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痕跡を追って

「このまま暫く進んだ先に、次のマーキングがありました。たぶん、そこをどちらかに曲がるのだと思います」


 瞬く星座をバックに、月明かりを浴び輝く白い体躯とワンピース。中空から舞い降りてきたルティスは、純白の翼を一度広げたあと瞬時に消失させた。

 彼女が力を使うときだけ翼が発現するんだ、とこの間知ったが、こうして目の当たりにすると、今でも驚いてしまいますね。そんなことをオルハは思う。


 鈴蘭亭を飛び出したあと、万が一、カノンが戻っていたら、という可能性を考慮して、オルハとシャンの二人はいったん診療所に立ち寄った。そこでリオーネから知らされたのは、カノンが一週間の予定で休暇を貰っていた事実だった。


『あの真面目なカノンが、一週間も休みを貰うだなんて、おかしいと思わなかったんですか!』


 憤慨してリオーネを問い詰めたシャンだったが、それが筋の通っていない話だと気がついたのか、まもなく押し黙った。


『休みくらい誰でも貰うでしょう』


 相変わらずというか、さして気に留めた様子もみせないリオーネとは対照的に、過剰な反応を見せたのはルティスだった。『ボクも一緒に行きます』と二人に同行を申し出た。

 そんなルティスの様子を見て、オルハが目を細める。彼女が魔族である可能性も、四人の神官とやらの一人である可能性もまだ拭えていない。だが、今の発言に裏は無さそうだ。

 こうして、ブレストの街を出発した三人。

 レンタルした馬に跨って駆けるシャンとオルハを他所に、北門から出るとすぐルティスは翼を発現させた。

 もはや、正体を隠す必要もないしと言わんばかりに上空に昇ると、カノンが残した魔法の痕跡を辿ってここまでやって来たのだ。


「カノンに言っておいたのです。少しでも怪しいとか危険だと感じた時は、念のためマーキングを残しておくんですよ、と」


 緊迫した事態のなか、ルティスの声はやけに落ち着いている。

 あまりの手回しの良さに、まるでこうなることを予見していたかのようだな、とシャンは内心で思う。ダメだ。考え過ぎだ、と邪念を振り払おうとしても、頭の中で幾つもの疑念が渦を巻いてしまう。


 最後のマーキングを見つけ、その場所から即道が別れているのを発見すると、足音を抑えるように速度を落として緩やかな坂道を登っていく。

 やがて眼前に、一軒の洋館が見えてきた。「この場所ね」とオルハは二人を制止すると、馬から降りて先行するように偵察に出た。


* * *


 長かった夜が、明けようとしていた。

 黎明の空に星たちは次々と光を失い、紺色の空が次第に曙色(あけぼのいろ)に染まっていく。

 薄闇のなか、木々の間に身をひそめるようにして、オルハは屋敷の様子を窺っていた。

 建物の外に人の姿はない。だが、玄関口の脇に馬車が停まっているのだから、コノハたちは間違いなくこの中に居るのだろう。

 みんな無事であれば、とオルハは思う。胸中でふくらんできたこの不安が、杞憂であればいい。

 だがしかし、状況がわからないのだから、いきなり突入するわけにもいかない。こちらから怪しい動きを見せたのでは、最悪誰かを人質に取られかねないのだから。

 数分ほど黙考し考えをまとめた後で、オルハは仲間の居る場所に戻り状況を伝えた。


「なるほど、どうしましょう?」

「……何食わぬ顔で、普通に近づいていきましょう。みんなの帰りが遅いので、心配して来ました──とまあ、そんな感じで」


 それしかないだろうね、と同意しながらも、オルハの提案にシャンは苦い顔をした。


「来訪が明け方じゃなかったら、もう少し説得力もあったんでしょうが」


 馬を近くの木に繋ぎ止めた後で、シャンとオルハの二人は歩き出した。ルティスが二人のやや後方に着き従う。

 いきなり矢を射掛けられる危険性もある。油断なく屋敷の二階に注意を向けたまま、三人は、屋敷が見える広場に姿を晒した。

 オルハが弓の位置を正したのとほぼ同時に、屋敷の玄関が予告なく開いた。

 扉の陰から姿を現したのは、リン、続いてコノハ。


「どうやら、無事だったようですね」

「……本当に、心配したんですよ」


 二人の姿を確認すると、シャンとオルハは安堵のため息をついた。歩調を少し緩めながら、柔和な表情で二人との距離を詰めていく。


「カノンは、中にいるのですか?」


 しかし、後方からルティスが緊迫した声を上げたのを聞き、二人も違和感に気がついた。

 その通りだ。一緒に行動していたはずのカノンの姿がない。いや、それだけならば、こんなに妙だと感じることはなかっただろう。

 なぜ、二人とも鎧を着こんでいる?

 なぜ、リンの右手は刀の柄にかけられている?

 なぜ、コノハは右手にしっかりと魔術師の杖を握り締めている?

 こちらに何か語りかける気配もなく、武器を構えたまま近づいてくるリンたちを見て、流石にオルハとシャンもおかしいと感じた。


「……偽者なんかじゃありませんよね」

「魔力反応は感じませんので、幻覚(イリュージョン)じゃないのは確かです」


 オルハの疑問にルティスが答えると、シャンは盛大にため息を落とした。


「どうやら、オルハの心配事が現実になったようだな」

「……そのようですね」


 オルハが弓を構えつつ後方に下がり、シャンは腰を落として背後の二人を庇う。

 さて、どうしようか、とシャンが頭をフル回転させる最中、玄関から一歩で出ると同時にコノハの杖が魔法の輝きを放った。


炎の矢(ファイアアロー)!」

不可視の障壁(シールド)!」


 こちらに向かって一直線に飛んできた炎の矢を、眼に見えない障壁を展開することで防いだシャン。それでも貫通してきた炎の熱に、彼女の髪が僅かに焦げた。防ぐことこそできたが、攻撃された事実に変わりはない。

 毒薬か、とシャンは思う。


『──マニピュレイト?』

『……はい。相手の意思を奪い、意のままに操ることができると言われている毒薬です』

『そんなものがあるのか?』


 ここに来る直前、飲ませた者の意思を奪うという毒薬が、フロイド家に横流しされている情報がある事実を、オルハから聞かされていたのだ。


「考える暇もくれませんか」


 瞬きをする間に間合いを詰めてきたリンの一撃を必死に避け、シャンは毒づいた。


「……大丈夫ですか?」


 弓に矢をつがえ、後方のコノハに狙いを定めつつも撃つことが出来ずオルハが逡巡する。


「心配するんだったら、もうちょっと抑揚のある声で言ってくださいよ……っと!」


 呟きながらシャンは、突き出されたリンの刀を避けた。


炎の矢(ファイアアロー)!」


 再び放たれたコノハの魔法が、今度はオルハを狙って伸びる。黎明の空を切り裂く火線。衝撃に備え目を閉じたオルハの前に進み出たルティスは、まったく避けることなく魔法を正面から受け止めた。

 少女の華奢な胸を鋭く穿つ炎の矢。白いブラウスは焦げ、肉の焼けるすえた匂いが周囲に立ちこめる。


「……ルティス!!」

 オルハの叫びに、彼女は顔を向けることなく答える。

「大丈夫です!」

 そのまま、視線を屋敷の入口の方に向けた。

「ザウート。やっぱりあなただったのね」


 いつの間に現れたのだろう。開いたままの玄関の前に、銀髪隻眼の青年が立っていた。傍らに、手足をロープで拘束したカノンを従えて。

 着替えをさせられたのだろうか。カノンは薄手の水色のワンピースを着ていた。


 あの青年がロイスとかいう奴なのでしょうか? いや、でもあの顔どこかで……とシャンは思う。だが、それ以上思考を巡らしている暇などなかった。

 次のリンの攻撃を避けきれなかった。左腕を狙ってきた斬撃を障壁の魔法でなんとか弾くが、衝撃を殺し切れずに革鎧の下で血が滲んだ。

 その後もリンの攻撃を避け続け、自分の方に攻撃を引きつけるシャン。いっそのこと反撃に転じて押さえ込んでしまうのも手だが、相手はパーティ最大の膂力を誇るリン。万が一にでも失敗したら、攻撃の矛先がオルハの方に向くかもしれない。

 コノハの注意は幸いにもルティスが引いてくれているからいいが、もしそうなったら戦線は崩壊してしまう。


「っと、油断も隙もない」


 再びこちらに飛んできた炎の矢を障壁で阻みながら、シャンは悪態をついた。


 体内にある毒を浄化する魔法。解毒(カウンター・ポイズン)。リンたちが操られている理由が毒であるなら、この魔法で状況を打破することは可能だ。ただし、接触する必要がある──と横凪ぎに振るわれた刀を掻い潜りながらシャンは思う。


 ──でも、やるしかない。


 躊躇している時間などないと判断したシャンは身を屈めてリンの懐に飛び込んでいった。多少反撃を受けても解毒さえできれば、リンは正気を取り戻すはず。


「捕まえた……!」


 しかし、そう思ったシャンの両手は空を切る。

 かわされた!? リンは彼女の突撃をサイドステップを踏んで避けると、刀を最上段に構えた。全体重を乗せて突っ込んだシャンは体勢が崩れている。とてもじゃないが、避ける手段はない。


『シネ!』

「……!」


 久しぶりに聞いた気すらしてしまう、リンの声。

 らしくもない機械的なその響きに、思えば出会った当初はそんな感じでしたね、とシャンは思う。優柔不断で、体格のわりに挙動不審な彼女のことをよくからかったものでした。それからコノハがやって来て、なにかと暴走しがちな彼女の宥め役として機能したのが、最後に入ったオルハ。

 ──良い、仲間たちでした。

 これが走馬灯というものなのですね、と思ったその時、横からどんっと体を押された。

 二人の間に割りこんだルティスが、両手を広げてリンの刃を受け止めたのだ。

 肩口から袈裟切りに割かれ、真っ赤な鮮血が舞う。


「ルティス!」


 やはり凄い衝撃だったようで、がくりと膝を着き、けれど彼女は、胸部から滴り落ちる血を気にも留めずリンの身体を両手で抱きしめた。


「い、今のうちになんとかしてください。ボクの体は確かに不死身ですが、今はまだ受け取れる魔力量が乏しく、このままでは回復が追いつきません」


 彼女の言葉が冗談ではないことは明白だった。流れる血はまったく留まるところを知らず、白い衣服の表面が真っ赤に染まっていく。


「すまないルティス。解毒(カウンター・ポイズン)!」


 動きが止まったリンの側に寄り、接触型の魔法を行使するシャン。

 だが魔法というものは、相手側に抵抗の意思があれば、上手く効力を発揮しないこともある。リンが自分たちを敵と認識している現在、抵抗される可能性は残る。

 頼む──とシャンは祈りを捧げた。


「リン!」

「目を覚ましてください、リンさん!」

「……リン!」


 リンを呼ぶ三人の声が、静かな森の中に響いた。


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