれたのは僥倖(ぎょうこう)でした」


 あなたにとって、ね。とリオーネは心中で付け加える。


「まあ、そうだな。引き続き、宜しく頼むよ」


 その言葉を残した直後、眩い光とともに青年の姿は掻き消すように消えてしまう。空間転移魔法、とリオーネは判断した。


「悪趣味ね。いったい何時から耳をそばだてていたのやら」


 波立っている心を静めるため、本日三本目の煙草を取り出そうとしたところで、煙草の吸いすぎに気をつけてください。身体(からだ)に毒ですから、とカノンに言われていた事を思い出して自重した。ああ、そうだったな。一日二本まで、と決めてたんだった。

 気を紛らわす目的でリオーネは窓際に立つと、窓を大きく開け放って澱んだ空気の入れ替えをした。

 芝生で覆われた診療所の庭。木製の板を張り合わせただけの塀の向こう側から、子供たちのはしゃぐ声が複数聞こえてきた。

 今日も静かに時は巡っていく。平穏な生活の裏側で渦巻く、国家間の陰謀など露程も知らず。

 暮れ行く茜色の空を見上げて、もうそろそろ、夏も終わりか、とリオーネは小さく溜め息を落とした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 自分はテーブルトークRPG未経験者ですが、 本作を読んでいると、実際やったら楽しそうだな、と感じました。 ストーリーや世界観の設定は全てゲームマスターがする感じ でしょうか? それとも皆…
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