薬物依存(レッド・ブラッド)
「ああ~……参りました。本当に疲れました」
焼き魚定食を注文し壁際の席に座ると、シャンは肩の凝りをほぐすように手で揉み、それから何度か腕をぐるぐると回した。
日が西に傾き、鈴蘭亭の窓から入り込む日射しもオレンジ色に染まっている。疲れたと不平を漏らしつつも、満更でもない様子のシャンに、定食を運んできたリリアンが声をかける。
「溜め息を落とし、不満の声を漏らしつつも、口元はほころんでいる。普段皮肉ばかりのシャンも、隠し事は上手くないもんやのう」
「余計なお世話だ」
皮肉を言うのが彼女の専売特許なのに、先手を打たれたのが面白くないのだろう。シャンは手に持ったフォークを、勢いよく焼き魚の腹に突き立てる。
だがリリアンの指摘通り、確かに彼女は機嫌が良さそうだった。
「護身術を習いたいという生徒の数が倍増していてね。目が回るほど忙しかったのは本当さ」
「うんうん。そんで?」
リリアンはメイド服のスカートを軽く直し、シャンの向かい側に腰を下ろした。またサボっているな、と怪訝な目を向けてきた主人に、ごめんね、とでも言うようにちろりと舌を出す。
「でも、飲み込みが早くて、筋の良い生徒が多いんだよ。なによりもみんな熱心だ。強くなりたいと心の底から願っているのが伝わってくる」
「うんうん」
今日感じたことをつらつらと語っていくシャンを見ながら、リリアンが目を細める。このホビットの修道僧は、不平不満を並べるわりに、他人の面倒見がよく性根が優しい。そのことをリリアンはよく心得ていた。
「そういうところ、好きやで」
「なんだよ、あらたまって気持ち悪い。……ん、ところでさ」
「ん?」
「コノハたち、まだ戻ってないみたいだな」
店中に視線を配りながらシャンが呟いた。
「ああ、早朝馬車で出かけて行って、それっきりやな。もしかしたら泊まってくるかもしれないって出発するときコノハさんが言うとったから、たぶんそうなるんやろ」
「泊まり、ねえ」
街を出て北の方角、としか聞いてなかったもんな、とシャンは思う。そんなに遠い場所だったのだろうか。
リリアンが仕事に戻り、シャンが一人寂しく食事を終えた頃合に、オルハが神妙な面持ちで鈴蘭亭の中に入ってきた。
「やあ、オルハ。どうしたんだ、なにやら浮かない顔をして。お前らしくもない──」
手を上げたシャンの言葉を遮り、オルハが店の奥にある席を指差した。なんだよ、と不審に思いながらも、食器の片付けを給仕の子に頼んでシャンは席を立つ。二人は並んで、一番奥にある席に座った。
「どうした?」
「……少々、不味いことになったかもしれません」
「不味いこと?」
オルハは茶化すことこそ稀にあるが、たちの悪い冗談を言う性格ではない。シャンも襟を正して聞く体勢になる。
「……私たちを手紙で呼び出した件のロイス・フロイドですが、ディルガライスと繋がっている可能性があります」
「なんだって……?」
大きな声が出そうになったが、なんとか口を塞いでシャンは抑え込んだ。
「さきほど盗賊ギルドで、そんな噂があると聞いてきました」
「盗賊ギルド……だって」
裏の事情に精通している盗賊ギルドから出てくる情報であれば、それなりに信憑性が高いだろう、とシャンは思う。
「……順序だてて説明をしましょう。手紙の内容、シャンも覚えていますよね?」
「それはまあ。姉が病気を患っているので、相談にのって欲しい、でしたか。何故冒険者である私らを指名するのか、ちょいと疑問に感じてはいました。採取の難しい薬草でも必要なのかな、なんて」
そう勘繰っていましたが、とシャンが頷く。
「……ええ。そこでこの情報を聞いたあと、彼の周辺を少々調べてみたんですが、彼に姉などいませんでした」
「なんだって!? そりゃどういうことなんだよ!」
「……そうですね。正確に言えば、居た、でしょうか」
「居たって、どういうことだよ? だって手紙には、姉の名前も添えられていたし」
そう、間違いなく姉の名前が書いてあった。
「……そうですね。名前は確かに間違いなかった。彼に姉はたった一人しか居ませんしね。けれど、亡くなっているんですよ。ほんの一ヶ月ほど前に」
「亡くなった!?」
さすがに今度ばかりは、驚きで大きな声がもれる。見渡すと店中の視線が集中していて、こほん、と咳払いをしてからシャンはオルハに向き直った。
「なんだよそれ。全然話が違うじゃないか」
「……違うのはそればかりじゃありません。彼の実家はブレストにあります。街の北にあるのは、どうやら別荘のようですね」
「別荘……」
「……しかも、彼の実家フロイド家では、例の禁止薬物──麻薬を購入していた経歴もみつかりました」
「レッド・ブラッド」
「……それです」
シャンはもはや、絶句するほかなかった。まったく話が違う。違い過ぎる。
オルハは調査してきた話を、シャンに順序だてて語った。
ロイス・フロイドの姉が亡くなった原因は自殺。彼女は元来、精神的に強い人物ではなかったらしい。ここから先はオルハの推測となるが、日々感じていた何らかのストレスを緩和するため、レッド・ブラッドに手を出したのではないかと。一時的に心地良い幻覚を見ることができる薬物だが、麻薬なので当然常習性が強い。
「薬物依存……か」
「……確認します。コノハとリンは、まだ戻っていないんですよね?」
「ああ、戻っていない」
単なる思い過ごしであればいい。だが、もし、ディルガライスと彼が本当に繋がっていたとしたら。彼が自分たちを呼び出したのがなんらかの罠だったとしたら。自分で立てた推測に、シャンの背筋が冷え込んだ。
有り得ない話ではない。思えば先日、自分とルティスが街中を歩いているとき接近してきた銀髪の男も、ディルガライスの関係者だった。そんなディルガライスとロイスとやらが繋がっていたとしたら、何らかの復讐や陰謀を企てられていたとしても不思議ではない。
そもそも、とシャンは思う。私たちは、結果としてルティスを匿っているも同義なんだ。
「こいつは、ゆっくりしている暇はなさそうですね」
「……そうですね。夜明けまで待っている余裕はなさそうです。馬を手配して直ぐ追いましょう」
「それと」
「……一箇所、寄る場所がありますね」
同感だ、とシャンは同意して、二人同時に席を立った。
さて、生きて帰ってこられるだろうか。そんな不安を胸に抱きながら。




