第三章エピローグ~──思いは、砕け散って~
夜の闇は次第に端の方に追いやられ、東の空から黎明の新しい光が西の方角に伸びた。
朝陽が伸びる方向に向かって空を駆けるのは一人の少女。
翡翠色の髪をたなびかせ、背中の翼を殆ど羽ばたかせることもなく、けれど、かなりの速度がでていた。
少女――ルティスは視線を巡らせながら、祖国が目指している方角を推し量る。
西の方角に向かっているのは間違いない。やはり目標はブレストの街だ。
守護兵を退けラガンに踏み入ることができるのは、彼らを造った神官たちと王族の人間のみ。だが、島を動かせるのは自分と兄のみだ。
──どうして、兄さん。
私たちの目的は、ラガンを復活させることではない。むしろ終わらせることなのに。
「もっとスピード出ないの!」
舌打ちを落とし、さらに速度を二割ほど上げる。今の自分の力は、ピーク時の六~七割くらいかな、とルティスは分析する。これ以上速度をあげられない事実が恨めしい。
もっとも、完全に力が戻ったとき、私は『私』ではなくなるのだけど。
情けないものね、と自嘲気味に笑ってみせた。
その時、ラガン王国の四隅で輝いていた光が中央に収束し、巨大なひとつの光源として成長していくのが見えた。
巨大な発光体の正体は、ラガン王国の発明した邪悪な兵器の一つ『熱線砲』
大気が激しく震える。
気険を察知した鳥たちが、いっせいに羽ばたく音が聞こえる。
──来る……!!
ルティスは翼を大きく広げて急停止すると、熱線砲の発射に備え集中力を極限まで高めた。
その直後、巨大な発光体は突如として姿を変える。一本の射線となって、一直線に伸びた。遺跡の街、ラインを目指して。
迫り来る眩い光源。その真正面に回りこんだルティスは、光の塊を全ての魔力を集中させた両腕で受け止めた。
バチィィィィ──!!
激しい炸裂音が木霊する。
真っ直ぐ伸びた光の帯が、ルティスの体で遮られる。
圧倒的な熱量とエネルギーの大きさに、顔を背けそうになった。
よし、大丈夫。今の私でも止められる。光の塊を弾き返そうと集中力を高めつつ振り返ったその時、押し留めていたはずの光源が、自分の体を貫通していくのが見えた。
「え? なんで……!?」
そう思ったルティスの疑問は、すぐに晴れた。
彼女の左半身は、再生能力を備えた宝石もろとも完全に吹き飛ばされてなくなっていたのだから。
薄れゆく視界と意識の中で、熱線砲の着弾点を彼女は方角から計算する。──そうか鈴蘭亭か……最悪だ……。
あの店で知り合った仲間たちとの記憶が思い出された。
シャンの頭をリンが小突いて、それを見てオルハが朗らかに笑う。
コノハが自分の方に手を伸ばしてきて、嬉しくなった私は彼女の手を躊躇いがちに握る。
私は、彼女たちの友人になれていたのかな……。
まるで泡沫のように、浮かんでは消えていく映像。
これが走馬灯というものなのか、と彼女は思う。闇から生まれいでしモノは、再び闇へと返るのね。
最後の瞬間が、楽しい記憶で満たされていたことに安堵しながら、少女の意識は闇へと落ちた。
──次の瞬間。光の射線はラインの中心部に激しい音とともに着弾。大きな火柱が上がった。
* * *
それから数時間後。ブレストの街にある診療所の中は、騒然とした空気に包まれていた。
ここから距離があるとはいえ、被災地からあがる黒煙が窓の外にはっきりと見える。運び込まれてくる負傷者は後を絶たず、常駐している医師ではとても手が回らない。治癒魔法が使える神官たちまで担ぎ出されたのだろう。廊下を慌ただしく行き交うバタバタという足音が響いていた。
それはリオーネとて、例外ではなかった。
──まったく、派手にやってくれたものね。
騒々しい雰囲気に、おちおち休んでもいられない。愚痴を零しながら白衣に袖を通すと、リオーネは自室のドアを開けた。
「カノン」
廊下に出ようとしたところで、そのまま足が止まる。そこに立っていたのは、水色の衣服の上からカーディガンを羽織ったカノンだった。
「あら、もう休暇は終わったのかしら? ──まあ、それはともかく、良い所に来てくれたわ。さっき起こった爆発事故の影響で──」
「リオーネさん」
いつにも増して、真剣な表情だと思った。普段のどこか気弱な雰囲気はなりをひそめ、有無を言わさぬ凄みが漂っている。
「なにかしら、また改まったりなんかして。お給料の話なら──」
「リオーネさん」と再び強い声。「お金の話をしに来たのではありません。少しお時間、宜しいでしょうか?」
ふっとリオーネは相好を崩した。
「そうね。中でゆっくり話しましょうか」
カノンを自室の中に招き入れると、後ろ手に扉をしっかりと閉める。ガチャ、という無機質な音が響いて、カノンが緊張した顔に変わる。
「それで? 話というのは?」
「単刀直入に訊きます。リオーネさん。私に何か、隠し事をしていますよね?」
「あらあら、怖い顔ね。なんの事を言っているのかわからないけど、ただのしがない医師でしかない私に、大それた隠し事なんて──」
「誤魔化さないで」
力強い光を湛える黒曜石のような瞳が、まっすぐリオーネを見据えている。
ふふ、とリオーネは不敵な笑みを浮かべた。
「何故、そんな疑いを持つに至ったのかしら? もし、理由があるなら、聞かせてもらえる?」
「はい」
ひとつめ。とカノンが指を一本立てる。
「ルティスの体をくまなく調べ上げたこと。どうしてあそこまで念入りに調査するのかと疑問でしたが、今になって思えば納得です」
「ふうん」
ふたつめ。と二本目の指が立てられる。
「私を管理下に置いたこと。以前私が診療所を受診した時に気が付いたんですよね? 胸のところに存在している痣に。その時、私がラガン王国の血を引く人間であると気付き、自身の管理下に置いた。違いますか?」
柔和な笑みを浮かべたまま、リオーネは否定も肯定もしない。
「みっつめ。あなたの部屋から、レイド村の住人について調べ上げた資料が見つかりました。知っていたんですよね? あの村に住んでいる人の多くが、地上に降りたラガン王国の民の末裔たちであることに」
ふふふ、とリオーネが笑う。
「他人の部屋を勝手に見るなんて、感心しないわね。だとしても、それがいったい、何の証拠になるのかしら?」
「それから最後に、あなたの正体を私より先に看破していた人がいます。彼女から真相を聞きました」
「ルティスね」
「はい」
「なるほど」と観念したように、リオーネはため息を落とした。「そこまで知ってしまったのね」
リオーネが一歩近づいて、代わりにカノンが一歩後ずさる。カノンを見据える空色の瞳が、これまで見せなかった狂気の色を湛える。
「そうね。あなたが疑っているように、私の真実の姿は、ラガン王国の血縁者を調べるために派遣された密偵。もちろん、ディルガライス帝国の人間よ」
同時に──とリオーネが続けると、カノンがごくりと喉を鳴らした。背中に隠し持っていた、魔術師の杖をぎゅっと握る。
「ヒトではない」
室内の空気が、一瞬のうちに緊張感をはらんで、ぴん、と張り詰めた。




