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皇帝堕ちる

 エストリア王国の東端に位置している港街ブレスト。

 港を備えていることから文化交流も多く活気に満ち溢れたこの街には、たくさんの冒険者らが集う。メインストリートには、彼らが休息や仕事の斡旋を受けるために訪れる『冒険者の店』が多く立ち並び、賑わいを見せていた。

 白い鈴蘭の花を看板に掲げた一際目立つ店──冒険者の店『鈴蘭亭』に、いま一人の少女が入っていく。


「こんにちは~。今日も杖の素振り百本ノックしてきたから、喉がカラカラだよ~。リリアン、いつものお願い」


 赤毛のポニーテールを揺らしながら、店内に足を踏み入れたのはコノハ。彼女は、通りかかった給仕の少女、リリアンに声を掛けた。


「お疲れ様やのう、コノハ。いつもの葡萄酒(ワイン)でいいかな?」

「私、未成年なんだけど。そもそも、葡萄アレルギーなの知ってるくせに殺す気か」

「なはは、冗談やて。というか、魔術師の杖は素振りして体力をつけるためのもんちゃうで。んな無益なことしている暇があったら、本の一冊でも読んで学をつけなさい学を」

「えーヤダよ。だって私、本を読むの嫌いだもん」

「なはは……」


 もう一度乾いた声で笑い、どうしてこんな勉強嫌いな少女が、この店お抱えの冒険者の中でも一~二を争う優秀な魔術師なんだろう、とリリアンはこの世の不条理を嘆いた。


「それはそうと」

「ん?」


 そこでコノハは異変に気が付いた。どうにも店内の様子が普段と違う。騒然としている、というか、ひとつの話題で持ちきりになっているようだった。


「なんか様子がおかしくない?」

「あー……それな」


 コノハの問いに答えようとした矢先、「ちょいと注文お願い」とリリアンを呼ぶ声が響いた。リリアンは手をひらひらさせながら去っていった。「すまん、仕事戻るわ」と。


「おーい、コノハ!」


 キョトンとしていたコノハに、声を掛けたのはリンだ。声がした窓際のテーブルに目を向けると、シャンとオルハも同席していた。そっか。もうみんな揃ってたんだ、とコノハは思う。

 テーブルに並んでいる皿を吟味し、小ぶりなチキンをつまみながら、コノハが椅子を引いて座った。


「ねえ。みんな、なんの話で盛り上がってふの?」

「先ずは、しっかり腰を落ち着けてから食べなさい。それと、口を動かしながら喋らない」

「ふぁい」


 シャンが眉をひそめて小言を並べると、口をもごもごさせながらコノハが答える。本当にわかってるんだろうか、とシャンが続けて嘆息した。


「聞いてないんですか? 一昨日の事故」


 頬杖をつき、呆れ顔でコノハを睨んだシャン。


「事故? ふえ、ぜんぜん」

「……一昨日の未明のことです。ルール=ディールとの国境付近で、ディルガライス帝国の飛行船が墜落事故を起こしたんですよ」


 エール酒のジョッキを脇に置き、オルハが答える。彼女は、華奢な体格のエルフ族にしては、めっぽう酒に強い。


「墜落事故? それってもしかして、半月前に私たちが見かけたあの船のこと?」


 オルハの声に反応すると、彼女は「ええ」と頷き、コノハの顔を見返した。

 オルハいわく、一昨日未明、エストリアとルール=ディールの国境付近を航行中だったディルガライスの飛行船が消息を絶った。皇帝が戻らぬことを不審に思った同国の捜索隊が向かったところ、山中で大破した飛行船の残骸が発見されたのだという。数十名いた乗組員のうち、帝国大佐ディルクスが消息不明。皇帝ルイ・カージニスを含むその他全員の遺体が、船内から発見された。


「ふぉんとに?」

「……本当です。一部始終を、ルール=ディールのリアンヌ王女らが『念視』の魔法で見ていたのですから、間違いありません」

「消息不明ってことはさ。その、なんとかって人だけは生きているの?」


 二本目のチキンを口いっぱいに頬張るコノハを見て、シャンがいよいよ肩をすくめた。


「なんとかじゃなくてディルクス大佐です。というか、そんなの私に聞かれても知りませんよ。そんな情報を握っているなら、しかるべきところに売って今頃小金持ちです」


 違いない、とコノハも苦笑いに変わる。それにしても、いったい何があったんだろうか。


「んーよくわかんないけどさ。皇帝が死んじゃったなら、国中大騒ぎなんじゃ」

「当たり前です」

「……次の皇帝って、決まっているの?」


 ひと目を気にして、コノハが小声で疑問を述べると、「一応は」とシャンが渋面(じゅうめん)で頷く。


「一応?」

「そう。皇帝であったルイには、一人実子が居ますからね。ただし──」

「まだ十二歳なんだよ」


 リンが代わりに回答を述べると、「ああ」とコノハも渋い顔になる。まさか自分より年下だとは思わなかったのだろう。


「そりゃあ、大変そうだね。私だったら、どうしていいかわかんなくて、右往左往しそう」

「だろうな」リンのフォローは飛んでこなかった。


 実際のところ、ディルガライス領内は大混乱であった。

 皇帝自らが秘密裏に飛行船で出自し、その上事故死したのである。嫌でも上級貴族らから糾弾の声をあびることになる。

 後継者が幼い子どもであったことも災いして、政治、経済とも混乱をきたしていた。もはやエストリアへの侵攻どころの話ではない。先ずは自国の内部を立て直すのが、急務といえる状況だった。


「そんな訳で、わが国としては少々思惑が外れたようです」

「思惑」とシャンの言葉にコノハが反応する。

「ええ。数ヶ月前から、ディルガライス帝国にきな臭い動きが確認されている、という話は先日聞きましたよね?」


 先日、神殿に召集された日のことをコノハは思い出した。


「ルール=ディールとうちと、二国まとめて宣戦布告するかも、という話だったよね」

「そうです。そこで、ルール=ディールとエストリアの間で、二国間同盟を結ぼうという提案があったようです。ほかならぬ、リアンヌ王女の方からね」

「なるほど~。それで、王女がわざわざこちらまで出向いたということなのね」

「そういうことです」


 結局、ルール=ディールとエストリアの同盟は締結されたのだが、結果としてみれば宙ぶらりんの状態だった。むしろ、どちらかの国の陰謀による飛行船撃墜ではないのか、なんて黒い噂を呼び込む元凶にまでなる始末。もっとも証拠はないのだから、それ以上噂が成長することもなかったが。


「国って、大変なんだねえ」

「少なくとも、脳内お花畑のあなたよりは大変です」


 コノハの言葉に、シャンが皮肉で返す。


「失礼だよ、シャン。私の頭の中には、お花だけじゃなくてもっと色々詰まってるんだよ!」


 お花は詰まっているのか、といよいよシャンは乾いた笑い声をあげた。


「でもさあ、リンはどう思う?」

「ん?」

「これでディルガライス帝国の奴ら、ルティスにちょっかい出してこなくなると思う?」


 先日シャンが目を離した隙に、ルティスが攫われそうになった案件を言っているんだろうとリンは思う。


「ディルクスとかいう頭の切れる奴も皇帝もいなくなったんじゃ、そうなるだろうな。この状況下では、帝国としての動きはなくなるんじゃないかな」

「うん」

「でも──四人の神官とやらの誰かが、帝国をトカゲのしっぽ切りにしただけかもしれないぞ。利用するだけ利用して、ポイって感じにな」


 先日、存在が明らかになった四人の神官たちだが、現状、フレイと金髪の男しか素性がわかっていない。今なお暗躍しているであろう残り二名と決着をつけねば、一連の騒動は終わらないだろう、というのが、彼女らの共通認識だった。

 同時に、残り二名のうち一人はバルティスなんじゃないか? という疑念もまた。だがそれだと、必然的にルティスも神官の一員である可能性が高くなる。それだけは信じたくない。そこで皆の考えは、堂々巡りになっていた。


「ああ~……、やっぱそう思う?」

「ラガン王国が姿を見せて間もなくっていうのがな……。タイミングが良過ぎるというか釈然としない。お前と意見が一緒なのは、甚だ不本意だが」

「この間、あの魔族も言ってたもんね。『我々も、一枚岩ではないんだ』とかなんとか。……っていうか何それ酷い!」

「ほら、いつもの日替わり定食。それとオレンジジュース」


 いつものように茶化されたコノハが憤慨したタイミングで、リリアンがトレイに載せた食事を持ってきた。

「わあ、ありがとう」と目を輝かせたコノハを見て、『まだ食べるつもりなんですか』と『相変わらず切り替えが早いですね』という二つの台詞がオルハの脳内に浮かぶ。微妙な顔で、目を細めたオルハ。シャンにいたっては最早言うまでもない。

 花の乙女がどうしたものかと溜め息をつきながら、空いている席にリリアンが腰を下ろした。見れば彼女の手に、一通の封書が握られている。


「それと、コノハに手紙やで」

「てひゃみ?」


 口いっぱいに食べ物をほおばり、コノハがきょとんとした顔で封書を受け取る。確かに宛名は、『コノハ・プロスペロ様、他ご友人様』とある。ごくんと飲み込んだあと、裏返して差出人を確認した。


「ロイス・フロイド?」

「あれ? 知っている人じゃないの?」


 コノハが瞳を瞬かせて困惑しているので、思わずリンが尋ねた。


「どうだったかな」

「金髪の、優しそうな青年だっだよ。ほんまに知らんのかいな?」


 おずおずと発したコノハの語尾を遮って、リリアンが横から口を挟んだ。


「ああ」とここでようやく、コノハはぽんと手を打った。「カノンの恋人の名前だ!」


 本当に忘れていたのか、とみんながあきれ返るなか、気を取り直したようにリンが疑問をぶつけた。


「え、あの子、もうそんな相手がいるの?」

「そうなんだよ~。なんだか抜け駆けされた気分! 十五歳のくせして生意気だよね」

「いや、あんたも十四歳でしょうが。いったいどの口が言う」

「あーあ。私にもイイひと紹介して欲しい。羨ましい!」

「結局、そっちが本音か……」


 コノハのたどたどしい説明によると、(というか、彼女の説明は、基本いつもたどたどしい)ブレストの街から馬車で半日ほど北に向かった場所に邸宅を構える、いいところのお坊ちゃん、というのがカノンの恋人らしい。ちなみに年齢は二十歳。どうやら大人の男性が恋人であることも、コノハが嫉妬を覚えている理由のひとつらしい。

 そんなの知らんがな、というのは、リン以下みんなが抱いた感想。

 フロイド家といえば、知る人ぞ知る名家なのだそうだが、生憎この場に居合わせる誰も知らなかった。

「まあ、身なりは良さそうだった」 とリリアンが気まずい空気を払拭するようにフォローを入れる。


「で、そのロイスくん、なんだって? 個人に向けた手紙なら茶々をいれるつもりもなかったけれど、『ご友人様』ってあるし」


 なんとも複雑な顔でコノハが手紙をみていたので、話を振りやすいようにとリンが水を向ける。


「うん。えーと、読んでもらった方が早いかな」


 早々に説明することを諦め、コノハが手紙をリンに渡した。リンの後ろから皆が覗きこんでくる。


「ふむふむ……。『初めまして、ロイス・フロイドと申します。カノンから皆さんの活躍ぶりをかねてより耳にしており、こうして手紙をしたためました。突然のことで大変申し訳ないのですが、僕の姉が患っている病気のことで、あなた方にお願いしたいことがあるのです。明日の朝、向かえの馬車をやりますので、それに乗っていらしてください』だってよ」

「え、これって……。依頼なんですかね?」


 シャンが当然とも言える疑問を口にすると、リリアンがぴくりと眉を動かした。冒険者への仕事の依頼は、基本的に冒険者の店を通すのが筋だ。冒険者の技量を見極め、能力にあった仕事を斡旋するためでもある。お互いに面識があって、技量まで知れた仲なら無論問題はないのだろうが、冒険者の店の娘としてはいささか納得できない話。


「……まあまあ。依頼というほどのものではないのかもしれませんよ。文面から、それほどの緊迫感は伝わってこないのですし。ちょっとした相談なのかも」


 ロイスなる人物をよく知らないので擁護するわけでもなかったが、リリアンが憤慨しているのを見て、オルハが口を挟んだ。


「どうしたらいいんだろう。行った方がいいのかな」

 みんなの乗り気じゃない雰囲気を感じ取ったのか、コノハがおずおずと発言する。

「別に行かないなんて言ってない。というか、俺は行けるぞ」

 苦笑いをしながらリンが言う。

「ところで、出発って何時なんです?」

「ええと。朝の六時」

 シャンが尋ねると、手紙の文面を凝視しながらコノハが答えた。

「六時かあ……。随分と、早いんですね。もっとも私は、明日、護身術の指導があるのでどのみち無理ですが」

「あ、シャンは来れないの?」

「そうですね。週に一度の開催ですし、仕事が入っていない時はなるべく顔を出しておきたいと思っていますので。戻ってきたら、どんな用件だったのか知らせてください」


 神殿のホールを貸し切って、週に一度、女性や子どもまで幅広く集めた護身術教室が開催されているらしい。修道僧であるシャンは、都合がつく限りそこで講師としてアルバイトをしていたのだ。当初は生活費を稼ぐ目的であったが、今となっては半ば趣味となっている。


「……ああ、残念ながら私も無理ですね。ちょっとばかり外せない用事がありまして」


 柔和な笑みを、オルハが浮かべた。


「ええ、オルハも来られないの?」

「すいませんね」

「急な話だから、まあしょうがないな。なんだかこの話の流れだと、俺だけ暇人みたいで少々不本意ではあるが」


 なんともバツが悪そうに、リンがぼそっと呟いた。


「いや、でも嬉しいよ。なんだか一人だと心細かった。宜しくねリン」


 安堵した声をあげたコノハに、リンが質問を返す。


「そういや、カノンの奴は呼ばれてないの? 恋人が行かないのに俺らだけ押しかけていくのも気が引けるというか、ね」

「ああ、そうだね……。後でそれとなく聞いてみるよ」


 まあ、どっちにしろ、私は行こう、とコノハは思う。困ってる人を見過ごすわけにいかないもん。

 拳を握ったコノハを横目で見やり、相変わらずお人好しですね、と言わんばかりにシャンが溜め息を落とした。

 こうして意見が纏まったところで、この日はお開きということになった。


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