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そして、またあたらしい春がくる

 少女の存在が世界から消えたのと時を同じくして、ラインの街全域を包み込むようにして降り注いできたのは金色の光。

 それは、とても暖かくて、柔らかな光だった。

 街のいたるところに、激しい戦闘による爪あとが残されていた。石畳の上に、うつ伏せで倒れ息絶えている者。重症を負った仲間を支えながら、物陰で助けを待つ者。力及ばず戦線から脱落し、民家の裏で震えている者。彼らを金色の光が包み込むと、とたんに不思議な現象が起こった。

 いままさに、街を蹂躙しようとしていた魔物の群れは全て霧散し、負傷者たちの傷はたちどころに癒え、生死の境を彷徨っていた者たちも、一命をとりとめたのだ。

 そればかりではない。不幸にも命を落としてしまった者たちまでが、息を吹き返したり、後日、何事も無かったかのように帰って来た。

 この日起きた一連の不可解な出来事は、吟遊詩人の主題となり、後々語り継がれていくことになる。

 なぜ、このような現象が起きたのか、それは、今日(こんにち)においてもまったく解明されていない。

 しかし、これは──ラガン王国の浮遊石が最後にもたらした奇跡なのではないかと、そう信じられている。

 今でも──。


* * *


 ラガン王国をめぐる争乱が終結した日から数えて一週間後。エストリアの王城で宴が催された。

 魔物の襲撃から街を守り抜いたすべての戦士と、新たに誕生した、四人の英雄を称えるための酒宴の席だ。彼女たち四人と『ヒートストローク』の名は、歴史の一ページに新たに加えられ、永久(とわ)に語り継がれていく事になるだろう。

 だが、その場所にあの少女の姿はなく。

 少女の名前が、歴史に刻まれることも無い。


 その、不幸な生まれ故に……。


「これから、トリエストはどうなりますかな」


 エストリア王ラヴィアが、宴の席で隣のリアンヌ王女に問いかけた。


「どうなるのでしょうね。少なくとも、これほど甚大な被害をもたらすような事件は、今後そうそう起こらない──そんな気がいたしますわ」

「そうだといいな」

「ところで、ラヴィア殿」

「うむ?」


 ラヴィアが、いぶかしむような視線を隣のリアンヌに投げかける。


「過去の遺恨を全て水に流し、よくぞディルガライス帝国と和解してくれましたね。正直なところ、少し驚きました。よく決心してくれたものだと」


 ふはは、と愉快そうに笑い、ラヴィアが葡萄酒(ワイン)の入ったグラスを傾ける。


「何事にも時期というものがあるだろう? 私はただ、それに従っただけのこと」

「そうするきっかけを与えてくれたのが、他ならぬラガン王国であり、あの少女──であった。というわけですか」

「まあ、そんなところだ」

「知っていましたか?」

「ん、なにをだ?」

「少女のセカンドネームである『ルティス』、ですが、古代ラガンの言語で、『再生』という意味なんだそうですよ」


 再生、と反芻し、ラヴィアは拳を手のひらの上で叩いた。


「彼女が残してくれた最後の奇跡が、文字通りこの国とトリエストを再生してくれたわけだ」


 ですね、とリアンヌが瞳を伏せた。


「せめて私たちだけでも、忘れないようにしましょう。この悲惨な戦いの裏で、世界を救いひっそりと消えていった少女の名前を」


 そうだな、と言って二人はグラスを合わせた。キン、と響いた音は、喧騒のなかでもお互いの耳にしっかりと届く。

 えもいわれぬ感傷が、二人の胸中を駆け巡った。今はなき、少女の記憶とともに──。


* * *


 季節は流れる。長い、長い冬を超えて、街の復興も着実に進んでいく中で、また……新しい春を迎えていた。

 その墓地は、ラインの街の南の外れにあった。

 神殿の後ろにある大規模な墓地と比べると、かなりこじんまりとした墓地。その一角。半年ほど前に建てられた真新しい墓標の傍らで、コノハは人を待っていた。


「あーもう、遅いなあ」


 天候がいいとはいえ、まだまだ風は肌寒い。愚痴を零しながら両手を擦り合わせていると、やがて待ち人の姿が見えてくる。ようやく来たかと不満の声を漏らしながら、彼女は両手を左右に振った。


「おーい! もう~遅いよ二人とも! すっかり体が冷えちゃったじゃない!」


 彼女のところにやって来たのは、リンとオルハの両名だった。


「いや~待たせたねコノハ、悪い悪い。この話をしたらリリアンも来たいって言うからさ」

 そう言ったリンの後ろから現れたのはリリアン。三人目の来訪者は、「や、久しぶり」とバツが悪そうに片手を上げた。


 あの一件以降、コノハとリリアンはなんとなく疎遠になっていた。大きな被害を受けた『鈴蘭亭』の再建で、リリアンが忙しくしていた、というのが理由の一つ目で、店が営業できなくなったことで、『ヒートストローク』が他の冒険者の店で世話になっていた、というのが二つ目だろうか。

 だが、それらはむしろ瑣末なことでしかなく、本当の理由は、コノハ自身が酷く塞ぎ込んでいたからだった。


「……そういえば、鈴蘭亭の再建も、ようやく軌道に乗ってきたようですね」


 墓前にお供え物をしながら、オルハが軽い調子で訊ねる。

 二人がぎくしゃくしているのを見て取って、敢えてこの話題に触れたのだろう。


「うん……。本音を言うと、このまま店を畳んでしまおうかと、思ってたんやけどな。うちも、親父も」


 墓標に刻まれた名を指でなぞりながら、リリアンが独白する。


「でもさ。あの子が命を懸けてこの世界を守ってくれたんやから、うちらだって、全力で生きていかなくちゃダメだと思うたんや。……だから、続ける事にした。完全な復旧までは、まだまだ時間が掛かると思うけど、絶対に諦めたりはせんのや」


 沈んだ顔をしながらも、力強く発せられたリリアンの宣言を聞いて、コノハは塞ぎこんでいた自分を恥じた。こんなところを彼女に見られたら、情けないぞと笑われちゃうな。


「あれ? それでシャンはどうしたの?」


 今さらのように一人足りないことに気づいたコノハが、キョロキョロと辺りを見渡した。


「テッドの仕事を手伝っている」


 コノハの問いに、答えたのはリン。

 今回の事件についてさらなる学術調査を行うことを、先日リアンヌ王女が明言した。『もう既に終わった事件、これ以上調べても意味はないだろう』。そういった声が囁かれていたのも事実。だが、この痛ましい事件の全貌と、彼女が確かに存在していた証を風化させたくない──と言うのが、彼女なりの理由だった。

 それにはコノハのみならず、ヒートストロークの面々も賛成だった。


 コノハは、あらためて墓標に刻まれた文字を見る。

 そこには……ただシンプルに、『アデリシア・ルティス・フィンブレイド』とだけ書かれてあった。

 春一番の風が吹く。

 突き抜けるような晴天の空を見上げ、風に煽られた長い髪をコノハが押さえた。


 元気ですか?


 今、どうしていますか?


 そちらの空は、青い色をしていますか?


 こちらの空は、なんだかずっと灰色に見えます。


 本当は、もっともっと、抱えきれないくらい話したい事があったはずなのに──なんだかうまく言葉にできません。


 だから──。


 眩い日の光に目を眇め、す~……と息を吸い込んだのち、コノハは力のかぎり叫んだ。


「あなたがいなくなった世界は! ずっと、ずっと、灰色で、凄く退屈で退屈でたまんないけれど! でも、もう寂しくなんかないよ! 私、ルティスとは最高の友達になれたと思っているから! 何時までも、私の心の中に、あなたはいるから!」


 だからさ……とそこまで言ったところで、コノハの声が吹いた風にさらわれた。嗚咽をあげうずくまってしまった彼女を、そっとオルハが抱きしめた。

 暖かくて柔らかな春の陽射しが、みんなを包み込んでいました。

 それは、彼女との旅が終わった日の朝と同じ──暖かい色の光でした。

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