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血を引くものたち

 こいつは敵なのに、何故俺を抱きしめている?

 そんなに血を流してまで、何故俺を抱きしめている? 憎悪が渦巻くリンの心中に、別の感情が異物となって紛れ込んでくる。


「どんなことがあっても、ボクを護ってくれると言ったじゃないですか!」


 強い意志をもった少女の声。

 そうだ。確かに言った、とリンは思う。

 あれは、今日と同じような満月の夜だった。

 満月の夜? それはいったい何時──?

 曖昧になっていた体中の全ての感覚が、感情や記憶が、鮮明になり浮き彫りになっていく。

『他に縋れるものがないんです。もちろんこれが、ボクのワガママなのもわかっています』

 あの日、決意の声をあげ、顔を上げた少女の姿が、鮮血に塗れ、それでも厭わず自分を抱きしめている眼前の少女と重なる。

 こいつはいったい、誰なんだ。


「……ル……ティ……」

「目を覚ましてください! リンさん!!」


 再びルティスの声が響く。


「……気持ちをしっかり、リン!」


 オルハも呼んでいる。


「ルティス……?」


 必死の形相で自分を抱きしめている少女の名前がルティスであると認識した瞬間。意識を覆っていた膜のようなものが急速に晴れた。


「そうです。意識をしっかり持ちなさいリン。あなたの敵は誰ですか?」


 ルティスに治癒(ヒーリング)の魔法をかけながらシャンが叫んだ。


「そうだ。俺の敵……」


 ルティスから解放されたリンは、くるりと踵を返して、屋敷の玄関にいる男の方に刀を向ける。ヒートストロークの主戦力リンは、完全に自分の意思を取り戻した。

 そこからコノハが解放されるまではあっと言う間だった。彼女は身体能力そのものは高くないので、シャンがあっさりと取り押さえて解毒(カウンター・ポイズン)の魔法で正気に戻した。


「人の弱みにつけこんでロイスさんを騙した上に、よくも毒まで飲ませてくれましたね!」

「流石に多勢に無勢だろ。大人しく観念しろ」


 不敵な笑みを湛える銀髪の男にコノハが指を突きつけ、リン他五名が包囲する。それでも、一気呵成に攻め立てることはできなかった。男の傍らには、人質となったカノンがいる。


『やれやれ、正気に戻ってしまいましたか』

「お前はあの時の……!」


 男の声を聞いた瞬間、シャンの記憶が蘇る。目の前にいる銀髪の男は、先日ブレストの街中で、彼女の財布をすったあの男だった。


『おやおや、私のことを覚えていてくれたのですか。光栄ですね』

「戯言を……!」

「……知っている男なのですか?」


 オルハの疑問の声に、シャンは頷いた。


「ええ。この間ルティスが攫われそうになった話をしたでしょう? あの時手引きをしていた男ですよ」

『手引き? その言われようは心外ですが、まあ、そういうことにしておきましょう』

「どういう意味です? あなたはディルガライスの人間なんでしょう? なら結果として同じ事。そもそもあなたはいったい──」

「ザウート。かつてラガン王国を裏から操っていた四人の神官の一人」


 シャンの質問に、代わりに答えたのはルティス。


「神官だって? じゃあ、フレイの仲間ってことですか?」


 無言で頷くルティス。


「そうだよ! 私は昨日の夜に見たから知っている。こいつの正体は魔族なんだよ!」


 何時でも魔法の詠唱に入れるよう、杖を掲げて鋭く叫ぶコノハ。


「なるほどね……。その神官様とやらが、どうして俺たちにちょっかいを出す? 目的はやはりルティスなのか?」


 刀を構えたまま、隣のルティスをちらりと見やるリン。彼女はザウートを見据えたまま、眉ひとつ動かさない。やり取りが続く間に、オルハとコノハはじりじりと後退して普段通りのフォーメーションを整えていく。


『ちょっとばかり違いますねえ』

「違う?」

『あなたたちをここに呼び集めた理由は、ふたつあります』


 そう言ってザウートは、指折り説明を始めた。


『ひとつめ。ラガン王国の機能が全て回復し活動を始めるまで、あなたたちに邪魔をされたくなかったから』

「邪魔もなにも、皇帝が先日事故死したことで、国の内部はバラバラでしょうに」


 そこまで言いかけて、何かに気づいてコノハは息を呑んだ。


「そうか。あなたたちは、帝国を利用していただけ、ということなの?」

『正解。察しの良いお嬢さんだ』

「じゃあ、神官とやらの一人が、ラガン王国の内部に向かっているということ?」

『ノーコメント。そのうちわかります』

「もったいぶりやがって」と、忌々しげにリンが吐き捨てる。

『そして二つめ。この娘を邪悪化させるため』


 呟きと同時に、ザウートの瞳が愉悦の色に染まる。ここまでかろうじて残っていたヒトとしての気配が完全に消失。魔族としての本性が発現した。

 二本の角が生えた頭部。

 気の高まりに合わせて、背中側から広がった蝙蝠を思わせる漆黒の翼。

「ついに本性を現したか!」と緊張感を漂わせたリンを歯牙にもかけず、ザウートはカノンの着ているワンピースの胸元を引き裂いた。


「きゃあ!!」

「マジかよ……!」


 あがった悲鳴に、シャンの呟きが重なった。

 裂けた衣服の隙間から覗いて見えたのは、左乳房の上にある炎の形状をした紋章。それは、レンの背中に刻まれていたものと同じだった。じゃあ彼女は、とシャンの瞳が驚愕の色に染まる。


「カノンまでもが、ラガン王国の血縁者だというのか」

「そんな、カノンもだというの……?」


 突然突きつけられた現実に、コノハの思考が一瞬止まる。


「ごめんなさい。本当はもっと前から気付いていたの。それこそ、レンくんの事件があった頃にはもう。でも、余計な心配をみんなにかけたくなかったから、言わなくてもいいかなって思ってた」


 カノンの声を聞きながら、思えば確かに心当たりがある、とコノハは思う。

 幼馴染だったコノハとカノンは、共に魔術師になるため修行に明け暮れた仲だった。最終的に魔術師として大成したのはコノハの方で、けれど、カノンは多方面で才能の片鱗を見せていた。

 彼女はとかく、吸収力に優れているのだ。

 学院で行われる筆記試験では必ず主席だったし、魔法の実技においても、コノハよりカノンが先にマスターすることが多かった。その後の成長が遅いという欠点こそ確かにあったが、私だって何度もカノンに嫉妬したんだ。彼女が、冒険者として成功した自分に嫉妬していたように。

 一方でシャンの脳裏には、先日の悪夢が蘇る。

 邪悪な笑みを浮かべた元叔母の姿。

 この世のものとは思えない呻きを上げる弟の姿。

 今から起こるであろう惨劇を予見し、シャンが「やめろ」と叫びを上げ一歩を踏み出すが、しかし非情なる魔族の右手は、直後、カノンの体に瘴気を打ち込んだ。

 ああああああ……!! とカノンの口からもれる悲鳴。

 背を丸め、蹲り震え始める身体。

 目的は果たされたとばかりにカノンの体を蹴飛ばし地面に転がしたザウートに、怒りの形相でリンが肉薄する。


「貴様!」

火球の魔法(ファイアボール)!」


 魔族が居た場所で炎の爆発が起こり、激しい熱風が吹き荒れる。同時にリンの刀が一閃されたが魔族は翼を羽ばたかせ、すんでの所で宙に逃れる。


『なんて奴だ! 親友を巻き添えにするつもりか!?』

「心配しないで」と次の魔法を準備しながらコノハが言う。「カノンには傷ひとつつけやしません──砕けなさい!!」


 魔族の着地点を予測したオルハの矢とコノハの電撃の魔法(ライトニング)が彼に襲い掛かった。


『良い嗅覚です──しかし』


 魔族は身を捩って矢をかわすと、電撃は腕を交差させることで受け止める。火力の高さを示すようにバチっ……という音が上がりあたりが一瞬明るくなるが、魔族の体には若干の傷を残すに留まった。


「まあ、そうでしょうね」


 次の魔法を準備するべく杖を複雑な軌道で躍らせながら、コノハが忌々しそうに呟く。


「まったく……相変わらず無茶をする」


 一方、四人の攻防が続くなか、カノンの側に駆け寄り『不可視の障壁(シールド)』を展開し彼女を守っていたのはシャン。

 爆風が消え去ったのち、蹲るカノンの背をなでながら顔色を窺う。滲む脂汗。青白く変色した肌。だが──とシャンは思う。弟の時と比べると、彼女の瞳の色は失われていない?

 瘴気を撃ち込んでなお殆ど変化を見せないカノンの様子に、ザウートが露骨に焦りをみせる。


『……有り得ない! なぜこの女の邪悪化は進まない?』

「当然なんだよ」と胸をはるコノハ。「カノンは成長こそゆっくりかもしれないけれど、物覚えの早さはピカ一だし、なによりその分忍耐強いんだからね! ……そう簡単に闇落ちなんてするわけがない……!」


 自信満々な声を聞きながら、「なるほど」とシャンは思う。レベルの高い適合性を見せた個体というのは邪悪化に適した存在であるが、同時に──抵抗力も強い。だからこそ、レンは何年かけても邪悪化がゆっくりとしか進行しなかったし、カノンもこうしてギリギリのところで持ちこたえている。

 念のため治癒(ヒール)の魔法をカノンにかけながら、シャンは戦況を見守った。


「カノンを邪悪化させて戦力にしようという思惑だったんだろうけど、残念だったね!」

『そうでもないさ』


 コノハの挑発にも怯むことなく、魔族がふんと鼻を鳴らす。


「どういうことなの?」

『俺はここで勝ってもいいし、負けてもいいんだ。時間さえ稼ぐことが出来れば、その時点で俺たちの勝利はゆるぎないものになるのだから』


 彼の言葉を聞き、傷口がようやく完治したらしいルティスが眉をぴくりと動かした。また、同時にリンが反応する。


「何を言っているんだ? さっぱり意味がわからん」

『四人の神官について、少し語っておきましょうか』

「四人の神官──」


 ──またその話、とコノハは思う。ディルガライス帝国の内部が混乱をきたしている今、自分たちにとって最大の脅威となるのは間違いなく彼らのみ。フレイは先日すでに無力化させた。今ここでこの魔族を倒すことが出来れば残りは二名。うちどちらかが、ラガンの内部に向かっているのだろう。


「でも、ここであなたを倒せば、残りは金髪の中年男とまだ見ぬ一人だけでしょ?」


 やってやるわよ、とコノハが拳を握る。それに対してザウートは、『ハハハ』と嘲るように笑った。


『まだ見ぬ一名ですか。灯台下暗し、とはこの事だ』

「何がおかしいの……!」

『あなた方ヒトがよく使う言葉で、探し物は案外身近にある、という意味だ』

「意味くらい知ってるわよバカにしないで」とコノハが憤慨する。だが、直ぐ魔族が言いたいことに気が付いた。「え、まさか?」

『そう。そのまさかですよ。四人目の神官なら、ほら、直ぐそこにいるでしょう?』

「ヤメロ」


 魔族の言葉に反応を示したのはルティス。彼女の声がそれまで聞いたことのない低音だったことに、コノハの背筋に悪寒が走る。同時に全員の視線がルティスに集まった。


「それ以上言うな、ザウート!」

『ははは! あなたともあろうお方が、友情ごっこに当てられて情にでも流されましたか? その手で今まで何人の命を奪ってきたのか。忘れたわけではあるまいに』

「やめろと言っているでしょう!」


 叫びと同時に、ルティスが純白の翼を大きく開くと、周囲に途方もない量の魔力が渦を巻く。あまりの力の大きさに、コノハは思わず顔を背けた。

 これは、あの青い瞳の少年と同程度の力。二人はやっぱり兄弟なんだ、と改めて認識する。


『もういい加減に身分を明かす頃合でしょう? ラガン王国第一王女。アデリシア・ルティス・フィンブレイド。同時に──神官の四人目だ』


 魔族の口上が終わるかどうかのタイミングで、ルティスの体が弾かれたように動いた。そこからはもうあっと言う間だった。彼女の右手に出現した光の剣がザウートの心臓を貫くと、断末魔の叫びとともに、魔族の体は霧散する。

 ヒートストロークの一行は、その間一歩も動くことはできなかった。

 あまりの衝撃に、頭の整理が追いつかない。


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