蘇る、真実(きおく)
なんだこれは!? と強い驚きを感じて顔を上げると、隣のルティスがこちらを見つめていた。それは、普段の彼女からは想像もできないような冷めた視線──とでもいうべきか。感情の起伏が、まったく読み取れない。
思わず視線を逸らすと、
「お前……。突然なにを言い出すんだ」
とリンが驚きの声を上げる。どうやら、心の声がそのまま漏れていたらしい。
「あ、いや……。冗談だよ、冗談。こんなの冗談に決まっているじゃないか。き、気にしないで続けてください」
場の空気が一変したのを肌身で感じながら、シャンは震えの治まらない拳を握った。
魔族って、なんのことだよ? どうしてそんな事を口走ってしまったのか、自分でもまるで理解できない。
「すまない。一つだけ気になっている事があるんだが」
気を取り直したようにリンが言う。
「先日遺跡に赴いたときの話です。ルティスが『アデリシア』と呟いた瞬間、光の筋が東の方角に向け真っ直ぐ伸びたんです。偶然かどうか分かりませんが、それはルール=ディール聖王国がある方角。これは……今日、リアンヌ様がここにやって来たことと、何か関係があるのでは?」
向けられた懐疑的な瞳に、リアンヌが小さく肩を竦める。
「ふふ、やはりそう思いますよね。実際、その通りですわ。──テッド」
リアンヌが声を掛けると、テッドは頷き両手を前方にかざした。短い文節の詠唱を呟くと、かざした手のひらの内側に映像が広がる。
遠方の景色を投影する『念写』の魔法だった。映し出されたのは、山中の光景。木々の緑が広がっているちょうど真ん中付近に、積乱雲のような大きな雲が映っている。
「これは、ルール=ディールとエストリアの国境近い場所にある、山中の映像です。雲の中心部分をよく見てください」
「雲の中心?」
好奇心旺盛なコノハが、テーブルの上にずいと身を乗り出した。「邪魔だぞ見えない」とリンがコノハを押し退け、二人の脇からオルハが無言で映像を注視した。
天を衝くように巨大で、濃い灰色の雲。
雲は非常に厚くて、内側では時折稲光が走っていた。
「問題は、雲の中です」とテッドが指を差した。「よく見てください。厚い雲の内側に、浮遊する大地の姿が見えませんか?」
「大地?」と呟きシャンが目を凝らすと、確かに灰色の雲間から時折緑色の何かが覗き見える。「確かに、なんか島があるみたいだな」
彼女の脳裏に、遺跡で見てきた壁画の映像が蘇る。
「これがラガン王国だと言うのですか? どうしてこれほど大きな島が、今まで見つからなかったのでしょう?」
シャンが上げた疑問の声に答えたのは、ここまで一言も発していなかったルティスだった。
「これまで、人の目が届かない遥か高空に存在していたのでしょう。ですが、ここ数日程をかけて下界に下りて来た。恐らくは、ボクの呼びかけに応えて」
「呼びかけって……。ルティス、お前はいったい何を言って──」ここまで言ったところでシャンは気が付いた。「そうか、この間の光の筋。あれがこの島の所まで届き、活動を始めた、とかそんな話か」
肯定するように、ルティスが静かに顎を引いた。
「──アデリシア、でしたか。あれが封印を解くための、キーワードだったということなんですね」
「ええ、そんなところでしょう」
「ルティス! 記憶が、戻ったの……?」
驚いた表情をして口を挟んできたコノハだったが、ルティスの記憶が戻ったことでどんな真実が見えてくるのかと不安になったのだろう。語尾が次第に弱くなる。
ちら、とコノハの顔を見たのち、今度は否定するようにルティスが首を横に振った。
「いいえ、残念ながら、記憶はまったく戻っていないのですよ」
それでも、と映像の中に浮かんでいる雲を注視する。
「これが、ラガン王国の大地であることだけは分かります。この雲の形だけは、不思議と記憶しているというか、頭の中で像を結ぶのです」
記憶……。そう考えた時、シャンの後頭部に痛みが走る。なんなんだ、この鈍い痛みは……段々強まってくる頭痛に、軽く頭を抱えてしまう。
「……大丈夫かいな、シャン?」
リリアンが心配そうに覗き込んでくる。
「ああ、なんでもない。大丈夫」
「しかし、映像を見ている限りでは、雲も大地も動いているようには見えません。もしこれが、五百年前に活動していた侵略国家であったとして、何か、脅威になるようなことでもあるのですか?」
そろそろ本題に入って欲しい。そんな感じの疑問をリンが呟くと、「もし、ラガン王国の機能を修復し、意のままに操ることが可能だとしたら?」と意味あり気にテッドが答えた。
「いやいやまさか……。だって、五百年も前に滅びた国なんでしょう? そんなことが、本当に可能なんですか?」
まさか、と驚愕の表情をリンが浮かべると、テッドに変わり、リアンヌがよどみなく答えた。
「私たちには無理ですが、ディルガライスには可能な者がいます」
「何者ですか、それは……」
「ディルガライス帝国の大佐、ディルクス」
「ディルクス?」
「彼の異常なまでの知識量であれば、超古代の魔法文明が相手であっても、情報を引き出し修復してしまうかもしれません」
「……たしか、飛行船の考案者、であっていましたか?」
オルハが確認を求めるように言うと、リアンヌが頷いた。
「浮遊石が持っている膨大な魔力を用いて、船を浮かせてしまおうと考えたのが彼です。これまでの小型火力エンジンでは、数人乗りの船くらいしか浮かばせることができなかったのですから、革新的な発想でした」
「なるほど。そうして考えると、先の戦乱で都市国家ゴーザを併合したとたんに、ディルガライス帝国の進軍が止まったのも合点がいくな。ラガン王国が目覚めたのち、天空都市に乗り込むため、大型の飛行船を建造する必要があった。そう仮定すると、全ての情報が線となって繋がんだから」
都市国家ゴーザ。エストリア王国の南にある都市国家であったが、現在はディルガライス帝国の支配化にある。また、浮遊石が多数採掘される鉱山都市としても知られる。
確かに理にかなっている、とリンは言いながら思う。
「すると帝国は、ラガンの力を使って、わが国を侵略攻撃しようとしているんですか?」
「おそらくは」とリンの質問に答えたのはテッドだった。「ディルガライスの皇帝ルイ・カージニスが、エストリア王国とルール=ディールの何れか、もしくは双方に対し、宣戦布告を行う動きがある、という報告も上がってきています」
「二国まとめて宣戦布告!? そんなことが」
「有り得ない、と思いますか?」
驚きの声を上げたリンだったが、テッドに遮られると口を噤んだ。彼女の代わりに口を開いたのはオルハ。
「……普通に考えれば、効率の悪い話。ですが、ラガンの力を手中に収める算段がもしついていたとしたら?」
「ラガンの力?」
リンが呻くような声を上げる。
「そうです」とテッドが答えた。「ラガンの『最終兵器』なる未知の兵器の存在が、伝承の中で示唆されているのです」
「それを入手することが出来れば……?」
「あるいは。もっとも、最終兵器について詳しい記述は一切残っておらず、それがいかなる兵器の事を指しているのか、さっぱりなのですが。それでも、帝国がこうして躍起になっているからには、何らかの情報は握っているのでしょう」
事態の深刻さに言葉を失ったリンに代わり、コノハが発言する。
「で、でもさ、王国の機能を操作することが無理だったとしても、奴らより先に最終兵器を見つけて壊してしまえば──」
「難しいですね」
コノハの言葉をテッドが遮った。
「難しい?」
「ええ。見てください」
そう言ってテッドは、ラガンの映像を拡大して見せた。分厚い雲の間、いく筋かの稲光に混じって、人型の生物が飛んでいるのが見えた。
「えっ、これはなに?」
「ラガン王国を護る、守護兵といったところでしょうか。これだけでも脅威ですが、そもそも我々には満足な人数を載せられるだけの船が有りません。天翼族の冒険者にしても、希少な存在なので数を揃えられませんし」
「それは、まあ。ついでに言うと、俺らとて飛びながらの戦闘は決して得意じゃない」
とリンが頷き、
「私は魔法で飛べるけど、飛行の魔法を使っている間は、他の魔法を使えないしね」
とコノハが肩をすくめてみせた。
「ディルガライス帝国が持っているのと同程度の船があればあるいは……ですが。まあ、残念ながら」
「八方塞がりなのか……。俺がルティスを禁忌の場所に案内したばかりに、こんな事態を招いてしまったということなのか」
リンが項垂れると、ルティスが気遣うように声をかけた。
「自分を責めないでください。遺跡に行きたいと言ったのは、他ならぬボクなのですから」
「ああ……すまん。ルティスを責めようと思ったわけじゃないんだ。……でも、これでようやく合点がいったぜ。どうしてこれだけの面子の中に俺らが召集されたのか」
自分たちの行動が発端となり戦火を呼んだとしたらどうすればいい。リンは、内心で自問自答を繰り返した。
「ラガンの動きについては、我々の方で監視を続けようと思うが、諸君らも十分に警戒して欲しい。また、何か不審な動きや気になることがあったなら、遠慮なく我々に知らせてくれたまえ」
ラヴィア王が総括するように宣言すると、リンの呟きがそれに重なった。
「昔話が、現実のものになろうとしているわけか……」
次の瞬間のことだった。先ほどからシャンを悩まし続けていた頭痛が、強い激痛に変わる。頭が割れるような痛みの中、映像と声が彼女の脳裏を駆け巡る。
*
──私と弟の二人が草原を走っている。その様子を離れたところから笑顔で見守る両親。弟はまだ小さいのに足が速い。
やがて併走することに疲れシャンは立ち止まる。
夕闇迫る空を見上げ、頬を伝う汗を拭う。
それをさらに離れたところから見ているのはもう一人の自分。
『これは夢なんかじゃない。現実なんだ』
と彼女が呟く。
そこで不意に場面は切り替わる。
自宅の中に自分がいる。突然玄関の扉が乱暴に開くと、見ず知らずの男たちが家の中に踏み込んできた。
両親に向かって、剣を振り上げる男たち。
『こっちに来てはダメ! 逃げて……シャン!!』
母親が上げた最後の叫び。同時に上がった絹を裂くような悲鳴が耳から離れなくなる。
家の床が流れ出る血で真っ赤に染まる中、恐怖で足がすくんで動けなくなった私と弟に、一人の女性が近づいて来て言う。
女性──確かに女性なのだが、こいつは決してヒトなんかじゃない。背中に生えた蝙蝠のような翼。肌の色は薄い紫色で、頭部には髪の毛の隙間から覗く短い角が二本。そう、まるで。
『この記憶は必要ないものだから、今すぐ捨てなさい。明日からは、私があなた達の親代わりになるの。いいわね?』
そうして女が、私の額に指で触れる。……そのまま視界が暗転した。
再びもう一人の私が言う。
『思い出せ。家族のことも、幸せだった記憶も忘れて、夢を見せられているだけなんだ』と。
*
『ラガン』
『災厄』
『魔族』
そうだ、全て聞いたことのある単語だ。ラガン王国の話を、私は両親から聞かされたことがある。
ガタン、と大きな音がでるほど乱暴に椅子を引いて立ち上がると、会議室を出てシャンは駆けだした。
誰かが彼女を呼び止める声が追いかけてくるが、振り返っている余裕はなかった。
シャンは全てを思い出していた。
両親は時々、自分たちの遠い祖先が暮らしていたという理想郷の話を語ってくれた。これは昔話だから、本当の事かどうかわからないんだけどね、と言って、のどかな緑に囲まれ、綺麗な青空が見えるという国の話を。
それこそが、ラガン王国のことだった。
私が聞かされていたのは、その程度の話でしかなかったが、両親はきっと、ラガン王国の民の血をひいていたんだ。無論、私とレンも。しかし、私の記憶は改ざんされていた。そう……全ては元凶である、あの女によって。
両親の死因だって事故でも病気でもない。私たち家族の情報を嗅ぎつけたあの女が、なんらかの目的があって殺したんだ。
レンだって、体が弱くなんてなかった。
そうなる原因を作ったのも、おそらくあの女。
ここから推測すると、アイツが私たちに接近してきた主たる目的は、たぶん『私』じゃない。
そうだ、昨日レンが服用していた粉薬の色、赤黒くなかったか? あの女──フレイが魔族であると思い出した今だからこそわかる。あれはきっと麻薬だ。なんの意図があってレンに服用させていたのかまではわからないが。
全部、全部、あの女、フレイの陰謀で作られた偽りの記憶だったんだ。不味い、レンが危ない。
「くっそ……。レン!!」
行き交う往来の人波を避けながら、シャンはただ必死で駆けた。