陰謀の匂い
がちゃ。御者を務めていた青年がドアを開けると、暖かい空気と一緒に、肉や魚が焼ける香ばしい匂いが流れ出してきてコノハのお腹がきゅう、と鳴った。
「コノハさん。それとお仲間の人たちも、急な招待にもかかわらず応じてくださり、ありがとうございます」
中に入ると、落ち着いた優しい声音が三人を出迎えた。
「お招きいただき、ありがとうございます」
一歩進みでてコノハがぺこりと頭を下げる。すると彼──ロイス・フロイドがカノンの肩を抱き寄せ頭にぽん、と手を置いた。声の印象通り、優しそうな顔をした金髪碧眼の青年だ。
「カノンも来てくれてありがとう」
「ごめんなさい。用事があるとかで、全員は来られなかったの」
「いえいえ、そんな事はたいした問題ではないのです。私の方こそ不躾でした」
「ところで、姉の病気のことで、相談があると伺っているのですが?」
リンが言葉を差しこむと、ロイスは彼女らの後ろにいた御者の青年に一度視線を向けたあと、にっこりと微笑んで見せた。
「時間も遅くなりましたし、それは食事のあとにしましょうか。ささ、こちらへ」
そう言って踵を返すと、屋敷の奥に向かって歩き出した。
本題は後なのか、と困惑気味に顔を見合わせるリンとコノハ。御者の青年にうながされ、玄関脇の小部屋に武装を預けることになった。
鎧を着ていないカノンが二人を手伝い武装解除したのち、御者の後に続いて歩き出した。カノン、リン、少し遅れてコノハが。
コノハは屋敷の内部をきょろきょろと見渡しながら思う。
確かにお腹は空いている。でも、本題の話をせずに食事だなんて、少し悠長すぎないだろうか? そんな疑問を胸に抱きながら、それでも黙殺して後に着き従った。
* * *
振る舞われた料理は豪勢なものだった。食堂の大きなテーブルの上に並べられているのは、主食として大麦のパン。食べやすい大きさに切り分けられており、風味の良いバターが塗られている。他にも、蒸したカレイと鶏肉のソテー。野菜料理も添えられており、栄養のバランスまで考えられているようだ。
街から遠く離れた場所にある屋敷なので、使用人の数はあまり多くない。メイド二人が食事の世話をし、御者の青年が時折忙しなく出入りを繰り返している。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
手を合わせ、頭を下げながらコノハは思う。
手紙の件や馬車が胡散臭かったこともあり、少々疑いすぎていたかなと。どうしても警戒してしまい、最初は恐る恐る料理を口に運んでいたのだが、味付けは実に見事で、食べていくうちにすっかり堪能してしまった。
ああ神よ、疑ってしまったことを懺悔します。信心してすらいない神に、適当な祈りを捧げた。シャンがもしこの場に居たら、咎められそうだ。
「そうでしたか。お口に合えばよかったのですが」
隣に座っているカノンとの雑談を中断し、ロイスが柔和な笑みを向けてくる。
流石は恋人同士とでも言うべきか。二人の会話は終始盛り上がっていた。羨ましい、という複雑な顔でコノハが凝視していたのは言うまでもない。
「なあ」
その時、隣のリンがコノハのわき腹を小突いた。
「ん、なに?」
「なに、じゃない。そろそろ、本題を話してもらった方が良いだろう」
もちろんリンが率先して話題を振っても良いのだが、メインで呼ばれた客人はコノハだ。それもあって、彼女は少々遠慮していた。
あ、そうだね、と小声で同意したのち、コノハはロイスの目をしっかりと見つめた。
「あの、ロイスさん。そろそろ、本題の話をしてもらえないでしょうか? 私たちも、できれば今日中に戻りたいですし」
言いながら、この時間じゃ無理かもしれない、と内心で思う。それでも、こちらから泊めてくださいなどとは、たとえコノハであっても言えるものではなかった。
「ああ、そうですね。これは失礼しました。ですが今日はもう遅いですし、戻るにしてもここから半日掛かります。差し支えなければ、一晩泊まっていってください」
構わないよね? と彼が隣のカノンに確認をすると、「私は別に」と頬を染め彼女は頷いた。「二人もそれでいい?」
特に断る理由もない。リンとコノハは順番に頷く。
「是非そうしてください。ところでお二人は、葡萄酒はお好きで?」
「いえ、私は未成年なので」
明らかに話を後にしたがっている。そんな雰囲気を感じ取ったコノハだが、先ずは否定しておいた。
「俺は好きですが……」コノハ同様、微妙な面持ちでリンが同意を示すと、「なら良かった。もちろん未成年の方にはアルコールの入っていないものを用意させます」と言って彼は手を叩く。メイドの一人を呼びつけ、飲み物の準備をさせた。
「うん、これは美味しい」
グラスを傾け一口含み、リンが思わず感嘆の声を漏らす。テーブルの上は一度綺麗に片づけられ、デザードにチーズケーキも切り分けられた。
「おいしそう~」
一方で甘いものに目がないコノハは、ノンアルコールのワインに舌鼓を打ち、早速皿の上のチーズケーキにフォークを伸ばした。
「そうですか。それは良かったです。では、飲みながらでいいので、話を進めていきましょう。相談したいのは、手紙にも書いたとおり私の姉のことなのですが──」
ごとり。その時、彼の隣でチーズケーキを突いていたカノンの頭が落ちる。彼女はそのまま、テーブルの上につっぷして寝息を立て始めた。
「どうしたカノン!」と驚き腰を上げたリンだったが、直後、彼女を強い眠気が襲う。
しまった……これは睡眠薬。
今思うと、油断以外の何物でもない。真摯な対応をされ続けていたので、いつのまにか警戒心が薄らいでしまっていた。
「コノハ気をつけ──」
ふらつく体と頭を叱咤し立ち上がろうとした時、部屋の隅にいた御者の男が腕を突き出し魔法の詠唱を紡ぐ。彼の手のひらから放たれた気弾が、まっすぐにリンの胸を穿つ。
「うわっ……!」
「やっぱり罠だったのね!」
床に転がって動かなくなったリンに戦慄を覚えながら、コノハは立ち上がる。いつも使っている杖が無いので心もとないが、素早く身を引きながら壁際の御者に魔法を撃った。
「炎の矢!」
立て続けに二発。
炎の矢は迷うことなく男に二本突き刺さったが、爆風の後ろから、彼は平然とした顔で現れた。
「効いてない!?」
「残念ながら」
男が両手を水平に広げると、たちまち変装──幻覚の魔法が解ける。現れた本来の姿は──。
「なっ……。どうして。魔族だなんて」
頭部に角が二本。背中に蝙蝠を思わせる翼を生やした禍々しいものだった。
メイドらは動こうとしない。周辺の動きを視界に収めつつ次の魔法を準備していたコノハだが、残念ながら、魔族の詠唱が先に終わる。
「眠り」
警戒し、飲み物にさほど口をつけていないコノハだったが、この魔法の眠りはしっかり効果を現した。
ダメ、眠っちゃいけないのに。そう思っても、体からはどんどん力が抜けていく。そのまま床に倒れていくなかコノハが最後に見たのは、自分を見下ろしている魔族の醜悪な姿と、傍らで微笑むロイスの姿だった。
どうして、こんなことに……。




