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繰り返し見る悪夢(ゆめ)

 シャンは夢を見ていた。

 眼前に広がっているのは、遠方に山々を望む一面の草原。

 丈の短い草が生い茂った若草色の大地を、彼女と弟の二人が並んで走って行く。そんな二人の様子を、少し離れた場所から見守っているのは彼女の両親だ。髪を短く刈り揃えた父親と、長い髪をおさげに結った母親。

 弟はまだ小さいというのに、思いの外足が速い。

 やがて並走することに疲れると、次第に速度を落としてシャンは立ち止まる。僅かに乱れた呼吸を整え、額に滲んだ汗を拭った。見上げた空は朗らかに晴れ渡り、黄金色に輝く雲が幾筋か浮かんでいた。日没が近いのだろうな、とシャンはぼんやり思う。こんな毎日がずっと続くとものだとそう信じていた日々。

 だが、そんな家族の様子を、更に離れた場所で見守っている人物がいた。

 それは、いま現在の彼女。

 視点が()()()()()に移り変わったところで、そっとシャンは意識する。


 ──これは夢なんだ、と。


 明晰夢、というところだろうか、と彼女は思う。睡眠中に見る夢のうち、自分で夢であることを自覚しながら見る夢。そうこれは、幸せな家族の姿を羨む自身の感傷が見せている夢なんだ。




第二章 ──「すれ違う記憶と真実」




* * *


 窓から射し込んでいる朝日がゆっくりと熱量を上げていく中、シャンは目覚めた。

 背中がじっとりと汗ばんでいた。夢か現実かの区別が一瞬つかず、何度か瞳を瞬かせた。

 それは、一週間ほど前より何度か見るようになった夢。それは、現実にはあり得ない夢。夢の中の自分が語ったように、嫉妬の念が繰り返し見せているのだろう。


 ──だって、私の両親は、もうこの世界にはいないのだから。


 側頭部の辺りがじんじんと鈍い痛みをうったえる。このまま布団の中で微睡んでいたいという衝動に蓋をして、シャンは体を起こした。彼女には、やるべき日課があった。


 眠い目をこすりながら洗面所に向かうと先客がいた。

 艶のある長い黒髪。年齢を感じさせない若々しい容姿。シャンにとって育ての親ともいえる存在。養母のフレイだった。


「おはようございます」

「あら、おはようシャン。今日も早いのね」

「ええ、ゆっくり寝ている暇などありませんからね」


 シャンが暮らしている家は、ブレストの街の西外れ。一面に広がる草地の中にぽつんと建つ一軒家だ。

 小さな家でこそあったが、両親が残してくれたもの。シャンはこの家が大好きだった。

 彼女の両親は、シャンが十歳の時に亡くなった。父親は働いていた炭鉱の落盤事故で。それからまもなく、持病だった心臓の病が原因で後を追うように母親まで。立て続けに襲ってきた悲劇に、現実を受け入れられず暫くの間塞ぎこんだのを覚えている。

 どうして私たちだけがこんな不幸に──。

 こんなとき親戚関係というのは案外と役に立たないもので、天涯孤独となった姉弟(きょうだい)の引き取り手はまったく現れなかった。

 孤児院行きの運命も已む無し──シャンがそう覚悟を決めたとき、手を差し伸べてくれたのが親戚の一人フレイだった。

 親戚筋のなかに、ホビットじゃなくて人間も居たんだな。そんな感想を抱いたが意見できる立場でもない。シャンと弟は差し延べられた手を掴んだ。

 次の日から、養母となってくれたフレイと、シャンと、弟であるレンとの三人暮らしがスタートした。


 家の最奥(さいおう)にある部屋の扉を開けた。

 室内に置かれているものはベッドがひとつと、木製のテーブルとキャビネットくらい。壁も天井も真っ白な部屋の中にいたのは、襟足長めの黒髪と、中世的な顔立ちが印象的な少年。彼が、シャンの弟であるレンだ。痩せた身体をベッドの上に起こし、笑顔でシャンを出迎える。


「おはよう、レン」


 挨拶を送り、朝食の入った器を弟の方に差し出した。


「今日は、体の調子はどうだい?」

「うん、悪くないよ。食欲もちゃんとあるし」


 シチューをゆっくりと口に運びながら、うん、美味しいとレンは感想を漏らした。朝日に照らされた顔は血色も良く、スピーンを口に運ぶ動作にたどたどしさもない。今日は体調が良さそうだ、とシャンは思う。

 レンは生まれつき心臓に疾患を抱えている。

 そのため激しい運動はもちろんのこと、長時間の外出でさえも体に堪えてしまうことが多々ある。体調が良い時は近場を散歩することもあるが、殆どの場合、一日の大半をこうしてベッドの上で過ごすことになるのだ。

 それに加え、とシャンは思う。

 数日単位で体調の良い日が続いたかと思うと、とたんに一週間近く寝込んでしまうこともある。ここまで一進一退に思えた弟の症状が、次第に悪い方向に傾いているようになんとなく見える。

 それが目下のところ、彼女の心配事だった。


「ご馳走さまでした」


 そう言って返却された器は、全て空になっていた。

 レンは他人に心配をかけまいと無理をしすぎるきらいがあるのだが、どうやら、食欲があるという話もまんざら嘘ではなさそう。

 ベッドのサイドボードに置かれていた水入りのコップを手に、レンは粉薬を口にふくんだ。

 薬の色が以前と違うことに気づいたシャンが声をかけた。


「飲んでいた薬の種類、少し変わった?」

「うん。精神を安定させる効果があるからって、フレイさんが準備してくれたんだ。実際、これに替わってから調子もいいんだよ」

「そうか。ならいいんだが」


 冒険者であるシャンは日中殆ど家に居ないし、長期間にわたって外出することも多い。そんなとき弟の世話は、フレイに任せきりになっていた。その事に関して、シャンは頭が上がらない。


「調子が良いのであれば、少し散歩にでようか?」


 このチャンスを逃してしまうと、弟を連れ出す機会が永遠に失われてしまうんじゃなかろうか、そんな不安に駆られ、シャンは控えめに提案してみる。

 数秒の瞬きののち、「うん」とレンは頷いた。


「じゃあ、行こうか」


 そう言って両膝の下に手を入れ抱き上げると、思いのほか弟の体は軽い。そのまま車椅子に乗せて部屋を出た。

 そう、これが現実。

 実際には草原を走ることはおろか、近くの丘陵地まで歩くことすらままならない。夢で見た光景は、所詮夢でしかないのだ。


 車椅子を押して家を出ようとしたその時、フレイが声を掛けてくる。


「あら、外出してくるの?」

「はい。ちょっとそこまで」

「そうね。体調の良いときくらい、外の空気に触れるのもいいかもね。……あ、そうだ」


 一旦言葉を切ると、何かを思い出したように奥の方に引っ込んでいくフレイ。ややあって戻ってくると、水色の膝掛け毛布を差し出してくる。


「朝晩は冷えるから、これを持っていきなさい」


 まだ残暑のこる季節とは言え、朝晩は相応に冷え込んだりする。そんなことすら失念していた自分をシャンは恥じた。


「ありがとうございます」


 そう言って毛布を受け取る。軽く触れたフレイの指先は、色白で細い。もう四十手前の年齢になるはずなのだが、外見上は数年前から特に変化が感じられない。ほうれい線もまったく目立たず、子を持っていてもおかしくない年齢だと知ったらきっと多くの人が驚くだろう。

 毛布をレンの膝にかけると、「気を付けて」という養母の声を背に歩き始める。

 ああいうの、美魔女っていうんだっけ。ある意味バケモンだよね、とシャンは心中でのみ舌をだした。


* * *


 辿り着いた丘の上から、下界の様子を見下ろした。

 なだらかな斜面となっている丘陵地は、大半を丈の短い下草で覆われている。斜面の中腹付近に見えるのがシャンたちの実家。そのまた更に下方、視界の先に幾つかの建物が軒を連ねる。

 建物は次第に数を増して、やがて大きな都市の姿に変わる。このエストリア王国内でも、首都に次いで二番目の規模を誇るブレストの街。天翼族。エルフ族。ホビット族。そして、最大の人数を誇る人間たち。雑多な種族で構成された人口は、実に十万人にも及ぶのだという。

 頬を撫でていく風は肌寒い。

 レンの体が冷えないようにと、毛布の位置を少しだけ正した。


「港街ブレスト。別名、冒険者の街」

「突然どうした、レン?」

「お姉ちゃんはさ、どうして冒険者になろうと思ったの?」

「ん……。どうしてだったかな」


 語尾を濁すように、シャンは答えた。どうしてだろう。切っ掛けについて考えてみたのだが、上手く思い出すことができなかった。今でこそ、冒険者であることが生活の一部になっている。仕事を請け負い、解決して金銭を得る。全ては生計を立てるためであり、養母であるフレイの負担を減らすため。

 おそらくは、それが目的だったはずなのだが、とシャンは首を傾げる。当時の記憶は所々が虫食いだ。


「今度さ、僕も連れて行ってよ」

 思いもよらぬ弟の言葉に、シャンは息を呑んだ。

「そんなもん、無理に決まってるだろう」

「どうして?」


 レンは体が弱いから。

 だってレンは、冒険者じゃないだろう。

 そういった当然といえる言葉ですらも、突きつけてはならぬ現実に帰結するように感じられ、シャンは口を噤んでしまう。どう伝えるのが、レンの心を傷つけない正解なのだろうか。


「ううん、本当はわかってるんだ」


 言葉を探して言いよどんでいると、囁く声でレンが続けた。車椅子の手摺りを握る手が微かに震えている。


「僕は体が弱いから姉ちゃんと一緒に行けないことも、姉ちゃんが僕のために、自分のやりたいことを我慢して頑張ってくれていることも」

「我慢なんて、していない」

「してるよ」


 被せ気味に呟かれたレンの声は、吹く風と同じく、心なしか冷えこんで聞こえた。


「年頃の女の子っていうのはさ、みんなお洒落をしたり、化粧をして綺麗なワンピースを着て出かけたりするんでしょ? でも、お姉ちゃんは服だって殆ど持ってない」


 確かにその通りだ。自分が着ている、なんの飾り気もない木綿の衣服を見下ろしシャンは思う。けれど。


「それは違うぞ。レン」

「え?」

「私は、ファッションなんてものに興味なんてない。こんなことを言うと強がりだと勘繰るだろうがそうじゃない。本当のことなんだ。それに……家族を守るために努力するのは当たり前のこと。レンが元気でいてくれることが、私にとって一番の幸せなんだ。全然無理なんてしていない」

「うん。ごめんね……僕、どうかしてたんだ。こんな弱音を吐くなんて」


 いや、とシャンは弟の背中から腕を回して抱き寄せた。


「それでいいんだ。辛くなったら、苦しくなったら、弱音なんていくらでも吐いていい。私だけは、どんなことがあってもレンの味方だから」


 その通りだ、とシャンは心中で誓う。

 弱音は吐かない。決して俯かない。

 たとえ両親が居なくなったとしても、私にはレンという家族がいるのだから。


 そのまま十分ほど、他愛もない雑談に興じた。普段私は家に居ないのだし、こうして話をするのも久しぶりだな──なんて、ささやかな幸せを感じながら。

 今日のレンは、普段よりずっと饒舌だ。体調が悪いときは、白を通り越して青白く見える顔も血色がいい。決して朝焼けのせいだけではないだろう。


「さて、そろそろ帰ろうか」

「うん」


 鮮やかな色を纏い始めた木々。次第に色づき始めた山野。秋の訪れを感じさせる情景を視界の隅に入れながら歩いていく。

 路面が悪いので、振動を与えないよう気を付けて車椅子を押した。少々長居し過ぎたかもしれない。指先が少し冷たく感じられる。

 歩きながらふと遠方に視線を向けると、ブレストの街のそのまたはるか東の彼方に、巨大な積乱雲の姿が見えた。

 雨水を多く含んでいそうな重々しい灰色。あまりにも高く。あまりにも遠い場所にあるその雲は、ヒトの営みとは関わりを待たない隔絶された世界のように見えた。

 どこかで見た記憶がある、とシャンは数秒思い、禁忌の場所の最深部で見た絵によく似ているんだと気が付いた。

 あの雲の中に、たとえば都市があったとしたら──そこまで考えたところでかぶりを振った。

 実にばかばかしい妄想だ。

 雨雲がこちらにまで伸びてくるかもしれない。急いで帰ろう。そうしてシャンは車椅子の押し手を握りなおすと、足早に自宅を目指した。


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