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邪悪化

「レン! 大丈夫か! 返事をしろ、レン!」


 シャンは自宅玄関の扉を叩きながら、声も限りに叫んだ。しかし、中から応対する声はなく、押しても引いても扉はびくともしない。


「くそ、開かない」


 合鍵を使っても扉が開かないのを確認したのち、家の側面に向かい窓に手をかける。しかしこちらも全く開く様子はない。

 やむを得ない……!

 窓ガラスを叩き割ることを決意し、渾身の力で右拳を振りおろすシャン。だが、拳がガラス面に触れるかどうかのタイミングで、不可視の力によって弾かれてしまう。思いもよらぬ衝撃が返ってきたことで、たまらず顔を歪めた。

 恐る恐る、もう一度窓に触れてみる。

 軽い力で触っているうちは大丈夫なのに、破壊しようと力をこめると、途端に不可思議な力によって反発されてしまう。結界か何かだろうか。焦りから、シャンの背中を嫌な汗が伝い落ちる。

 今度は少し距離を取り、引きの視点から家全体を観察してみる。扉や窓といった隙間が存在している部位から、薄っすらと黒いもやが漏れ出しているのが見えた。


「瘴気? なんなんだよ、これは!」


 自分の力ではどうすることもできない無力さに苛立ち、地面を拳で叩いた。

 もっと早く気づけていれば。失っていた記憶を取り戻してさえいれば。後悔と焦燥の念が、心の中で激しく渦を巻いていく。


「シャン!」


 高いトーンの声が背中の方から聞こえ振り返ると、そこにはコノハたち四人がいた。


「一人で飛び出して行きやがって」


 リンはシャンの肩を叩いて一歩前に出ると、家の様子を注意深くうかがう。


「家の中に魔族がいるんだ! 弟が危ない……でも、入ることができないんだ!!」


 詳細を全部すっ飛ばして、今起こっている現状だけをシャンは伝えた。

 一方でオルハは、家の外壁を伝うように移動し、窓から中をのぞき込んだりしている。


「……もやでもかかっているみたいに、家の中が暗いわねえ。残念ながら何も見えない」


 窓枠に触り鍵の状態を確かめているようだったが、やはり開けることは叶わない。


「地の底に眠る炎の力よ。闇夜を切り裂く焔の矢となれ……」


 その時、コノハの詠唱が静かに場の空気を震わせた。


炎の矢(ファイアアロー)!!」


 彼女の手のひらの上に出現した数本の炎の矢が、赤い光の線を引き、次々と玄関の扉に向かっていく。いかにもコノハらしい強引なやり口だが、今回ばかりは誰も咎めるものはいない。

 激しい爆発音が鼓膜を何度も揺さぶり、襲ってきた熱風にシャンは顔を背けた。

 が、しかし……、爆煙が霧散した後に現れた扉には、傷一つ付いていなかった。


「無傷って……なにこれどうなってんのよ!」


 コノハの憤慨した声があがる。

 弟は直ぐそこに居るのに、どうすることもできないのか……。絶望に支配され視線を落としてしまったシャンの背後から、ルティスの声が聞こえた。


「この結界は物理、魔法、双方に強い耐性を持っていますので、正攻法で突破するのは難しいです。ここはボクに任せてください」


 真っ直ぐ前だけを見据える瞳には、強い覚悟の色が宿っている。きゅっと口元を結び、僅かな苛立ちを頬に滲ませているが、努めて平静を装っている。あの日禁忌の場所で見た、ルティスの表情とどこか似ているとシャンは思う。

 だが、なによりもシャンを驚かせたのは、彼女の背中に翼が生えていたことか。

 純白の羽毛で覆われたそれは天翼族の翼とよく似ている。最早、彼女がヒトではない──ということは明白だった。予測していた事実とは言え、こうして目の当たりにするとやはり驚きを禁じえない。

 ルティスは玄関の前に立つと右手を扉に向けてかざし、小声で何かを囁き始めた。耳にしたことのない旋律がまるで歌のように流れ、静かに、だが確実に、魔力が高まっていく。

 大きく膨れ上がった魔力は次の瞬間手のひらから放出され、建物全体が強く光り輝いた。


 パァァァァァン!!


 甲高い破砕音が大気を揺るがした直後、ルティスが扉を押すと今度は難なく開いた。

 それで力を使い果たしたのだろうか。ルティスは膝をつき、その場にへたりこんでしまう。


「早く中に! ……詳しい事情は、後で必ず説明しますから」


 シャンはルティスの言葉に頷くと、結界が解けた家の中に踏み込んで行った。リン、コノハ、オルハの順でその後ろに続く。

 建物の内部に入ると、暗褐色の禍々しい瘴気が煙のように満ちているのが見えた。頬で感じる空気は生ぬるく、言い表しようのない不快感がこみ上げてくる。

 廊下のずっと先から、弟の呻くような声が聞こえてきた。迷うことなくシャンは、突き当たりにある弟の部屋を目指した。


「レン!」


 室内に入ると床の中央にレンがうずくまっており、傍らにフレイが佇んでいた。

 苦しそうな呻き声を絶え間なく上げ、瞳孔は完全に開いてしまっている。

 そんな彼を、愉悦の表情で見下ろしているフレイに、ヒトであった頃の面影はない。背中には蝙蝠を連想させる一対の翼が生え、肌の色は紫色だったのだから。

 先ほど思い出した記憶の中にある姿とまったく同じだ、とシャンの顔が苦みばしった。


『あら、おかえりなさい。……どうやら、私の魔法は解けてしまったようね。ラガンが出現したという情報が引き金となって、封じこめていた記憶が呼び起こされてしまったのかしら?』


 琥珀色の邪悪な瞳を向けてくるフレイ。口元を歪め、小さく舌打ちをする。


『……だから私は警告したのよ。むしろもっと急ぐべきだと』

「レンに何をしたんだ!」


 叫んだのは、シャンから少し遅れて室内に踏み込んできたリン。


『邪神や、私たち魔族が放つ瘴気。これを継続的に浴び続ける事で、邪悪化と呼ばれる現象が起こる場合があるのをご存知かしら?』

「邪悪化、だって?」

『そう。邪悪化が完遂すると、邪神の眷属(けんぞく)たる魔族や妖魔として生まれ変わるのよ。まあもっとも? 多くの場合は、急激な変化に肉体の方が耐え切れず、命を落としてしまうのだけれども』


 でもね、となおフレイは続ける。


『もし、邪悪化にも耐えうる、優秀な素材が居たとしたらどうかしら?』


 養母だった頃の面影を僅かに宿した瞳が、怪しい光を放つ。


「まさか」とシャンの口から呻くような声が落ちる。

『そのまさかよ。それこそが、この国に何人か存在しているラガン王国の末裔たちであり、彼らの中でも最高級の素材が、レンなのよ。もし、彼の邪悪化に成功したならば、一国の軍隊にも匹敵するような最強の魔族が完成しちゃうの』


 素敵でしょ? とフレイが微笑んだ。


「なるほど。私たちの家族がラガン王国の血縁者であるという事実を知っていて、接近してきたというわけか。全ては、優秀な素材であるレンを手中に収めるため」

『ご明察。もっとも、ここまで言って勘付かないようじゃ、脳みその出来を疑っちゃうけどね』

「貴様……!」

 憎悪の視線を魔族に向けた。

『邪悪化を完遂させる為、一年以上瘴気を浴びせ続けたのよ。でも、この子ったら恐ろしく抵抗力が強いのね、まったく邪悪化が始まってくれなかった』


 そう言ってフレイは、足元で蹲っているレンに視線を落とし舌なめずりをした。


『だからちょっとだけ、細工をすることにしたの』

「……麻薬を投与したんだな? 免疫力を低下させるために」


 レンが服用していた粉薬が、やはりレッドブラッドだったんだ。もっと早くから疑うべきだった、とシャンは唇をかみしめる。


『へえ。姉の方もなかなか優秀なのね。紋章持ちじゃあないわりに?』

「紋章持ち?」

『そう。あなたは実の姉なんだから知っているでしょう? レンの背中にある紋章のこと』

「あ、ああっ……!」


 確かにあった。レンの背中に炎のような形をした黒い痣が。あれがラガン王国の血を引く者の証拠だったのか。


「でも、何故私にはその紋章がない?」

『そりゃそうよ。あなたは、適合性レベルがゼロの個体なんだもの』

「適合性……だって?」

『ラガンの民は、非常に優秀な能力を持っているんだけれど、遺伝情報が引き継がれる個体は、ひとつの血筋で精々一人から二人に限定されるの。遺伝子情報を引き継いだ個体は、身体(からだ)の何処かに炎の痣ができ、また同時に、何らかの特殊能力を発現することが多い。また、能力の強さに応じて、私たちは五段階のレベルであなた達を管理している』


 そして、とフレイはレンを見下ろした。


『レンは、その中で最高のレベル五』

「そうか、だからターゲットは私じゃなくてレンなのか」

『ウフフ、そういうこと』


 もっと早く気付いていれば、とシャンは強く後悔した。記憶からなにから全てコントロールされていたとは、なんとも滑稽な話。


「あなたもディルガライス帝国の関係者なの?」

『今のところは、そうね』


 コノハの質問に魔族が答えた。


「それって、どういう意味よ?」

『貴女はバカなのかしら? 文字通りの意味なのだけれど? 我々も、一枚岩ではないってことよ。まあ、今さら何を知ったところでもう遅い。レンの邪悪化は止められないわ』


 不快な笑い声を残すと、フレイは体当たりで窓を破り外へと逃れた。待て! と叫び声をあげ、リンやオルハも壊れた窓枠から飛び出して行く。シャンは仲間たちに魔族を追うのを一旦任せ、弟の体を抱き起こした。

 レンは苦しそうな呻きを洩らし続けており、顔からは次第に生気が失われ始めていた。怪我や病気をしている訳でもないので、シャンの癒しの奇跡も役に立たない。


 ──ダメだ。邪悪化を引き起こした”元凶”を倒すしか、おそらく術はない。


 そう判断すると、「すまん、もう少し耐えてくれ……」と言葉を残して、シャンも窓の外に身を躍らせた。


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