見つめる視線
ブレストの街の周りには城壁がめぐらされており、港に面している南側を除く東・西・北の三方向に門が存在している。
街でもっとも大きい建物は西端にそびえたつ神殿。街の商業を動かしているのは、港から陸揚げされた荷物を扱う商人だが、彼らを様々な面からサポートするのが冒険者であり、また、冒険者に仕事を斡旋する冒険者の店。そして、冒険者の店で得られた情報を集めて統括管理しているのが神殿なのである。
そういった事情もあいまって、表向き街を支配しているのは領主だが、実質力を持っているのは神殿の方だとすらいえた。
「凄いですね。こんなに人も店も多いなんて」
残暑厳しい昼下がり。ブレストの街のメインストリートを、シャンとルティスの二人が歩いていた。
はぐれないようシャンが着ているシャツの袖をぐっと握り締め、ルティスが不安そうに顔をキョロキョロさせる。
「まあ、人口だけで言えば、エストリアの首都であるローランより多いらしいからね。──っと、それにしても」
「はい?」
「申し訳ないね。街を案内するっていう約束を忘れて、すっぽかしてしまうところだった」
「あはは、そんなの平気なのですよ。ボクはリオーネの所でアテもなく居候している身。時間なんて有り余っているのですから」
そう言ってルティスが拳を握ってみせる。だがそんな彼女の笑みは、ほんの少しだけぎこちない。きっと、私に気遣いをしているんだろうな、とシャンは思う。
「いいんだよ、無理なんてしなくて。不満があったときは気にせず言ってくれ」
ルティスもそうだが、レンもな。すっと頭に浮かんできたその台詞を、言わずに飲み干した。
「いえ、本当に平気なのですよ」
「なら、いいんだが」
通りの両脇には多くの店が軒を連ねているが、その他にも青空市が開かれていた。商人が地面に敷物を敷いて、その上に様々な商品を並べている。そんな感じの簡易店舗が先の方までずらりと並んでいた。
薬草や短刀など冒険で役立ちそうな物もあるが、衣服や装飾品も多い。幾つかの店には、立ち見をしている人の姿も散見される。それなりに盛況のようだ。
「安いよ安いよー! ほらお嬢ちゃん、ちょっと覗いていかないかい?」
シャンがそんな事を考えている矢先、脇から恰幅の良い親父が声をかけてきた。ん、私の事? と自分を指さしたシャンだったが、親父の視線が自分を通り越して隣のルティスに注がれているのに気づき、思わず苦笑い。
その青空市で売っていたのはアクセサリーだった。煌びやかなネックレスや指輪が所狭しと敷物の上に並んでいた。
そりゃ、そうだよな。私なんておよそ女らしくない。
「見てみたいのです」
「アクセサリー……ねえ」
今ひとつ気乗りしないシャンではあったが、瞳を輝かせるルティスを見て考えを改めた。記憶を失っているとはいえ、彼女は年頃の女の子なのだ。装飾品の一つや二つ欲しがるのも普通のこと。
「覗いてみようか」
「はい!」
敷物の傍らに屈みこんで、これかなあ、それともこっちかなあ、とルティスが順番に指さし値踏みを始める。
「お嬢ちゃん。また随分と珍しい髪の色だなあ」
「あはは、彼女はね、東の果ての国から旅をしてきたんだよ」
「へえ、そいつはまた大変だ」
親父の疑問の声に、慌ててシャンが嘘をでっち上げる。
実際のところ、濃緑色の髪色は種族によって稀にいるが、こんなに透明感のある翡翠色というのはシャンも聞いた事がない。これは妙だ、と不審がられるだろうか。ルティスが左手首にちゃんとリストバンドを嵌めているのを確認し、シャンはほっと胸を撫で下ろす。不可思議な宝石を見られるのは、流石に不味いだろう。リオーネの機転に今は感謝しておこう。
「これがいいです」
そう言ってルティスがつまみ上げたのは、青い宝石がついたネックレス。幾らなんだい? とシャンが主人に尋ねると、凡そ相場通りの価格が告げられた。
「シャンも一緒に買いましょう。お揃いにしたいのです」
「私と!?」
ガラにもない、と首を横に振ったシャンだったが、その時弟に言われた台詞が脳裏を過る。
『年頃の女の子っていうのはさ、みんなお洒落をしたり、化粧をして綺麗なワンピースを着て出かけたりするんでしょ? でも、お姉ちゃんは服だって殆ど持ってない』
確かにお前の言う通りかもな。たまにはお洒落も悪くないだろうか。
「……そうだな。じゃあ、二つ貰おうか」
代金を支払いネックレスの一つをルティスに渡すと、彼女は喜色満面、笑顔になった。早速二人で首に掛けて、顔を見合わせにししと笑った。
「よく似合ってる」
「シャンさんも。というか、買って貰ってよかったのですか?」
「もちろん。遅刻したお詫びみたいなもんだ」
「お詫びだなんてそんな……。でも、今日のところは甘えておきます」
ネックレスを胸元から持ち上げ、青──というか空色にも近い石の部分をしげしげと眺めてルティスが満足そうに目を細める。そんな彼女の様子を眺め、こんなお金の使い方なら悪くない、とシャンの心も満たされていた。
だからほんの少し、注意力が散漫としていたのだろうか。向かい側から歩いてきた男にどん、とぶつかられ、シャンは尻餅をついた。
「いてっ」
「ごめんよ……」
白い衣服を着てフードを目深に被ったその男は、シャンを一瞥するとそのまま立ち去って行った。
「大丈夫ですか?」と心配そうにルティスが覗き込んでくる。「ああ、平気平気。けどひどいなあ、突き飛ばすなんて」
辺りからクスクスという忍び笑いが聞こえてくる。悪いのはぶつかってきた向こうなのに何故私が笑われるのか、そう憤慨しながら立ち上がったシャンは、お尻に付いた汚れをぱんぱんと両手で叩く。そして同時に気が付いた。
「あれ!? 財布がない!」
「ええ!? 本当なんですか」
「ああ、ズボンのポケットに入れておいたはずなのに」
空になったポケットに手を触れながら思う。しまった、さっきのフードの男にすられたんだ。
「ルティス、ごめん。ちょっとここで待っててくれる? 財布取り戻してくるから!」
「ええ、はい」
ルティスが頷いたのを確認してシャンは駆け出した。そんな二人の様子を見つめている視線の存在にも気づかず。
* * *
くっそ、何処だ? 何処に行った?
追いかけるまでに要した時間はほんの数分のはずだったのに、フードの男の姿が見えない。内心で焦りを感じながらシャンは人混みの中を走っていた。
貰った報酬の大半はもちろん鈴蘭亭に置いてきたが、シャンの財布にもそれなりの金額が入っていた。全額失っては今後の生活に差し支えがある。
息せき切って走る中、ようやくフード男の背中が見える。
「いた。まてぇ! ドロボー!!」
声も限りにシャンが叫ぶと、フードの男はちらりと後方を角煮したのち脱兎の如く逃げ出した。人波の中に紛れ込んでいく背中。
「こら、待て~! 誰かソイツを捕まえてくれ!」
ようやく距離が縮まり始めたかと思った矢先、男が角を折れて建物の隙間にある小路へと入っていく。
「絶対逃がさないぞ! お金返せ!」
シャンも小路に飛び込んでいく。小人族らしく脚力に自信のある彼女であったが、男の逃げ足もなかなか速い。元々の足の長さの違いもあってか、距離はなかなか縮まらない、どころか少しずつ離されている気もした。二階建ての建物に囲まれ日が届かない小路はうす暗い。当然人っ子一人おらず、男の行く手を阻んでくれる協力者など現れそうもない。
くそっとシャンは歯噛みした。
そのまま角を右に一回。左に一回折れて逃亡劇は続く。
やがて男は、建物の外壁に備えられた金属製の外部階段をカンカンと足音を響かせながら駆け上がる。建物の内部に逃げ込む気だろうか、シャンも階段の側まで駆け寄った時、男は足を止めて振り返った。
観念したのか? 不審に思いつつも、シャンはゆっくりと立ち止まる。
「足が速いなあ、君は。流石は著名な冒険者様だ」
私の事を知っている? 警戒心からシャンが眉をひそめた。
「そんなことはどうでもいい。私からスったモノを返せ。そうしたら、これ以上何もしない」
「ふふ……」と男が不敵に笑う。相変わらずフードを被ったままなので、顔色を窺い知るのは難しい。「それはそうと、随分街の中心街から離れてしまったな」
「それがどうした?」
「連れの少女の所まで戻るのに何分掛かるかな? 五分か、それとも十分か」
「話を誤魔化すな! いいから黙って財布を返せ!」
何だろう、この言い方。嫌な感じだな。シャンの胸中に不安の雲が広がっていく。その時、「ほらよ」と言って男が財布を明後日の方角に放り投げた。階段の手摺りを越え放物線を描いた財布は、シャンの数メートル目前に落下を始める。
「おっと」
慌てて落下点に移動したシャン。次の瞬間男は懐に手を入れると、「これも受け取れ」と叫びながら取り出したナイフを投擲する。
風切り音を放って飛来するナイフ。
シャンの手中に収まる寸前の財布を捉えた切っ先は、財布を貫通してそのまま地面に突き刺さった。
「危ないなあ……! 当たったらどうするんだ」
すんでのところで避け、シャンは額に滲んだ汗を拭いながら見上げる。しかし、男の姿はもう何処にもなかった。
「なんだよ、逃げたのか。まあ、財布が戻ってきたんだから、良しとしましょうか──」
そう呟き財布に手を伸ばしたシャンの瞳が凍りつく。
ナイフの柄に刻まれていたのは、隣国ディルガライスの紋章だった。
「ディルガライス……だって」
なんてことだ! しまった! これが自分とルティスを引き離す罠だと悟ったシャンは、ナイフを抜いて財布を回収すると慌てて今来た道を戻り始める。最早、消えたフードの男に、関心を向けている暇もなかった。