港街ブレスト
トリエストと呼ばれる島がある。
魔法が存在し、錬金術と呼ばれる簡易的な機械文明によって栄えている島だ。
かつて長きに渡って戦乱の時代が続いていたこの島も、六つの王国によって分割統治されるようになってから一時の平穏を取り戻していた。しかし、平和な時代が訪れたことに一息ついたタイミングで、新たな戦乱の嵐が吹いた。
戦乱を起こした元凶は、島の西南部を支配していたディルガライス帝国。
若き魔法王ルイ・カージニスが皇帝として即位するや否や、トリエスト統一を掲げ侵攻を開始したのである。若き皇帝に率いられた軍隊は破竹の勢いで勝ち進み、あっと言う間に西方にある都市国家群を併合すると、島の西端に存在しているエストリア王国の国境付近まで軍を進めた。
争いも飢餓もなく平和に暮らしていた人々は、突如始まった若き皇帝の侵略行動に恐怖し、忌まわしい戦乱の時代の幕開けを予感しなければならなかった。
だが帝国の快進撃も長くは続かなかった。エストリア王ラヴィアの激しい抵抗にあい、一旦軍を引くことになる。かくして両国のにらみ合いが続く中、島は再び平穏の時代を迎えようとしていた。
それでも、一度高まった戦争への気運は未だ衰えることを知らず。相応に島の治安も悪化していくなか、其れまで曖昧な存在でしかなかった傭兵や冒険者の価値観が、大幅に見直される結果を生んでいたのである。
彼ら冒険者が集う街として知られているのが、遺跡の街ブレスト。
島の西端を統治しているエストリア王国の経済的中心地であり、近隣に未探索の遺跡が多く残されていることから、そう呼ばれている。また、多くの物資が陸揚げされる港を備えていることから、別名──港街ブレストとも呼ばれている港湾都市だ。
神殿、武具店、宿屋、地図屋、道具屋等々、冒険者が必要とする施設が全て揃っている冒険者通りと呼ばれるメインストリートで買い物をすれば、すぐにでも冒険に出られると言われるほどだ。
そんなブレストの街西端に位置する、荘厳な雰囲気漂う白い建物。それは、エストリアで最大規模の神殿だった。また神殿の真横には、こじんまりとした診療所が併設されている。白亜の建材が使われた建物の一室に、ヒートストロークの面々の姿はあった。
部屋の中には、白いシーツが敷かれたベッドが二つ。壁際に置かれている木製の棚には、様々な薬品の瓶と包帯などの医療品が所狭しと並んでいる。
そのうち片方のベッドに、先刻彼女らが回収してきた少女が寝かせられていた。着ていたドレスは痛みが激しかったため、現在は清潔そうな木綿のワンピースに着替えさせられている。
ベッドの傍らに立っているのは、黒髪を肩口で切り揃えた小柄な少女。いまだ意識の戻らない彼女の顔色を興味深そうに覗き込み、緑色の髪をさらさらと梳くように触っている。
「……凄いですね。本当に彼女はヒトなのでしょうか?」
黒髪の少女の名はカノン。
コノハの友人であり、年齢はコノハより一つ上の十五歳。初見では大人しそうに見えるが、その実意思が強くて負けず嫌いな一面も併せ持つ。医師見習いとして猛勉強中であり、ヒートストロークの面々とも懇意な仲だった。
数ヶ月前、自身の不注意から麻薬の密売に加担しかけた過去を持ち、そんなカノンの無念や悪評を払拭するべくコノハが盗賊団の討伐を請け負った、というのが、表立って明かされていないほうの事情。
「それで? 実際のところどうなんだ?」
「……あっごめんなさい。えっとですね」
リンが痺れを切らしたように先を促すと、手元の資料に目を落としながらカノンが語り始める。
「身長、百五十三センチメートル、体重は四十二キロ。だいたい私と同じくらいですかね」
知らねーよ、という突っ込みをリンはすんでの所で飲み込む。
「脈拍は正常。血圧は上110の下が75でした。とても理想的な数値ですね。体温は三十六度二分、平熱っと……。髪の色は緑。透き通った翡翠色って感じですよね。コノハの瞳の色とよく似ていますが、より純度の高い緑で綺麗です。手はお人形さんみたいに小さくて、指も細くて肌もきめ細やか。ん~もう……羨ましいなあ……。それから、とても可愛いっと」
至極真面目な声で話し続けるカノン。一方でコノハは乾いた声でケラケラと笑った。
「……まてまてまて!! そういう事を聞いてるんじゃないんだよ!」
リンが堪らず突っ込みを入れると、
「あっ……ごめんなさい。でも彼女の診断書に、そう書いてあるんですよ」
そう言ってカノンは数枚の診断書が挟まれたファイルを片手で振って見せる。
「可愛いっていうのもか?」
「いえ~。それは私の感想です」
悪びれた様子もなくぺろっと舌を出したカノンに、いつか本気で殴ってやる、とリンは心中で呟いた。
「あのですね。真面目にやってくださいよ」
呆れたような口調でシャンが言う。いいぞ。たまには良い事を言うじゃないか、とリンが笑みを浮かべたその時、背中側から声が聞こえてくる。
「はっきり言えば、いたって真面目。なぜならば、それは全て事実なのだから」
声の主はいつのまに病室に入ってきたのか、カノンの背中側から現れた。長い金髪をふたつ結いにして白衣を着た若い女性。
彼女の名前はリオーネ。神殿お抱えの医師であると同時に、神官位すら持っている人物だ。
横柄な物言いから取っ付き難い印象を相手に与えるが、医師としての腕は確かである。いわゆる、口さえ開かなければ美人、というタイプだろうか。
「先生、今日はまた、随分と早いんですね。午後の分の診察はもう終わったんですか?」
「……ええ、終わったわよ。私の怪我や病気ならいざ知らず、他人のことですもの。手短に済ませたわ」
どこまで本気かわからないリオーネの手抜き発言に、質問をしたカノンですら苦い顔になる。無論、カノン以外の全員が聞いていない。
「で……? 実際どうなんですか。健康診断の結果を聞きたいわけじゃないことくらい、わかっているでしょうに」
シャンが再び訊ねると、リオーネは彼女を一瞥したのち、そっと視線を外す。
「一切怪我もしていないし熱も普通。はっきり言えば、寝てるだけよ」
「眠っているだけって……、そんなはずはないでしょう? だって、飛行船から落ちたんですよ?」
「上手い落ち方でもしたんでしょ」
「ふざけてないで、ちゃんと診てくださいよ!」
「そんなことを言われてもね。外傷どころかなんの異常も見当たらないんだから、しょうがないでしょ。本当に、寝てるだけ」
シャンの剣幕にも動じることなくリオーネが淡々と答える。
まあ、リオーネが言うからには間違い無いのだろう、とリンは思う。実際のところ、この娘が落ちてくる場面を見ていたのはオルハだけだし、彼女にしてみても地面に激突する寸前しか捉えていない。だから、これ以上反論する余地がなかった。
でもまあ、とリオーネが続ける。
「そうじゃなければ、この娘が普通じゃないのかもしれないけれど」
「普通じゃない?」
少女の顔を食い入るように見つめていたコノハが、目を丸くしてリオーネの顔を凝視する。
「こんな髪の色をした人間を、私は見たことがありません。着ていた服の素材だってそう。材質は確かに絹なのだけれど、あんな織り方、私は見たことがありません」
「確かに不思議なデザインの服だったよね。でも、だからと言って、この子まで普通じゃないとは限らないんじゃ?」
コノハが反論すると、リオーネが意味あり気な笑みで返す。不審そうな顔で口ごもるコノハを他所に、シャンが別の疑問をのべた。
「まあ……。ディルガライスの飛行船が落としていったと仮定するにしても、彼らはいったい何処からこの少女を連れ出してきたんでしょうね?」
「ああ、それそれ! 気になってたんだけどさ。ここで匿ってることがバレちゃったら、誰かが連れ戻しにとか来るのかなあ?」
コノハが不安を口にすると、シャンが気のない声で反応する。
「さあ、どうなんですかね。私にはなんとも言えませんよ」
「私は嫌だよ! この娘渡したくない!」
「コノハ」とシャンが嘆息する。「感情論でものを言うのは止めなさい。連れ戻しに来たのが少女の正当な持ち主であるならば、その時は返す以外ないのです」
「でも」
「シャンの言う通りだ。俺たちはたまたまこの少女を拾っただけであり、保護者でもなんでもないんだ。妙な感情移入はするな」
ギルドマスターであるリンに窘められると、さしものコノハもうなだれた。
「はあい」
「まあ、この娘の目が覚めれば、なにか分かるでしょう」
リオーネが纏めるように言ったその時、少女の目蓋が薄っすらと開いた。開いた隙間から覗いた瞳の色は、コノハと非常によく似た翡翠色。